呉重慶「熟人社会から『主体なき熟人社会』へ」『読書』2011年第1期
http://www.sociology2010.cass.cn/news/159204.htm
費孝通先生はかつて中国農村社会を「熟人社会」と呼び、「郷土社会は地方性の制限の下で、ここで生まれ死ぬという社会になっていた・・・これは一つの熟人社会であり、見知らぬ人(陌生人)がいない社会である」。「熟人社会」では、血縁と地縁が一致しており、いわゆる親類・友人の間柄(沾亲带故)あるいは親族でなくても親しく(非亲即故)、その自然地理的な境界と社会生活の境界はみなはっきりしており、同時に大体において重なり合ってもいて、閉鎖的な社会空間に属している。熟人社会の構造は「差序格局」であり、行動は親近の情と礼俗の規約を重視するが、親疎・遠近の別を追求するものである。熟人社会の行為は以下のロジックを含むものである。
第一に、輿論が人を押さえつけていることである。熟人社会では、お互いに喧嘩しては仲直りし(抬头不见低头见)、密接な相互作用が情報をもたらすという均衡のとれた状態にあり、それゆえ輿論の発生と普及は全般的に速くて広範であり、いわゆる「一が十になり、十が百になって伝わる」。熟人社会のいわゆる「民風純朴」は、個人が自覚的に行ってきた道徳規範の産物というよりは、「熟人社会」での道徳輿論の圧力の結果であると言ったほうがよい。もし社会生活の流動性が非常に低い場合を考えみればいいが、人々は容易に日常で慣れ親しんでいる人間関係の範囲から抜けですことはできないのであり、何らかの非道徳的行為が後に多数の郷里の郷親からの譴責を受けることになることを考えざるを得ず、ゆえに人々はかねてから「ウサギは巣のそばの草は食べない」という、つまり閉鎖的な社会空間の道徳輿論の圧力を避けるために良くない結果を招くという金言を守ってきたのである。
第二は「面子」に高い価値が置かれていることである。「見知らぬ人の社会」の無情で冷淡さとは異なり、熟人社会は人情味や体裁に満ちている。「木は皮を生かし、人は顔を生かす」とは、多くの人が「死んでも面子を守る」「死んでも面子を支える」「自分を実力以上に見せようとする」ことから、面子の重要性は理解可能であろう。・・・費孝通先生が言っているように、「中国郷土社会は差序格局に従って、親族の倫理を利用して社会集団を構成しており、各種の事業を運営している」のである。・・・・
第三に、社会資本の積み重なりである。アメリカの社会学者であるジェームズ・S・コールマンは様々な「社会資本(social capital)」の特徴に触れた上で、「そうした社会資本は構造の内部にいる個人の行動のために便宜を提供している」「社会資本は生産性に関わるものであり、社会資本を有しているかどうかは、人々がなんらかの既定の目標を実現できるかどうかを決定するものである」と指摘している。一定の意義から言えば、熟人社会は各個体が有している「関係」であり、それはつまりその人の「社会資本」なのである。熟人社会の地理的な境界と社会的な境界が固定されかつ重なり合っているという状況の下では、お互いの長期的な相互扶助、そして力を持った道徳的輿論の拘束と促進の力の下で、「面子」と「関係」雪だるまのようにどんどんと大きくなり、社会資本もこれに従って累積かつ再生産され、さらには世代間の継承や転換実現することも可能になるのである。ゆえに、それによってこそ村民が長期にわたって信頼できる民間の権威が出現しするのである。民間の権威には、親子間などの世襲がある。
前世紀の1980年代以来、中国農民の平均の収入は年を追って高くなっているが、農村社会はむしろ不断に解体されている。大量の農民の労働力が土地と故郷を離れ、農村は日に日に空洞化している。中国の農村人口のこうした大規模な流出は、歴史上前例がないと言うことができる。
・・・・・・
農村の大量の労働力が土地と故郷を離れた後、熟人社会の行為ロジックまだ機能するのだろうか。私は試しに「主体なき熟人社会(baseless society of acquaintance)」という自作の概念で、中国農村の空洞化の後の社会生活を解釈かつ描き出してみたい。
