史報

中国史・現代中国関係のブログ

王紹光が民主と「選主」を語る

2009-12-23 14:18:20 | Weblog

王紹光が民主と「選主」を語る

北大法律網・法学在線

http://big5.chinalawinfo.com/article.chinalawinfo.com/Article_Detail.asp?ArticleId=51012

 ――あなたの見るところ、現在の中国の民主主義の特色はどこにあるのでしょうか。

 王紹光:民主という言葉については、多くの人は中国ではすでに周知のことだと指摘するのですが、それは異なる意味を持っているのです。他の国では、多くの人は民主主義とはつまり自由でり、だから自由が行われさえすれば、中国の民衆は民主主義を理解するようになり、大部分の人は人民が主人公となる(當家作主)ことだと理解するようになるだろうと考えています。中国の民衆の民主主義に対する認識も、外国人と比べてとくに差があるわけではなく、私たちのような中国のエリートと比べてもよく理解しています。ただ、エリートの思い描く民主主義というのは競争のある民主主義であり、それはある種の手順を踏まえた段取りなのですが、大部分の中国の民衆は、人民が主人公になることこそが民主主義の実質であると考えているのです。

 私は中国の政治改革と民主化改革を、競争選挙の実現の突破口になるとは決して考えていませんし、また競争選挙が何かよいものをもたらすことができるとも、それが最も重要なものであるとも全く思っていません。むしろ、様々な方面において、民衆と利害関係者を自らの利害に関わる事務的な政策決定のプロセスに参加させることこそが最も重要であって、また実行可能なことが非常に多いのです。例えば医療制度改革について言えば、アメリカで医療制度改革は1992年から現在に至るまで唱えられていて、オバマの選挙運動の綱領においても医療制度改革は重要な内容の一つでありましたが、彼が成功できるかどうかについて、最初みんなはできると考えていましたが、現在はますます多くの人が疑問を持つようになっていて、1994年にヒラリー・クリントンが提出した医療改革法案の時と同じように流産する可能性もあります。中国の医療制度改革は2002年前後から提出されるようになり、特にSRAS以降に中国の医療体制は病にかかっているとまで言われるようになりました。その後、2005年に国務院発展研究センターが承認する以前の医療制度改革は基本的に成功しなかったのですが、承認されて以降は破竹の勢いで医療制度改革が進んで、中国は短時間で全ての住民をカバーすることのできる医療体制を形成できなければならなくなりました。まだ水準は低いですが、それはあらゆる住民をカバーするものです。これは、まさに民衆の表現に政府が対応したということを説明する好例であり、これこそが民主主義的な参加(民主参与)なのです。インターネット上では、現在の医療制度を批判する文章が大量に存在し、学者の書いた文章や新聞での議論もありますが、これこそが民主主義的な政策決定に参加したということなのであって、これこそがまさに民主主義なのです。 

 三農問題も同じで、三農問題は前世紀の90年代末から語られ始め、現在は三農問題は基本的に解決しました。失地農民はここ数年非常に深刻な問題であり、4000万の失地農民に対して、現在は各地で一連の、決して完全ではありませんが、以前よりもずっとよくなった保護政策が出現しています。これらのことが説明しているのは、こうした制度の中に民衆が表現してきた自らの願望や困難が表現され、制度がそれに応答してきたことです。どうして、このことを政治改革の重要な一例と見ないのでしょうか。最近のここ数年のあいだに中国で登場しているあらゆる政策が、みな時間差をもっており、五年前にはわずかにインターネット上あるいは新聞で議論する小さな問題だったのが、その後数年を過ぎてインターネット上で激しく議論される問題となり、さらに数年を過ぎて政府の政策と変わっていることを、あなたもご覧になってきたでしょう。これこそが民主主義なのです。これは直接的な民主主義であり、民衆の表現する願望に政府が対応する、民主とはこのようなものなのです。選挙で選ばれた人が必ず対応能力が最も高いわけではありません。私はアメリカ人とも話すのですが、あなたたちの制度と私たちの制度と、どちらが民衆に対する対応力が強いのかは、よく考えなければいけないことなのです。

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 「新左派」の代表の一人である王紹光のインタビュー記事。表題にある「選主」というのは、競争選挙で政治代表を選出する民主主義のこと。

