史報

中国史・現代中国関係のブログ

中国三農政策改革の新しい動力

2010-02-19 17:53:52 | Weblog

温鉄軍「中国三農政策改革の新しい動力」

梁漱溟郷村建设中心

http://www.3nong.org/?action-viewnews-itemid-422

 

 新中国建設から60年、中国の農業問題に対する認識は日増しに高まっているものの、大多数の心の中は1956年の周恩来総理が布告した「農業現代化」の大目標が依然として掲げられて去ることがない。しかしソ連モデルの農業現代化も、あるいは90年代に学んできたアメリカモデルも、決して追求すべき目標ではない。

 工業化、都市化が駆動しているなかで、世界の農業は「天下三分」の局面を形成している。いわゆる「天下三分」というのは、現代農業が発展する三つのモデルと経路を指すものである。この世界が真に実現可能な規模の農業で、かつ規模の拡大に依存し、簡単な生産力の外延の拡大で十分に資本を蓄積して、農業の資本家を推し進めているのは、カナダ、アメリカ、ブラジル、アルゼンチン、オーストラリア、ニュージーランド、ロシアなど、10の植民地国家を超えるものではない。一面の広い荒野で、大きなトラクターを走らせれば全てが解決しまうという、こうしたモデルは庶民地時代の名残である空前の広々した資源が条件となっている国家であり、それはフォーディズムの大量生産のロジックに適したもので、かつアメリカによって牽引されているものである。こうした規模の経済は当然人も羨むものであるが、それは植民地化プロセスの再現を意味しているものでもある。

 多くの人によってモデルとされているのは、二つ目のEUの農業であり、EUの農業は現在のところももっとも典型的な現代化された市民農業であり、60%以上のEU加盟国の農場主はすでに農民ではなく、都市民であり、中産階級の中・下レベルの所得層で、小さな書店の経営者、中・小学校教員、政府の小公務員など、こうした人は高端な資産市場に進出する力がないため、低端な農業に向かっているが、これはヨーロッパが今日世界の環境運動の震源地になっている重要な基礎でもあり、そのためこうした人は高学歴で、精神的な満足を追求する人が非常に多い。つまり、、農業とは休日をのんびりと過ごす場所であり、都市の喧騒の後ろで心をはくぐむ場所でもあり、そこでヨーロッパで最近環境主義運動があるのであり、これによってヨーロッパ国家は農業上の貿易の障壁となっている。こうした農業は完全に機械化に依存せず、バイオテクノロジーと結合している半資本主義的な農業である。

 第三はわれわれが歩んでいるものであり、日本と韓国のモデと呼ばれているが、実のところ東アジアモデルである。東アジアモデルは、ヨーロッパモデルを徹底して用いることはできず、アフリカのような植民地化を経験し、ゆえに大量の原住民人口を農業に留めておく発展モデルで、人口も非常に密集している。こうした条件の下では、このような農業は必ず資源が高度に不足している。たとえば中国は世界の7%の耕地と6%の水資源しか有していないのに、世界の20%以上の人口を養っている。アメリカモデルやカナダモデルを参照すれば、それは地球にいられなくなってしまうことを意味するだろう。

 私は世界各国の農業はおそらく同じ政策、同じ思想、同じ理論体系を用いて指導することはできないと考える。そして、皆がアメリカモデルを盲目的に崇拝してはならない。ある人は、アメリカは2.7%の人だけが農業人口であると言うかもしれないが、それは事実ではなく、アメリカの農場主の耕作地はおそらく一家で三・四十人の、メキシコからの農業労働者を雇っている。農業労働者は、その土地の農民ではないとでも言うのだろうか。もちろん、それはただ季節労働者というだけで、農民人口としては数えないためであるが、アメリカは農場主人口だけを数えて、その後に中国の農民と比べて、このように中国の農民の多くが没落していると言うのは、理にかなったものだろうか。その後に、さらに中国の農民は専業化しなければならないと言ったところで、EUを一瞥すれば、農場の規模は中国と比べて数十倍の規模であるが、それは専業化と いえるのだろうか。そうではないだろう。

