尹文子-Ⅳ
大道下
5 語曰:「佞辯可以熒惑鬼神。」曰:「鬼神聰明正直,孰曰熒惑者?」曰:「鬼神誠不受熒惑,此尤佞辯之巧,靡不入也。夫佞辯者,雖不能熒惑鬼神,熒惑人明矣。探人之心,度人之欲,順人之嗜好,而不敢逆。納人於邪惡,而求其利。人喜聞己之美也,善能揚之。惡聞己之過也,善能飾之。得之於眉睫之閒,承之於言行之先。」
・語に曰く、「佞辯は以て鬼神を熒惑(えいわく)すべし。」と。曰く、「鬼神は聰明正直なれば、孰か熒惑する者と曰ん?」と。曰く、「鬼神は誠は熒惑を受けず、此れ尤も佞辯の巧は、入れざる靡(な)きなり。夫れ佞辯なるは、鬼神を熒惑する能わずと雖も、人を熒惑すること明らかなり。人の心を探り、人の欲を度(はか)り、人の嗜好に順い、而して敢えて逆らわず。邪悪に人を納めて、其の利を求む。人は己の美を聞くことを喜び、能く之れを揚げることを善しとす。己の過ちを聞くことを悪み、能く之れを飾ることを善しとす。之れは眉睫(びしょう)の間に得られ、之れは言行の先に承ける。」と。
・諺に、「追従は鬼神をも惑わす」とある。また、「鬼神は聰明で正直だが、一体誰が惑わすのか?」とある。さらに、「鬼神は本当の所惑わされはしないが、追従と云う行為の見逃してはならない巧みな点は、どんな所にも現れると云うことだ。この追従と云うものは、鬼神を惑わすことが出来ないと云っても、人を惑わす行為であることには間違いない。人の心を探り、人の欲望を推し量り、人の嗜好に取り入り、そして敢えて逆らうことをしない。悪事に人を引き込んで、それを良しとする。人は己の美点を褒められると喜び、その美点を煽て上げられることを良しとする。反対に、己の欠点を指摘される事を嫌い、その欠点を美化されることを良しとする。この追従と云うものは、顔付きから察しがつくし、言葉や行動の前に気付くものである。」と。
[参考]
・「佞辯可以熒惑鬼神。」:出所不明。
6 語曰:「惡紫之奪朱,惡利口之覆邦家。」斯言足畏而終身莫悟,危亡繼踵焉。
・語に曰く、「紫の朱を奪うことを悪み、利口の邦家を覆すことを悪む。」と。斯の言は畏れるに足り而して終身悟ること莫く、危亡は繼踵(けいしょう)せん。
・孔子が曰く、「間色の紫色が正色の赤色より目立つのは腹立たしいし、口先の上手い者が国を転覆させるのも腹立たしい。」と。この言葉はその通りで恐ろしいことだが、このことが一生理解出来ないようだと、危難や滅亡が何時までも続くことになる。
[参考]
・この孔子の言葉は、<論語、陽貨篇>にある。すなわち、
惡紫之奪朱也、悪鄭聲之亂雅楽也、惡利口之覆邦家。
7 老子曰:「以政治國,以奇用兵,以無事取天下。」政者,名法是也。以名法治國,萬物所不能亂。奇者,權術是也。以權術用兵,萬物所不能敵。凡能用名法權術,而矯抑殘暴之情,則己無事焉。己無事,則得天下矣。故失治則任法,失法則任兵,以求無事,不以取彊。取彊,則柔者反能服之。
・老子が曰く、「政を以て国を治め、奇を以て兵を用い、無事を以て天下を取る。」と。政なるは、名法是れなり。名法を以て国を治めなば、万物乱す能わざる所なり。奇なるは、權術是なり。權術を以て兵を用いなば、万物敵する能わざる所なり。凡そ名法權術を用い、而して殘暴の情を矯(ただ)し抑えなば、則ち己は事無し。己が事無ければ、則ち天下を得ん。故に治を失って則ち法に任せ、法を失って則ち兵に任せ、以て事無きを求めて、以て彊を取らず。彊を取れば、則ち柔は反って能く之れに服す。
