森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

浮遊島の章 第1話

2009年11月04日 | マリオネット・シンフォニー
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 闇の中、幼い少女のすすり泣く声が響いていた。
 幼女は全身から血を流し、おぼつかない足取りで歩いている。
『どうしたのですか、エンデ』
 何処からか、落ち着いた女性の声が響いた。
 エンデと呼ばれた幼女は顔を上げ、
「ママぁ……あのね、あたしのお人形達がね、言うことを聞いてくれないの」
 泣きながら訴える。
 と、宙にうっすらと女性のシルエットが現れた。
『そう……それは困ったわね。でも大丈夫よ、エンデ。貴女は何も間違っていないんですもの。みんなもきっとわかってくれるわ。……さあ』
 シルエットが手をかざすと、幼女の傷があっという間に癒える。
『貴女は世界を救うのです』


第1話 始まりはクラウンの名と共に


 一人の男が廊下を歩いていた。
 幾つもの扉の前を通り過ぎ、やがてたどり着いた先、一つの部屋の前で立ち止まる。
 男が扉を開くと、爽やかな風が吹き抜けた。白を基調とした落ち着いた部屋の中、レースのカーテンが風に揺れている。
 窓の手前には大きなベッドがあった。揺れるカーテンに包まれるようにして、一人の女性が上体を起こし、顔を外に向けている。
「……やぁ、レム。今日は調子がいいみたいだね」
 少し驚いた様子で男が挨拶すると、女性……レムは振り返った。窓の外を眺めている様子だったが、その瞳は閉じられている。薄絹を何枚も重ね合わせたような風変わりな衣裳を身にまとい、その上を微かに青みがかった長い白髪が流れている。
「スケアとフジノが出会いました」
「何だって!? スケアの奴が!?」
 レムの言葉に、男が思わず大声を上げる。
「あいつ、最近連絡が途絶えたと思っていたら……それで、どうなった? 生きてるのか? 場所は?」
「ヴァギア山脈南部、ペイジ博士の発電所。でも大丈夫です。すべてはうまく収まりました」
「ペイジ博士の発電所と言えば、カシミールにモレロ……確かジューヌもいるはず。おいおい、そのメンバーで何がどうなればうまく収まるっていうんだ……?」
「それよりも、バジル」
「あ、ああ……何だい?」
 男……バジル・クラウンは長い髪を掻き上げて考えていたが、声をかけられて我に返った。
「我々の元に“希望”がやってきます。研究所に……ケラ・パストルに向かいましょう」
 そこまで喋ると、レムはふっと眠りに落ちた。
 バジルはレムをベッドに横たわらせて毛布をかけると、自嘲気味に呟いた。
「君の力に頼らなければ、自分の国で起きていることもわからない。これじゃあ、何のための情報局なんだかな」
 そしてバジルは、レムの頬に軽くキスして部屋を去った。

   /

 アイズ達が新たな旅を始めてから一週間。
 飛空艇【南方回遊魚】は海辺に到着し、海岸線沿いにゆっくりと飛んでいた。
「うーん、綺麗ねー」
「本当ですねー」
 トトが甲板から身を乗り出し、浜辺の景色に歓声を上げる。アイズは南方回遊魚の操縦を自動航行機能に任せ、トトと一緒に甲板でくつろいでいた。
「お気楽なものね……」
 楽しそうに騒いでいるアイズとトトを横目に、フジノが一人、ぼそりと呟く。
 フジノは一人で物見台に座っていた。何をするでもなく景色を眺めるうち、ふと妙な物を見つけて目を凝らす。
「あれは……?」
 高い塔のような形のものが、海面を割って何本も突き出ている。岩にしては不自然な形だ。このまま進めば船底を擦るかもしれない。
「……アイズ! 手動運転に切り替えなさい!」

