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税収、レントと統治――理論と検証

2012-07-15 20:55:33 | Weblog

馬駿・温明月「税収、レントと統治――理論と検証」
马骏 温明月、《税收、租金与治理:理论与检验》、《社会学研究》2012年第2期
http://www.sociology2010.cass.cn/news/504087.htm

 
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1 収入の吸収、統治モデルと統治の質量

 財政社会学は1910年代末の、ゴルトシャイトとシュンペーターとの間の租税国家に関する論争に起源がある。「一次大戦」後期のオーストリアの財政崩壊を目の当たりにした後の1917年、オーストリア社会主義の学者ゴルトシャイトは(Goldscheid 1917)、ヨーロッパが18世紀以来築き上げてきた租税国家が深刻な財政危機に直面していると考え、そして「財産を国家に返還」して公共企業によって財政収入を提供するという財政システムの構築を主張した。1918年にシュンペーターは『租税国家の危機』という一文を発表し、ゴルトシャイトの観点に対して応答を行っている。シュンペーターも、租税国家が直面する挑戦に注意を向けていたが、彼は租税国家が瓦解しつつあるとは決して考えず、同時に公有企業の効率性に対して疑問を提示している。しかしこの論争の中で、二人の学者とも財政社会学という分野をし、公共部門の財政状況およびその社会と政治に与える影響を研究することを呼びかけることになった。しかし、財政社会学が真に重視されるになったのはようやく1970年代になってからで、そして最近はいわゆる新財政社会学というものが発展している(Martin, Mehrotra & Prasad 2009)。財政社会学に関しては、異なる二種類の理解が存在している。その一つは(たとえばCampbell 1993)、財政社会学は「税収と公共財政に関する社会学分析」と見るものであるが、もう一つは(たとえばゴルトシャイトおよびシュンペーターなど)、財政社会学は一種の新しい「マクロな歴史モデル」という、単に一つの理論をというだけではない、社会を観察・理解するための方法の発展に尽力するものである。本文が採用するのは、後者の意味における財政社会学である。
 財政社会学の観察の角度から見ると、国家財政の国家と社会に対する進化には、決定的な影響があり、財政システムは社会と政治の変動を理解する重要な鍵であり、それは社会変動の重要な指標と源泉である(Schumpeter 1918)。財政社会学の分析枠組みのなかで、「財政国家」は一つの非常に基本的な概念である。財政国家は、国家財政の収入の最も主要な源泉に基づいて、国家に対する分類を行っている(Tarschys 1988, Moore 2004)。財政国家が異なれば、国家の吸収する財政収入の方法も異なり、国家と社会の関係も異なっていき、国家の統治モデルも異なる特徴を備えるようになり、そこから異なる統治水準が現出するようになる。財政国家の転換が意味している国家と社会の関係の再編は、最終的に政治と社会の変化を導くものである。20世紀以来の財政国家には主に、租税国家、自給自足国家およびレンティア国家(租金国家rentier state)という三つの類型がある(Schumpeter 1918, Tarschys 1988)。自給自足国家は主に計画経済体制を実行しているような国家を指すものであり、こうした国家においては、広範な国家所有制が国家の財政収入が国有企業が上納する利益を主要な財源とすることを可能にしている(Campbell 1996)。レンティア国家は、主に国家の独占する自然資源の輸出に依拠してレントの収入を得ているような国家である(Moore 2004)。財政社会学には一貫して、「真の租税国家がこそが高い質をもった国家の統治を形成することができる」という理論的な仮説が背後に存在している。最近、ムーア教授は最初にこの仮説を明確に総括し、そして簡単な形でその間の因果関係を述べている(Moore 2004,2008)。
 財政の変化の政治的な影響に関しては、財政社会学は事実、三つのバージョンの「物語」や理論的モデルを有している。初期の財政社会学は、西洋国家の国家建設の経験に基づく「徴税-代議制モデル」の理論と称することができるもので総括される。そして、1970年代以来の発展途上国の国家建設の経験および、社会主義から転換した国家の90年代以来の国家建設の経験に基づいて、財政社会学は「レンティア国家自律性モデル」と「税収の駆け引き-政治民主モデル」とそれぞれ称することのできる、二つの新しい理論に総括されている(马骏 2011)。この三つの理論は、直接あるいは間接的にこの理論的な仮説を述べている。この三つの理論に基づいて、異なる財政国家において、その国家と社会の関係が異なり、国家の社会的に対する依存の程度や国家の自律性も異なる。租税国家においては、国家の社会に対する依存の程度は比較的高く、国家の自律性は比較的低いが、レンティア国家と自給自足国家はその逆である。これは異なる国家と社会との相互作用の関係をもたらし、さらに統治モデルと統治の質量に対して異なる影響を生み出している(Moore,2004,2008;马骏,2011)。