・老子が云うには、「国を治めるには正しい政(掟)を守り、戦をするには奇(策)を用いるが、天下を取るには特別なことをせずに自然に任せるのが良い。」とある。政とは、名法則ち名称の取り決め方そのものである。この名称の取り決め方を確り守って国を治めれば、全ての物事が乱されずに上手く行く。奇とは權術則ち謀(はかりごと)そのものである。この謀を用いて戦をすれば、全ての物事が敵対出来ずに上手く行く。大体、名法權術を用いて、人々のむごく荒々しい感情を抑えることが出来れば、後は特別なことを何もする必要が無い。それで天下は治まるのだ。だから治まりが着かなければ法律を厳しくし、法律が守られなければ軍隊の力に頼り、そうして無事に納めるようにして、無理強いをしないことだ。無理強いすれば、弱い者が服従するだけで問題解決にはならない。
[参考]
・この老子の言葉は、<老子道徳経>に有る。すなわち、「以正治國,以奇用兵,以無事取天下。」。ここの政が<老子道徳経>では、正となっている。
8 老子曰:「民不畏死,如何以死懼之。」凡民之不畏死,由刑罰過。刑罰過,則民不賴其生。生無所賴,視君之威末如也。刑罰中,則民畏死。畏死,由生之可樂也。知生之可樂,故可以死懼之,此人君之所宜執,臣下之所宜慎。
・老子が曰く、「民死を畏れざれば、如何ぞ死を以て之れを懼れしめん。」と。凡そ民の死を畏れざるは、刑罰過ぎるに由る。刑罰過ぎれば、則ち民は其の生に頼らず。生に頼る所無くば、君の威を視ること如(いた)る末(な)し。刑罰中(あ)たれば、則ち民は死を畏れる。死を畏れるは、生の楽しむべきに由る。生の楽しむべきことを知り、故に死を以て之れを懼れしむべく、此れは人君の宜しく執るべき所にして、臣下の宜しく慎むべき所なり。
・老子が云うには、「民衆が自暴自棄になって死をも畏れなくなると、死刑という厳罰を以て臨んでも、不届き者を懼れさせる事は出来ない。」と。大体に於いて、民衆が死を畏れなくなるのは、刑罰が重過ぎるからである。重過ぎると、安住することが出来ず民衆は生きる価値を見いだせなくなる。そうなると為政者の権威は薄れてしまう。刑罰を受けると、民衆は死を畏れる。死を畏れるのは、生きることの楽しさを知っているからだ。生きることの楽しさを知らせ、死ぬことを懼れさせる、これこそが人君としての務めであり、臣下として慎むべき所である。
[参考]
・この老子の言葉は、<老子道徳経>に有る。すなわち、「民不畏死,奈何以死懼之?」
9 田子讀書,曰:「堯時太平。」宋子曰:「聖人之治以致此乎?」彭蒙在側,越次答曰:「聖法之治以至此,非聖人之治也。」宋子曰:「聖人與聖法,何以異?」彭蒙曰:「子之亂名,甚矣!聖人者,自己出也。聖法者,自理出也。理出於己,己非理也。己能出理,理非己也。故聖人之治,獨治者也。聖法之治,則無不治矣!此萬物之利,唯聖人能該之。」宋子猶惑,質於田子,田子曰:「蒙之言然。」
・田子が書を読みて曰く、「尭の時は太平なり。」と。宋子が曰く、「聖人の治は以て此れを致せるか?」と。彭蒙が側に在りて、次を越えて答えて曰く、「聖法の治は以て此こに至り、聖人の治に非ざるなり。」と。宋子が曰うに、「聖人と聖法と、何ぞ以て異なるや?」と。彭蒙が曰く、「子の名を乱すや、甚だし!聖人は、己自り出るなり。聖法とは、理自り出るなり。理は己に出て、己は理に非ざるなり。己は能く理を出すも、理は己に非ざるなり。故に聖人の治は、独り治めるものなり。聖法の治は、則ち治まらざる無し!此れは万物の利にして、唯だ聖人が能く之れを該(そな)える。」と。宋子は猶お惑い、田子に質すに、田子が曰く、「蒙の言は然り。」と。