 「新左派」というと、反体制というイメージを思い浮かべるかもしれないが、そうではない。向こうで言う「新左派」とは、第一義的には「市場原理主義」や「グローバリズム」への批判者であって、むしろ国家・政府の指導的役割の重要性を認め、外国に対して中国にも「民主」「人権」を尊重する知識人がいるというアリバイにもなっているという意味で、現在のところ体制側に歓迎されている思想と言ってもよい。そのことは、中文版のウィキペディアの「新左派」の項目に、「代表人物あるいは同情者」として国家主席の胡錦涛が掲げられていることからも理解できる。http://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E6%96%B0%E5%B7%A6%E6%B4%BE

 逆に、王小東のように外国への妥協を何でも批判しようとする民族主義者や、康暁光のように真正面から民主主義に疑義を呈して指導者による「仁政」を主張するような保守派のほうが、(真正面から批判できないだけに)政府に煙たがれていると言える。実際、中国の現状に対する批判的な論調は、「新左派」よりも民族主義者や保守派のほうに多い。

 「新左派」がきわめて体制的だというのは、中国人以外が読めば失笑を禁じえない、この文章にも象徴されている。現在の中国にも、実質的な民主主義が存在していないわけではないというのは、私自身もそう考えている(特に現在の日本と比べると強く感じる)ところがあるし、また外国人の観察者が、単純な「独裁国家」イメージに見ている人々に対して、「こうした側面を見落とすべきではない」という注意喚起を促すという点では大きな意味がある。しかし、中国国内の学者が自画自賛的に肯定しても、それは単なる体制翼賛の言説でしかなく、現在の中国が抱えている問題から目を逸らせる役割以上のものを果たしていない。「新左派」自身がどういう意図なのかはわからないが、いずれにせよ結果的に中国の非民主主義的な体制の延命に加担していることは間違いない。


大学卒業生の低収入「蟻族」「蝸居」が不動産市場で流行

2009-12-16 19:35:18 | Weblog
大学卒業生の低収入「蟻族」「蝸居」が不動産市場で流行

http://news.xinhuanet.com/employment/2009-12/15/content_12650696.htm

2009年12月15日 15:41:58  来源:千龍網


 記者は最近、大きな不動産会社の扉を見て発見したことは、「蟻族」と「蝸居」がすでに不動産市場で流行している言葉になり、メディアによって各界の専門家に採用されていることである。

 北京中関村の北にある唐家嶺は、安い生活コストで多くの大学卒業生の集団的な居住を吸収しており、この現象に光が当たるようになるにつれて、「蟻族」は北京で外部出身者の大学卒業生が寄り集めるということの代名詞となっている。そしてこれがテレビで報道されるに従い、家賃の負債が積み重なっている者も「蝸居」と表現されるようになっている。


■幸運にも「蟻族」から「蝸居」に

 林暁(仮名)は2004年の北京のある有名大学の卒業生であり、彼女が卒業したときは北京に留まることを決心し、その後数年は何人かの同級生と学校の近くで部屋を借りていた。この数年を振り返って、林暁は実に大変だったという印象で、毎朝9時から夕方の5時まで働き、混雑している地下鉄とバスに乗った。彼女は、自分はこの都市のアリでしかない、どんなに真面目に働いても依然として弱い集団でしかない、と語っている。

  付羽(仮名)は、「蟻族」のなかの幸運な一人であり、大学を卒業して働いて二年後に、家族が自分の部屋を買うための頭金を出してくれたという。

 彼はあちこち調べて一つの小さな家を探し当てたが、単価はすでに平方メートル当たり1.8万元に達し、ローンは100万元にもなり、毎月の抵当は収入の半分以上を占めている。付羽は、家を買ってから生活を切り詰め(省吃俭用)、仕事にも細心の注意を払い、軽々しく仕事を替えないようにしていると話す。

 大学を卒業したばかりの「北漂一族」(地方から北京に出てきて定まった住居を持てない人々のことを指す―訳者註)は、家賃が安い部屋に住むか集団で一つの部屋を借りるなどして「蟻族」となり、数年が過ぎて少数の幸運な「蟻族」が家を購入した後は、毎月抱えているローンを重荷として背負う「蝸族」に昇格するのである。

