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中国史・現代中国関係のブログ

わが国の最低生活保障制度が「ハンモック」になっている「四つのロープ」

2010-02-27 15:07:20 | Weblog

張時飛「最低生活保障制度は『ハンモック』か『トランポリン』か」
http://www.sociology.cass.cn/shxw/zxwz/t20100225_25183.htm
社会学網 2010-02-25 11:05:06


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2 わが国の最低生活保障制度が「ハンモック」になっている「四つのロープ」

既存の文献を検索すると、わが国の都市・農村の最低生活保障制度が「ハンモック」になっている要因は非常に多い。たとえば、審査の権限に関する法律規定が欠如していることや、部門間の情報の閉鎖性とくに農村住民の所得の貨幣化が簡単ではないこと、救済する家庭に所得を正確に査定させる方法がないこと、救済対象の身分を効果的に識別するのが難しいこと、等などである。しかしさらに主要なものは、以下の「四つのロープ」が強力な作用の結果なのである。

第一には、技術的なロープであり、貧困の調査データが欠如あるいは不十分であることであり、このことが救済対象を「進むことも退くこともできない」ようににしているのである。現在、わが国の都市地区は依然として貧困調査システムが確立しておらず、農村地区は貧困扶助部門を通して省級自治体の貧困発生率を知ることができるにすぎない。都市・農村の貧困人口の数ははっきりせず、特に県クラス以下の単位の貧困人口が明らかではない状況の下では、サンプル調査によって下から上へと保障対象を確定し、「保障すべき人をすべて補償する」(応保尽保)ことを実現することは、少なくとも技術面での障害が存在している。たとえば、西部のあるい省の2009年最低生活保障人数は、総合的なバランスをとる政府関係の部門(513.67万)、省統計局(249.54万)と省民政庁(315.9万)の三つの調査データの後に最終的に確定するのであり、つまり249.54万人を基数として拡大し、省が保障すべき人数を324.4万人と算出するのである。われわれはこの省が確定した保障対象の科学性に疑問があると言いたいのではなく、これによって、都市・農村の貧困調査データの欠如もしくは不足という背景の下にでは、さらに精緻なサンプル調査と地方ごとの独自性、そのマネージメント効果は大きく割り引いて考えなければならない、ということを説明したかったっである。

第二には制度的なロープであり、つまり最低生活保障制度の目標が単純ではないことが、救助対象を「理由もなく」退出させている結果になっていることである。当時に情勢に基づいて、わが国の都市・農村の最低所得保障は少なくとも三つの方面で機能を付与している。第一に、貧困を緩やかなものにすることは、疑いなく制度の核心的な機能である。第二に、経済保障は、新しいタイプの社会的なリスクになっている長期で大規模な失業を、最低生活保障制度を通じて社会保険ではカバーできない人々を解決する。第三に、安定を維持しすることは、最低生活保障制度を新しい形式の社会の緩衝装置と見るものである。まさに三つの機能が総合的に作用することによる、救済対象となった部分が、生活が明らかに改善された後でも、自らが退出しなければならない十分な「理由」を見出すことができないでいるのである。たとえば、最低生活保障制度に組み込まれた失業者は、最低生活保障制度の待遇は社会的な差別の必然的な結果であり、お金を遣って安定を買う新しい形式である、等々と考えている。その結果として、最低生活保障制度を受けている人々は安心を得てしまい、行政官部門は完全に無法者となって、最低生活保障制度に入るか退出するかは国民の良心とスタッフの責任感に委ねられるものへと変わってしまい、制度の公平性と厳格性は大きな挑戦を受けている。