 「徴税-代議制モデル」は、財政社会学の最も早い理論であり、最も流行した理論でもある。それはヨーロッパの国家の国家建設の経験の中から出てきたものである。ヨーロッパの領域国家の時期において、統治者は自らの領地収入に依存して生存していたため、一方では国家財政の社会に対する依存は比較的小さく、他方では国家財政の社会的に影響も限られていた。ヨーロッパ国家が近現代の時期(1400-1800)に租税国家に転換するにしたがって、国家と社会の相互作用はますます密で深いものになり始め、租税が国家と社会の相互作用の最も重要な結び目となった。最も重要な鍵は、租税国家では国家が変わってますます民間部門に依存するようになったことである。こうした状況の下で、民間部門が納付する税収を獲得するために、国家は民間部門と駆け引きの交渉し、そして政治的には社会に対して譲歩せざるを得なくなった。同時に租税国家においては、国民(公民)も比較的解体政治参加の動機を有している。これはヨーロッパの国家にその財政制度と政治制度の再建を迫るものであり、最終的に立憲民主主義的な制度を構築することになった。(Schumpeter 1918;Musgrave,1980;Moore,2004,2008)著名な財政学者であるマスグレイヴが総括しているように、「税収は近代の民主主義制度が登場する前提条件」なのである。そのほかに、国家の統治の正当性と納税者の「自発性による服従」(Levi, 1988)を促成するために、国家は「税収をサービスに換える」ことを選択せざるを得ず、納税者に公共サービスを提供することを通じて、国家の租税政策に対する服従を引き換えにし、立憲民主主義と行政統治によって、こうした同意の信頼性を確保していくわけである。このように、徴税は国家の国民の要求に対する応答可能性を高め、国家に国民に対して責任を負わせるように変えていくものである。
最後に、レントと利潤の吸収と比較して言えば、徴税はコストの高い行政活動である。税を吸収していくために、国家はさらに理性的な徴税官僚組織を構築して納税者に対して監督を行わなければならないし、同時に徴税官僚に努力して仕事をするように激励して、彼らに対して効果的な監督を行ってエージェンシーコスト(代理成本)を低下させる必要がある。事実、各国の行政の合理化の展開が最も早いのは徴税の領域においてであり、その後に次第に他の領域に拡張していったのである。以上のように、徴税は一方では国家の統治の民主化を十分に促進し、政治の説明責任(问责)を高ることを十分に可能にし、他方では合理化の水準を引き上げ、最終的に国家の統治の質量を高めていくを可能にしているのである(Moore 2004,2008)。
 もし租税国家の国家建設の経験が、徴税がいかにして統治の質量を高間えるのかを真正面から直接的に分析するものであるとすると、レンティア国家の国家建設の経験は、一つの反対例を提供するものであり、さらには間接的に「租税国家こそがよい統治を実現することができる」という仮説を支持するものである。「レンティア-国家の自律性モデル」は1970年代以来の発展途上国における国家建設の経験の総括に基づいて登場したものである。この時期には、もともと貧しかった発展途上国が租税国家からレンティア国家へと転換しはじめていた。そのなかで最も重要なのは、資源によるレントである。国際市場において特別な価値を有する自然資源をコントロールしていることによって、これらの国家はこうした資源を売ることでレント収入を得ているのである。時期が異なると、歴史上においてかつて鉱物資源、ダイヤモンド、木材などであったように、レントの資源が異なることもある。しかし、20世紀で最も主要な自然資源は石油であり、各石油輸出国の財政収入はすべて国家の独占する石油の貿易が形成するレント収入である(Moore 2004)。レントは「不労所得」(unearned income)であるために、レンティア国家は領土国家や租税国家のように政治的あるいは組織的に非常に大きな努力をはらって財政収入を獲得・充足させる必要がない。このことは、こうした国家の国家建設に対して大きな影響を生み出している。その中のいくつかの国家は、20世紀初頭に代議制と選挙制度の設立などの近代国家の建設を始めているが、レンティア国家へ転換するに従って、国家建設の道には根本的な逆転が発生した。レンティア国家においては、裕福な資源によるレントが国家の国民(公民)あるいは社会に対する依存を大きく低下させ、国家の自律性も非常に高い。財政収入は主に個人の富に直接影響を与える直接税(つまり個人所得税)ではないため、レンティア国家の人民もこれによって政治参加の動機を形成することが不可能になるわけである。レント収入の源は比較的集中して完全に国家の手中にコントロールされているため、その収支は税収に比べて言うと比較的容易に隠蔽され、さらに議会の監督の目を逃れやすい。最後に、レント収入は租税収入に比べて比較的聴衆が容易であると言えるので、レンティア国家は効率的な公共の官僚機構を構築する動機も比較的弱い。その結果、レンティア国家の統治の質量は一般的にあまり高くなく、その中でいくつかの国家はさらに腐敗した統治と一緒になって連携してしまっている(Moore,2004,2008)。