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■「蟻族」「蝸居」はリスクに抵抗する能力に格差が

 記者の理解によれば、現在90%の人が家を購入したらローンを組んでおり、その中の35%の人の月に支払っている額は収入の60%を占める。

 北京の各不動産仲介業者による数値が表しているように、現在北京で家を購入する人々の4割は80年代以降に生まれた世代であり、彼らは決して十分な経済的実力を持たないものの、数年間懸命に働いた後に家族からの援助で頭金を借りて、自ら巨額のローンを毎月払い、無理して(挤破脑袋)でも家を買おうとする。

 心理学者の楊子によれば、彼らはもともと独立して生活する能力に差があって、挫折の経験がきわめて少ないため、心理的な忍耐能力に比較的差がある。彼らが何らかのリスクや緊急事態に遭遇した時、焦り、強迫、恐れといった症状が、多少なりとも出現するのだという。

 美聯物業(不動産会社―訳者註)の張大偉は、現在不断に高騰している住宅の価格は、若い80年代以降の世代に強い心理的圧迫感を生み出ており、彼らは住宅価格の不断の上昇を心配して、そこから自らの経済的能力を省みることなく、無理して家を買ってしまうのだと考えている。

 現在、都市では座視できないほどの不動産バブルが出現しており、お金を持った投資家が大量に入り込んでいる。弱い勢力の置かれた「蟻族」がその中に参加した後、ひとたび市場に動揺が発生すると、彼らはこうした強大な経済的な圧力に根本から耐えられなくなってしまうのである。ゆえに、張大偉は家を購入する若い人は、家を買う際は必ず身の丈に応じて行うべきであり、段階的に消費し、理性を保持することを提案している。

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 最近社会問題となっているらしい、「蟻族」「蝸居」についての記事。大学生の就職難に関係している話かと思ったら、完全に住宅問題についての話だった。住居の公的な社会保障が弱く、専ら家賃のために働いているような風景は、日本でも似たところがある。中国の社会学者は農民問題を都市化によって解決しようとしているが、果たしてこの問題に対応できるのだろうか。

 不動産価格が高騰しているために、経済力のない若者でも焦って家を購入するというのは、日本にもかつてそんな時代があったかなという感じである。

わが国が既に突入している発展の新成長段階

2009-12-09 19:45:50 | Weblog
李培林「わが国が既に突入している発展の新成長段階」
http://finance.jrj.com.cn/people/2009/11/2213036504651-1.shtml

2009年11月22日 13:03 来源: 金融界网站

 どうして現在の消費不振が起こってしまったのでしょうか。私たちがこの方面で直面している最大の挑戦は、実際のところは収入の分配構造の問題であす。これは単に所得の水準を引き上げるというだけの問題ではなく、この30年来の、経済成長が私たちの最大の成果である時代に発生した最大の挑戦は所得分配問題です。この曲線はこの30年の所得分配のジニ係数の曲線であります・・・・・現代の歴史において一つの国家が30年という短い間にジニ係数が0.2から0.5へと増加したこともなければ、一つの国家がこうした早いスピードで所得分配の格差が拡大したこともなかったのです。

 われわれの現在の研究の結果によれば、この格差の60%は都市と農村の格差として解釈できるものです。これは所得格差における最大の問題であり、都市と農村の間の格差は、2008年にいたるこの2年間の趨勢の転換によって、2008年までに、初めて都市・農村間の所得格差が縮まり、三点数倍から三点二倍くらいまでに減少しました。2009年に金融危機が発生し、農民労働者の収入に深刻な影響を与えて、農民の所得の格差は元々の3,4%に拡大しています。現在の農民の所得は、農民所得に対する農作物の収入増大の意味はあまり大きなものではなく、主に現金収入に依存し、農民の現金所得は農民の平均的な純所得よりもはるかに高くなっています。

 大きく減少している農民、転業した農民は、私たちがこの方面で消費を引き上げて農民所得の状況を変えていく主要なルートになります。消費に対する影響が非常に大きいということは、コストの構造に関係しており、社会的な階層構造、つまり中国の都市の農村の格差は都市・農村の間の社会構造の非常に大きな差異を作り出しており、・・・・・いわゆる都市化のプロセスはひとつの階層構造をピラミッド型からオリーブ型(中間が分厚いこと――訳者註)へと変化させています。中国について言えば、農村的な構造が都市的な階層の構造へと迅速に変化しているのです。

