史報

中国史・現代中国関係のブログ

「親しいから信用する」から「利益になるから関わる」への人間関係における信頼の転換

2011-12-29 08:59:13 | Weblog
朱虹「『親しいから信用する』から『利益になるから関わる』への人間関係における信頼の転換――人間関係信頼状況の実証研究」『学海』2011年第4期 
http://www.sociology2010.cass.cn/upload/2011/12/d20111211194359250.pdf


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結論と議論――人間関係の信頼の転換

 私たちの研究が明らかにした親疎とはつまり、中国人の人間関係の信頼が生み出す重要な要素であるが、決して唯一の重要な要素というわけではなく、西洋社会が唱える人格、能力、交流のプロセスなどの理性的な要素は信頼を生みだす過程で重要な役割を果たし始めている。私たちが家人と熟人という二種類の典型的な親近関係を選んで、「親しい人を信用する(親而信)」という人間関係の信頼モデルが依然として有効かどうかを検討した。

「子供が老後を養う(養児防老)」は、血縁関係の伝統的な役割規範に基づくもので、疑いことのできない信頼関係であるが、今日の両親はもはや完全に子供に老後を養ってもらうことは期待できず、そこで新しい養老モデルである「家を老後の保障とする(養房防老)」が出現することになった。インタビューのなかでは、非常に多くの人が「家を持ったからと言って老後は安心できない」という観点を表明しているものの、「養児防老」に比べると、より多くの都市民がやはり「養房防老」のほうが良いと考えている。

 夫婦関係の親密さと相互扶助の役割規範は、依然として人々の共通理解であり、ゆえに伝統農村の農民であろうと現代都市の市民であろうと、「夫婦も所詮は赤の他人(夫妻本是同林鳥,大難臨頭各自飛)」という言い方には賛同しないのである。「婚前財産公証」(結婚する前にお互いの資産や債務を公開する)を支持するかどうかは、婚姻関係の未来の予測に対する風向計である。結婚家庭は長期にわたってずっと中国人が最も頼るべき生活共同体であり、家人が最も信用されるのはある種の社会的な態度というだけではなく、まさに信仰そのものである。アンケート調査とインタビュー調査の結果が示しているのは、婚姻関係に脆弱さに直面すると、農村の人は拒否の態度をとり、都市の中年は苦しみ悶えてどうしたらいいのか分らなくなり、新世代の若者は結婚リスクを避けるための制度的な信頼――財産公証を自ら選択している。牢固として破りがたい家人の間の原始的な役割の信頼のなかに、利害関係の計算が出現しはじめているのである。

 これと同時に、熟人の間の信頼関係の確立は、よりおおく人間関係の交流プロセスのなかで生まれた認知によるものであって、それはアイデンティティ(認同)に依拠するもので、もはや役割関係からもたらされる感情的な結合によるものではない。信頼は一種の社会的な態度として、それは認知と感情の両面から構成されるものであるが、伝統的な「親しい人を信用する」というモデルは、人々の重視しているのが関係であり、近親者の役割規範に対する深い信頼が疑われることはなく、そこから情感的な信頼が生み出されるようになるものであった。今日、熟人の間の信頼は、より多く理性的な認知であって情感的な信頼ではない傾向がある。見知らぬ人が伝統的な熟人社会では警戒して疑うべき者であったが、都市は見知らぬ人によって構成された社会であり、大量の社会的な相互作用が見知らぬ人の間に発生している。

 私たちは見知らぬ人に対して、人々が「老人に手を差し伸べる(搀扶老人)」かどうかという、人々が簡単な(举手之劳)義務と倫理を履行できるかどうかを調査した。半分以上の調査者が示したのは、責任を恐れて、証言する人がいなければ敢えて助けたりはしない、というものであった。今日、老人に手を差し伸べること、こんなにも大きな信頼リスクになってしまっているのであり、頭のよい老人の中には、通行人の利害均衡の複雑な心理をよく洞察した後に、まず野次馬に向かって「私は自分で転んだんだ」と大声で明らかにし、助ける人の信頼リスクを解消して速やかに救助を得ようとする者もいるかもしれない。