・田駢が本を読んでいて、「尭の時代は世の中が良く治まっていたな。」と呟いた。宋鈃が、「聖人が行ったまつりごととはそう言うことなのですね?」と尋ねた。弟子の彭蒙が側に控えていたが、師の田駢を差し置いて答えるには、「尭が行ったのは聖法のまつりごとであって、聖人のまつりごとではない」と。宋鈃また尋ねるには、「聖人と聖法とでは、何が違うのですか?」と。彭蒙がまた云うには、「貴君の名についての認識は非常に乱れている!聖人のまつりごとは、聖人自身の考えから出 ものであり、聖法のまつりごとは、道理に基づいて行われるものである。道理に基づく行いは自分自身の行いであることには間違いないが、自分自身は道理とは関係ないものである。自分自身がよく考えて道理を用いるが、自分自身は道理とは関係ないのだ。だから聖人のまつりごとは限られたものになる。一方聖法のまつりごとは治まらないところがないほどの偉大なものなのだ!これが万世までの利益になると云うもので、聖人だけに当てはまる問題なのだ。」と。宋鈃はまだ理解出来ず、田駢に問いただすと、田駢が云うには、「彭蒙の云うとおりだよ。」と。
[参考]
・田子:田駢(でんべん)、戦国時代の道家の人。斉の威王に仕えた稷下の学士の一人。名家の代表人物で、万物平等論を説いたことで知られる。
・宋子:宋鈃(そうけい)、宋牼(そうこう)とも宋荣子とも云う。戦国時代の宋の思想家。名家の代表人物。
・彭蒙(ほうもう):田駢の師とも弟子とも云われる。名家の代表人物。
10 莊里丈人,字長子曰「盜」。少子曰「毆」。盜出行,其父在後,追呼之曰:「盜!盜!」吏聞,因縛之。其父呼毆喻吏,遽而聲不轉,但言「毆,毆」,吏因毆之,幾殪計。康衢長者,字僮曰「善搏」,字犬曰「善噬」,賓客不過其門者三年。長者怪而問之,乃實對。於是改之,賓客往復。
・莊里の丈人が、長子に字して曰く、「盗」と。少子には曰く、「殴」と。盗が出で行き、其の父が後ろに在りて、追いて之れを呼ぶに、「盗!盗!」と。吏が聞き、因って之れを縛る。其の父は殴を呼び吏を喩さんとするも、遽(あわて)て聲が轉ぜず、但だ、「殴、殴」と言うに、吏は因って之れを殴り、幾(ほとん)ど殪(いつ)が計(はか)らる。康衢(こうく)の長者が、僮(わらべ)に字して「善く搏(う)つ」と曰い、犬に字して「善く噬(か)む」と曰い、賓客が其の門を過ぎざること三年。長者怪しみて之れに問うに、乃ち実(まこと)に對(こた)う。是こに於いて之れを改め、賓客往復す。
・莊里の老人が長男に「盗」、末っ子に「殴」と名付けた。長男が外出してその後を父親がついて行き、追いかけて、「盗!盗!」と呼んだ。役人がこれを聞き、泥棒と思って縛り上げた。そこで父親は末っ子を呼んで役人を説き伏せようとしたが、慌てていて声がうわずってただ「殴!殴!」と叫んだので、役人が今度は末っ子を死ぬほど殴りつけた。また康衢の長者が子供に、「よく殴りかかる」と名付け、飼い犬に、「よく噛む」と名付けたところ、三年もの間客が訪ねて来なくなった。長者が不思議に思って客に尋ねると、客は真顔で、「殴るとか噛むとか云うので門から中に入れなかったのだ」と答えた。そこでこれを改めたので、再び客が訪ねてくるようになったと云う。
[参考]
・莊里・康衢:地名なのだろうが詳細不明。
