史報

中国史・現代中国関係のブログ

中国の国情

2008-11-27 15:05:10 | Weblog
「改革の遅れの口実にならない―「国情」理解の落とし穴 中国を読み解く視点(73)」高井潔司(北海道大学教授)

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=1127&f=column_1127_003.shtml


これを読んでひとつ書きたくなった。

私は基本的にどの国にも「国情」はあり、抽象的な民主や自由よりも「国情」が大事であると考える人間である。高井さんも言うように「国情」も常に変化するのだが、それは「民主化」のために変化すべきだということには決してならない。

競争選挙制度、議会制民主主義は多くの国で導入されているが、健全に運営されているところとなると、ほとんど限られている。韓国やタイの相次ぐデモは、議会政治の機能不全を示す以外の何者でもないし、アフリカ諸国にいたっては選挙のたびに紛争が起こっているという印象がある。日本ですら「郵政解散選挙」以来、やや怪しくなってきたと思っている。

議会制民主主義は、平等で高度な識字率、マスメディアの普及、安定した有権者登録・管理といったことが条件となって、はじめて健全に運営される。中国では基本的な識字率は文革期に達成しているものの、それ以外のことは依然として沿岸都市部の中間層以上でしか条件を満たしていない。

中国の農村部では日常的にデモ・暴動が起こっているが、私は別にこれも平和裏に展開される限りでは、民主主義の一形式として理解してもかまわないと思う。国民の政治的な意思表明は、選挙で投票したり、メディ上で自由に意見を発表したりということに限られるべきではない。むしろ、選挙権や表現の自由をなどを形式的に保障したところで、そこから零れ落ちる人々の疎外感をいっそう強めるだけである。

文化大革命以前は、議会制だけが民主主義なのではなく、それ以上のよりよい民主主義の姿があるはずだ、中国はむしろ民主主義の最先端を行っているのだ、という意見が決して少なくなかった。これが今から見て失笑ものであり、現実に無残に破綻したからといって、中国には中国社会に適した民主主義がある、そしてそれが現在の生気を失った議会制民主主義に新しい活力を与える可能性すらある、という発想自体を捨て去るべきではないと考える。