PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



昨日は、円東寺大人の寺子屋『史跡勉強会vo.3 大人の遠足』でした。パチパチ!
野馬土手の見学を通して、これまで、さほど興味が無かった小金牧と東京新田に急に人間臭い物語を感じています。

これまで私の中でのざっくりとした認識は、
千葉県の北西部には江戸時代に小金牧という、幕府直轄の広大なお馬さんの牧場があった。お馬さんが逃げないように野馬土手という長大な土手を築いた。明治になって、そこが解放され、入植者がうわーっとやってきて開墾していき、田畑になったが、土手は残った。

というものでした。ちなみに開墾でよく話題になるのが、開墾された順番に数字のついた地名になっていることです。おニャン子クラブ会員番号1番から13番まであります。
初富(鎌ヶ谷)、二和(船橋)、三咲(船橋)、豊四季(柏)、五香(松戸)、六実(松戸)、七栄(富里)、八街(八街)、九美上(香取)、十倉(富里)、十余一(白井)、十余二(柏)、十余三(成田)

今回、物語を感じたのは、江戸幕府が無くなり武家屋敷勤めだったお侍が職にあぶれ、慣れない鋤や鍬を持ったが、大勢が挫折したようだ、、、とか、会社組織で開墾して、ほんの少しの大地主と大勢の小作人が生まれたとか、あちこちで揉め事が起こっていた部分です。これだけ広大な土地を開発すれば、そりゃあ、成功する人も失敗する人もいるし、利権の綱引きもあったでしょう。今も昔も変わりません。


金は天下の回りもの、ところがどっこい近頃は、天下が金の回しもの
金さえありゃとは申しませんが、情けがありゃとも申せません
きれいごとばかりじゃぁ、とどのつまりの堂々巡り
どうやらどの世に生まれても、こいつだけは許せねぇってな輩がおりますもので、、、、




ちなみに、流山市おおたかの森近辺は、小金牧の中でも上野牧という牧でした。
一緒に物語を感じたい方は、小金牧のWikipediaが図解たっぷり文章たっぷりで、めちゃくちゃ詳しいので一読されてみてください。



写真~
昨日の押尾先生による『アースダイバー』のお話。

想像の部分もありますと前置きをされましたが、非常に興味深く楽しいお話でした。人間も生き物である以上、水とともに生きているなあ、と。



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