11 鄭人謂玉未理者為璞,周人謂鼠未腊者為璞。周人懷璞,謂鄭賈曰:「欲買璞乎?」鄭賈曰:「欲之。」出其璞視之,乃鼠也,因謝不取。
・鄭の人は玉の未だ理(おさ)めざる者を謂いて璞と為し、周の人は鼠の未だ腊(ほ)さざる者を璞と為す。周の人が璞を懐にし、鄭の賈に謂いて曰く、「璞を買わんと欲するか?」と。鄭の賈が曰く、「之れを欲す。」と。其の璞を出して之れを視るに、乃ち鼠なりて、因って謝して取らず。
・鄭人は玉の掘り出したままの磨いてないものを璞と呼んでいた。一方、周人は干していない鼠のことを同じく璞と呼んでいた。周人が璞を懐に入れて鄭の商人に、「璞を買わないか?」と声を掛けた。答えて商人が、「買おう」と言う。ところが鄭人が懐から出したのは鼠だったので、商人は断ったという話。
12 父之於子也,令有必行者,有必不行者。「去貴妻,賣愛妾」,此令必行者也。因曰:「汝無敢恨,汝無敢思!」令必不行者也。故為人上者,必慎所令。
・父の子に於けるや、令の必ず行われる者有り、必ず行われざる者有り。「貴妻を去り,愛妾を売れ」とは、此れ令の必ず行われる者なり。因みに曰く、「汝敢えて恨むこと無かれ、汝敢えて思うこと無かれ!」と。令の必ずしも行われざる者なり。故に人の上為らんとする者は、必ず令する所を慎む。
・父が子に対しての事だが、言いつけが必ず守られる場合もあれば、守られない場合もある。例えば、「お前の女房を離縁しろとか、妾は売り飛ばせ」などと云ったことは、必ず守られる部類のものである。関連して、「少しでも恨んだりするなとか、願ったりするな」などと云ったことは、必ずしも守られない部類に属する。だから、人の上に立つことを望む者は、命令を出すに当たっては必ず慎重を期すべきである。
[参考]
・ <戰國策、秦策、秦三、秦攻邯鄲>に同じ内容のものが見える。
13凡人富,則不羨爵祿。貧,則不畏刑罰。不羨爵祿者,自足於己也。不畏刑罰者,不賴存身也。二者,為國之所甚,而不知防之之術,故令不行而禁不止。若使令不行而禁不止,則無以為治。無以為治,是人君虛臨其國,徒君其民,危亂可立而待矣。
・凡そ人は富めば、則ち爵祿を羨まず。貧しければ、則ち刑罰を畏れず。爵祿を羨まざる者は、自ずから己れに足るなり。刑罰を畏れざる者は、身の存することを頼まず。二者は、国の甚だしき所為りて、之れを防ぐの術を知らず、故に令は行われずして禁止まず。若し令行われずして禁止まざら使めば、則ち以て治を為す無し。以て治を為す無かりせば、是れ人君は虚しく其の国に臨み、徒に其の民に君たりて、危亂は立つ可くして待つべし。
・大体の所、人は富を築くと爵位や俸禄を羨ましく思わなくなる。一方貧しいと、人は刑罰をも恐れなくなる。爵位や俸禄を羨まない者は、自己満足に陥っている。刑罰を恐れない者は、生きる価値を見失っている。この二つのことは、国にとって非常に恐ろしいことで、これを防ぐ方法は見いだせず、だから法令は守られず禁制も止まる所を知らない。こうなっては治世の手立てが無くなってしまう。そして国君は実行の挙がらない政治を行い、名前だけの君主のまま危難・反乱の起こるのを待つばかりと云うことになる。
14今使由爵祿而後富,則人必爭盡力於其君矣。由刑罰而後貧,則人咸畏罪而從善矣。故古之為國者,無使民自貧富。貧富皆由於君,則君專所制,民知所歸矣。
・今爵祿に由りて後ち富ま使むれば、則ち人は必ず争いて其の君に尽力せん。刑罰に由りて後ち貧しければ、則ち人は咸(すべて)罪を畏れて善に従わん。故に古の国を為める者は、民自ら貧富なら使む無し。貧富は皆君に由れば、則ち君は制する所を専らにして、民は帰する所を知らん。
