かいうの飼い葉桶

~~一歩ずつ前に進もう!~~ 

いくらなんでもこの数値はないわ

2013-01-27 | 日常雑記
年末帰省のダメージから ちょっぴり建て直しつつある今日このごろ。
寒いですね、今年は。
駐車場のロウバイや日本水仙が見頃になりました。毎年年末には咲いていたのに、今年は遅い開花でした。寒さの影響でしょうね。


帰省から戻るとボロボロになるのは、毎回のことなんですよ。主に実家や夫実家の揉め事に遭遇して、ダメージを受けてしまいます。
軽く心に傷を受けるんでしょうね~ 疲れならそのうち取れるけど、帰省のダメージは厄介なんだよね。
結婚後初めの数年は、嫁の立場をひとりで嘆いてたんだけど…
実は夫も同じように帰省疲れを感じていることが解り、最近ではふたりで共有できています。

親って疲れる。親戚って疲れる。きっと親も同じように疲れを感じているのよね~。
距離感って難しい。



今年の帰省は精神的にも重かったもんで、浜松に戻ってから体重が3キロも増えてしまったのよね。
今ものすごい自己嫌悪から立ち直ろうともがいてるところ。


山に行きたいな。
息子を背負って登る根性とポテンシャルがないから、今は無理なんだよね。
でも 山に行きたい。


この体重で山歩きも無理なんだよね。膝壊す…


とにかく、体重落とさなくちゃいけない。
頑張ろっかな!

てんこ盛り

2013-01-17 | 子供
おままごと遊びがちょっぴり進化しました。
盛りつけとお茶くみをして、息子作のテーブルコーディネート(笑)完成。
食いしん坊なもんだから、全ての食材をてんこ盛りにするのが、息子の美学(笑)みたいです。


お皿の数は3つだったり5つだったり。誰のごはん作ったのか質問すると、
「じじばば」だったり「あんまんまん」だったり。


アンパンマンにコップでお茶を飲ませたりもしてます。

私が食事の支度や後片付けをしている時に、息子がおままごと遊びをすることが多いかな。まさにままごとだ!

年末帰省☆県北(福島伊達地方)

2013-01-15 | 地元、福島
夫の実家がある中通り 伊達地方は、果物の産地です。りんご、もも、かき、ぶどうなどが名産。
やはり風評被害が深刻だそうです。測定して問題なしとされても、値段がつかないのだとか。

また、夫の実家がある地区では、住宅地の除せん作業が終わっておりました。が、除せんで剥がした表土の中間貯蔵地が決まらず、各家庭で保管されています。トンパックに詰められた土にブルーシートがかけられ、敷地の片隅に寄せられていました。地区のどの家庭にもブルーシートの小山がある光景…
これも辛いことです。


息子は毎日外で遊びたいけど、ブルーシートに近づくなと言っても無理があります。しかも、冒険大好きな息子は、りんごやももの畑を探検したくて仕方がない。だけど、畑は除せんしていない…

食べ物しかり。
どうしても気になってしまいます。

毎日ここで暮らす人は、気にすることが多すぎて大変なんじゃないかと思いました。逆に、気にしないほうがストレスがたまらないのかもしれません。


二年前と変わらない、福島伊達地方の景色。だけど大きく変わってしまった日常。目には映らない恐怖との戦い…
さらに、風評との戦い。


「ホーシャノーで孫も帰って来なくなった」と嘆いていた夫の父母や親戚の方が、息子の帰省を喜んでくれた。そこに大きな意味があると思いました。

年末帰省☆南相馬~相馬

2013-01-12 | 地元、福島
南相馬の実家は、今両親の住んでいる仮設住宅です。

夫の実家から南相馬に向かう途中に、やはり自分の目で確かめたくて相馬港から浜街道を南下しました。

変わり果てた地元の様子には、いわき市の被災地域を見た時よりもさらに大きな衝撃が走りました。
浜街道から見える景色は、は冬枯れの茅とブタクサが生い茂る更地と、防波堤さえもない海岸線。田んぼも二年間耕作されていないから、枯茅の荒野に見えてしまいます。


相馬市から南相馬市まで走り、私の実家に到着した時には、もうとっくにキャパオーバーになっていた感情から、頭痛と吐き気がするほどでした。
家も馬屋もなくなった敷地には、一部の植栽帯だけが残っていました。シンボルツリーだった木蓮や門被りの松など、主な樹木は既にありません。

私はクルマから降りる気になれませんでした。これ以上の現実を受け止めるキャパがなかった。


仮設住宅に住む両親に会ってから、親戚へのご挨拶に伺いました。

実家近くの叔母ちゃんの家は、地区で一番海寄りの家になっていました。西側は今まで通りの住宅地、東側の窓からは海まで2キロ続く更地と水平線が見えます。この家の東側にあった百戸以上の家は全て片付けが終わっていて、遠く海岸線付近に瓦礫を積んで防波堤を作っている工事車両が見えました。
叔母ちゃんは、「きれいになったでしょ。瓦礫が片付いて、だいぶ心穏やかになれたんだよ。」と話してくださいました。

