論語を詠み解く

論語・大学・中庸・孟子を短歌形式で解説。小学・華厳論・童蒙訓・中論・申鑑を翻訳。令和に入って徳や氣の字の調査を開始。

申鑒-雜言(提言あれこれ)上-①

2019-12-01 09:50:10 | 仁の思想

申鑒-雜言(提言あれこれ)上-①
1或問曰:「君子曷敦乎學?」曰:「生而知之者寡矣,學而知之者寡矣,悠悠之民,泄泄之士,明明之治,汶汶之亂,皆學廢興之由,敦之不亦宜乎?」君子有三鑒,世人鏡。前惟順,人惟賢,鏡惟明。夏商之衰,不鑒於禹湯也、周秦之弊,不鑒於民下也。側弁垢顏,不鑒於明鏡也,故君子惟鑒之務。若夫側景之鏡,亡鑒矣。
[書き下し文]
 ・或るひとが問うて曰く、「君子は曷(いず)くんぞ学ぶことを敦(おもん)ずるか?」と。曰く、「生まれてこれを知る者は寡く、学びて之を知る者も寡く、悠悠の民、泄泄(えいえい)の士、明明の治、汶汶(ぼんぼん)の亂、皆な學の廢興の由(もと)、之れを敦ずるに亦た宜しからずや?」と。君子に三鑒有りて、世と人と鏡。前(むかし)は順(ただし)きを惟(おも)んみ、人は賢(さか)しさを惟んみ,鏡は明(みわけ)ることを惟んみる。夏・商の衰えるは、禹・湯を鑒(かがみ)とせず、周・秦の弊(やぶ)れしは、民下(みんか)を鑒(かんが)みざればなり。側弁(そくべん)垢顏(こうがん)して、明鏡を鑒みざればなり。故に君子は鑒みる務めを惟んみる。若し夫れ景(あお)ぐべき鏡を側(そば)めれば、鑒みることを亡なう。
[訳文]
 ・
或る人が問うには、「君子はどうして學ぶことを重んずるのか?」と。答えるには、「生まれながらにして道徳を弁えている人は少なく(聖人のこと)、学習して道徳を弁える人も少なく(努力の人)、俗事に拘わらず心静かな民人や、物事に動ぜず悠然と構える士人や、公明正大な政(まつりごと)や、汚濁にまみれた世の乱れなど、全て学問の興廃によるものであり、学問を重んずることは真に最もなことではないか?」と。君子には手本とすべき三つの心得と云うものがあり、それは世の変遷を学ぶ歴史と、是非の手本となる勝れた人物と、礼節を守る為に衣冠を正す鏡の三つである。古の事跡を語る歴史については己の生き方の正しさを省みる為の手本とし、勝れた人物については己の才智・徳行の程度を省みる為の手本とし、人の有り様を写り出す鏡については己の身嗜みを省みる為の手本とするのである。夏王朝・商王朝が衰退したのは禹王・湯王を手本としなかった為であり、周王朝・秦王朝が亡んだのは統治すべき民衆を省みなかった為である。冠を傾けて被り顔を汚しても鏡を善く見て正そうとしないからである。だから君子は常に反省することに努めるのである。若し反省する為に必要な手本から目を反らすようなことになると、反省する為に必要な手段を失うことになる。
[参考]
 ・<中庸>
     「20天下之達道五,所以行之者三,曰:君臣也,父子也,夫婦也,昆弟也,朋友之交也,五者天下
        之達道也。知仁勇三者,天下之達德也,所以行之者一也。或生而知之,或學而知之,或困而
        知之,及其知之,一也;或安而行之,或利而行之,或勉強而行之,及其成功,一也。」
 ・<新唐書卷九十七 、列傳第二十二、魏徵伝>
     「帝后臨朝歎曰:「以銅為鑒,可正衣冠;以古為鑒,可知興替;以人為鑒,可明得失。朕嘗保此三
      鑒,內防己過。今魏徵逝,一鑒亡矣。・・・」