・今爵位や俸禄を与えて富を増やしてやれば、人は必ず争ってそうしてくれた君主に尽力を惜しまず仕えるだろう。刑罰を食らって貧しくなると、人は皆んな罪を犯すことを恐れて暮らしぶりを改めるだろう。だから昔の為政者は、人民が貧し過ぎたり富み過ぎたりしように心を遣ったものである。貧富は全て君主の手腕によるものだから、君主はその抑制に専念して、それによって人民は安住の地を見出すのである。
15貧則怨人,賤則怨時,而莫有自怨者,此人情之大趣也。然則不可以此是人情之大趣,而一槩非之,亦有可矜者焉,不可不察也。今能同算鈞而彼富我貧,能不怨則美矣。雖怨,無所非也。才鈞智同,而彼貴我賤,能不怨則美矣。雖怨,無所非也。其敝在於不知乘權藉勢之異,而雖曰智能之同,是不達之過,雖君子之郵,亦君子之怒也。
・貧しければ則ち人を怨み、賤しければ則ち時を怨み、而して自ら恨む者有る莫く、此れは人情の大趣なり。然して則ち此れは是れ人情の大趣を以て、一槩(がい)に之れを非とすべからず、亦た矜(つつし)むべき者ありて、察せざるべからざるなり。今能く同じく算(かず)が鈞(ひと)しくして彼は富み我は貧しく、能く怨ま ざれば則ち美(よ)し。怨むと雖も、非とする所無きなり。才鈞しく智同じ、而して彼は貴く我は賤しく、能く怨まざれば則ち美し。怨むと雖も、非とする所無きなり。其の敝が權に乗じ勢に藉(たよ)ることの異なるを知らざるに在り、而して智能の同じなるを曰うと雖も、是れは達せざることの過ちにて、君子の郵(あやまち)と雖も、亦た君子の怒りなり。
・貧しいと他人を怨み、身分が低いと時世を怨み、だからと云って自身の在り方を反省する者は少ないが、これが人情と云うものの意味する主な内容である。だからと云ってこれを一概に非難しても始まらないし、慎むべき事には間違いないが、よくよく考えるべき事でもある。今歳が同じなのに彼は富み自分は貧しいのにも拘わらず、その境遇を怨まないと云うのは褒めたものである。怨んだとしても、間違っている訳ではない。才能も知恵も同じなのに、彼は富み自分は貧しいにも拘わらず、その境遇を怨まないと云うのは褒めたものである。怨んだとしても、間違っている訳ではない。その成功しなかった理由が権力を利用し威勢に頼ることを知らなかった点にあって、知能が同じと云っても成功しなかったことには間違いなく、君子の 過ちだと云っても、またそれは君子の怒りでもあるのだ。
16人貧則怨人,富則驕人。怨人者,苦人之不祿施於己也。起於情所難安而不能安,猶可恕也。驕人者,無苦而無故驕人,此情所易制而弗能制,弗可恕矣。
・人は貧しければ則ち人を怨み、富めば則ち人に驕る。人を怨むは、人の禄を己に施さざるを苦(なや)むなり。情が安らぎ難き所に起こりて安らぐこと能わず、猶お恕(ゆる)すべきなり。驕れる人は、苦しみ無くして故無く人に驕り、此れは情の制し易き所にして能く制せず、恕すべからざらん。
・人は貧しいとそれは他人の所為だと怨み、富が出来ると驕り高ぶるようになる。他人を怨むと云うことは、他人がその富を独り占めしていることを苦々しく思うからである。感情が不安定になって平静さを失った為なのだから、やはり許されるべき事なのだろう。驕り高ぶった人は、何も考えずに理由も無く驕り高ぶるが、これは容易な筈の感情の抑制を怠ったが為であり、許されるべき問題ではない。