「主体なき熟人社会」は「熟人社会」という概念の基礎の上に提出されたものである。同時に、賀雪峰が村民委員会の選挙を研究した時に提示した「半熟人社会」の啓発を受けたものである。しかし「半熟人社会」が提示しているのは「熟人社会」との量(認知の程度)的な差異であり、その解釈力は村民委員会選挙の特定の事項で表現されている。それに対して「主体なき熟人社会」は「熟人社会」との間の質的な変化を提示するために、農村社会の空洞化の論理的メカニズムを解釈してみたい。
アメリカの社会学者パーソンズの「社会システム」理論は、十分な数を備えた行動者がシステムの構成部分となっている考えるものであり、つまりそれは社会システム内部の統合および社会システムと文化モデルとの間の統合の必要条件の一つであった。そうでなければ、システムの均衡を維持できなくなって「逸脱(病態)」が現れる。郷村は依然として集住のコミュニティであり、近隣同士も依然として喧嘩しては仲直りという昔ながらの熟人であるものの、様々な兆候が明らかにしているように、現在の郷村は大量に青年・壮年の労働力が異なる場所で生活しており、郷村社会の日常生活の営みも「熟人社会」のロジックとは既に異なったものになっており、あるいはパーソンズのいう「逸脱」が現れるようになっていると言うことができる。私はこの「逸脱」した熟人社会を「主体なき熟人社会」と呼んでいるのである。
青年・壮年が大量に土地と故郷を離れてしまった後の農村コミュニティが「主体なき熟人社会」と呼ばれる理由は、青年・壮年が農村コミュニティの中で最も活躍すべき成員であり、家庭の大黒柱であり、コミュニティの公共事務の参加者よび利益の衝突の当事者だからである。革命の衝撃を経験してから後、老人の伝統的権威は弱くなり、青年・壮年は日に日に次第に農村社会生活の主体になった。大量の青年・壮年が農村コミュニティにおいて長期に「その場に」いないことは、農村の社会生活の欠陥を構成するものである。
「主体なき熟人社会」は「熟人社会」とは何らかの異なる特徴を有しているのか
第一に、輿論が機能不全になっている。上に述べたとおり、熟人社会の行為のロジックはまず道徳輿論の圧力に依存することである。知られているように、輿論圧力の形成は、一定の数の生活共同体の成員が口頭で広める輿論が大きな効果への依存によるものであり、「一が十を伝え、十が百を伝える」ことだけで「一滴で人を溺死させる」輿論の効果を生み出すことができるのである。もし世論の広まりが単に「一」にとどまって「十」あるいは誰にも広めることができない場合は、当事者はまさに世論に対して「馬耳東風」になり、さらには大胆にも「無人の境を行くが如し」という勘違いが起こる。農村社会の主体となる成員が数多く欠けていることにより、自然村落の範囲の道徳輿論は「千夫所指(後ろ指を指される)」「万人共斥」という「同仇敵愾」式の圧力を形成することは難しくなっている。そこで、「主体なき熟人社会」では、人が笑えないような現象が起こっている。農業をしている家の息子の妻が義理の父と母を虐待して、老夫婦は我慢の限界に達して他の遠くの村に行っている息子に苦境を訴え、そして年末が近づいて、息子とそのほかの青年・壮年は一度家に帰って年を越し、息子の妻はいつもの態度を一変させ、恭しく奉敬行孝し、息子はわけがわからなくなり、往々にして自分の両親が間違っていると責めてしまう。我々は息子の妻の虚偽の極みを指弾することができるが、事実として、「息子の嫁」たちの行為は理解可能なものである。つまり、その行為の「道徳」の含量が全体としてその直面している道徳輿論の圧力と正比例の関係にあり、そして道徳輿論の圧力も輿論を広めている者の数と正比例の関係にあるのである。
第二に、「面子」の価値が低下したことである。・・・・