第三は体制上のロープであり、つまり社会保障システムが不健全であり、全面的ではないことが、救済対象の「構造的」な依存を生み出しているのである。本来、健全な社会保障立法の枠組みは三つのレベルによって構成されている。上層は労働法、就業促進法、労働合同法などの法律であり、その趣旨は公平・合理的な最初の分配を通して社会全体の貧困を予防しようとするものである。中層は社会保険法規であり、その趣旨は所得保障を通じて、国民が高齢、病気、失業、労災、養育などの原因によって所得が断たれることを防止しようとするものである。下層は社会救済法規であり、その趣旨は再分配を通じて国民全体の基本生活を保障しようとするものである。これに対応する形で、国民の所得は四つのレベルを包括する梯子を維持している。つまり、個人所得(賃金、財産、資産など)、社会保険収入(養老、医療、失業、労災、養育の保険金など)、社会の支持(家庭、友人の援助など)と最低生活保障である。明らかに、個人所得、社会保険収入、社会支持と最低生活保障は密接に関係しており、先の三者に何らかの欠陥や遺漏があれば、最低生活保障制度にも重大な影響を生み出すことになる。それは、最低生活保障制度は、先の三者の収入が基本的に枯渇している状況の下でのみ順序よく機能するためである。このように、わが国の都市・農村の最低生活保障制度を詳しく見ると、社会保障システムが不健全で全面的ではないことが、この制度が「ハンモック」の地位から抜け出すことのできない根本的な原因なのである。第一に、基本的な養老、基本医療、失業、労災などの主要な社会保険の項目は、カバーしている範囲が限られており、わが国の低い貯水池のなかに、大量の病気、障害、老齢、失業などによって貧しくなっている都市・農村の住民が蓄積されるようになっている。高齢の貧困者を例にとると、西洋の主な先進国と比べると、わが国の最低生活保障の対象のなかで高齢者の占める割合は明らかに高い。2009年9月に至っても、わが国の60歳以上の、都市の最低生活保障の人口に占める割合は13.5%、農村の最低生活保障性の人口のに占める割合は33.5%であり、スイスは公的援助の人口(2004年)のなかで、65歳以上はわずか1.5%を占めるにすぎない。さらに分析を進めると明らかになるのは、上述の国ごとの差異を解釈する、最も主要な変数は社会保障システムである。スイスの養老保険システムが発達しているのは、年金・遺族保険、障害者保健および追加的な保障、職業年金と商業保険といった「三つの柱」によって、完全に定年退職後の高齢者が比較的高い経済の需要を満たすことができていることにある。それに対してわが国では、年金がガバーしている範囲が限られている、給付水準も高くない。2008年に至っても、全国で城鎮基本年金制度に参加した人数は21891万人であり、農村社会年金に参加した人数は5595万人にすぎない。まさにこのような確かな要因によって、貧困の高齢者は当面および今後しばらくは依然として国の都市・農村の最低生活保障制度が支える主要な集団になっているのである。病気の人や障害者、失業者の境遇も大同小異である。第二に、就業の機会、就業能力、労働環境などの多種多様の要因の影響であり、労働能力による最低生活保障の対象は「鎖蔵」(不明――訳者註)によるものもあれば、「労働能力を失った」ことによるものもある。さらに、わが国の都市・農村の最低生活保障制度のなかで、就業年齢に従って、労働能力に相当の比例関係があることを指摘しなければならない。2009年9月になって、わが国の成年人口で都市の最低生活保障人口に占める割合は58.9%であり、農村の最低生活保障の人口に占める割合は53.8%である。しかし、就業機会の不足(典型的なのは「その土地の資源がその土地の人を養っていない(一方水土養不了)」の農村と資源浪費型の都市)、就業能力が限られていること(年齢、健康、文化、スキルなどの等しく劣勢な地位にあり、労働市場の末端の集団に属していることを顕著に表れている)、労働環境に比較的差があること(多くは低賃金に従事し、保障は少なく、安定性を欠いた仕事である)さらに家庭の負担は比較的重い(家族のメンバーのなかで独立して生活できない人が多い)ことなどの理由で、こうした人たちは就職は利益にならいと貯水池に深く潜ってしまうこともあれば、労働市場からの排斥を受け、いわれもなく「労働能力を失った」者と見られて、最低生活保障制度のなかにとどまるだけになってしまうこともある。

第四は文化のロープであり、最低生活保障の待遇を受けることが引き起こす可能性のある恥辱感が、決して「トランポリン」の内在的な推進力になっていないことである。西洋の主要な先進国は、恥辱感は「福祉が利用されない」重要な要因を作っており、社会救済の待遇を受けることが恥辱感を引き起こし、市民に対する制度の吸引力を低下させている。そしてわが国では、実証的な調査が次第に明らかにしているところでは、恥辱感は決して人々が想像するような深刻なものでは決してなく、大多数の市民について言えば、恥辱感は決して最低生活保障の待遇を申請する主要な障壁には全くなっていないことである。救済対象についても、恥辱感は最低生活保障制度から退出する内在的な推進力にはなっていない。そうでなければ、各級の民政部門は現在、いかにして「人情による保障」「コネによる保障」などの不正減少を抑制と根絶できず、頭を悩ましているのである。

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 日本の生活保護制度にあたる最低生活保障制度は、1993年に上海などの一部の大都市で実施されて全国の都市に波及し、1999年に「都市住民最低生活保障条例」が公布されて国家の基本政策となっている。長らく「五保」制度のもとで生活保障の問題を自治体任せにしてきた農村でも、「三農問題」が提起されるようになった2003年頃から一定の地域で導入されるようになっている。最低生活保障制度の受給者は2009年時点で、都市部で2300万人余り、農村部で4700万人余りと、8000万人を超えるようになっているなど、右肩が上がりで増えている(「民政部:09年城市居民最低生活保障人数2347万人 http://www.022net.com/2010/1-28/465267382249693.html)。

 「ハンモック」というのは、一度その中に寝てしまうと降りることが難しくなることの譬えである。この文章では、生活保護から抜け出せない理由が列挙されていて、なかなか説得的である。特に第三の理由などは、生活保護制度の基本原則を説明するものであり、日本にもそっくりそのまま当てはまる問題であろう。

 個人的には、中国は大きな方向性としては緩やかに国家による社会保障制度の構築を目指すとしても、領土の人口規模を考えると、慈善事業と非営利活動の役割を大きくしていかなければならないと考える。現在は活動上の制限があって必ずしも活発とは言い難いが、歴史的にみると中国では共産党政権が成立するまでは民間の慈善事業や寄付活動はかなり盛んであり、そうした伝統を全く持たない日本とは文化的な条件が大きく異なっている。