17衆人見貧賤,則慢而疏之。見富貴,則敬而親之。貧賤者,有請賕於己,疏之可也。未必損己,而必疏之,以其無益於物之具故也。富貴者,有施與於己,親之可也。未必益己,而必親之,則彼不敢親我矣。三者獨立,無致親致疏之所,人情終不能不以貧賤富貴易慮,故謂之大惑焉。
・衆人は貧賤を見れば、則ち慢(あなど)りて之れを疏(うと)んず。富貴を見れば、則ち敬いて之れに親しむ。貧賤なる者は、己に賕(まいな)いを請うこと有りて、之れを疏んずること可なり。未だ必ずしも己を損なわず、而して必ず之れを疏んじるは、其の物に益無きの具わりたるを以ての故なり。富貴なる者は、己に施しを與えること有りて、之れに親しむこと可なり。未だ必ずしも己に益とならず、而して必ず之れに親しみ、則ち彼は敢えて我に親しまず。三者は独立し、親を致し疎を致すの所無く、人情は終に貧賤富貴を以て慮を易えざる能わず、故に之れを大惑と謂う。
・多くの人は、貧しく地位の低い人を見ると、侮り嫌って遠ざける。また富裕で地位の高い人を見ると、敬って親交を求める。貧しく地位の低い者は、賄賂を要求することがあるので、嫌われるのも致し方ない。嘗て不利益を被ることが無かったとし も、嫌って遠ざけるのは、係わっても益がないからだ。富裕で地位の高い人は、恩恵に浴することが出来るので、親交を求めるのも致し方ない。嘗て恩恵に浴することが無かったとしても、親交を求めるのは、富裕で地位の高い人の方からは親交を求めてこないからだ。この三者は本来別々の存在で、それぞれ親しくも疎遠でもないのだが、人の感情は最後には貧賤富貴の違いで考え方が変わるので、このことを”甚だしい心の迷い”と云うのだ。
18窮獨貧賤,治世之所共矜,亂世之所共侮。治世非為矜窮獨貧賤而治,是治之一事也。亂世亦非侮窮獨貧賤而亂,亦是亂之一事也。每事治則無亂,亂則無治。視夏商之盛,夏商之衰,則其驗也。
・窮獨貧賤は、治世の共に矜(あわ)れむ所にして、乱世の共に侮る所なり。治世は窮獨貧賤を矜れむが為に而して治まるに非ず、是れ治の一事なり。亂世も亦た窮獨貧賤を侮りて乱れるに非ず、亦た是れ亂の一事なり。事毎に治まれば則ち乱れることなく、乱れれば則ち治まること無し。夏商の盛ん、夏商の衰えを視れば、則ち其れは験(しるし)なり。
・窮獨貧賤(頼る所が無い・孤独・貧しい・地位が低い)は、秩序が確立した時代には気の毒がられるものであり、秩序が乱れた時代には侮られるものである。秩序が確立した時代に窮獨貧賤が気の毒がられる為に世の中が治まっている訳ではなく、これは治政のほんの一つの出来事に過ぎない。秩序が乱れた時代に於いても同じく窮獨貧賤が侮られる為に世の中が乱れている訳ではなく、これまた乱政のほんの一つの出来事に過ぎない。常に治まっていれば乱れるはずもなく、一端乱れてしまうと治まりが着かなくなる。夏王朝の盛衰の跡を見れば、それが証拠であると云うことが解ろうというもの。
19貧賤之望富貴甚微,而富貴不能酬其甚微之望。夫富者之所惡,貧者之所美。貴者之所輕,賤者之所榮。然而弗酬、弗與同苦樂故也。雖弗酬之,於物弗傷。今萬民之望人君,亦如貧賤之望富貴,其所望者,蓋欲料長幼,平賦斂,時其飢寒,省其疾痛,賞罰不濫,使役以時,如此而已,則於人君弗損也。然而弗酬、弗與,同勞逸故也。故為人君,不可弗與民同勞逸焉。故富貴者,可不酬貧賤者。人君不可不酬萬民。不酬萬民,則萬民之所不願戴。所不願戴,則君位替矣!危莫甚焉!禍莫大焉!