 「税収の駆け引き-政治民主モデル」は、転換期の国家の経験を総括して登場したものである。それは一方では、租税国家が統治の質量を高めるという仮説を支持するものであるが、他方では我々がさらに深く租税国家建設の複雑さを理解させるものである。1990年代から、旧ソ連や東欧国家は計画経済から市場経済へと転換し始めた。経済転換のはじめは、これらの国家ではすべて巨大な財政赤字や程度の違いはあれ財政危機が出現していた。財政社会学の角度から見ると、赤字が出現する根本的な原因は、こうした国家が極めて深いレベルの財政国家の転換――元々の権威主義的な自給自足国家から民主的な租税国家への転換――を経験している最中にあるからであって、経済学者が言うように短期のマクロ経済のパフォーマンスが低下していた結果であって、経済が好転すれば危機はたちまち解決するというものではない(Campbell 1996)。しかし、転換期の国家がすべて租税国家への転換にむかっているとしても、収入と基礎と政治の状況が異なるために、転換のプロセスのなかで、異なる国家が異なる税収の駆け引きのモデルを形成し、その上でさらに異なる国家建設のルートを歩んでいくことになる。たとえばポーランドでは、国家の収入の基礎は主に民間の小企業と個人の収入である。これが意味する国家の社会に対する依存度の相対的な高さは、政治的には衝突が存在しているとしても、経済と政治の改革の上で社会の各階層のエリートたちが、共通認識を形成することを充分に可能するものである。ロシアでは、一方では民間の小企業が発達せず、国家は主に自らのコントロールする輸出などの高額な利潤部門から財政収入を吸収しているが、これが意味しているのは国家の社会に対する依存度が相対的に低いことである。そして他方では、国家建設はずっと持続的に両極化したエリート内部の衝突が展開されている。収入の基礎と政治状況の違いは、この二つの国家の税収政策の制定の面でことなる収入の駆け引きのモデルを形成した。ポーランドは税収の衝突のプロセスの中で、次第に「納税者に同意を求める」方法を形成し、それらの利益が影響を受ける社会集団に自分たちの意見を表現させていった。この種の抗議の政治を「吸収していく制度」へのスムーズに進ませるやり方が、ポーランドの民主主義の基礎を固めた。同時に、相対的に分散している納税者集団の国家の租税政策に対する服従を獲得し、ポーランド政府が積極的に国家の社会的に利益の応答可能性を強化し、国民に対する政府の説明責任の程度を高めていった。ロシアでは、新しい税制は主に利潤が非常に高い輸出部門と経済的に最も効率的な地域に対するものであったことが、こうした領域内でのエリートの抵抗を引き起こし、後者は自らこうした価値の小さくない資産に対して権利があるべきだと考えた。そこでロシアで、最終的に発展した税収の衝突を解決する方法は、「エリートの駆け引き」戦略――租税政策が国家とエリートたちとの個別の駆け引き――が形成され、そのなかでは特別な優遇策で満たされることになった。国家がこれらの利潤が高度に集中する部門をコントロールしているために、それによって労働組合やその他の政党との駆け引きを行う必要がなく、国民の要求への応答を通じて税収を獲得する必要もなかった。国家と各経済エリートの間の短期的な協力が瓦解した時は、たとえばプーチン政権後半の寡頭経済に対する宣戦布告のように、国家は「強制」の手段を用いて税制収入を徴収することがある(Easter 2008)。
 以上のように、両国はいずれも租税国家へ転換しつつあるが、租税の領域では異なる収入の駆け引きのモデルが形成されているため、ロシアとポーランドの国家建設は特に政治民主化のプロセスの中で出現している異なる特徴である。比較して言うと、ポーランドの租税国家への転換はより徹底したものであり、一層真の租税国家に相応しくなっているが、ロシアは一定程度においてレンティア国家の色彩をいくつか帯びている。このことは、両国の国家と社会の相互作用の形式に違いをもたらし、最終的に民主政治の発展の軌道にも違いをもたらし、統治の質量にも差異を出現させているのである。