中国三農政策改革の新しい動力

2010-02-19 17:53:52 | Weblog

温鉄軍「中国三農政策改革の新しい動力」

梁漱溟郷村建设中心

http://www.3nong.org/?action-viewnews-itemid-422

 

 新中国建設から60年、中国の農業問題に対する認識は日増しに高まっているものの、大多数の心の中は1956年の周恩来総理が布告した「農業現代化」の大目標が依然として掲げられて去ることがない。しかしソ連モデルの農業現代化も、あるいは90年代に学んできたアメリカモデルも、決して追求すべき目標ではない。

 工業化、都市化が駆動しているなかで、世界の農業は「天下三分」の局面を形成している。いわゆる「天下三分」というのは、現代農業が発展する三つのモデルと経路を指すものである。この世界が真に実現可能な規模の農業で、かつ規模の拡大に依存し、簡単な生産力の外延の拡大で十分に資本を蓄積して、農業の資本家を推し進めているのは、カナダ、アメリカ、ブラジル、アルゼンチン、オーストラリア、ニュージーランド、ロシアなど、10の植民地国家を超えるものではない。一面の広い荒野で、大きなトラクターを走らせれば全てが解決しまうという、こうしたモデルは庶民地時代の名残である空前の広々した資源が条件となっている国家であり、それはフォーディズムの大量生産のロジックに適したもので、かつアメリカによって牽引されているものである。こうした規模の経済は当然人も羨むものであるが、それは植民地化プロセスの再現を意味しているものでもある。

 多くの人によってモデルとされているのは、二つ目のEUの農業であり、EUの農業は現在のところももっとも典型的な現代化された市民農業であり、60%以上のEU加盟国の農場主はすでに農民ではなく、都市民であり、中産階級の中・下レベルの所得層で、小さな書店の経営者、中・小学校教員、政府の小公務員など、こうした人は高端な資産市場に進出する力がないため、低端な農業に向かっているが、これはヨーロッパが今日世界の環境運動の震源地になっている重要な基礎でもあり、そのためこうした人は高学歴で、精神的な満足を追求する人が非常に多い。つまり、、農業とは休日をのんびりと過ごす場所であり、都市の喧騒の後ろで心をはくぐむ場所でもあり、そこでヨーロッパで最近環境主義運動があるのであり、これによってヨーロッパ国家は農業上の貿易の障壁となっている。こうした農業は完全に機械化に依存せず、バイオテクノロジーと結合している半資本主義的な農業である。

 第三はわれわれが歩んでいるものであり、日本と韓国のモデと呼ばれているが、実のところ東アジアモデルである。東アジアモデルは、ヨーロッパモデルを徹底して用いることはできず、アフリカのような植民地化を経験し、ゆえに大量の原住民人口を農業に留めておく発展モデルで、人口も非常に密集している。こうした条件の下では、このような農業は必ず資源が高度に不足している。たとえば中国は世界の7%の耕地と6%の水資源しか有していないのに、世界の20%以上の人口を養っている。アメリカモデルやカナダモデルを参照すれば、それは地球にいられなくなってしまうことを意味するだろう。

 私は世界各国の農業はおそらく同じ政策、同じ思想、同じ理論体系を用いて指導することはできないと考える。そして、皆がアメリカモデルを盲目的に崇拝してはならない。ある人は、アメリカは2.7%の人だけが農業人口であると言うかもしれないが、それは事実ではなく、アメリカの農場主の耕作地はおそらく一家で三・四十人の、メキシコからの農業労働者を雇っている。農業労働者は、その土地の農民ではないとでも言うのだろうか。もちろん、それはただ季節労働者というだけで、農民人口としては数えないためであるが、アメリカは農場主人口だけを数えて、その後に中国の農民と比べて、このように中国の農民の多くが没落していると言うのは、理にかなったものだろうか。その後に、さらに中国の農民は専業化しなければならないと言ったところで、EUを一瞥すれば、農場の規模は中国と比べて数十倍の規模であるが、それは専業化と いえるのだろうか。そうではないだろう。

 中国は日本、韓国にならって農業の現代の経験を学習しなければならない。日本、韓国も人は多くて土地は少ないが、どうして農業の現代化を実現しているのだろうか。あるいは、どのようにして農民の収入を増やしているのであろうか。それはおそらく、農民に所有の領域に進ませて、多くの優遇措置を与えているからである。どうして日本と韓国の95%以上の農民は組合(合作者)に加入しているのだろうか。それは彼らの収入の60%以上が農業以外に由来しているためであり、そしてこれは政府が農業組合に、最低のコストとリスクで経営することを認めているからであり、かつ農業組合は金融、保険、旅行、ホテル、不動産などすべての収益の税金が免除されることで、95%以上の農民が組合に加入することを可能にしている。

  ただ農業に関わっている可能性のある生産の収益を農民に与えさえすれば、農民は十分に満足した保障を得ることができのであり、非農業人口も食料を買うことができるのである。われわれは食料の安全が個人の問題ではないことを理解しているが、農業に従事している人は基本的に社会の平均的な所得を得ることができておらず、市民、労働者、公民のような社会保障を持っていないのだから、個人の問題であるはずがない。彼らはどうやって社会的な責任を分担するのか。大規模な公共投資を行いさえすれば、合理的に相対的に安定した農村を形成して食料の安全を確保できるのであって、西洋的な機械化や産業化の学習に頼るすだけでは完全ではない。