第三に、社会資本が流出・散逸してしまったことである。大量の青年・壮年の労働力が外に仕事に出るようになるに従って、「主体なき熟人社会」の社会的な境界は流動化して曖昧なものとなり、若い人はすでに外部世界と様々な実用的な価値を有した「友達」のネットワークを打ち立てている。村民の人間関係の密接な程度から見ると、比較的一般的な状況は、親族関係が血縁関係を超えて、「友達」関係が親戚関係に勝るようになっている。これは家族パーティの中で客を迎える時に、最も明確に表れている。少数の外に出稼ぎに出た人がついに村人として認められたのだが、彼らは人生の成功の程度の高低によって、「家」の所在を確定しており、50万元を稼いだ者は家を大都市に構え、20万元稼いだ者は家を県城に構え、10万元稼いだ者は家を本当の家郷から少し離れただけの鎮区の中心所在地に家を引っ越したがっている。・・・・このように、郷村コミュニティの社会資本は外に向かうメカニズムが起こり始めており、コミュニティ内で蓄積することは難しく、土着的な民衆の間の権威は日に日に没落している。もともと、村民の間で紛争が起こった時は、民衆の間で権威を持った者が間に入って落ち着いて調整・調停を行うことができたが、「知識と経験が豊富(見多識広)」の出稼ぎ労働者である若い人について言えば、どの人も生まれた土地で民衆の間で権威を持っている人の「小言」を全く大事にしない。誰もがお互いに不満を持っているため、これが裏社会のよくない勢力が郷村の紛争に手を出す機会を提供している。つまり、仲裁できる人がいない状況の下では、「公平に扱(擺平)」ってもらうように頼むしかない。
第四に、熟人社会の特徴の周期性の表れである。「主体なき熟人社会」と呼ばれるゆえんは、今日に至るまで村では依然として熟人の圏内で生活しているというだけではなく、「主体がない」農村社会も、依然として周期的に熟人社会の部分的な特徴を顕わにしているためでもある。
現在の出稼ぎ労働は、基本的には家庭の収入を増やすことが目的である。農業生産の周期性と家庭生活の周期性および郷村の行事の周期性に従い、出稼ぎ労働者は必ず周期的に村を離れては戻ってきて、渡り鳥の集団のように、都市と農村の間を頻繁に往来している。村は平時はものさびしい感じだが、その年の祝祭日になると異常なほど賑やかになる。こうした景観の出現は、主には中国の都市と農村との二元構造の制度的な配置がもたらすものである。大きな帰郷の周期(家庭生命の周期など)小さな帰郷の周期(村の祭日の周期と農業生産の周期)とかぶっている。大きな帰省の周期具体的には手稼ぎの年限を指し、男性は一般に女性よりも7年から8年ほど長い。小さな帰省の周期は具体的には数か月の田植あるいは稲刈りおよび年越しの時期の帰郷を指すものである。この中には黄宗智先生のいわゆる「半工半耕」ロジックだけではなく、白南先生の言う「家族戦略(family strategy)」も役割を果たしており、「家族戦略」とコスト収益の比較の角度から考察すると、男性を中心とする家族の経済瀬産の機能が外に移っている時に、女性を中心とする家族の出生、養育の機能は労働力の生産であって外に移すことは難しく、女性が土地や故郷を離れるのは多くの場合は結婚前あるいは結婚後に出産する前および子供が学校に行く2,3歳まである。我々はまさに、これをさらに「男工女育」のロジックに帰結させることができる。
農民工の周期的な帰郷は、受動的な「半工半耕」と「男工女育」などの生存のロジックの支配を受けていることのほかに、さらに社会的および文化的な心理の要求によっても駆り立てられている。これは主に、出稼ぎ労働者が年の終りに帰郷して年を越す風景のなかに見られるものである。
まずは、紛争を解決することへの要求である。正常な熟人社会では、どの家族の責任者も農村いるので、民衆の間で権威を持っている人の役割が加わって、紛争はだいたいはすぐに解決することができる。いわゆる「大きな問題を小さくして解決する(大事化小,小事化了)」わけである。しかし郷村の「主体」が村に存在しない状況では、村の家人の間に摩擦が発生すると往々にして日を追って蓄積し、「男」が帰郷する時を待って解決する。さらに、出稼ぎ労働に行く村人の間には矛盾が生まれても、だいたいは年末に帰郷すると、双方が第三者の調停を受けることができる。これは典型的な「年末にけりをつける(年終算総帳”」である。私はフィールド調査で訪問した、治安を担当している副鎮長はこう語っている。