 金銭の貸し借りの問題は、利益や信頼の程度に連関している。調査が明らかにしたのは、基本的に金銭の貸し借りは家人と熟人の間でのみ発生しうるものであり、近親関係は依然として重要な信頼の基礎であるが、それは金銭の貸し借りの前提条件に過ぎず、貸す貸さないのカギとなる要素は信望と償還の能力ということである。多くの人が語ったのは、借用証や証人の存在も自分が相手にお金を貸すことを促したりはしないが、貸すことに同意した後は、ルールを決め(靠谱)、道理をわきまえている人は一般的にみな、主体的かつ明確に借用書をつくり、人にいくらかの安心感を与えることである。日常生活の世界における信頼の事件に対する分析で、私たちは関係への志向と利益への志向が、いかに複雑に絡み合って信頼の発生プロセスのなかに存在しているのかを見た。人間関係の信頼モデルは、まさに「親しい人を信用する」から、「利益になれば関わる」ものへと転換しつつある。

 では、こうした信頼モデルの転換はいかにして発生しているのだろうか。ここでは、近代性(現代性)とリスク社会という、西洋の社会学における二つの重要な概念に言及しておきたい。近代性は17世紀の資本主義の萌芽時期にはじまり、ゆっくりとした発展と完成を経て、今に至るまで世界の範囲で重要な影響力を有する行為の制度とモデルである。近代性は人類社会発展の必然的な趨勢と言うことができ、科学技術の発展、生産効率の向上、情報ネットワークの膨張と文化の変遷、社会関係の変化などはみな近代性の産物である。近代性の発展は一方では人類にわかりやすい福音と便利さをもらたしたが、他方では社会と人類そのものに分裂と衝突をもたらしている。近代性への邁進は過去との決別を意味せざるを得ず、現代生活を追及するために、人々はもともと慣れ親しんだ生活方法から離れなければならないが、近代性と伝統型は一種の対立概念となっている。この種の対立は、道を歩いている時に突然階段に出くわしたようなものであり、階段の高さはそれほどではないが、一時的には適応が困難であり、不安と心配は避けられない。工業化を主要な標識とする社会変動は人類の社会生活の「不安」を引き起こし、近代性とは「不安に対するいある種の回答を追及していく」ものになっているのである(达尼洛・马尔图切利『现代性社会学』译林出版社, 2007 年)。

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 ある程度から言えば、リスクは近代性の産物であり、人類社会はリスク社会へと変化している最中にある。中国社会について言えば、伝統社会からリスク社会への転換は中国社会の発展のその変動プロセスのなかに巨大な断裂を生み出し、これよって人間関係の交流のなかの信頼危機が引き起こされている。伝統的な中国社会の状況の下では、農業社会の基本的な特徴は人々を一つの相対的に固定された地域で生活させ、血縁、遅延を主要な特徴とする「熟人社会」を形成していることにある。人々の間は対面的で場所に基づく熟知と了解に依拠したものとなり、熟人社会が共有するところの行為規範や風俗習慣を制約として、人々の間の交流も出るは血縁、親情および遅延を紐帯と保証とするという、こうしたモデルの下で、人間関係の間に一種の「親しいから信用する」という信頼のモデルが形成されたのである。

 近代性と高いリスクは中国社会の転換の主要な特徴である。この種の社会変動の状況のもとで、人々の活動は閉鎖的な地域の中で分離されたものから、伝統的な地域の制限が打破され、伝統的、安定的、長期的で予見可能な人間関係は次第に変化し、短期的、匿名的な交流のモデルがそれに取って代わった。つまり、急激な社会流動が人々に多くの短期的な交流をもたらし、人と人の間の関係は次第に複雑多岐になり、これは人々に憂慮と不安を与えることになったのである。いかにして、この種のリスクに随伴してもたらされる否定的な感情を減らすことができるのは、最も穏当な方法はすべての力を尽くして可能な限りリスクを避けることであり、これは児童と高齢者が比較的信頼される原因でもある。児童と高齢者は実のところ社会のなかに弱い集団に属しており、こうした弱い集団はコントロールされていることから来る安心感を人々に与えている。このほか、リスク社会は非常に多くの誘惑と不確定要素を生み出しており、市場経済が中国社会にもたらしている多くの利益紛争とゲームの権力競争や関係は、もはや信頼の生産や維持の保証にはならず、人々は理性的な利害の得失を通じて、例えば他人の品格や能力を信頼し、「家を老後の保障とする」ことを準備し婚前財産公証などは、人間関係の信頼リスクを下げることを期待してものである。

 「親しい人を信用する」から「利益になれば関わる」への信頼モデルの転換は、社会転換によってもたらされたものである。ただ、私たちがいますぐ必要としている思考は、人間関係の信頼がいかにして新しいメカニズムで新しく再建されてるのか、ということにある。社会の信頼の基礎がいかにして人間関係の信頼から制度の信頼への転換できるのか。「利益になれば関わる」という人間関係の信頼モデルがもたらす中国社会の歩む方向はどのようなものだろうか。