 その次に、いかなる外部主体が小農社会に侵入するかは必ずコストがかかるものであり、もし採用した方法が不適当であれば、マイナスの効果が加わることはあり得る。われわれは都市の高コストの現代的な上部構造を郷土社会にまで持ち込んでいるために、経済的な基礎が上部構造を決定しているのではなく、上部構造がかえって経済的な基礎を構成しているという病理を発生させている。東アジアは典型的な小農村に基づいて経済が成り立っており、すでに千年以上も続いており、どうして歴代の王朝が皇帝権力は郷村に下らないといったのかは、決して皇帝が民家のオンドル(炕頭)にまで考えが至らなかったからではなく、コストが高すぎて、農民が高度に分散的だったためなのである。

 ゆえに、中国が農業を発展させようとすれば、必ず郷村管理の問題を解決し、郷村管理構造の建設を完成させなければならないが、これは現代的な制度のようなもので完成することができるものではなく、必ず中国農村の国情と経済形態によってこそ解決できるのである。

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 農業問題の重鎮で、「三農問題」を最初の提起した政府系の研究家である温鉄軍の講演。

 人民公社解体以降、2000年代に入るまで中国は農業に対して市場化以外のアプローチをほとんどとっておらず、農村と農民には医療保険制度も年金もなければ、先進国で等しく採用している手厚い農業保護・規制政策も、事実上皆無という状態だった。このことは、「農民工」などの膨大な人口流出や失地農民、そして都市民との圧倒的な所得格差などの問題を、必要以上に厳しいものにしている。2003年から「三農問題」が政府幹部によっても公に語られるようになり、2004年には農村の悲惨な現状を書き綴った『中国農民調査』というルポが出版されるなど(その後発禁)、農業問題は官民挙げて取り組むべき課題となっている。その後どれだけ状況が改善したのかは、現実をみるとまだまだ疑問なところは多いが。

 農業政策を三つのカテゴリーに分けているのは、大雑把すぎるところはあるが、なるほどという感じではある。この講演では、日本と韓国にならって、農業組合の設立など農業者の保護強化を訴えている。しかし、農業問題に詳しいわけではないが、日本と韓国は農産物輸入国で輸出は少なく、日本について言うと米農家以外の保護・規制はかなり弱い状態であり、「国産品」はちょっとした贅沢品になっている。輸出国である中国が模倣できるものかどうかは、正直よくわからない。


恐帰族 ― 1年がたったので、本当は春節には帰りたい

2010-02-12 17:19:33 | Weblog

「恐帰族 ― 1年がたったので、本当は春節には帰りたい」
 
http://cd.qq.com  2010年02月09日04:21   四川新聞網 ― 成都商报

   
 「恐帰族」というのは、故郷の外で仕事をして、さまざまな原因で家に帰ることのできない一群の人々である。「恐帰族」が恐れているのは、帰省そのものを拒否しているわけではなくて、祝日に帰省することの様々な心配や苦労による、一種の本能的な反応なのである。

 もう少しで春節を迎え、故郷の外で仕事をしている人たちはあわただしく汽車の切符を予約し、荷物を整理し、帰省して年を越す準備をする。しかし、帰省したくとも帰省しようとしない一群の人たちがいる。最近、成都のあるネット上の掲示板(論壇)で調査を行ったところ、大多数のネットユーザー(網友)は「どうしても帰省したい」が帰省しないのを選択するのは、結婚と子供を催促され、経済的に厳しいことがあるという。多く人は、こう語っている。「一年が経ったし、こうした悩みがなければ、本当は帰省して家族・友人と楽しく集まりたいのだが・・・」

 「帰省を恐れる」原因1 ― 両親が結婚を催促する

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 「帰省を恐れる」原因2 ― 母親が出産を催促する

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 「帰省を恐れる」原因3 ― 財布が寂しい

 「結婚を恐れる」「出産を恐れる」のほかに、ネットユーザーが帰省しない理由としてさらに多かったのは、お金の問題である。前の時間に、「布娃娃」という名のユーザーが「両親に懺悔する子供の手紙」というスレッドをネット上に貼って、激しい議論を引き起こした。

 給料は1000元で、ある会社で雑用の仕事をして半年になるが、預金は500元にも届かず、さらに数日後には300元の家賃を払わなければならない。家で最も値が高いものと言えば、一冊の漫画と何袋かのインスタントラーメンだけである。父親に対しては、自分の仕事は法律事務所で毎月3200万の給料を貰い、すでに8000元以上もたまったと。子供として嘘をつかなければならなかった。しかし、父はもっと多いに違いないと考えているため、法律事務所で毎月3200元の給料なら、半年で1万以上はたまっているだろうと考えている。年末に手にすることができる給料と、家賃や交通費を計算すると、母にセーターを買うお金もなく、家の子供へのお年玉などは言うまでもない。「布娃娃」は言う、「自分はどうしても家に帰って会わせる顔がない」と。

