娘の散歩道

東京町田市より、普段の出来事や散歩に行った時に感じた事を
記録しています。

2009年11月17日 08時18分06秒 | 

この前の日曜日に75歳の母が他界しました。

余命は、2~3年と医者から宣告されて1年半後のことでした。

病名は多発性骨髄腫。
医学が進歩している現在であっても不治の病で、血液の遺伝子が突然変異して
骨がもろくなり、抗体が無くなってしまう病気です。

母の人生は、病気との闘いの連続であり、それらの病気を克服してきた自信から
今回も不治の病ではありますが前向きに考え闘ってきました。

しかし今回ばかりは、高齢であり体力面の衰えもあり、結局病気に負けてしまいました。
残念です。

これまでに幾度も入退院を繰り返し、いよいよ一人で生活をすることが出来なく
なり私と同居してから3ヶ月目のことでした。

救急車で病院に運ばれたのが先週の木曜日の夕方、私が会社にいるときです。
会社から病院へ向かい、処置室の母を見ると点滴、酸素吸入器、そのほかの
器具をつけられた母がベッドにいました。

”えっ、何で?、どうしちゃったの?”。

家にいたとき、母の様子が苦しそうだったので、妻は兄にも連絡し駆けつけた兄は
すぐに救急車を呼んだそうです。

CTやらX線をとって医師がそのときの状態を説明してくれました。
元の病気が骨髄腫のために感染症に対してまったく抗体を持っていないので
合併症を起こしていました。

X線やCTの写真を見せてもらいましたが両方の肺が真っ白でした。
水がたまってしまい空気は入るスペースがありません。

”この数日で更に悪化することが考えられます”との言葉。
”合併症による肺炎で、かなり重症です、たぶん、カリニ肺炎です”
との言葉。

もう、すごいショックでした。

今回の入院生活はこれまでの中で一番短いものでした。
でも、母はもう帰ることができません、この家には。

一週間前は、まだ元気でした。
更にその前の日曜日には一緒に寿司を食べに行ったのに。

何でこんなに急なの?。

いま、こうやってキーボーをたたいていると、楽しかったことなど思い出が
涙とともにあふれ出てきます。

そして、後悔も。

もっと優しくしてあげればよかった、旅行にも連れて行ってあげればよかった。

痛みに耐えながらも、子供、孫の心配をしながら逝ってしまいました。

偉大な母よ、産んでくれてありがとう。
そして、ごめんね、親孝行もできなくて。

また、妻、子供にもありがとうと言いたいです。
特に妻には。
母の看病、ありがとう。
毎日、朝早く起き母のおかゆを作り、夜遅くまで母のパジャマのアイロンがけしている姿を私は忘れないでしょう。

娘にも礼を言いたいです、母の相手をしてくれてありがとうと。



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