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 中国における人間関係の信頼モデルの変化に関する研究。朱虹は南京大学副教授の社会学者で、リースマンの『孤独な群衆』を翻訳したりしているが、専門領域はあまりはっきりしない。

 社会学における「信頼(trust)」というのは、具体的に知っている人を信用するということではなく、抽象化された専門家システムに対する漠然とした依拠や、公園や電車などの公共の場における「儀礼的無関心」を意味するものである。「信頼する」という行為は、自分がその対象についてよく知らないからこそ生じるものであり、ゆえにそれは常に潜在的な「リスク」を抱えているものである。

 この論文は社会学の信頼研究を踏まえてないこともあり、個々の事例は先般の女児轢き逃げ事件を思わせるものもあって興味深いのだが、「熟人」社会から匿名性の高い社会への転換に伴い、信頼が「親」から「利」に基づくものへと変容しているという、いささか凡庸なまとめになっている。しかし、伝統的な社会学の文脈からすれば、匿名性が高い社会において「利」に還元できない信頼のメカニズムが生まれているはどうしてなのか、という視点こそが重要になる。

 それにしても、中国の社会学論文は「現代化」のなかで「熟人」社会から「陌生人」の社会に変わったという図式を用いてまとめるものが多いが、事例の豊かさを単調・平板にしている印象は否めない。中国社会が依然として「脱農業化」の途上という背景にはあるにしても、中国における社会学理論研究(特に歴史社会学系)の手薄さが象徴されていると言えるだろう。

現代中国における社会福祉の学術思想序説

2011-12-10 08:16:03 | Weblog
畢天雲「現代中国における社会福祉の学術思想序説」『学術探索』2011 年6 月
http://www.sociology2010.cass.cn/upload/2011/11/d20111128100519500.pdf


1 中国社会福祉価値理念論

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2 社会福祉発展目標論

 社会福祉の発展目標は中国社会建設の中の重大問題であり、中国共産党が第17回全国代表大会(2007年)で「民生の改善を重点とする社会建設の推進を加速させる」ことを提示した後、学術界ではこれに対する熱気に満ちた議論が展開され、「中国福祉社会論」が提示されている。

(1)中国福祉社会概念の提出
 2007年以来、中央から地方まで明らかに社会福祉システムの建設のプロセスが加速し、新しい社会福祉政策が次々と登場し、社会福祉の投入は年を追って増え、社会福祉がカバーする範囲は日に日に拡大し、都市と農村を統合する社会福祉システムがまさに形成されつつあり、「中国福祉社会」の概念がこの機運に乗って生まれている。2008年1月に、徐道穏は「発展型社会政策で発展型福祉社会を構築する」(『深圳大学学報』2008[ 1])という一文の中で、「発展型福祉社会」の概念を提示し、2008 年10月には、鄭功成が『中国社会保障改革と発展戦略———理念、目標と行動方法』(人民出版社、2008年)という本で「中国の特色ある社会主義福祉社会」の概念を提示し(42頁)、劉継同が「社会福祉制度の戦略の上昇と中国の特色ある福祉社会の構築」(『東嶽論叢』2009[ 1])という文章で「中国の特色ある福祉社会」の概念を提示し、2009年3月には康新貴が「多元化する福祉社会――中国発展の道に対する探求」という文章で、「多元的福祉社会」の概念を提示し、2009年8月には景天魁らが「中国の特色ある福祉社会を建設する意義」(『社会科学論壇论坛』2、2009年)という文章で、「中国の特色ある福祉社会の建設は、中国の特色ある社会主義社会建設の遠い先の目標である」と提示している。