 ・・・・消費の拡大は、受け取るお金の影響でしょうか、国家は非常に多くのお金を所有しています、94年から08年ね税収の総量は5000億あまり増益・増加して5.4兆円に達しており、年平均で18%も増加し、GDPの成長よりもずっと高く、住民の貯蓄も94年から・・・・、こうした多くのお金はどこに行ったのでしょうか、どうして消費されないのでしょうか。銀行の利率を下げて、民衆にお金を遣わせようとしていますが、民衆はお金を遣わず、国家は民衆向けの国債を発行してお金を借りて、このお金を国家の投資にまわしているだけで、85年から08年にいたるまで、わが国の国民は驚くべきことに、消費率が52%から35.4%に低下し、国際的にも非常に低い水準にあります・・・・

 ・・・消費においてまさにこの絶対に不可欠の需要(教育と医療――訳者註)によって、一般の低所得の家庭の正常な消費を制限されているのです。だから調査によると、銀行に預金する目的の第一位に、どの年も家庭の子供の教育があげられています。民衆は、未来の消費のリスクを避けるために、お金をためなければならないと言うわけです。これは単に文化的な問題というだけでもなければ、文化的な原因によるものでもありません。アメリカはお金を貸して消費をしろと言っているのなら、私たちもお金をためようとするのではなく、後の世代のために遣うことを言うべきです。このあたりは、資源分配の制度と非常に多くの関係がある問題です。

 私たちは新しい段階に突入しています。この段階は「三駕馬車」、つまり投資、消費と出口という、新しい発展方法を必要としています。・・・・所得の分配の調整は、最初は政府から増やすことを始めて、最初の分配である政府企業と住民の所得における住民所得の比率は、この十数年らいずっと下がっており、労働者の資本収益増加の比率も、最近の数年のあいだずっと下がっています。第二に、再分配においては財政運用、税収、社会保障、社会福利の調整を行わなければなりません。

 ・・・都市と農村の基本的な公共サービスを均等化するための突破口を作り、農村の中国の消費動向に対する重要性が低い状況を徹底的に解決しようとするのなら、30年の経済改革を経たいま、次第に改革を社会領域へと深く引き入れ、就職、教育、医療、所得分配、社会保障等の領域の社会体制改革を推進し、改革の発展のための新しい動力を提供していくべきです。・・・・・

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 李培林の講演録。そのまま文字起こししたものらしく、原文がやたらに読みにくかったので、かなり意訳している。

 ここでも何度か取り上げてきたように、中国ではとくに金融危機以降に内需が大事だという大合唱が官民挙げて起こっていて(http://futures.cnfol.com/091208/133,1376,6927212,00.shtml)、李培林の主張も完全にそれに沿ったものであり、とくに都市・農村間の所得格差の解消、公共投資の拡大、教育・医療などの社会保障の整備などを主張している。とりわけ農民問題を都市化によって解消するというのは、どの議論でも言われている。この講演では出てこなかったが、環境産業の促進なども盛んに唱えられている。90年代に流行った郷鎮企業論は、都市への人口流出阻止という目的に対する限界が明らかになったせいか、近年は停滞気味の印象がある。

 日本でも「構造改革」に対する反省(反動?)から、内需喚起ということが盛んに言われるようになっているが、中国に比べると何もやっていないに等しく、むしろそれに逆行するような歳出削減ばかりに邁進している。中国とは取り巻く状況が異なるとは言え、やはり心配になってくる。

中国宗族研究――社会人類学から社会歴史学への転換

2009-12-04 17:54:11 | Weblog
「中国宗族研究――社会人類学から社会歴史学への転換」
喬素玲(暨南大学)、黄国信(中山大学)
http://www.sociology.cass.cn/shxw/shrlx/P020091125322146879074.pdf

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4 文化資源と財産管理機構としての宗族

フォール(科大衛 David Faure)、劉志偉の宗族理論の体系は、意識形態、商業化と宗法制度という三大要素の共同作用が、中国民間社会における宗族制度の広範な発展を促し、そしてそれが文化的資源と財産管理機構になっていることを強調している。歴史学的な見方においては、明・清の宗族は一般に古い制度の継続と残余と見られていたが、珠江三角州地帯の宗族は、むしろ明・清時期に出現して発展した新しい制度なのであり、この事実は彼らが珠江三角州地帯の宗族の発展と社会歴史関係を新しく考える上での出発点となっている。