 中国は日本、韓国にならって農業の現代の経験を学習しなければならない。日本、韓国も人は多くて土地は少ないが、どうして農業の現代化を実現しているのだろうか。あるいは、どのようにして農民の収入を増やしているのであろうか。それはおそらく、農民に所有の領域に進ませて、多くの優遇措置を与えているからである。どうして日本と韓国の95%以上の農民は組合(合作者)に加入しているのだろうか。それは彼らの収入の60%以上が農業以外に由来しているためであり、そしてこれは政府が農業組合に、最低のコストとリスクで経営することを認めているからであり、かつ農業組合は金融、保険、旅行、ホテル、不動産などすべての収益の税金が免除されることで、95%以上の農民が組合に加入することを可能にしている。

  ただ農業に関わっている可能性のある生産の収益を農民に与えさえすれば、農民は十分に満足した保障を得ることができのであり、非農業人口も食料を買うことができるのである。われわれは食料の安全が個人の問題ではないことを理解しているが、農業に従事している人は基本的に社会の平均的な所得を得ることができておらず、市民、労働者、公民のような社会保障を持っていないのだから、個人の問題であるはずがない。彼らはどうやって社会的な責任を分担するのか。大規模な公共投資を行いさえすれば、合理的に相対的に安定した農村を形成して食料の安全を確保できるのであって、西洋的な機械化や産業化の学習に頼るすだけでは完全ではない。

 その次に、いかなる外部主体が小農社会に侵入するかは必ずコストがかかるものであり、もし採用した方法が不適当であれば、マイナスの効果が加わることはあり得る。われわれは都市の高コストの現代的な上部構造を郷土社会にまで持ち込んでいるために、経済的な基礎が上部構造を決定しているのではなく、上部構造がかえって経済的な基礎を構成しているという病理を発生させている。東アジアは典型的な小農村に基づいて経済が成り立っており、すでに千年以上も続いており、どうして歴代の王朝が皇帝権力は郷村に下らないといったのかは、決して皇帝が民家のオンドル(炕頭)にまで考えが至らなかったからではなく、コストが高すぎて、農民が高度に分散的だったためなのである。

 ゆえに、中国が農業を発展させようとすれば、必ず郷村管理の問題を解決し、郷村管理構造の建設を完成させなければならないが、これは現代的な制度のようなもので完成することができるものではなく、必ず中国農村の国情と経済形態によってこそ解決できるのである。

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 農業問題の重鎮で、「三農問題」を最初の提起した政府系の研究家である温鉄軍の講演。

 人民公社解体以降、2000年代に入るまで中国は農業に対して市場化以外のアプローチをほとんどとっておらず、農村と農民には医療保険制度も年金もなければ、先進国で等しく採用している手厚い農業保護・規制政策も、事実上皆無という状態だった。このことは、「農民工」などの膨大な人口流出や失地農民、そして都市民との圧倒的な所得格差などの問題を、必要以上に厳しいものにしている。2003年から「三農問題」が政府幹部によっても公に語られるようになり、2004年には農村の悲惨な現状を書き綴った『中国農民調査』というルポが出版されるなど(その後発禁)、農業問題は官民挙げて取り組むべき課題となっている。その後どれだけ状況が改善したのかは、現実をみるとまだまだ疑問なところは多いが。

 農業政策を三つのカテゴリーに分けているのは、大雑把すぎるところはあるが、なるほどという感じではある。この講演では、日本と韓国にならって、農業組合の設立など農業者の保護強化を訴えている。しかし、農業問題に詳しいわけではないが、日本と韓国は農産物輸入国で輸出は少なく、日本について言うと米農家以外の保護・規制はかなり弱い状態であり、「国産品」はちょっとした贅沢品になっている。輸出国である中国が模倣できるものかどうかは、正直よくわからない。


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