(2)中国福祉社会の基本的な意味
 筆者(畢天雲)が提案するのは、人々が「社会」概念を異なる意味で使用しているため、「中国福祉社会」もまず「社会」という言葉が定義する範囲を明確にすべきだということである。「社会」という言葉は、異なるレベルから解釈される。広義の社会は、「自然と社会」のように自然界に対する人類の共同体を指し、中義の社会は「経済と社会」のように経済に対する社会を指し、狭義の社会は経済、政治、文化に対する社会を指すものである。「中国福祉社会」のなかの「社会」概念は、おもに狭義の「社会」を指すものである。この意味において、中国福祉社会は実質的には中国の特色ある社会主義の社会形態を指すものであり、中国の特色ある社会主義の経済形態や政治形態、文化形態とは区別される。このように、「中国福祉社会」は「中国の特色ある社会主義社会」の一つの構成する部分にすぎない。筆者の考えでは、中国の特色ある社会主義の社会形態としての中国福祉社会は、人を根本として民政を重んじ、人民の福祉の増進を目的とする社会であり、それは三つのレベルの意味を含むものである(畢天雲「論中国特色福利社会」『雲南60 年――理論与実践刷新』雲南大学出版社、2009年、420-422頁)。
 第一に、人を根本とすることが中国福祉社会の「価値立脚点」であることである。社会発展の結果の最終的に、「物の蓄積」と「人の発展」という二つの点に体現されており、究極的な意味からいえば、「人を本とする」「物とを本とする」という二種類の価値選択に他ならない。「人を本とする」という価値選択を堅持することによってのみ、はじめて福祉社会を生み出すことができ、中国福祉社会となりうるのである。人を根本とすることを堅持することは、すべてを人民の根本の利益と要求から出発して、「物の蓄積」を手段として「人の発展」を目的とし、最も広範な人民の根本利益をよりよく実現、維持することに努力しなければならない、ということである。
 第二に、「民生を重んじる」ことは、中国福祉社会の「現実の出発点」であることである。「人を本とする」における人は、現実的で具体的な人であり、「人を本とする」というのは抽象的な理念に留まるものではなく、必ず「現実の人」の身の上に実行されなければならない。第17回全国代表大会では明確に、「民生の改善を重点とする社会建設の推進を加速させる」ことが提示され、「人を本とする」の実質は「民を本とする」に、「民を本とする」の基礎は「民生を重んじる」こととされた。ここにおいて、「人を本とする」という中国福祉社会が、「民生を重んじる社会」に具体的に転化したのである。民生の角度から見れば、中国福祉社会も全体人民の「学ぶ者には教育を、労働には所得を、病気には医療を、高齢者に養育を、住みたい者に住居を(学有所教、劳有所得、病有所医、老有所养、住有所居)」という社会として理解することできる。
 第三に、「人民の福祉の増進を目的とする」は、中国福祉社会の「最終的なゴール」である。これは社会主義の本質、社会主義の生産目的、党の根本的な主旨と執政理念によって決定されるものである。小平が語っているように、「社会主義の本質は、生産力の解放し、生産力の発展、搾取の消滅、両極分化の解消によって、最終的に共同富裕に到達すること」なのである(小平『小平文選』第三卷、人民出版社、1993年、373頁)。中国福祉社会の建設とは、全体の人民の共同富裕を実現し、社会主義の本質を堅持することの必然的な要求であり、必ず通るべき道なのである。社会主義の生産目的は、人民の日に日に増える物質的・文化的な需要を満たすためのものである。すなわち、中国福祉社会の建設を通じて、人民大衆の物質的・文化的な要求を満たし、中華民族の生活の質量を上昇させるものである。全身全霊で人民に奉仕することが党の根本主旨であり、「立党は公のため、執政は民のため」は党の執政理念であり、福祉社会を建設することは党の宗旨と理念の実現に有利である。

(3)中国福祉社会を建設する必要性
 景天魁らは二つの点から中国福祉社会建設の必要性を描き出している。第一に、福祉社会の建設は社会発展の必然であるということである。・・・第二に、福祉社会の建設は後代の人民大衆の現実的な要求だということである。・・・