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 それでは、いかにして祖先の権力が獲得されているのであろうか。フォールと劉志偉が見るところでは、地域社会における様々な勢力が、沙田(現在の香港の中部地区に当たる地域――訳者註)の開発権と地方の支配権を争奪するための複雑な闘争が日に日に激化した時に、祖先と士大夫の関係を「育成」することができさえすれば、疑いなく有利な位置を占めることができるためである。つまり正統とされる礼儀・規範によって宗族を作ることも、一つの有効な手段およびルートとなっていたのである。これによって、彼らは沙湾地域の大きな宗族の、祖先の来歴と沙湾地域への定住をめぐる伝説について一つの新しい解釈を下した。すなわち、一つの宗族を作ろうとすれば、正統とされる文化的伝統が認めるところの歴史を必要とするのであり、これは社会のメンバーが有する社会的な身分や権利の証明と価値の来源となるものなのである。・・・・・・

 フォールはフリードマンの観点を発展させて、宗族が一種の文化的な創造および文化的な資源というだけではなく、同時に一種の財産管理機構でもあると考えている。しかし、彼はさらに深く広いレベルでこの問題を議論しており、彼のこうした分析は、基本的に彼の長期にわたる中国商業史の研究と自らの商業史全体の重要な結論となっている。彼はこう述べている。

「表面的に見れば、商業史は宗族研究とまったく何の関係もないものである。しかし、このように言うことは全くできない。中国商業制度史は、間違いなく宗族制度史と連続しているのである。現在の中国商業史は、商品の流通を重視して、商品を流通させるための制度を無視してきた。・・・・・明・清の社会は商業経営を保障する法律がなかったので、商業経営は法律以外のルートに拠らなければならなかった。西洋の歴史もかつてはこうしたプロセスを経てきた。つまり、中世においては資源調達(集資)の機構は修道院であった。こうした機構は欧州と中央に行くための主要な道路を管理し、旅客に宿泊サービスを提供していたのである。明・清の最大の資源調達機構は、廟と家族であった。会社法がまだ出現していない時代は、珠江三角州地帯では、こうした機構が耕作地(田産)と市場を管理していたのである。多くの家が財産を管理するために、共同で廟を建てるという方法を採用した。別に文章を用いて合意する必要はなく、廟の建設と祭礼の参加が合意となった。言い換えれば、合意は文字に書く必要はなく、礼儀の活動の中で演出するものなのである。同姓の団体は、宗族の礼儀を利用して共同で財産を管理することができた。」(科大衛、2004、「告別華南研究」華南研究会『学歩与超越』文化創造出版社: 26)

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 英語圏を中心とする中国宗族に関する諸研究を、静態的で機能主義的な社会人類学的手法から、ダイナミックな発展過程をとらえる「社会歴史学」的な手法へと転換している、という筋でまとめた論文。「社会歴史学」という言葉はこの論文ではじめて目にしたが、「社会史」「社会経済史」「文化史」などとの違いは、この論文だけではよくわからない。

 デヴィッド・フォールというオックスフォードの中国近世史研究者の引用部分が面白い。その前の節で触れられていた、宗族形成と国家(特に科挙制度)との関係については日本の研究でも言及があるが(井上徹『中国の宗族と国家の礼制』など)、経済活動との関係については意外に手薄であるような印象があり、その意味で宗族が商業活動における売買や流通や可能にする制度であるという視点は非常に興味深かった。

 親族集団は日本でもヨーロッパでも「団体」であるということが基本だが、中国では「ネットワーク」と呼ぶべきものである。乱暴なまとめを許してもらえれば、ある家が危機に直面した場合は、前者が親族内部の結束を高めることで対処するのに対して、後者はあらかじめ海外を含む広い範囲に親族のネットワークを張っておき、いざとなったら比較的成功している人物を同姓のよしみで頼っていく、という方法で対処する。

 現在中国では、宗族の「復興」(というよりも「創造」)現象が起こっていると言われているが(http://www.sociology.cass.cn/shxw/shrlx/t20091119_24127.htm)、いずれにしても急激な経済成長と都市化による社会流動性の高まりが、こうした宗族のネットワークの重要性を強めていることは間違いないと思われる。