2 モデルの構築と研究方法
 
 租税国家と統治の質量に対するこうした仮説は、財政社会学と比較政治学のなかに既にある、いくつかの歴史研究と事例研究が直接的・間接的に経験的な支持を提供している。人々によく知られている、ヨーロッパ国家の近現代の時期の国家建設に関する歴史研究のほかは、近年、比較政治学はレンティア国家に対する「資源に呪われた(resource curse)」現象の研究が、この仮説を間接的に支持している。たとえば、チャウドリーは(Chaudhry,1997)サウジアラビアとイエメンの国家建設の経験を研究した結果として、両国は1918年後に租税国家への転換し、近代国家建設の道を歩み始めたものの、両国が1970年代にレンティア国家に転換していくに伴って、その国家建設は帰って停滞を見せ始めたことを明らかにしている。第一に、両国の徴税官僚機構が衰退し始め、さらに政府全体の管理の官僚化プロセスおよびそれと連繋した合理化の水準が停滞を見せ始めた。その次に、国家の社会に対する浸透能力が下降しはじめた。カールは、石油輸出国に対する研究で、これらの資源の豊富な国家は、財政収入が非常に容易に獲得できるため、これによって国家の統治の重心がすべて分配政治へと転移してしまい、財政の説明責任のメカニズムが構築されたち、国家が社会に対して浸透して社会関係を調節する能力を高めるということがなかった。その結果として、一見したところの非常に強大な国家が常に資源利潤保有者(寻租者rent seeker)によって包囲され、国家は有効な政策を実施することが非常に難しくなる。イースターは、ポーランドとロシアに関する事例研究も、直接的(ポーランドの例)あるいは間接的(ロシアの例)にこの仮説を支持している(Easter,2008)。疑問の余地がないのは、こうした歴史と事例の研究は全て我々のすべて我々のよりよい国家の収入の吸収のモデルの統治の質量に対する影響を理解する助けになることである。事実、まさにこうした研究の基礎の上に、ムーアははじめてこの仮説を明確に製錬することが出来たのである(Moore,2004,2008)。
 しかし、こうした比較的広大かつ非常に重要な理論的に仮説について言えば、歴史と事例による研究は依然としたその有効性を信頼させるに十分ではない。これが意味しているのは、この仮説が成立するかどうかは、さらに系統的な経験的研究を必要とすることであり、各国にまたがる大型のパネル調査データを構築して統計的な検証を行うことが必要である。統治の質量に関しては、1996年以来、世界銀行は各国の統治水準に関して計測を行っている。同時に、国際通貨基金(IMF)が毎年出版している『政府財政統計』は各国の政府の収支の情報を公開している。しかし、統計的な検証について言えば、この二つのデータによってだけでは系統的で一貫性のある良好なデータを構築することはできない。統治の変数でも、財政収入の変数でも大量の欠損データが存在している。同時に、国際通貨基金の財政収入データは租税とレント収入とを分けて理解することができない。これが意味しているのは、我々はこれによって一つの絶大部分を包括する国家の各国データを構築することができないことである。しかし、「アフリカ経済の展望」の項目は、アフリカの国家に関する非常に系統的かつレントと租税の収入との分解を行って財政収入の情報を提供している。世界銀行の統治データと「アフリカ経済の展望」の財政収入データを総合的に運用することで、本稿はアフリカ国家に関するデータを構築し、そしてこれをもといって税制収入の調達のモデルをの統治の質量に対する影響を検証するものである。