こないだの汪暉の文章の続き。
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抗議運動は一種の尊厳政治である
チベット問題は、複雑な歴史的条件のもとで生み出された現象であり、それは中国の市場化改革とグローバル化のプロセスが直面している危機が屈折しているものである。しかし、西洋の世論はまさにこれを深刻にしようと西洋世界自身の数世紀の運動と密接に関わっている問題を捻じ曲げて反中国さらには反華人の大合唱を起こしたとき、特に西洋に身を置いている中国の若い世代が、西洋社会の差別的なイデオロギーを深く抱かせるような若者への言葉に対して、精神的に受けた傷と衝撃には深刻なものがあった。西洋の世論は自らの植民地の歴史とそのほかの場所で作り出した被害に対して反省することができないだけではなくて、かえって尊厳を守り平等な政治を追求しようとする運動に「過激なナショナリズム」の汚名を着せているが、これはこうしたメディアの無知と偏見を表していることのほかに、結局のところどのような政治的なコントロールが存在しているのかも、深く研究する価値のある問題である。これは文明の衝突というものではなくて、「無知の衝突」という外から加えられた新しいタイプの冷戦政治である。
いかに今度の大規模な社会運動が多様な内容を含むものであったのか、この運動に参加できなかった全ての人のために解釈してみたい。しかし私は、この運動を「偏狭なナショナリズム」とは純粋に区別することなく説明しようと考えている。まず、この運動はCNNのようなヘゲモニーを有するメディア中国と中国人民に対して屈辱的で種族主義的な言論に対して、海外留学生が覇権に反対し、正義を回復することを動力とする一種の尊厳政治なのであり、その中には平等に承認されている要求も含まれている。まさか尊厳を求めることを「偏狭なナショナリズム」と言うのだろうか。
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四川大地震では、中国の若い世代が見せた献身の精神は、こうした社会共同体に対する愛着と密接に関係している。この地震の中心地区はアバ・チベット族・チャン族(羌族)自治州であるが、そこでは地区内に住んでいる各民族のなかにはチベット族同胞も復員で折、彼らは全国各地からのボランティアたちが種族的あるいはエスニック集団の視線を用いることなく、被災者を扱っていた。こうした意識は、とりわけ今まで人々の意識あるいは潜在意識に入ってこなかった意識であり、彼らは自らの同胞を救うために奮闘したのである。「多元一体」の紐帯は、このような深い感情と助け合いの行動のなかで現れるのである。
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ほとんど中国共産党のスポークスマンのような、90年代の日本で流行した国民国家・ナショナリズム批判がすべてきれいに当てはまるような内容。もう少し訳すつもりだったが、内容があまりにひどくてやめた。日本だったら間違いなく「右翼」だが、中国ではこれでも良識的な左派なのだから恐ろしい。汪暉ということで少し期待した自分が馬鹿だった。
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抗議運動は一種の尊厳政治である
チベット問題は、複雑な歴史的条件のもとで生み出された現象であり、それは中国の市場化改革とグローバル化のプロセスが直面している危機が屈折しているものである。しかし、西洋の世論はまさにこれを深刻にしようと西洋世界自身の数世紀の運動と密接に関わっている問題を捻じ曲げて反中国さらには反華人の大合唱を起こしたとき、特に西洋に身を置いている中国の若い世代が、西洋社会の差別的なイデオロギーを深く抱かせるような若者への言葉に対して、精神的に受けた傷と衝撃には深刻なものがあった。西洋の世論は自らの植民地の歴史とそのほかの場所で作り出した被害に対して反省することができないだけではなくて、かえって尊厳を守り平等な政治を追求しようとする運動に「過激なナショナリズム」の汚名を着せているが、これはこうしたメディアの無知と偏見を表していることのほかに、結局のところどのような政治的なコントロールが存在しているのかも、深く研究する価値のある問題である。これは文明の衝突というものではなくて、「無知の衝突」という外から加えられた新しいタイプの冷戦政治である。
いかに今度の大規模な社会運動が多様な内容を含むものであったのか、この運動に参加できなかった全ての人のために解釈してみたい。しかし私は、この運動を「偏狭なナショナリズム」とは純粋に区別することなく説明しようと考えている。まず、この運動はCNNのようなヘゲモニーを有するメディア中国と中国人民に対して屈辱的で種族主義的な言論に対して、海外留学生が覇権に反対し、正義を回復することを動力とする一種の尊厳政治なのであり、その中には平等に承認されている要求も含まれている。まさか尊厳を求めることを「偏狭なナショナリズム」と言うのだろうか。
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四川大地震では、中国の若い世代が見せた献身の精神は、こうした社会共同体に対する愛着と密接に関係している。この地震の中心地区はアバ・チベット族・チャン族(羌族)自治州であるが、そこでは地区内に住んでいる各民族のなかにはチベット族同胞も復員で折、彼らは全国各地からのボランティアたちが種族的あるいはエスニック集団の視線を用いることなく、被災者を扱っていた。こうした意識は、とりわけ今まで人々の意識あるいは潜在意識に入ってこなかった意識であり、彼らは自らの同胞を救うために奮闘したのである。「多元一体」の紐帯は、このような深い感情と助け合いの行動のなかで現れるのである。
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ほとんど中国共産党のスポークスマンのような、90年代の日本で流行した国民国家・ナショナリズム批判がすべてきれいに当てはまるような内容。もう少し訳すつもりだったが、内容があまりにひどくてやめた。日本だったら間違いなく「右翼」だが、中国ではこれでも良識的な左派なのだから恐ろしい。汪暉ということで少し期待した自分が馬鹿だった。