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"判断留保"
“僕らしくなくても僕は僕なんだ 君らしくなくても君は君なんだ” 【ハイロウズのNo.1】

観念的な真実と表象 ★あとでまた考えるべし

2010-05-15 20:09:59 | scientia - 科学
数学は観念のみで成り立つ論理の学デアル
観念的な数学の法則が個々の物理的な現実に宿っている。

一つの観念的な真実を宿す物質的な現実のタイプは複数存在してよい。
今私が生きているこの物質的な現実は物質的現実のあり方の一つでしかない。
今私が生きているこの世界と異なる物質的な現実世界においても、おなじ数学の法則が宿り得る。


■■■


物質世界の法則には必然性が無いように思われる。
(よく知らないけど、物質の間に生じる引力とか、質量とエネルギーの関係とか)
今あるようなルールでなくても良かったように思われる。
(物質と物質は引き合う代わりに反発するようなルールでもよかった)

しかし、三平方の定理や、
1+1=2 であることには、
別の可能性なんてあり得ないに思われる。

・・・

が、それは程度の違いに過ぎないのかもしれない。
物質的な世界に宿る法則と、数学のような観念的な世界の法則では、
そのレベルが異なるだけであろう。
もっと別のレベルもきっとあるのだろう。

で、物質的な世界にもっと違う姿がありえるように、
数学的な観念的な真実の世界にももっと違う姿もありえることでしょう。
いろいろと想像を超えていることだろう。
「想像」という観念も超えていることだろう。





で、たとえば、ちょっと無茶で大げさな言い方をすれば
数学原理Typeと、物質原理Typeと、xxTypeの組み合わせで世界のあり方が決まってるみたいな。



あーでも、世界の基本構造に複数の段階構造があるというのは気持ち悪いな。なんとなく。
物質と物質が引き合うことだって
1+1=2 であることが必然である程度には必然であり、
1+1=2 であることが必然でない程度に必然でないだけかもしれない。
俺が気づいていないだけで。

ていうかこの世で発生している事象は全て必然的であるように思える。
可能性なんて言葉は人間が過去を悔やむときにしか使わないんじゃないか?



わかんにゃい



しかし必死で努力しないと、必然的な結果も実現しない気がする。
因果関係は循環している可能性がある。

神様の教科書はこの世に存在するだろうか?

2010-04-17 16:28:56 | scientia - 科学
明日は情報処理の試験。
模範解答だって間違ってることはある。



■部分関数従属性
A' が A の真部分集合(* 1)である時、
A' -> C が成立するならば、

○:Cは A に部分関数従属する
×:Cは A' に部分関数従属する

C は A' に対しては完全関数従属している。


* 1
「A' が A の真部分集合である」ならば、
・A' は A の部分集合である
かつ
・A' は A ではない

個々の事象と因果関係~唯名論・実在論

2010-04-15 16:56:36 | scientia - 科学
現実世界をモデリングするようなシステムにおいて、
現実世界に存在する関数従属性(* 1)がシステムに実装されるとは限らない。

その場合、システムにおいて、個々の事象を観察すれば、ある従属性(法則、因果関係)が存在しているように見える。
しかし実際は、その従属性は定義されていない。
データ間の関係を定義するある制約によって、データ間の従属関係が制御されているわけではないので、
一見存在しているかのように見える制約の反例となるデータの存在に対して、システムは干渉しない。

しかし、あくまでこのシステムが現実世界をモデリングしているならば
実際には反例となるデータが存在することは無い。
システムに登録されるデータは現実世界からの写しであるから、データの値は現実世界から模写される。
したがって当然データ間の従属関係は外見上は保持される。
しかし、現実世界に存在していたはずの制約はシステムには模写されていない(当然実装しようと思えば出来る)。
システムに登録されたデータ間にはもう、その内部を貫く柵である制約が存在しない。
見せかけの結合は容易に瓦解する。
脆い関係。



しかしそもそも!
現実世界に本当に制約、従属性、因果関係など存在するのだろうか?
何なんだろうね?
「自然の法則」ってやつは。

エネルギーとか、エネルギーとか、エネルギーとか。


ちょっとまた後で考えよっと。



* 1
e.g.
「Xが真ならばYも真」
「Xを特定すればYも特定できる」
みたいな。