本項の研究目的について言えば、このデータは明確に優れている点がある。まず、異なる類型の財政国家の統治の質量を比較を通じてこそ、我々ははじめて税制収入の調達モデルの統治の質量に対する影響を認識することができる、ということである。この点で、アフリカの国家はまさにこの標準にぴったりなのである。その次に、多くの人が通常理解しているのとは異なり、既存のアフリカ国家の統治水準は決して滅茶苦茶なわけではない。これが意味しているのは、変数自身に存在している十分な変化である。
 本校が検証しようとしている理論的な仮説は、ある国家の租税国家の特徴が強まるほど、その統治の質量も高まるということである。逆に、租税国家の特徴が弱まるほど、あるいはレンティア国家の特徴が強まるほど、その統治の質量は低くなることである。当然、一つの国家の統治の質量に影響する要因は非常に多く、財政収入の調達方法はその中の一つに過ぎない。言い換えれば、そのほかの要因、たとえば公共部門の人的資本の質量と公務員制度(Haque & Azziz,1998)、政治の説明責任のメカニズム、政治的民主化の程度ないしは信頼、公民精神あるいは美徳を基礎とする社会文化の雰囲気などなども(Adserà et al.,
2000を参照)、国家の統治の質量に影響している。しかし本稿の研究目的は、租税国家と当地の質量とこうした仮説を検証することであって、系統的に統治の質量の様々な要素を検証することではない。
 このように、統計検証のプロセスでは、我々は二つの制御変数――経済発展の水準と政治民主化の程度――を選択しているに過ぎない。経済発展の水準と当地の質量の間の関係は、現在の研究でも論争がある。大部分の研究者は、良い統治は経済と社会の発展の水準に対して正の貢献があると考えている(Kaufman & Kraay,2002;Bloom et al,2004;Olsonet al.,2000)。非常に大きな程度において、世界銀行などの国際機関が統治の研究およびその測定に力を尽くしている理由は、こうした信念の推進と密接な関係がある。しかし、政治学者のカーツと社会学者のシュランクは、世界銀行の統治指標の体系的な合理性に疑問を呈し、カウフマンとクレイの統治の経済発展に関する結論、特にその中に含まれる政策上の含意に疑問を呈している(Kurtz & Schrank,2007a,2007b;同时参见Kaufman et al.,2007)。そのほかの研究者は、経済成長が国家により多くの資源によって制度の建設を行わせ、制度の効率性を高めさせ、さらには統治の質量を高めることになったと考えている(たとえばChong & Calderon,2000)。我々は、ある国家の経済発展の段階と結合してこそ、はじめて経済発展の水準と当地の質量に対する影響を理解することができると考えている。経済発展の比較的低い段階では、経済発展の水準の統治質量に対して正の影響が存在している。これは主に、経済成長が公共部門が管理体制を改善し、そして公共サービスを提供するための不可欠な資源を提供するためである。我々の研究するアフリカの国家は一般的に経済水準が比較的低い段階にあり、このため我々の仮説は経済発展の水準が統治の質量に対して正の影響が存在するというものである。別の制御変数は、民主化の程度である。この方面では、学術界は基本的に一致を見ており、つまり政治の民主化の程度が高いほど、政治家は公民の要求の圧力を満たす動機も強くなる。本稿はこのように、政治的な民主化の程度の統治の質量に対する影響が正であるという仮説に立っている。・・・・・