 家族を想っていないわけではなく、両親が気がかりではないわけでもなく、小さな会社の雑用係である子供を、そし多くのお金をかけて育てて大学まで出たこの子供を、どうして両親が受けけ入れるだろうかという、「面子」の観念に縛られているのである。帰省することの恐れは平日の電話の中にも及び、「布娃娃」は家に電話をして給料のことを聞かれることを非常に恐れている。彼は言う、「本当に父には顔向けできない、半年仕事をしても、煙草さえ買ってあげられない」と。

 「布娃娃」のスレッドは、「帰省して新年を迎えたくない人がいるだろうか」と、非常に多くの「恐帰族」の心の声を代弁するものである。しかし、自分自身は「故郷に錦を飾る」の夢からはあまりに遠く、「春節は仕事が入ってしまった」という、帰らないための口実をつくり、嘘をつく以外にどうししようもないのである。

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 中国の旧正月である春節は、日本の新暦の正月よりもはるかに1年のイベントとして大きなものであり、「帰省しない」というのは日本で想像する以上に、「寂しい」「悲しい」という意味を強く帯びている。「今年の春節は帰らない」というタイトルの歌もある。

 「恐帰族」は知らなかったのだが、既に中国では話題になっていて、日本でも少しだけ報道されているようである。これは前回の 「蟻族」の問題とつながる話であり、親から期待されて大学まで出た若者が、まもな仕事につけずに「会わせる顔(面子)」がないという理由から帰省できないという現象が起こっているようである。まさに、高学歴化と就職市場のズレが引き起こしている事態であり、そしてまだ高度成長段階で「立身出世」の物語が生き残っている、現在の中国を象徴するエピソードであると言えるだろう。かつての、地方から東京への大規模な移動が起こっていた時代の日本でも、似たような風景があったと思われる。

 現在の日本でも「正月でも帰省したくない」という声は少なからずあるが、だいたいそれは「気を遣うので疲れる」という類のものであり、こうした声は特に既婚女性に圧倒的に多い。これは、事実上はほぼ「他人」なのに、「家族」のような振る舞いを要求されるところからくるストレスと言えるだろう。日本では親族間のつながりというのが、非常に薄くなっており、ほとんど葬式でしか顔を合わせない関係になっている。

 ちなみに、旧正月が日本では廃れて中華文化圏で強固に継続している理由はよくわからないが、おそらく清末と民国期に近代国家形成がうまく進まず暦を均一化できなかったのと、海外に膨大な数の華僑・華人を抱えており、そのネットワークをつなげるために春節の意義が大きかったという事情があるのだろう。日本でも、1950年代まである程度は残っていたらしいが、今は沖縄の一部と伝統行事ぐらいのなかにしか見られないようである。


「蟻族」を生み出した原因(2)

2010-02-03 21:02:41 | Weblog

2 ミクロな原因

(1)家賃が安く、交通が便利であることが「蟻族」形成の客観的原因である。中心地区と近郊地の区画管理措置が次第に及ぶようになるにつれて、移動人口も必然的に周辺の都市郊外(環城)の地区に移っていった。同時に、都市郊外地区の交通が便利で速く、生活コストは低く、開発・利用できる土地が相対的に多く、開発建設速度も速く、起業のチャンスも比較的恵まれ、それに加えてこうした地域が大量に合法・違法に建設された家屋を貸し出していることが、卒業したばかりの大学生が成功するにためにここに留まらせる結果になっていることなどの理由で、勢いここで集団生活を形成することになっているのである。プロジェクトチームが「蟻族」の集団居住が比較的多い昌平区沙河鎮で調査してわかったことは、この村の農業の転制基地(?)は2006年10月に建設が完成し、多くの家屋が建てられ、その主要な建築面積は20平方メートルで、部屋にはキッチン、トイレがあり、建築後はインターネット上で部屋を貸し出す情報が出て、家賃は月200元前後である。割合に家賃のコストが低く、交通が市街地から近く、比較的便利で、居住条件が部分的に大学卒業生の需要に合っていることによって、一定の大学生は北京の各地から来て部屋を借りて住み、「集住村」を生み出しているのである。

(2)集団間のアイデンティティを求めていることは、「蟻族」形成の主観的な原因である。社会に足を踏み入れたばかりの大学卒業生にとって、よく知っている人の集まりというのは比較的大きな安心感を与えるものである。このため、彼らは往々にして卒業以前の先輩や同級生とつながりを保ち、彼らと同じ地域に住むことを希望し、「集住村」を形成している。この時の「集住村」とは相対的に顔を知った者どうしの港のようなものであり、卒業生は疲れきった船を、港に錨を下ろして隠れているわけである。プロジェクトチームが海淀区の唐家嶺の「集住村」を調査・研究してわかったことは、多くの「蟻族」のメンバーは、「集住村」で自らの生活圏と交流圏を形成し、そのサークルの中の人は自らの同級生あるいは同郷人であることであった。

(3)独立した生活環境を求めることが、少ない数の現役学生を「集住村」に居住することの選択に導いている。そのなかには、性格的な欠陥から「集住村」の居住する大学生もいる。こうした学生は、同級生との付き合いが苦手であったり、集団生活になじめなかったりしている。学校の外で部屋を借りて住むことを選択するのは、静かである上に煩わしくないからである。大学生が異なる地域から来ることによって、ルームメイトたちは生活習慣、衛生習慣などの点で何らかの違いが存在しているため、往々にして集団生活のなかで相互に分かり合うことが難しくなっており、さらには矛盾や対立を生み出すことになる。そこで一部の学生は、同級生は「相手にせず避ける」という心理状態を抱き、これを避けて遠ざけ、学校の外で自らに属する生活の天地と自由な空間を作っているのである。

