正林寺法華講員手引書

『折伏・家庭訪問・教化育成・法統相続・教学研鑚・邪義破折・支部組織の充実強化に活用』 法華講正林寺支部 正林編集部

経文に説かれる観音様の意味とは (観世音菩薩普門品第二十五)

2005-11-15 | 妙法蓮華経並開結 略要旨私考

 世間一般では、相当逸脱した姿で、観音菩薩の信仰があります。経文にある本来の観音菩薩は、『法華経』の如来寿量品に説かれる仏様の大慈悲の思いから、私達が住む娑婆世界に「観世音菩薩」と現れ一切衆生を救済することが説かれます。つまり、釈尊の使い(迹化の菩薩)です。その意義を忘れた信仰が、世の中に繁栄しています。それでは本当に一切衆生を救済することは出来ないのです。
 三大秘法の御本尊様に御題目を唱えるところに、本来の観音様が救済する力が備わります。つまり「主師親の三徳」を備えて人々を救っていくと言うことです。
 『法華経』の「観世音菩薩普門品第二十五」(法華経557)に、本来の観音様について説かれています。これは人が勝手に言い出したことではなく、仏様が仰せになることです。世間に蔓延する観音信仰は、人々の言い伝えから出来上がったものが全てであります。三千年前のインドに出現された釈尊が、はじめに説かれたのですが「観世音菩薩普門品第二十五」に、本当の観音様が説かれています。
 観音様である「観世音菩薩」とは、光世音・観自在・観世自在・蓮華手菩薩・施無畏者とも訳し、略して観音といいます。異名を、救世(くぜ)菩薩といい、衆生救済のため大慈悲を行じ、三十三種に化身すると説かれます。世の中では、脚色されて十一面観音・千手観音・如意輪などと化身する説もあります。末法の現代では、三大秘法の御本尊様から離れた観音様には、人々を救済する力はありません。
 「観世音菩薩普門品第二十五」では、観世音菩薩の名号を唱えることで七難(火難・水難・羅刹難・王難・鬼難・枷鎖難・怨賊難)を消滅すると説かれ、貪瞋癡の三毒を除き、女性の希望する願いによって男児・女児を授ける「二求両願(にぐりょうがん)」が説かれます。この観世音菩薩の名号とは、末法時代において御題目の南無妙法蓮華経になります。釈尊在世と正法像法時代までは、観世音菩薩の名号を唱えても功徳がありましたが、日蓮大聖人は『報恩抄』に、
「南無妙法蓮華経と申せば、南無阿弥陀仏の用も、南無大日真言の用も、観世音菩薩の用も、一切の諸仏諸経諸菩薩の用も、皆悉く妙法蓮華経の用に失はる。彼の経々は妙法蓮華経の用を借らずば、皆いたづ(徒)らもの(物)なるべし。当時眼前のことはり(道理)なり。日蓮が南無妙法蓮華経と弘むれば、南無阿弥陀仏の用は月のかくるがごとく、塩のひ(干)るがごとく、秋冬の草のか(枯)るヽがごとく、氷の日天にと(融)くるがごとくなりゆくをみよ。」(御書1033)
と仰せのように、末法時代には利益が失われることを御指南です。
 『御義口伝』に「普門品五箇の大事」(御書1788)があります。「第一 無尽意菩薩の事」「第二 観音妙の事」「第三 念々勿生疑の事」「第四 二求両願の事」「第五 三十三身利益の事」という五つの大事が説かれます。観世音菩薩も妙音菩薩と同じように、身を三十三に変化して衆生を救います。日蓮大聖人は三十三身の利益について、「第五 三十三身(じん)利益(りやく)の事」に、
「御義口伝に云はく、三十とは三千の法門なり、三身とは三諦の法門なり。又云はく、三十三身とは十界に三身づつ持すれば三十なり。本の三身を加ふれば三十三身なり。所詮三とは三業なり、十とは十界なり、三とは三毒なり、身とは一切衆生の身なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は三十三身の利益なり云云。」(御書1790)
と御教示です。御本尊様に御題目を唱えるところに「三十三身の利益」があります。日蓮正宗に伝わる三大秘法の御本尊様に、観音様の力が秘められているのです。