 仮説2:ある国家が財政国家の類型において租税国家に向かうほど、租税国家の特徴はより強まり、その統治の質量もより高まる。

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3 アフリカ国家の統治の質量と財政収入

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4 統計の検証

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5 結論と討論

 本稿の研究で明らかにしたのは、財政社会学租税国家のみがより統治を実現することができるという仮説が成立することであった。少なくとも、アフリカの国家のデータの仮説は、この理論的な仮説を支持している。ムーア教授が指摘しているように、もしこの理論が正確であるとすると、そのように財政収入のシステムの改革を通じて、統治の質量が非常に劣ったあるいは依然として非常に大きく空間を広げる国家が、良好な統治を実現することができるのである。発展途上の国家の統治の質量を改善するためには、こうした国家が主に租税に依拠して財政収入を調達し、真の租税国家へと向かうことを奨励すべきであり、たとえばレント収入のように容易に獲得できるような、あるいは政治的および行政的に大した努力を必要とせず獲得できるように財政収入に、大きく依存しないことである。
 租税国家では、国家は主に民間部門(民間の企業と家庭)に対する徴税を通じて財政収入を調達する。これは国家の社会に対する依存を深めることになるが、それは国家を建設すると同時に近代国家に不可欠の公民意識を形作ることを可能にするものである。事実、まさに徴税をめぐって展開している国家と社会の密接かつダイナミックな相互作用のなかで、公民の地位ははじめて形成かつ発展していくものである。まさにアダム・スミスが指摘するように、徴税は一種の道具を提供するものであるが、この道具を通じて人民は「ある種の共同的な公民的地位の感情へと包摂されていく」のである。同様に、このように国家の自律性が低下することがあったとしても、こうした国家建設の道は国家に対して更に社会に対する説明責任を加え、さらには国家の統治の正当性を高めることも有りうるのである。最後に、このような税制収入の調達は比較的高い行政コストを支払うことを必要とするものであるが、これもそれに応じた国家の能力の強さを高めることが有り得る。まさにF・フクヤマが指摘するように、経済と社会に対する発展について言えば、国家の能力の強さは国家の職能の範囲よりもさらに重要である。そして、社会の中から租税を調達する国家の能力は、資源の輸出あるいは独占を通じて獲得した収入よりも、よりよく国家の能力の強さを説明し得るものである(福山 2007:20-21)。
 中国の将来の国家の建設について言えば、この研究は重要な啓示があることを明らかにしている。1978年の経済改革以来、中国は自給自足国家――おもに国有企業を中心に財政収入を調達する――から租税国家へと転換しはじめた。しかし、たとえ予算内の収入を考慮に入れたとしても、中国以前として「半租税国家」でしかない。租税国家の転換と同時に、中国はさらに自給自足国家の遺産を依然としてとどめており、同時に一定のレンティア国家の特徴も兼ね備えている。将来においては、税制改革が推進され、さらに土地出譲金(国有地を払い下げて得た譲渡費用――引用者註)が次第に先細りになるに従って、まさに中国はもはやレンティア国家の特徴を持たなくなり、中国はさらに租税国家へと転換しようとしている。しかし、歴史の慣性およびイデオロギーの影響のために、国有企業は国家財政システムの中で演じている非常に重要な役割を継続させており、中国は依然として一つの混合型の財政国家、つまり租税国家と自給自足国家の混合である(马骏,《中国财政国家转型研究:走向税收国家?》,《吉林大学社会科学学报》第1 期、2011年)。最近、中央の国有企業の利潤が上昇し続けているだけではなく、多くの地方で「大きく強い」国有企業の戦略を推し進めている。不確定性に満ちた現代市場経済及び日々分化していく社会に直面して、国家は社会に対する依存の程度が比較的小さな資源を掌握し、国家に一定の自主性を持つよう確保させるべきであり、そこから有効に社会、経済の領域で出現する差様々な不確定性とリスクに対抗することができるようになる。このように、国有企業を完全に民営化するという種類の主張の観点は、検討する価値がある。しかし、現在気がかりなのは、ますます多くの人がさらなる「大きくて強い」国有企業を支持しているように見えることである。こうしたやり方が中国経済に対していかなる影響生み出すのか、たとえば経済改革に対する後退を出現させるのか否かは、ほとんど議論されていない(暂不讨论)。本稿で示そうとしたのは、こうしたやり方が中国の国家建設及び統治の質量に対する不利な影響を生み出すというものである。まさに財政社会学が我々に伝えているように、非常に大きな程度において、国有企業の利潤の国家と社会の関係及び国家建設に対する影響と、レンティア国家が作り出す影響とは同じものであり、それらは国家の自律性を過度に高め、国家の社会に対する依存を減らすものであり、その結果として国家の社会に対する要求等の応答可能性も低下していくことになる(Campbell,1996;马骏,2011)。そして、まさに1980年代とくにそれ以前の自給自足国家の歴史的経験が我々に伝えているのは、もし国有企業のカバーする範囲があまりに広大すぎると、国有企業の利潤は国家の財政に対して正の貢献を行うことは不可能であるということである。つまり、我々は国家の経済と人民の生活(国计民生)に関わる領域で国家は国有企業を掌握できるし、またすべきであるとしても、国有企業は過度に大きるべきではないと考えている。同様に、土地出譲金のようなレント収入がもし規模が大きくなりすぎても、国家の建設と統治の質量に対して負の影響を生み出すことになるだろう。
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 「財政社会学」に関する論文。馬駿は中山大学中国公共管理研究センターの行政学者。温明月はどういう人が不明だが、おそらくは馬駿の指導する大学院生であろう。