2或問:「致治之要,君乎?」曰:「兩立哉,非天地不生物,非君臣不成治,首之者天地也,統之者君臣也哉。先王之道致訓焉,故亡斯須之間而違道矣。昔有上致聖由教戒,因輔弼,欽順四鄰。故檢柙之臣,不虛於側、禮度之典,不曠於目、先哲之言,不輟於身、非義之道,不宣於心,是邪僻之氣,末由入也,鑒有間,必有入之者矣。是故僻志萌則僻事作,僻事作則正塞,正塞則公正亦末由入也矣。不任不愛謂之公,惟公是從謂之明。齊桓公中材也,末能成功業,由有異焉者矣。妾媵盈宮,非無愛幸也;群臣盈朝,非無親近也,然外則管仲射己,衛姬色妾,非愛也,任之也。然後知非賢不可任,非智不可從也,夫此之舉弘矣哉。膏盲純白,二豎不生,茲謂心寧,省闥清淨,嬖孽不生,茲謂政平。夫膏盲近心而處阨,鍼之不遠,藥之不中,攻之不可,二豎藏焉,是謂篤患。故治身治國者,唯是之畏。」
[書き下し文]
 ・
或るひとが問うに、「致治の要は、君(かみ)か?」と。曰く、「兩(なら)び立つかな、天地にあらざれば物を生まず、君臣にあらざれば治を成さず、首たる者は天地なり、統べる者は君臣なるかな。先王の道は訓(おし)えを致(つた)え、故に斯須(ししゅ)の間も亡くさば道を違う。昔しは教戒に由り上致する聖(ひじり)有りて、輔弼(ほひつ)に因(よ)り、四鄰を欽順す。故に檢柙(けんこう)の臣は、側に虚(お)かず、禮度の典は、目に曠(いれ)ず、先哲の言は、身に輟(とど)めず、義に非ざるの道は、心に宣(の)べず、是れ邪僻(じゃへき)の氣にして、由しなく入(かかわ)るや、鑒(いましめ)に間(すきま)が有(あらわ)れ、必ずや入る者有らん。是の故に僻志(へきし)萌(めば)えれば則ち僻事(へきじ)作(な)り、僻事作れば則ち正に塞がり、正に塞がれば則ち公正に亦た入る由し末(な)きなり。任せず愛(したし)まざるを之れ公(おおやけ)と謂い、惟だ公に是れ従うを之れ明と謂う。齊の桓公は中材なり、未だ能く功業を成さず、焉(これ)を異(あや)しむ者有る由し。妾媵(しょうよう)が宮に盈(み)ちれば、愛幸すること無きに非ざるなり。群臣が朝に盈ちれば、親しみ近づくこと無きに非ざるなり。然して外れるも則ち管仲は己(おのれ)を射て、衛姬は色妾なるも愛に非ず、任之れなり。然る後に賢に非ざれば任すベからず、智に非ざれば従うべからざることを知る、夫れ 此れは之れ舉弘(きょこう)かな。膏盲(こうこう)が純白なれば、二豎(にじゅ)生まれず、茲(こ)れを心寧(しんねい)と謂い、省闥(しょうたつ)が清淨なれば、嬖孽(へいげつ)生まれず、茲れ を政平と謂う。夫れ膏盲は心に近く而して阨(せま)き處にて、鍼は之れ不遠、藥は之れ中(かな)わず、攻めること之れ不可(きかず),二豎(にじゅ)藏(ひそ)む、是れを篤患(とっかん)と謂う。故に身を治め国を治める者は、唯だ是れを之れ畏れる。
[訳文]
 ・
或る人が尋ねるには、「國の安定を図る要となるものは、君主なのか?」と。答えるには、「共存するもので、天と地が存在しなければあらゆる物は生まれてこないし、君主と臣下が共存しなければ政治は成り立たないし、物事の拠り所とする處は天と地であり、世の中を統治する者は君主とその臣下なのである。昔の聖王の説く道は世の中の道理を伝えるものであり、だから少しの間でもその教えから外れると物事はその道理から外れてしまうことになる。昔しは教え戒める事によって教化する智徳に勝れ道理に明るい人が居て、天子の政治を補佐して近隣の諸国を欽仰させたものである。だから法に詳しい小うるさい家臣は側に置かず、礼節の経典も目の前から遠ざけ、昔の賢人の述べる教訓には耳を貸さず、道義に反する行為にも心を動かすこともないようでは、これは邪悪な心気というものでしかなく、特別な理由も無いのにそんな行動を採れば、戒めに綻びが生じ、必ず違反者が出てくることになるのである。そういう訳で正しくない思いが芽生えると間違ったことが行われ、間違ったことが行われると手の施しようが無くなり、手の施しようが無くなると公明正大とは程遠い事態に至るのである。相手の思うままにさせずまた庇い過ぎないのが公平公正と云う事であり、惟だひたすら公平公正を守り通す事が公明正大と云う事なのである。齊の桓公は凡人で特に功績を挙げた訳でもないとあるが、どうも腑に落ちない處がある。