 
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 就職難で大学生が都市に滞留している問題は前々から知られていたところであるが、昨年に廉思という若干30歳の若手研究者による『蟻族』が出版されてから急激にクローズアップされ、中国共産党もこの問題に真剣に取り組むことを宣言するようになり、日本でもほとんど周知の話題になっている。

 いろいろと研究上の制約が多く、実証研究でも色々なものが隠蔽されている印象が拭えない中国だが、この問題については豊富なインタビュー調査など、かなり突っ込んだ研究がなされている印象がある(日本では社会学系の論文の半分くらいがインタビュー調査のような感があるが、中国では比較的珍しい)。廉思自身が共産党の若手エリートであり、問題の深刻さを認識しはじめた党政府が仕掛けたと見たほうがよいかもしれない。

 この文章にも書いてある通り、中国ではこの5年で大学生の数が2倍になって進学率は23%に達している。大学は既に「大衆化」し、90年代以前のようなエリートの養成所では全くなくなっている。しかしながら、大衆化する以前の時代に受験競争に突入した学生のほうは、エリートになるために苦労して大学に入って卒業したという意識が極めて強く、このギャップが様々な問題を引き起こしているのは廉思が述べている通りである。

 しかも、高度成長の真っただ中にも関わらず、企業も大学生にエリートに相応しい職業を提供できていない状況にある。いわゆる「脱工業化」以降の金融資本主義や情報産業の時代においては、企業は情報処理能力の高い少数の優秀なビジネスマンがいれば十分で、学生の大量採用には何のメリットもなくなっている。しかも大学の価値が日本と同様で、就職につながる技能を身につける場所というより、進学・卒業したこと自体の威信・ブランドに置かれている。結果として、特に専門的な技能を身につけたわけでもないごく普通の大学生たちが、大量に就職にあぶれてフリーター化しているわけである。

 大学生の大衆化は、団塊世代が大学に進学した1970年前後の日本にも生じており、それが学生運動の高揚の背景にもなっていた。しかし、当時の日本は高度成長のただ中であっただけではなく、「脱工業化」が本格的にはじまる前の、まだ会計処理も手作業による人海戦術を必要としたような時代であり、企業の大量採用によって学生の大衆化の波をすっぽりと飲み込んでしまった。

 ただ、問題は深刻なことは確かに深刻なのだが、「蟻族」に対して今の日本の若者(というか全世代)に漂っているような、鬱々とした閉塞感はあまり感じない。廉思も述べているように、「蟻族」は未来に対する期待値が大きすぎるところがあり、ある意味で中国社会の活力の強さに伴う問題と言えるだろう。それに、一般世論もこれが個々人ではなく社会の問題であることを十分に認識しており、日本で依然としてはびこっている自己責任論の入り込む余地は全くない。


「蟻族」を生み出した原因 (1)

2010-02-02 21:36:48 | Weblog

 廉思『蟻族』の全文がネット上に公開されていたので抄訳してみた。

廉思『蟻族』 

愛問―共享資料
http://ishare.iask.sina.com.cn/f/6025181.html?from=isnom

   「蟻族」の現象が生まれるのは、国家の就職状況が厳しいことに原因があるだけではなく、わが国の戸籍制度も要因もあれば、「集住村」それ自体に固有の問題だけではなく、都市・農村の関係に共通の問題があり、そして大学卒業生自身に固有の問題だけではなく、人口移動に共通した問題もある。

1 マクロな原因

(1)大都市の吸引力
 社会学者のルイス・マンフォードの視点によれば、大都市はひとつの磁石のようなものであり、何万もの数の人材とさまざまな資源を一同に集めるが、特に大都市の経済社会の不断の発展は、都市の魅力と吸引力をも不断に増強させている。現在、首都北京を含む国内のいくつかの大・中都市は、その経済的な活力と生活水準が既に相当なレベルに達しており、地方の小都市(小城鎮)あるいは西部の都市と比べると、大学生に恵まれた待遇とよりよい発展のための空間を提供していて、卒業生は当然ながら可能な限り大都市あるいは沿海地区での就職を選択するのである。プロジェクトチームの研究が明らかにしたところでは、北京、上海、広州、武漢、西安などの大都市に等しく大規模な「蟻族」が存在している。この他にも、わが国の戸籍制度の客観的な影響によって、大部分が農村から来た大学生がみな都市にとどまって仕事をしている傾向があるが、これは疑いなく大都市の磁石の効果である。例えば北京では、北京はオリンピックの開催に成功した後、その巨大なカリスマ的吸引力の下に、北京の内外で大学卒業生はみな北京でさらに多くの発展のチャンスを得ることができる、その外での仕事は発展のリスクが高まっていると考えたことによって、北京で仕事に就くことを一層望むようになったのである。