(4)中国福祉社会建設の実行可能性
 筆者は、新中国成立から60年余りの発展を経て、中国が福祉社会を建設する条件は既に備わり、その時機はすでに成熟していると考えている(畢天雲「試論建設中国特色福利社会的可行性」『学術探索』[増刊]2009年)。
一つは、思想的な基礎である。中華民族には独特の福祉思想の淵源があり、自らの社会福祉思想を有している。たとえば、「人は、一人として、自分の親のみを親、自分の子のみを子としない。老人にはその生涯を終える所、壮年者には仕事をさせる所、幼年者には育つ所があり、矜(妻を亡くした男)、寡(夫を亡くした婦人)、孤(父母を亡くした子)、独(子の無き老人)、廃(不具者)、疾(病人)、これら皆を養う」という「大同社会」は、ずっと中華民族が孜々として求めてきた社会の理想である。毛沢東が唱える「全身全霊の人民のための奉仕」や、小平が掲げる「共同富裕」、江沢民の主張する「三つの代表」の重要思想、胡錦濤同志を総書記とした党中央の提出する科学発展観は、中国の特色ある福祉社会を建設するために提示された、確固とした理論的な基礎である。
 二つは経済的な条件である。60年あまりの発展を経て、我が国の経済的な実力は日増しに強まり、経済の総量は世界第二に躍進し、福祉社会のための堅実な経済的基礎を打ち立てた。
 三つには実践的な基礎である。中国の建設する福祉社会は「白紙に絵を描く(白手起家)」ものではなく、より現実の実践的な基礎を有している。60年あまりの建設を経て、我が国はすでに、主には就業保障制度、最低生活保障制度、養老福祉制度、健康福祉制度、教育福祉度と住房保障制度など、初歩的に都市と農村をカバーする福祉システムを築き上げている。
 四つには時機の成熟である。グローバルな金融危機の爆発は、中国が建設する福祉社会のための一つの非常により歴史的な「契機」を提供した。2008年後半以降、グローバル金融危機のマイナスの影響は、既に輪額の経済社会の生活のなかに次第に現れるようになっている。つまり、金融危機を背景とした保障と民政の改善の機会は、福祉社会を建設するまさにその時なのである。府福祉社会の建設を通じて、社会保障への投資を増加し、社会保障の能力を強化することは、全国人民の金融危機に対する対応と抵抗を強化していくだけではなく、人民大衆の消費心理指数を上昇させ、住民の家庭消費と国内需要を喚起し、中国経済の持続可能な発展が可能になるのである(景天魁・畢天雲「従小福利邁向大福利――中国特色福利制度的新階段」『理論前沿』2009年)。


3 中国社会福祉発展モデル論

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 畢天雲は1968年生まれの社会学者で、雲南師範大学に所属している。『社会福祉の場のハビトゥス―福祉文化民族性の実証研究』という題名の著書があるように、ブルデューの場の理論を用いて社会福祉の思想・文化を研究しているようである。

 ここで頻繁に語られる「中国に特色ある福祉社会」は、一見したところ1980年代の日本で隆盛した「日本型福祉社会」を思わせるが、そうではなく「中国の特色ある社会主義」と関連する概念である。要するに西欧型の福祉国家が、市場経済と私有財産制を基礎にし、階級対立を制度化するものであるのに対して、「中国福祉社会」はあくまで中国共産党の「社会主義」を基礎にしているというわけである。

 ただし、「中国に特色ある福祉社会」の具体的な内容を読んでみると、通常の西欧型の福祉国家に近い。「人を根本とする」というのも、失業や疾病に対する保障よりも教育や保育、職業訓練などの人的投資を重視するようになっているという、近年の福祉国家のトレンドに即したものであり、どこが「中国特色」なのかは、中国の古典や共産党指導者の概念や言葉を参照しているという以上の意味は正直よく理解できないところもある。畢天雲の他の文章を調べてみると、北欧型でもアメリカ型でもない、儒教文化的な「中庸の道」として「中国福祉社会」が説明されているが(http://www.chinaelections.org/newsinfo.asp?newsid=204245)、正直なところ内容空疎である。あくまで、中国共産党の政策イデオロギーの要請に応じて、それを「解説」したものと理解されるべきなのだろう。

 現状の中国が国際比較に堪え得るような「福祉国家」かどうかという問題をひとまず措くとすれば、古典的な「残余的/普遍的」という二分法的類型では残余的であり、エスピン-アンデルセンの「自由主義」「保守主義」「社民主義」の三類型では自由主義的な性格が強いことは、間違いないだろう。しかし、ここで語られている「中国に特色ある福祉社会」は、ほとんど普遍主義的かつ北欧型社民主義のそれである。事実、2000年代以降の中国共産党も、80年代の自由主義的社会保障改革の失敗の反省から、普遍主義的な方向の改革に転換していることは確かである。しかし、都市・農村および職種や地域・自治体ごとの制度的および給付水準の格差の問題や、農民工や貧農などの低所得層の保険加入のインセンティヴ低下(これに急激なインフレが拍車をかけている)の問題などが大きなハードルとなって、残余的自由主義の性格は基本的に改まっていない。

 本当に「中国に特色ある福祉社会」を確立していくのであれば、「日本型福祉社会」のイデオローグだった村上泰亮が高度成長期の日本の近代化の独自性を理論化したように、中国の近代化に関する独自の理論が必要になるだろう。ただ、そうした理論の登場は中国の経済成長が一段落するまで待たなければいけないかもしれない。