「治安は腊月(旧暦12月)の20日から正月の15日までが、事件が最も発生する時期だ。いつもは村でも民事の、宅地や経済の紛争といった事件が起こっているが、基本的には手を出さず、激しい衝突も起こらない。というも、80%の青年・壮年の男子が常に外にいて、村に主役が存在せず、喧嘩を起こせないからだ。それが、年末にみんなが年越しのために帰ってくると、矛盾がこの一月足らずの間に集中して全て爆発してしまう。また出稼ぎに出た者のなかには、外でつくってきた経済的なもめ事を、年末に村に持ち帰ってけりをつけようとする者もいる。ゆえに、我々はいつも旧暦の12月から1月に、もめ事の手がかりを把握し、民衆の報告に基づいて、今年どんな大きな事件が発生し得るのかを分析し、その後に幹部が各村の治安を請け負い、事前に予防接種を打って、矛盾を解消しておくのである。」
どうして村人がみな年末に「けりをつける」ことを選択するのだろうか。それは、帰るべき人がこの時にみな帰ってきて、みんなが一堂に会し、物事の道理をその人に聞いてもらい、紛争解決の決着をその人に評価してもらい、道理があるとされた者は口々に褒められるが、道理がないとされた者は最悪の事態では「恥をかく」ことになるからである。こうした現象は「主体なき熟人社会」における熟人社会の特徴の周期性の現れを表現するものである。
・・・・・
上に述べた「主体なき熟人社会」の四つの特徴は、変化の中の中国農村社会の特徴の現れであり、「主体なき熟人社会」という概念の解釈能力が「熟人社会」の概念よりも大きいことの現れでもある。それは、村の成員の人間関係の高い認知が決して熟人社会の必要条件を構成していないことを明らかにするものである。熟人社会の形成は、依然として農村コミュニティの中の「主体」成員が常に存在していることによって決まるものである。
-----------------------------------------------------------
最近、不勉強だった農村社会関連の文章を読んでいるが、「熟人社会」の概念を目にすることが非常に多くなった。「熟人」とは「よく知っている人」のことだが、日本語では上手く対応できない。「知り合い」と訳せなくもないが、日本で「知り合い」というと、家族・親戚や隣近所の外で関係ができた人を指すが、中国の「熟人」には家族や隣近所も含まれている。
費孝通の『郷土中国』が由来だというが、これは少なくとも正確なものではない。読み返してみても、「熟悉」「熟人」という言い方は頻繁にあるが、少なくとも分析概念として「熟人社会」は用いられていない。この文章を含めて多くの議論では、「熟人社会」の内容が「差序格局」ということになっていて、もちろんそう理解するのが自然かつ当然であるが、『郷土中国』は元々が断片的なエッセイ集でもあり、「熟人社会」が「差序格局」であるという言い方を費孝通自身が明確にしているわけではない。費孝通の「熟悉」「熟人」の関する下りを読んでも、「差序格局」に込められているダイナミックな人間関係の伸縮性が念頭にある感じがなく、単にテンニースの「ゲマインシャフト」の言い換えに過ぎないのではないか、という印象は否めない。この文章でも、その程度の意味でしか使っていない。
そもそもこの手の議論では、農村社会の変化に多大な影響をもたらした抗日戦や人民公社といった歴史が全く言及されず、「熟人社会」が牧歌的に描かれる傾向がある。実際ところ、1940年代までの中国の農村は、飢饉、伝染病、戦乱といった三重苦に悩まされていた。科挙制度の崩壊以降、儒教的な郷紳の存在は力を失い、「土豪劣紳」が幅を利かせていた。文革時期などは、同じ村人でもいつ告発されるかと疑心暗鬼を抱かなければならなかった。しかし、なんだか最近になってこれが崩壊し始めた、と言いたがる研究が多い。
この文章の「主体なき熟人社会」という概念は正直なところ違和感がある。「周期性」に関する話が面白いが、「熟人社会」という概念を使わないと論じられない問題というわけではない。程度ではなく質的な差異を問題にしているというのだが、正直なところ程度問題としか読めなかった。