「すごいねー」
「高いですー」
 南方回遊魚を着陸させて、アイズ達は浜辺に降り立った。少し内陸の方には巨大な花が一面に咲き乱れている。海に突き出た塔のようなものについて、アイズは道中の街で入手したガイドブックを片手に説明し始めた。
「えーっとね。あれは『タワー』って言って、珊瑚と似たような動物なんだって。海流の関係上、この辺りの海底にはプランクトンの死骸とかが集まりやすいらしいの。で、それを養分として吸収して育っている、と」
「へぇーっ、あれが動物なんですか……岩みたいですね」
「うん。実際に成長してるのは海面よりもずっと下で、上の方は死骸らしいよ。崩れやすいからそれを取って肥料とかに利用してるんだって。定期的に取り除いてやると、タワーとしても余計な負荷がなくなって成長しやすいんだってさ。ここフェルマータ合衆国クラニア州の主要産業で、海辺に大型の植物が多いのもその影響らしいね」
「なるほど~。養分のエレベーターみたいですね」

 二人とは少し離れた場所に立ち、フジノは一人、海を眺めていた。
「青いな……とても深い色。まるで……」
 フジノの脳裏に、同じ色の髪と瞳を持った男の姿が浮かぶ。
 一つ小さな溜息をつくと、フジノは頭を振って幻を追い出し、「くだらない……」と呟いた。

「本っ当に綺麗ねー! ハイムじゃ海岸はコンクリートで固められてたからなぁ」
「私、海で泳ぐのは初めてです。すっごく楽しいです!」
 かつてフジノと出会った街で海を目指すことを決めて以来、ようやくたどり着いた海。アイズとトトは早速水着に着替え、二人で泳ぎ始めた。
「フジノさんも泳げばいいのに……私の予備の水着、貸してあげようかな」
 浜辺で海を眺めているフジノに目を留めて、トトが呟く。
「トトのじゃ入んないんじゃない?」
「うっ……アイズさん、それど~いう意味ですかぁ~」
「や、やだなぁ、身長のことよっ」

 フジノはぼんやりと海を眺めていたが、何かが飛んできたので反射的に手で防いだ。
 軟らかい感触の何かがポーンと跳ね返り、しばらく浜辺を飛び跳ねた後、ころころと転がって止まる。と、それはいきなりタコになり、海中に入っていった。呆気に取られているフジノに、それを投げた張本人であるアイズが声をかける。
「それねーっ! 『海風船』って言って、空気中に出ると丸くなるのー! タコの仲間らしいよーっ!」
 続いてトトが海風船を投げる。今度は受け止めたフジノだったが、
「ん……うわっ!?」
 墨をかけられて真っ黒になってしまった。アイズとトトが楽しげに笑う。
 と、
「きゃっ!」
 トトが引っ繰り返った。フジノの投げ返した海風船が顔面に直撃したのだ。やりすぎたと思ったのか、フジノが駆けてくる。
「……大丈夫?」
 途端、トトが起き上がってアイズと一緒に水をかけた。怒ったフジノが二人を追いかける。3人はしばらくの間、海辺でじゃれあった。

 やがて辺りは暗くなり、3人は南方回遊魚の近くで焚火を囲んだ。
「……私はこれから、何をして生きればいいんだろう」
 フジノが呟くと、アイズが驚いて顔を上げた。トトは大きな花びらにくるまり、静かな寝息を立てている。
「この子は本当に歌がうまいわね」
 呟き、フジノは微笑んだ。
「この子みたいな才能があればよかったのかな……。アインスも、私にトトみたいな女の子になって欲しかったのかもしれない。でも、私は……」
「私もさ、前はそう思ってたよ。歌だってうまくないしね」
 アイズは言った。
「でもトトの歌はプライス博士に与えられた能力だけじゃない。すっごい努力によって成り立ってるの。本当よ? 毎日発声練習とかしてるし、暇があれば世界中の電波を拾って色々な歌を聴いてるみたい。何よりすごいのは感受性ね。トトってさ、いつもボンヤリしてるように見えるけど、頭の中では色々と考えてるみたいなの。スケアさんと一緒に山脈の村に行った後、白蘭とジューヌの戦いを見た時なんか、夢でうなされたりしてたしね」
 スケア、の一言に身体を強張らせるフジノ。
 しかしアイズは気づかず、話を続ける。
「多分、歌がトトの精神の支えになってるんだよ。そうじゃなきゃ、こんな傷つきやすい子、生きていけないと思う。だから……フジノ?」
「……スケア……か」
 フジノは深く沈んだ表情で言った。
「あいつはこの11年間、ずっとこんな気持ちでいたのかしら。アインスを殺した罪を背負って、自分に絶望しながら。とても想像できない……地獄だわ」
「……そうだね。でもスケアさんは、悩んで悩んで悩みまくって、守るべき希望を……生きる意味を見つけたじゃない。だからフジノだって……」
 フジノが立ち上がったので、アイズは口を止めた。
「貴女はね、強い人間よ。何の才能もないようなことを言ってるけど、貴女にはアインスと同じ力がある。人を導く力が。ただ、アインスは常に前に立って道を示してくれた。だから私は、その道を進むだけでよかった。まあ、結局は進むことができなかったけど」
 口の端を上げ、フジノは自嘲する。
「でも貴女は、一人一人に働きかけて自分で道を探させてしまう。私はまだ、何をして生きればいいのかわかってないし、スケアほど強くもない。だから時には、貴女を拒絶するかもしれないけれど……その時は許してくれると嬉しい。それじゃ」

