正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

肉眼に依ると迷いが生まれる(五眼)

2005-11-21 | 手引書⑪

 私達が、人生に迷う原因は、肉眼を根本とするためです。肉眼は、因果の道理に迷い、善悪の立て分けが明確に出来ず、悪道に進み迷い多き眼です。 
 日蓮正宗の信心をしない多くの人は、肉眼に頼り生きています。学問に志し、知識を身に付ければ天眼や慧眼に通じるものはありますが、最高の仏様が具える「仏眼」は御本尊様を受持し、御題目を唱えなければ得ることが出来ません。
 御本尊様に御題目を唱えることで、肉眼が六根清浄の一分を得て、現実を明らかに見え、悪道に進む原因を断ち、仏眼を具えることになります。
 五眼とは、『大智度論』に説かれている五つの眼力のことです。
①肉眼 肉身に具わる眼。
②天眼 天人が所用している眼。遠近内外昼夜の別なく見る。また未来の生死を知る能力がある。
③慧眼 一切の現象は空であると達観し、その理を見抜く二乗の眼。
④法眼 菩薩が一切衆生を救うために一切の法門を照らし見る眼。
⑤仏眼 真理のすべてに徹して一切に観ずる仏の眼。他の四眼もことごとく具足する。
以上が、五眼です。日蓮大聖人は『五眼御書』に、
 「法華経の行者は肉眼なれども、天眼・慧眼・法眼・仏眼を備ふととかれて候」(御書1674)
と有り難い御指南をされています。法華経の行者とは、御本仏日蓮大聖人だけであり、大聖人の仰せになるままに、私達も信心修行を素直に行えば、迷い多き肉眼が、天眼・慧眼・法眼・仏眼を具えていくことが出来るのです。五眼を頂くことで、成仏が叶うのです。
 迷える肉眼は、折伏のために、迷い多き人々の気持ちを知るため重要な働きをなします。肉眼も大切な役目があります。信心をすれば、肉眼も正しい道筋のもとに活かされるのです。つまり、迷いの根源である煩悩の存在を肉眼で明らかに見つめ、我が身に人生の迷いを体験し、御本尊様に御題目を唱えることで、仏眼を具えて煩悩の正しい扱いを見出します。「以信代慧」によって、智慧が頂けるのです。
 御本尊様を疑うところには、仏眼は具わらず、肉眼だけが常に顔を出し、三毒強盛となり、退転していきます。顕益ではなく冥益を信じて、地道に信心するところに、有り難い仏果となる仏眼を得るのです。
 毎日の勤行唱題するところに、仏眼を具えることが出来ます。気持ちを落ち着け、御本尊様と境智冥合するところに、自然と仏眼を具えていきます。欲望に翻弄された我見を払拭させ、禅定の境地に入ることにより、現実の微妙な変化が五感に感じることが出来るのです。大聖人の御指南を心肝に染め、五感で感じていくことが大事です。我見が中心となった肉眼では、感じていくことは出来ません。同じ勤行唱題をしていても、以上のことを理解しているか、していないかで、自ずと御本尊様から頂く功徳に天地雲泥の差が生まれます。身口意の三業を調え、落ち着いて勤行唱題に精進することが大切でしょう。
 信心をしていても、肉眼と仏眼を混同させることなく、時の御法主上人の御指南を仰いで行くところに、有り難い仏眼が具わるのであります。