今自分の目で見ている光景は、既にたくさんの過程を乗り越えていることを再認識しました。

私の家族もそうだけど、本当に辛いことや酷かったことは ひとつも話さず、前向きな気持ちだけを言葉に選んでいるようです。



南相馬市は、被災、原発事故、屋内待避指示、陸路の孤立化、風評による孤立化を経て復旧作業が始まりました。
震災後、南相馬市内にはF1からの距離20キロの旧警戒区域と、30キロの旧屋内待避区域、さらに30キロ以上の避難対象外区域の線が引かれました。
いわき市とは異なる経過を辿っています。



震災直後の混乱の中で、私の祖母は寝たきり避難をしていました。
屋内待避指示や陸路の孤立化など様々な要因で、市内の病院が入院患者を受け入れることができなくなりました。祖母のいた病院の患者さん達は、警察車両で北関東の病院に移送されました。
寝たきりで数年間入院していた祖母は、避難から2週間後に亡くなりました。寝たきりの患者を移送するのだから、かなりの負担がかかったのでしょう。祖母の様に、避難からまもなく亡くなった方がたくさんいらっしゃるようです。

私はようやく、祖母の仏前に線香を手向けることが出来ました。
祖母に「今まで来れなくてごめんなさい」と謝りたかったので。

今回の帰省の大事な目的でした。



地元の被災地域を見るのは、やっぱり辛かった。時が過ぎてからちょこっと来ただけの私でもこんなに辛いのに…
生活の全てや家族を失った人達だって、ずっとここで生きてる。
どんな言葉で表せばいいのか、わからない。

だけど前向きに生きてる姿を見て、東北人は強い、福島人は強いと思いました。








(続く)

年末帰省☆成田~いわき

2013-01-10 | 地元、福島
年末年始の休暇で、二年ぶりに地元福島へ帰省してきました。
夫は何度かひとりで帰省してましたが、私と息子と揃って帰るのが二年ぶりになりました。


まずは成田山新勝寺にお詣りして、成田に一泊。なんとこの日は、宿泊予約が私たちだけ!という貴重な?体験をしました。クリスマスイブだったからか、三連休最終日だったからか、貸切状態(笑)
息子が騒いでも走り回っても、自由にどうぞ、と言われました。よろしければご家族でお風呂に入っても構いません、男湯女湯どちらでも♪
と、すすめてくれた仲居さん。


久しぶりの旅館でテンションあがり、走り回る息子でしたが、少しは成長が見られました。ほんの少しだけ、母の注意に耳を傾けるようになりました。それでもかなりやらかしてたけどね(笑)今回は、お茶道具が気に入り、並べたり重ねたり茶殻を湯呑みに盛り付けたりしていました。


翌日は鹿島神宮にお詣りしました。
広大な神宮の森を探険気分で走り回り、息子は楽しめたみたいです。


この日はいわき市に向かうため、鹿嶋市からR51を北上。懐かしい茨城の景色。

いわき市には弟がおります。震災後、両親もここでお世話になりました。


弟に頼んで、いわき市で津波被害の酷かった地区を見てきました。
言葉にならない…
かつての町並みは家の土台を残すのみ。瓦礫は既に片付けられており、浸水した家屋をきれいに修復して住んでいる家も多々ありました。

道路も補修されていますが、私の記憶にある町並みは一面の更地になっていました。


辛すぎる。
震災後いち早く復旧を進めたと聞いていたいわき市の被災状況を見ても、私のショックは大きかった。
さらに復旧が遅れていると聞く、私の地元・南相馬市を直視出来るだろうかと不安になりました。




小名浜港にあるららみゅうでは、子供向け室内施設(みゅうみゅう広場?)がなんと!ひとり100円(50分チケット制)の良心的な値段で開放されていました。息子はボールプールで汗だくになって遊べました。私達と弟が付き添いで入場しても たった400円ですのよ、奥様。
もちろん大人気。戸外で遊ばせにくい時でも、子供が目一杯遊べます。福島にこういった施設がたくさん出来ているそうです。


両親が避難中に、夫の叔母さんにも大変お世話になりました。知り合いのいない土地で、いわき在住の叔母さんの存在はとてもありがたかったそうです。
私からもお礼が言いたかったので、お会いして来ました。震災時やその後の混乱なんかもたくさん話してくださいました。



聞くと見るとは大違い。
百聞は一見に如かず。

そんなことを感じていました。





(続く)

帰省しました

2013-01-01 | 地元、福島
皆様新年おめでとうございます。昨年同様どうぞよろしくお願いいたします。


私たち家族は、二年ぶりに地元福島に帰省して新年を迎えました。

やっと帰れた、という気持ち。
そして、震災から二年経ってようやく、初めてこちらの現実を見ました。


まず、一番は
福島人は、東北人は強い。今回帰ってきて良かった。
本当に様々な思いが交錯します。

帰省して私が見たことや感じたことは、また改めて書き留めようと思います。


私が家族や親戚の元気な顔を見れて嬉しいように、福島の家族も息子との帰省を喜んでくれました。息子もじいじばあばに可愛がってもらい、毎日イタズラ三昧です。


やっぱり地元はいいね。