 財政社会学というのは、一言で言うと徴税や歳出といった国家の財政活動が、人々の社会意識や政治の正統性に対していかなる影響を与えるのかを明らかにしていく学問である(財政社会学の学説史と概要については、井手英策「財政社会学とは何か?」『エコノミア』第59巻2号、2008年を参照)。財政社会学は戦費の増大とインフレで財政危機が深刻化した一次大戦末期のドイツ語圏で登場し、戦間期の一時期に盛り上がりをみせたが、二次大戦後の冷戦体制において、西側諸国では経済成長が自動的に税収の問題を解決してしまったこと、そして社会主義国が理念的に反「租税国家」の体制であったことで、財政社会学は全く顧みられなくなってしまった。

 しかし、1970年代後半以降にT・スコチポルなどの英語圏の歴史社会学派が近代化論を批判する形で国家形成の比較研究に取り組むようになり、そこでかつての財政社会学の研究が参照されたこと(特に戦時財政コストと革命の関係など)、さらに世界的に経済成長が停滞して「福祉国家の危機」が叫ばれるようになったことで、1980年代以降に「財政社会学」を掲げる研究が次第に復活していくことになる。もっとも、「財政社会学」という領域で研究者がまとまりはじめたのは、この数年のことに過ぎない。2009年に、この論文でも言及されているThe New Fiscal Sociology: Taxation in Comparative and Historical Perspectiveという論集が出ているが(未見)、「財政社会学」を主題とした雑誌や論集はこれが最初と思われる。

 中国はGDP成長率を超えるペースで毎年2割ずつ税収が増えている状態なので(エコノミストたちは富裕層減税を主張している)、本来は財政社会学が必要とされるような状況ではなく、この論文もアフリカの国家を実証的に統計分析しているものの、全般的には海外の研究を紹介するという意味合いが強い。ただ、少なくとも形式的には皆保険・皆年金体制を構築し、将来的に財政圧力が強まることは確実なので、来るべき脱工業化と低成長期に突入するにつれて中国でも重要な研究になっていくものと思われる。

 この論文では、財政国家を「租税国家」(議会と法の手続きに基づく徴税)「自給自足国家」(社会主義体制)「レンティア国家」(中東の産油国など)の三つに類型化し、さらに財源調達のアプローチとして①議会制民主主義(租税国家)、②独占的な資源利潤(レンティア国家)、③企業や団体・集団に対する個別の交渉(自給自足国家・レンティア国家から租税国家への過渡的体制)の三つに分けている。「レンティア国家」というのは、中東研究で既に用いられているのでここでも使ったが、自分であれば「資産所得国家」と訳したい。このように徴税の仕組みが政治体制のあり方に大きく影響している(つまり徴税システムがレンティア国家であると制度的に議会制民主主義を敷いても機能する可能性が低い)、というのが財政社会学の視点である。

 もともと中国の税制は、社会主義体制から1990年代初頭までは地方で徴収した税金を中央に上納するという体制がとられていて、所得税も消費税も存在しなかったのであるが、1994年に税制の抜本的な改革が行われ、地方政府と中央政府の財政が分離され、所得税や日本の消費税に相当する増値税などが導入された。中国の税収は、一般の商品にかかる増値税(17%)が税収の3割近くを占めており、あと法人税である企業所得税が2割弱となっていて、かなりの程度「租税国家」になっているようにも見える。しかし馬駿によると、中国の税収はその比率は下がっているとは言え3割強が国有企業部門なので、中国は自給自足国家から租税国家への転換の過渡期にある「半租税国家」に過ぎないという。しかもこれは国税レベルの話で、地方政府のレベルになると土地譲渡金(中国は建前上は土地は国有なので文字通りの譲渡ではなく貸与)の収入が重要な財源となっていて、「レンティア国家」の性格が強い。そもそも、経済成長による税収増に依存した財政や社会保障政策のあり方自体が「レンティア国家」的であり、この点では増税抜きの財政再建や社会保障制度構築を行ってきて今に至っている日本が反面教師となるのかもしれない。