貴人の側に仕える女性が宮中に大勢居れば、中には寵愛される者も居る。多くの家臣が朝廷に居れば、中には重用される家臣も居る。そこで外しはしたが管仲は殺害しようとして桓公に矢を射たし、桓公の賢夫人の長衛姫は美しい人ではあったが愛情に因らず、二人共に桓公の信頼を得てそれぞれ外を治め内を治めたのだとあるが、これこそが任せると云うことなのである。その上で賢者でなければ任せるべきではないし、智者でなければ従うべきではないし、これこそが広く登用すると云うことなのである。膏盲に異常が無ければ病魔の二豎子は現れず、これを心寧(心部安泰)と云い、宮中が清廉に満ちていれば後継者争いをもたらす君主の寵愛する妾腹の子が生まれてくることもなく、これを政平(政治の秩序が保たれる)と云うのである。彼の膏盲と云うものは心臓に近い狭い部分にあって、鍼も受け付けず、薬も効かず、病気の治し難い所で、病魔の化身の二人の童が宿る處であり、これが所謂重篤な病気と云うものである。だから自身の修養に努め国を治める者は、ひたすら以上のことを畏れ憚るのである。
[参考]
  ・<春秋左傳、成公十年>
    「2公疾病,求醫于秦,秦伯使醫緩為之,未至,公夢疾為二豎子曰,彼良醫也,懼傷我,焉逃之,其
      一曰,居肓之上,膏之下,若我何,醫至,曰,疾不可為也,在肓之上,膏之下,攻之不可,達之
      不及,藥不至焉,不可為也,公曰,良醫也,厚為之禮而歸之,」 
  ・<列女傳、賢明、齊桓衛姬>
    「1衛姬者,衛侯之女,齊桓公之夫人也。桓公好淫樂,衛姬為之不聽鄭衛之音。
     2桓公用管仲甯戚,行霸道,諸侯皆朝,而衛獨不至。桓公與管仲謀伐衛。
     3罷朝入閨,衛姬望見桓公,脫簪珥,解環佩,下堂再拜,曰:「願請衛之罪。」桓公曰:「吾與衛無
      故,姬何請耶?」對曰:「妾聞之:人君有三色,顯然喜樂容貌淫樂者,鐘鼓酒食之色。寂然清靜
      意氣沉抑者,喪禍之色。忿然充滿手足矜動者,攻伐之色。今妾望君舉趾高,色厲音揚,意在衛
      也,是以請也。」桓公許諾。
     4明日臨朝,管仲趨進曰:「君之蒞朝也,恭而氣下,言則徐,無伐國之志,是釋衛也。」桓公曰:
     「善。」乃立衛姬為夫人,號管仲為仲父。曰:「夫人治內,管仲治外。寡人雖愚,足以立於世矣。」
      君子謂衛姬信而有行。《詩》曰:「展如之人兮,邦之媛也。」      
     5頌曰:齊桓衛姬,忠款誠信,公好淫樂,姬為脩身,望色請罪,桓公加焉,厥使治內,立為夫
      人。」
   ・媵:中国の周代の婚姻の形態による、側室の一種。当時の天子や貴族が正室を娶るときは、正室の
      女性とともに、同族の姉妹や従妹が媵として付き従った。正室となる女性が子供を産めなかった
      場合、その代理として媵が子供を産む役目を負った。側室の一種であるが、妾とは異なり、媵が
      産んだ子供は正室の子として扱われた。
3或曰:「愛民如子,仁之至乎?」曰:「未也。」曰:「愛民如身,仁之至乎?」曰:「未也。湯禱桑林,邾遷于繹,景祠于旱,可謂愛民矣。」曰:「何重民而輕身也?」曰:「人主承天命以養民者也,民存則社稷存,民亡則社稷亡,故重民者,所以重社稷而承天命也。」
[書き下し文]
 ・
或るひとが問うに、「民を愛すること子の如くば、仁の至(きわ)みか?」と。曰く、「未だし」と。曰く、「民を愛すること身(おのれ)の如くば、仁之れ至まれるや?」と。曰く、「未だし。湯は桑林(そうりん)に禱(いの)り、邾は繹(えき)に遷(かえ)し、景は旱(ひでり)に祠(まつ)る、民を愛(いつく)しむと謂うべし」と。曰く、「何ぞ民を重んじ而して身を軽んじるや?」と。曰く、「人主(じんしゅ)は天命を承り以て民を養う者なり、民存せば則ち社稷存し、民亡くば則ち社稷亡ぶ、故に民を重んじる者は、社稷を重んじ而して天命を承る所以なり」と。
