先日、高校時代に使っていた『ジーニアス英和辞典』でたまたま「empirical 」(経験主義の)という単語を調べていたら、英語では「経験主義」という言葉が「やぶ医者」・「当てずっぽうの」といった悪い意味で使われることがあることを知った。
そこには、
empiric 〈名詞〉 ①経験主義者 ②やぶ医者
とあった。経験主義者は「やぶ医者」である、というこの断言はすごいなと思った。
やっぱりアレかな、医者たるもの、きちんと西洋医学の合理的な体系に則って治療しなければ医者にあらず、ということをこの辞書は教えようとしているのか。
経験だけで患者の診断や治療を行う人間は、行き当たりばったりのやぶ医者になりかねない、という教訓なのだろう。
じゃあアレかな、経験にもいろいろあると思うけど、empiric には、「赤ひげ」や間黒男(はざま・くろお=ブッラク・ジャック)みたいな先生も含まれるのだろうか。そんなことを想像してちょっとせつなくなりつつ、
他の派生語も見てみると、
empiricism 〈名詞〉 ①経験主義 ②いんちき医者の手口
というのがあって、「いんちき医者の手口」はまあいいとしても、①経験主義 で(例文)が一つだけ載っているのが気になって、それが
creeping empiricism [けなして]地をはいずり回る経験主義
というものだった。
括弧の中の[けなして]というのは何たる言い草だろうと思った。
ほかにましな例文はなかったのか。
「地をはいずり回る」を実践している人が、自分の不器用さを[謙遜して]そう言うのならまだしも、この(例文)だと[けなして]とあるから、「はいずり回っていない」人が「はいずり回っている」人を横目で見つつ、懐手して「ははーん、こいつ、creeping empiricism だな・・・」と心の中でつぶやいているような情景が思い浮かんできて「何だよ冷たいな」と腹が立ってくる。
橋本治『わからないという方法』という本で、著者自らが「地を這う方法」として、「枕草子」現代訳の「しんどい作業」を延々と語りつづけている箇所があったが、こういうことまで [けなして]地をはいずり回る経験主義、と言うんだったら、『ジーニアス英和辞典』はちょっと経験主義に対して冷たすぎる。
と勝手な感想を抱きながら辞書を閉じた。
そこには、
empiric 〈名詞〉 ①経験主義者 ②やぶ医者
とあった。経験主義者は「やぶ医者」である、というこの断言はすごいなと思った。
やっぱりアレかな、医者たるもの、きちんと西洋医学の合理的な体系に則って治療しなければ医者にあらず、ということをこの辞書は教えようとしているのか。
経験だけで患者の診断や治療を行う人間は、行き当たりばったりのやぶ医者になりかねない、という教訓なのだろう。
じゃあアレかな、経験にもいろいろあると思うけど、empiric には、「赤ひげ」や間黒男(はざま・くろお=ブッラク・ジャック)みたいな先生も含まれるのだろうか。そんなことを想像してちょっとせつなくなりつつ、
他の派生語も見てみると、
empiricism 〈名詞〉 ①経験主義 ②いんちき医者の手口
というのがあって、「いんちき医者の手口」はまあいいとしても、①経験主義 で(例文)が一つだけ載っているのが気になって、それが
creeping empiricism [けなして]地をはいずり回る経験主義
というものだった。
括弧の中の[けなして]というのは何たる言い草だろうと思った。
ほかにましな例文はなかったのか。
「地をはいずり回る」を実践している人が、自分の不器用さを[謙遜して]そう言うのならまだしも、この(例文)だと[けなして]とあるから、「はいずり回っていない」人が「はいずり回っている」人を横目で見つつ、懐手して「ははーん、こいつ、creeping empiricism だな・・・」と心の中でつぶやいているような情景が思い浮かんできて「何だよ冷たいな」と腹が立ってくる。
橋本治『わからないという方法』という本で、著者自らが「地を這う方法」として、「枕草子」現代訳の「しんどい作業」を延々と語りつづけている箇所があったが、こういうことまで [けなして]地をはいずり回る経験主義、と言うんだったら、『ジーニアス英和辞典』はちょっと経験主義に対して冷たすぎる。
と勝手な感想を抱きながら辞書を閉じた。