・貧賤の富貴に望むは甚だ微(かす)かにして、而して富貴は其の甚だ微かなる望みに酬いる能わず。夫れ富める者の悪む所は、貧しき者の美(よ)しとする所なり。貴き者の軽んずる所は、賤しき者の榮(ほまれ)とする所なり。然り而して酬いざるは、興に苦楽を同じくせざるが故なり。之れに酬いずと雖も、物に傷(そこ)なわず。今万民の人君に望むは、亦た貧賤の富貴を望むが如く、其の望む所の者は、蓋し長幼を料(はか)り、賦斂(ふれん)を平らかにし、其の飢寒(きかん)を時にし、其の疾痛を省み、賞罰を濫さず、使役するに時を以てするを欲し、此の如きのみならば、則ち人君に於いては損なわざるなり。然り而して酬いざるは、興に、勞逸を同じくせざるが故なり。故に人君為るや、民と勞逸を同じくせざるべからず。故に富貴の者は、貧賤の者に酬いざるべし。人君は万民に酬いざるべからず。万民に酬いざれば、則ち万民の戴くを願わざる所なり。戴くを願わざる所なれば、則ち君位替わらん!危うきこと焉(これ)より甚だしきは莫し!禍は焉より大なるは莫 し!
・貧賤(貧しく下層)の者が富貴(富裕な上層)の者に望む所はほんの僅かなことなのだが、富貴な者はその僅かな望みをも叶えてやることが出来ないでいる。それが富める者の欠点で、貧しい者の望む所なのだ。上層の者が軽視する所が、下層の者の善しとする所なのだ。そういう訳で望みを叶えないのは、苦楽に対する認識の違いがあるからである。望みを叶えないからと云って、物事が損なわれる訳ではない。今万民が人君に望む所は、貧賤の者が富貴な者に望む事と同じことで、長幼の序を守り、租税を公平にし、飢えと寒さの対策を講じ、疾痛をやわらげ、賞罰を乱さず、使役に駆り出すには時期を見計らう、こうすれば人君に悪い影響が及ぶことは無いだろう。そういう訳で望みを叶えてやらないのは、両者の労苦の考え方が違っている所にある。だから人君たる者は、人民と労苦を共にすべきなのである。それ故に富貴の者は、貧賤の者の望みを叶えてやるべきなのだ。人君も万民の望みを叶えてやるべきなのだ。万民の望みを叶えてやらないと、万民は人君として押し戴かなくなる。そうなると人君としての地位も取って代わられよう。国にとってはこれ以上の危ういことは無い!これ以上の禍は無いというものだ!
[最後に]
さて、「大道」という言葉に魅せられて翻訳を試みたが、最後の所まで来てやや失望するに至った。<老子道徳経>とまでは行かなくとも、もう少し引きつける何か目新しい思想に出会えるかと思ったのだが、「名家」の思想の繰り返しのようなもので、「道」についての新しい思想展開は見られなかったからである。儒教・道教の思想をベ-スにして、「正名」を軸に治政の有り方について記されているが、だからと云って特に興味のそそられるものは見当たらない。また人間観察についての記述も多いが、特記すべきものもない。最後に尹文の思想について記された一文を紹介して終わりにしよう。それは<荘子、雑篇、天下篇>にある、以下の文である。すなわち、
・夫不累於俗,不飾於物,不苛於人,不忮於衆,願天下之安寧以活民命,人我之養畢足而止,以此白心,古之道術有在於是者。宋鈃、尹文聞其風而悅之、作為華山之冠以自表,接萬物以別宥為始。語心之容,命之曰心之行,以聏合驩,以調海內,請欲置之以為主。見侮不辱,救民之鬥、禁攻寢兵,救世之戰。以此周行天下,上說下教,雖天下不取,強聒而不舍者也。故曰:「上下見厭而強見也。」雖然,其為人太多,其自為太少,曰:「請欲固置五升之飯足矣,先生恐不得飽,弟子雖飢,不忘天下。」日夜不休,曰:「我必得活哉!」圖傲乎救世之士哉!曰:「君子不為苛察,不以身假物。」以為無益於天下者,明之不如已也。以禁攻寢兵為外,以情欲寡淺為內,其小大精粗,其行適至是而止。