(2)わが国の就職情勢の変化
 2003年はじめ、当時のわが国は最初に拡大募集による大学生が社会に進出し、リストラで再就職の労働者や出稼ぎ労働者の波(民工潮)とが重なって、就職市場は最高水位となり、わが国就職の圧力に空前の強まりを作り出した。その後、わが国大学生の数は年を追って増加し、2004年に280万、2005年に338万、2007年に485万、2008年には599万人に達している。中国社会科学院の『社会藍皮書』の統計によると、2009年の大学卒業生の人数は2008年の599万からさらに50万前後増加し、650万人に達しようとしている。これと同時に、わが国の社会は都市化、人口構造の変化、労働市場の転換、高等教育体制の改革のなどの一連の構造的な要因による変化を経験しているところである。こうした要因の総合的な作用のもとに、わが国の都市とくに大都市のなかで、必然的に大学卒業生が滞留する現象が出現しているのである。

(3)わが国の就職政策の調整
  2002年3月、教育部、人事部、公安部、労働保障部は共同で「普通高等学校卒業生の就業制度に関連する問題をさらに深める事に関する意見」を制定した。それは、いまだ仕事についていない大学の卒業生は、学校が本人の意思により、二年の間は戸籍を卒業した高校に継続して保留することができ、仕事を得て落ち着くようになった後に戸籍を仕事場のある所在地に移す、ということを規定したものである。急激に厳しくなった就職情勢は、ある部分の学生に対して、大学院の受験あるいは他の就職のチャンスを探すために大都市に留まらざるを得なくさせている一方で、他方では国家の就職政策も、ある部分の人に対して継続的に大都市に留まって政策への支持を与えることにもなっている。

(4)大学生の職業選択観の相対的な遅れ
  1998年に始まった大学の拡大募集は、わが国の大学の進学率をたった7、8年で21%にまで到達させ、2020年までにわが国は高等教育の進学率を40%にすることを目標にしており、国際的な基準に照らしても既に高等教育の大衆化の時代に突入している。そのように、これは必然的に大学卒業生に就職のエリート化から大衆化を要求するものでもあり、多くの高等教育を受けてきた人に普通の労働者の行列に入らせるものである。・・・・しかし、非常に多くの学生は思想的にまだこうした転換に適応しておらず、人材が飽和している発展地域あるいは大都市ほど職業を選択しに行く者も多いが、逆に人材を緊急に必要している発展の遅れた地域の中・西部地区あるいは農村ほど、人材の招聘が難しくなっている。「地方で一軒家を持つよりも、北京でベッド一つのほうがいい」という状況は依然として普遍的に存在しており、後進的な地域からでてきた大学生は大都市で「漂一族」になっても、自らの故郷に帰ることや発展の遅れた地域で仕事につくことを望まないのである。

(5)高等教育の発展と社会的な需要の落差
 大学生の就職のプロセスで非常に多くの体制上の障壁があることも、「蟻族」の出現を導いている原因のひとつである。近年、社会の大学生に対する需要の増加速度は大学卒業生増加の速度にまったく追いついておらず、単純労働者になることのできる高校生と職業専門校生の需要はずっと増え続けている。このことは、高等教育の大衆化に伴って、大量に大学教育を受けても何の技術も持たない大学生が就職で身動きが取れなくなっている局面直面していることを説明するものである。ほかにも、大学が専門学科の設置に全力を尽くしていることも、部分的にこうした事態を後押ししている。大学卒業生は既に社会化し、自主的に職業選択を行っているが、市場の需要の状況は、それに対応して専門学科を設置して、募集人数を確定する基準にはまったくなっていない。学生募集の部署は、ただ学校の施設と教師の力量などの基本的条件に照らして学生募集を請け負っているに過ぎず、このことが学校の専門学科設置と市場のニーズにずれを作り出し、専門学科の需要と供給の矛盾が突出し、大量の大学卒業生の就職上における困難の出現を導いている。こうした、大学教育体制のメカニズムと社会的な需要の落差が、「蟻族」を形成する潜在的な原因となっているのである。

次回「2 ミクロな原因」に続く。


 


現在の人口移動の存在の問題と構造的な阻害要因

2010-02-01 01:14:46 | Weblog

人口構造
顔烨     2010-01-25 17:41:01 社会学網
http://www.sociology.cass.cn/shxw/xstl/t20100125_24865.htm

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5 人口の変遷・分布と質的な構造の差異および二重の影響

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4)現在の人口移動の存在の問題と構造的な阻害要因

 現在の中国は工業化の中期の段階に突入しているが、人口の地域的な構造、都市・農村構造の発展は、中レベルの所得の国家の水準よりも低く、世界平均の水準よりも低い。1997年と2002年以降に、国家は前後して「西部大開発」「東北振興」「中部崛起」「新農村建設」などの戦略的な部署を作り出してきたが、その目的は「格差の構造」(梯度格局)のバランスをとり、「二つの大局」(訳者註――先に豊かになった部分と取り残された部分)に配慮して西部・農村の発展を支援するものであり、一定の効果はあったものの、人口の流動と分布から見ると、効果は明らかなものではなく、格差化、二元化の分布およびその差異に根本的な変化はなく、国家が計画的に人口移動を動員する力が、次第に市場の力にその道を譲っていることを明確に示している、

