娘の散歩道

東京町田市より、普段の出来事や散歩に行った時に感じた事を
記録しています。

孤独死問題

2009年12月07日 14時56分07秒 | 

最近、この言葉“孤独死”が身近に感じられるようになってきました。
テレビの特集でも何度か放映されましたが、母を亡くした今では切実な
問題であり、その原因も根深いものと思います。

生前、母は都営住宅の4階に住んでいて、同じ階の5軒先でやはり孤独死で
亡くなった高齢者の人について話してくれました。

更に5階でも同様なことがあったようです。

先日、法要の打ち合わせで実家の地域を担当する人の話を聞いてきましたが、
母の住んでいた都営住宅では全棟合わせると100近い建物があり、一月に
1度以上は孤独死で亡くなる人がいるという話をうかがいました。

母が亡くなる前は、身よりのない高齢者は可愛そうだと簡単に考えていましたが、
母の場合も、もしかしたら孤独死の可能性もあったのかも知れません。

母が独居の時、毎日の様に電話をし、週に一、二度は泊まるようにしていましたが
急な体調変化や怪我や転倒などがあった場合は、本人は電話で助けを呼ぶことも
出来なかったと思います。

8月のはじめに、外来診療の付き添いのために朝早く母の所にいくと、これから
病院に行くという時間にもかかわらず起きあがることも出来ず、まして着替えることも
出来ない日がありました。

その時は、痛み止めの強い薬を毎日飲み続けたために意識が朦朧として人が
変わったような状態で、私が何を言っても母は理解できず、母の言っている
ことも話の脈絡がなく私も理解できませんでした。

もし、このような状態で無理に立ち上がって転倒などしたらそのまま誰の
目にもとまらなく息を引き取っていた可能性もあったはずです。

母が亡くなるまでは、高齢者の孤独死は身よりのない家庭の問題と
思ってきましたが今では浅はかな考えであったと反省します。

何処でも、どの家庭でも起きる可能性があると。

今では核家族という言葉は死語になるくらい、日本ではそれが当たり前の
ライフスタイルになったのでしょうか。

また、少子高齢化が進み、更に対人関係も希薄になり地域や社会参加が容易に
出来ないくらい高齢者にとっては住みにくくなっているのでしょうか。

私も、母の死をきっかけに大いに反省するところはあります、孤独死問題は
今後も更に大きな問題となっていくと思われます、孤独死は結果であって、
そのようにな境遇にならないよう何か方策はないのでしょうか。

そんなことを思うこの頃です。



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