・夫れ俗に累(わずら)わされず、物に飾らず、人に苛(きび)しからず、衆に忮(さから)わず、天下の安寧は以て民の命を活かさんことを願い、人我(じんが)の養いは畢(みな)足りて止み、以て此れ心を白(ただ)すにて、古の道術は是れに在る者有り。宋鈃と尹文は其の風を聞いて之れを悦び、華山の冠(かんむり)を作為し以て自ら表し、万物に接し別宥を以て始めと為す。心の容(なかみ)を語り、之れを命(な)づけて心の行と曰い、聏(じ)を以て合驩(ごうかん)し、以て海內を調(ととの)え、請(まこと)の欲は之れを屋(とどめ)て以て主と為す。侮りに見(まみ)えるも辱ならず、民の鬥(あらそ)いを救い、攻を禁じ兵を寝(や)め、世の戦いを救う。此れを以て天下を周行し、上には説き下には教え、天下は取らずと雖も、強いて聒(かまびす)しくして舍(お)かざるものなり。故に曰く、「上下見えるに厭わられ而して強いて見ゆ。」と。然りと雖も、其れ人の為には太(はなは)だ多く、其の自ら為には太だ少なく、曰く、「請の欲は固より五升の飯を置きて足り、先生も恐らく飽きることを得ず、弟子は飢えると雖も、天下を忘れず。」と。日夜休まずに、曰く、「我は必ず活かすことを得んかな!」と。圖傲(ほこ)るや救世の士かな!曰く、「君子は苛察を為さず、身を以て物を假(ゆる)さず。」と。おもえらく天下に益なき者は、之れを明らかにするは已むに如かざるなり。禁攻寢兵を以て外と為し、情欲寡淺を以て内と為し、其の小大精粗、其の行は適(まさ)に是れに至りて止む。
・それは、世の中の風俗に影響を受けず、世の中の出来事に影響を及ぼさず、他人に厳しく当たらず、大衆の意向に逆らわず、世界平和の為に人民の暮らしが豊かになることを願い、自分も他人も今の生活に十分満足出来る状態を築き上げ、そうした上で心を正常に保つことを心掛けると云ったことが、昔の道教の手法として存在していた。宋鈃と尹文はこれを学んで遵奉し、道教の聖地である華山に似た冠を作り、何時も被って道教の無為自然の教えを身を以て標榜し、差別に捕らわれることなく万物に接することを第一義とした。心の働き(これを心の行と称した)を論じ、和やかな心の働きに皆共鳴し、世の中を調和させ、人の本来の欲望は元々少ないものだと主張し、他人に侮られても恥辱には当たらないと云うことを認識させて人々の争い事を止めさせ、攻撃を禁じて軍備を撤廃し、世の中から戦争を無くそうとしている。こうして彼らは世界中を飛び回って、上は君主から下は民衆に至るまで説教しまくり、世の人々が取り合わなくとも強い調子で大声上げて説き廻ったと云う。だからこの事を人々は、「上下の区別無く皆に嫌われても敢えて説教しまくっている」と云っている。そうは云っても、彼らは他人の為にはよく尽くすが自分自身の事となるとまるで無関心である。だから、「本来の欲求からすれば人は五升の飯があれば足りようが、これでは先生でも恐らく腹一杯には為るまいし、弟子に至ってはひもじいだろうが、それでも天下の事が頭から離れない」と云っている。昼夜を分かたず休むこと無く云っているのは、「我々は必ず人々の暮らしを豊かにするのだ」と。何と云う賞賛すべき救世の士ではないか!また云うには、「君子は厳しく吟味はせず、自分自身の為に物事を犠牲にしたりはしない」と。考えてみると世の中の利益にならないことは、無理にはっきりさせるよりは止めた方がよい。攻撃を禁じて軍備を撤廃することを対社会的指針とし、情欲寡淺を対個人的指針として、その小大精粗に拘わらず、その働き全てがこの指針に中に含まれている。
[参考]
・華山(かざん):中国陝西省にある険しい山。道教の修道院があり、道教の聖地とされる五名山の一つ。西岳と呼ばれている。 西遊記で孫悟空が閉じ込められていた山としても有名。
・欲寡説:宋鈃らが唱えた思想で、人々の激しい欲求の結果として争い事が起こるという考え。
・見侮不辱・禁攻寢兵・情欲寡淺:いずれも道家的命題と云われるもの。
終わり (28.11.01)