 これまでの分析から見ると、現在の中国人口の空間の分布と流動の主要な問題は、人口の都市化水準が工業化の水準に遅れていること、人口の都市・農村の構造の現代化の水準が非常に低いこと、人口の地域的な構造の現代化の格差が開きすぎていること、人口の移動に制度的な障壁があり、移動人口が流入した土地で弱者の集団を形成し、至るところに「城外城」「城中村」をもたらし、就職やその待遇、心身・健康において「ひどい状態」に置かれていて、低レベルの経済圏と生活圏を形成していることがある。ここでは、自然条件を除いて、文化・歴史、経済発展の原因のほかは、以下の原因がある。

 (1)理念上の原因
 根本的に言って、政策部門における観念は依然として変わっておらず、経済・社会の加速的な発展の大きな背景と工業化の発展・規律の方面から問題を考えることができていないために、科学的で合理的な計画による地域的な発展や、都市・農村の発展と、そこから都市化と地域の協調化の自然プロセスや、逆に都市と人口流入地区の生産力発展を遅らせ、悪くすると窒息させるものになっている。例えば、為政者のなかに依然として農村にルサンチマンを抱いて都市に移ってきた人を多く含んでいることが、都市民の生活と環境の質に影響している。ここでの原因は、都市に移った人口の膨張が速すぎることにあるのではなく、政府の都市発展戦略計画が、郷村人口が都市に向かっていくパターンを把握できておらず、「不作為」もしくは人口が都市に流入する「乱作為」の様相を呈しており、外来人口に対しては「経済的に受け入れて社会的に排斥する」という半受容的な態度を採用し、農民工は「半都市化状態」に置かれたままになっているのである。

 (2)制度的な原因
 観念の遅れに伴ってやって来るのは様々な体制上の障害である。長期にわたって行われている戸籍管理制度が造っている都市・農村の「二元」的な身分構造のようなものは、人口空間の急速な流動によって解消されるものでは決してなく、流入人口と現地の人と様々な資源と機会を平等に享受することができず、あるいは剥奪されたり「隔離」されたりして、彼らが支払っている労働と占めている文化的資源、経済資源、組織資源およびその獲得した機会は、現地の人と同等に無為来ることは難しく、社会保障は脆弱であり、例えば同じ仕事をしても報酬は異なり、子供は等しい入学条件もなければ就学することもできず、給料の支払いも滞り、家庭は構造的に分離され、死んだものは同じ命でも価値は異なり、移動人口の妊婦の死亡率は高く、大学入試の点数の合格ラインは都市と発展地区に偏っていること、などなどである。

 (3)行動上の原因
 観念の遅れや制度の複雑化によって、都市の発展と地域の発展の実践において、同様に人口の吸収が阻害されている。都市の資源配分と社会事業の建設の方面では、それでも既にある人口容量に照らして、よく考えられた資源の配分を行っており(深圳市など)、道路、公共交通、病院、学校、スーパー、銀行などの公共サービス施設の建設が拡張されても、都市人口の膨張する需要をだんだんと満たせなくなっており、「排隊経済」(不明――訳者)が再び反省されるようになっているが、これは「人が多い」ためではなく、管理の理念と行動が経済社会の発展に遅れているためである。これとは反対に農村では、子供が不断に減少している時期に、むしろ急ぐように新農村建設の「ブーム」で、多くの小学校が新しく建てられた。社会的な治安あるいは移動人口の管理上、多くの地方行政部門では無形の「増欄設限」(不明――訳者)を行い、外来人口に対して伝統的な「管」「関」「卡(阻む)」「圧」を採用し、そのことが都市管理と農民との絶えざる衝突を引き起こしている。都市管理の方面ではからは「屋台のない」都市にして、人為的に都市を「美化」し、「追いかけても取り締まる」ことで屋台を撤去することは、社会矛盾を激発させている。人口の就業圧力が大きく加わっている時に、乗務員のいないバスやリストラが大々的に行われている。社会集団の事件に対する処置は依然として「古い方法」であり、さらには合法的に権利を守ろうとする集団を政府の対立側に押しやっている、などなどの問題がある。

 

 人口移動に関する総論的な論文。訳文は相変わらずめちゃくちゃであるが。

 中国の都市人口は、1980年代初めには2割程度だったのが、現在は45%にまで達するようになっている。この論文は人口移動を制限するのではなく、むしろ流動化の現実に対応した都市管理の理念と制度の再構築を提唱している。戸籍制度における都市/農村の区別の廃止は、この論文に限らずどの文章でも言われており、政府の方針に真正面から反対する意見を公に語ることが基本的に有り得ないとすれば、区別の撤廃は、現実には相当先になるとしても時間の問題なのだろう。

 ちなみに「無攤城市(露店のない都市)」の話が出ていたが、私の知る限り屋台や露店は中国のどの都市でも普通にあり、北京でもそうであるから、自由に店を出せることはもちろん有り得ないにしても、全面的に禁止されているような都市は基本的にはないと思われる。安いので私もしばしば手を出しているが、衛生や安全面に多くの問題があるので、懐に余裕のあるまともな旅行者は、ちゃんとした「餐館(レストラン)」に行くべきである。