 南方回遊魚に向かって去っていくフジノ。
 その背中を何も言えずに見つめていると、ふと何かを思い出したように立ち止まり、フジノが振り返った。
「アイズ。貴女の名前だけど……ハイムではありふれてると思う?」
 アイズは目をぱちくりさせると、首を横に振った。
「ううん。変な名前だ、ってよく言われてた」
「そう……ありがとう。それだけよ」
 フジノはそのまま船内に入ると、一人、小さな声で呟いた。
「……まさか、あの『アイズ』とは関係ないわよね……?」

 一方その頃。
 沖に聳えるタワーの上で、三つの人影がその様子を眺めていた。
「なぁ、お前はどの子がイイと思う?」
 深い緑の髪の少年が快活な声で尋ねた。
「無意味な質問だ。俺達クラウンは任務を遂行するためにのみ存在する」
 燃え盛る炎のような紅の髪の少年が、落ち着いた声で答える。
「ただ、あの女……俺と同じ髪の色をした女が少し気になるな」
「え~っ? いやまぁ確かに色っぽいけどさぁ、トゲがありそうじゃないか? こう、触ったらブス~ッて……あ、そういうのが好みなんだな? う~ん、なかなか……あがっ、あがが……」
 ニヤニヤと笑う緑髪の少年を捕まえ、紅髪の少年が握り締めた拳をグリグリとこめかみに押しつける。
「ま、待て待て、冗談だ。そんな悲しそうな顔をするな、お前の気持ちはよくわかって……ぐぇっ! ちょ、絞まってる絞まってる! ギブ、ギブだってばっ!」
「いい加減にしろ。グラフ、アート」
 じゃれあう二人に、3人の中では最も年下に見える白髪の少年が冷たく言い放つ。
「僕達の目的はNo.24『トト』の捕獲、及び反ハイム勢力の消去だ。トトさえ無傷で手に入れられれば残りの女は好きにして構わない。ただし、アイズとかいう黒髪の女だけは確実に殺せとの命令だ」
「わかってるって! なぁ!」
 緑髪の少年……グラフが尋ね、
「ああ、勿論だ」
 紅髪の少年……アートが答える。


「でもさ、夜中にいきなり女の子を襲うってのは気がひけるなぁ。ほら、なんか変質者っぽくないか?」
「では決行は明日の朝だ。それで文句はないな」
 そう言って、白髪の少年は姿を消した。
「やれやれ、相変わらず俺達のお姫様は愛想が足りないね」
 グラフが肩をすくめる。
「貴様が無駄に不真面目なだけだ」
 アートは南方回遊魚から目を逸らさずに答えた。

 ノイエは別のタワーの上で、脳内の通信機を使って誰かと話をしていた。
「……うん、スケアはいないみたいだ。他のドールズの姿も見えない。少し残念なくらいだよ、オリジナルと戦えなくてね」
 通信を終え、ノイエが目を開けると、ちょうど雲の切れ目から月が覗いた。
 月明かりに照らされたノイエの顔は、11年前のスケアそのものだった。

