正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

六根清浄の功徳とは(法師功徳品第十九)

2005-11-15 | 妙法蓮華経並開結 略要旨私考

「六根清浄」の功徳は、『法華経』の「法師功徳品第十九」(法華経474)に説かれます。信心で随喜するところ有り難い「六根清浄」の功徳を得られるのです。つまり「法華美人」といわれる由縁が、この「法師功徳品第十九」にあります。
 五種法師である受持・読誦・解説・書写をする者の、功徳を説くところで、御本尊様を信じ御題目を唱える人の功徳が、「法師功徳品第十九」で釈尊が説かれます。
 六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意です。「法師功徳品第十九」には、「六根清浄」の功徳が明かされ、
「受持是法華経。若読。若誦。若解説。若書写。是人当得。八百眼功徳。千二百耳功徳。八百鼻功徳。千二百舌功徳。八百身功徳。千二百意功徳。以是功徳。荘厳六根。皆令清浄。(是の法華経を受持し、若しは読み、若しは誦し、若しは解説し、若しは書写せん。是の人は、当に八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の功徳を得べし。是の功徳を以て、六根を荘厳して、皆清浄ならしめん。)」(法華経474)
と説かれ、正しく「六根清浄」の功徳を示す文証です。
 日蓮大聖人も『御義口伝』に六根清浄について、
「法師とは五種の法師なり、功徳とは六根清浄の果報なり。所詮今(いま)日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は六根清浄なり。されば妙法蓮華経の法の師と成りて大きなる徳(さいわい)有るなり。功(く)も幸(さいわい)と云ふ事なり。又は悪を滅するを功と云ひ、善を生ずるを徳と云ふなり。功徳(おおきなるさいわい)とは即身成仏なり、又六根清浄なり。法華経の説の文の如く修行するを六根清浄と意得べきなり云云。」(御書1775)
と御教示であり、更に同抄には、
  「第二 六根清浄(ろっこんしょうじょう)の事、
  御義口伝に云はく、眼の功徳とは、法華不信の者は無間(むけん)に堕在(だざい)し、信ずる者は成仏なりと見るを以て眼の功徳とするなり。法華経を持ち奉る処に眼の八百の功徳を得るなり。眼とは法華経なり。此の大乗経典は諸仏の眼目と云へり。今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は眼の功徳を得るなり云云。耳鼻舌身意(にびぜつしんに)又々此くの如きなり云云。」(御書1775)
と御教示であります。御題目を御本尊様に唱えていけば、間違いなく六根清浄の功徳を得ていくことを仰せです。しかし、法華不信という御本尊様を信じない者は、無間地獄に堕ちるという厳しい御指南もされています。
 『御義口伝』に「法師功徳品四箇の大事」(御書1775)が説かれ、「第一 法師功徳の事」「第二 六根清浄の事」「第三 又如浄明鏡の事」「第四 是人持此経安住希有地の事」という四つの大事が説かれます。
 「法師功徳品第十九」の耳根の功徳が明かされる段で、
「迦陵頻伽声(迦陵頻伽の声)」(法華経478)
ということが説かれます。声が美しい鳥の代表である迦陵頻伽のように、良い声になるということです。その方法が毎日の勤行唱題にあります。
 六根清浄の功徳は、御本尊様に御題目を唱える修行にあります。