   /

 翌朝。
 誰よりも早く目を覚ましたトトは、そばで眠ってるアイズを起こさないよう、少し離れた場所で発声練習を始めた。
 トトの歌声に誘われるように海鳥が舞い降り、思い思いの場所で羽を休ませる。
 と、近くの草むらで何かが動く気配がした。
「ウサギ……さん?」
 呆気に取られるトト。
 トトが目を向けた先には、漫画の世界から抜け出してきたかのようなウサギの人形が立っていた。ピョコリとおじぎをすると、トトに背を向けて走りだす。
「あ……ウサギさん、待って下さい」
 よくわからない出来事に混乱しつつも、思わず駆け出すトト。人形を追って浜辺の岩の影に入ると、そこには二人の男が待ち構えていた。
「見たかアート、俺のウサちゃん人形のすごさを! 名づけて“ファンシー人形だからって無闇についてくと危ないよ、お嬢さん”作戦だ!」
 ウサギの人形を抱き上げて得意満面のグラフ。
「お前の妙な趣味も少しは役に立つな」
 アートがトトに近づく。
「さあ、一緒に来てもらおうか」
「そ、それ以上近づくと……叫びますよ」
 トトは身体を強張らせて言った。
 しかしアートは気にも留めず、無神経にトトの腕をつかむ。

 瞬間。
 大地を揺るがすほどの大音量で、トトは、叫んだ。

「な、何っ!?」
 アイズが飛び起き、

「何だ!?」
 フジノが南方回遊魚から飛び出てくる。

 トトの叫び声はアートとグラフの聴覚回路に侵入した。途方もない音量の悲鳴を直接頭に叩き込まれて昏倒する二人。
「お、女の子だからって、甘く見ないで下さいね!」
 腕に残っていたアートの手を外し、駆け出すトト。しかし岩場を出たところで、トトは再び腕をつかまれた。
「抵抗は無駄だ。おとなしくしろ」
 再び叫ぼうとしたトトの口を手で塞ぎ、白髪の少年ノイエが冷たい口調で警告する。
「アート、グラフ。さっさと起きろ……行くぞ」
「う……うう……っ」
「ひゃあ~、とんでもない大声だったなぁ~」
 頭に手を当てつつ、どうにか起き上がる二人。と、そこにアイズが駆けつけてきた。
「こらーっ! あんた達、トトに何してんのよーっ!」
「始末しろ、アート」
「ん? ……ああ、わかった」
 アートが腰の剣を抜き、アイズに向けて軽く振りぬく。途端、アイズの目前に炎の壁が立ち昇った。悲鳴を上げるアイズ。
「あーあー、女の子相手にあそこまでやんなくっても……」
 グラフの呟きを無視して剣を鞘に納め、ノイエと共に去ろうとするアート。
 しかし突然、何者かによって炎の壁が突き破られた。
 炎を身に纏ったその人影はグラフの頭上を越え、驚いて振り返ったアートを踏み台にしてノイエの頭上をも越えて、海を背に着地した。腕に抱えられていたアイズが、ふうっと溜め息をつく。
「ありがと、フジノ。助かったわ」

「……なんだって?」
 アイズが口にした名前を耳に留めて、ノイエが呟く。
 一方、アートはまだ耳の調子が悪いらしく、
「何者だ貴様は……只者じゃないな」
 再び剣を抜き放った。剣の先端に、ボゥッ、と炎が灯る。

「アイズ、危ないから離れてなさい」
「あ、ちょっとフジノ!」
 フジノはアイズを突き飛ばすと、ずかずかとアートに向かって歩き始めた。
「ふん、随分と余裕だな……!」
 先程と同じように、剣を真一文字に振りぬくアート。
 同時に、フジノが真正面からアートに突っ込んだ。

 傍目には、フジノが自分からアートの攻撃を受けにいった形になる。
 しかし剣に触れる直前、フジノは上体を反らした。フジノのすぐ目の前を刀身が通過し、遥か後方に炎が上がる。
「なに!?」
「技が大きいわね」
 呟き、フジノはアートの顎を蹴り上げた。

「フジノ……か」
 戦いの様子を見ていたノイエが右手を突き出す。すると右手が砲身のような形状に変形し、にわかに輝き始めた。
「危ないです、フジノさん!」
 口が自由になったトトが叫ぶ。

 フジノは倒れたアートにとどめを刺そうとしていたが、トトの声に振り向き、ノイエを見て大きく目を見開いた。
「……スケア……?」

 次の瞬間、ノイエの右手から白い閃光が発射された。


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