[訳文]
 ・
或る人が尋ねるには、「民を吾が子のように慈しむ行為は、究極の仁徳と云って良いのだろうか?」と。答えるには、「そうとは云えまい」と。それならばと、「民を自分自身のように慈しめば、それが究極の仁徳と云えるのか?」と問い続ける。それに答えるに、「それでも充分とは云えない。殷の明哲王たる湯王は桑林の地で雨請いをしたし、邾侯國の文公は繹に國を返したし、齊の景公は大旱の年に雨乞いの為に霊山(山の神)を祠(まつ)ろうとしたが、これこそが民を愛するということなのである」と。更に問い掛けてくるには、「どうして民を優先して自身の事は二の次にするのか」と。答えるには、「人の上に立つ君主という者は天命を受けて民を導きその暮らしを豊かにするのが役目であり、民が居るからこそ国家というものが成り立っているのであり、民が居なければ国家は成り立たないのだから、君主は民を重んる則ち国家を大切にすることが天命に答えることになるのである」と。
[参考]
  ・<呂氏春秋、季秋紀、順民>
    「2昔者湯克夏而正天下,天大旱,五年不收,湯乃以身禱於桑林,曰:「余一人有罪,無及萬夫。萬
      夫有罪,在余一人。無以一人之不敏,使上帝鬼神傷民之命。」於是翦其髮,𨟖其手,以身為犧
      牲,用祈福於上帝,民乃甚說,雨乃大至。則湯達乎鬼神之化,人事之傳也。」
  ・<春秋左傳、文公十三年>
    「2邾文公卜遷于繹,史曰,利於民而不利於君,邾子曰,苟利於民,孤之利也,天生民而樹之君,以
      利之也,民既利矣,孤必與焉,左右曰,命可長也,君何弗為,邾子曰,命在養民,死之短長,時
      也,民苟利矣,遷也,吉莫如之,遂遷于繹,五月,邾文公卒,君子曰知命。」
  ・邾:春秋・戦国時代に存在した諸侯國で、首府は邾・繹(現在の山東省鄒城市)。後年楚に併合され
     た。
  ・<晏子春秋、內篇、諫上、景公欲祠靈山河伯以禱雨晏子諫>
    「1齊大旱逾時,景公召群臣問曰:「天不雨久矣,民且有饑色。吾使人卜,云,祟在高山廣水。寡人
      欲少賦斂以祠靈山,可乎?」群臣莫對。晏子進曰:「不可!祠此無益也。夫靈山固以石為身,以
      草木為髮,天久不雨,髮將焦,身將熱,彼獨不欲雨乎?祠之無益。」
     2公曰:「不然,吾欲祠河伯,可乎?」
     3晏子曰:「不可!河伯以水為國,以魚鱉為民,天久不雨,泉將下,百川竭,國將亡,民將滅矣,
      彼獨不欲雨乎?祠之何益!」
     4景公曰:「今為之柰何?」
     5晏子曰:「君誠避宮殿暴露,與靈山河伯共憂,其幸而雨乎!」于是景公出野居暴露,三日,天果
      大雨,民盡得種時。
     6景公曰:「善哉!晏子之言,可無用乎!其維有德。」」
4或問曰:「孟軻稱人皆可以為堯舜,其信矣?」曰:「人非下愚,則愚可以為堯舜矣。寫堯舜之貌,同堯舜之姓則否、服堯之制,行堯之道則可矣。行之於前,則古之堯舜也、行之於後,則今之堯舜也。」或曰:「人皆可以為桀紂乎?」曰,「行桀紂之事,是桀紂也。堯舜桀紂之事,常並存於世,唯人所用而已。楊朱哭岐路,所通逼者然也。夫岐路惡足悲哉?中反焉。若夫縣度之厄素,舉足而已矣。損益之符,微而顯也。趙獲二城,臨饋而憂。陶朱既富,室妾悲號。此知益為損之為益者也。屈伸之數,隱而昭也。有仍之困,復夏之萌也;鼎雉之異,興殷之符也;邵宮之難,隆周之應也;會稽之棲,霸越之基也;子之之亂,強燕之徵也:此知伸為屈之為伸者也。」人主之患,常立於二難之間,在上而國家不治,難也;治國家則必勤身苦思,矯情以從道,難也。有難之難,闇主取之;無難之難,明主居之。大臣之患,常立於二罪之間,在職而不盡忠直之道,罪也;盡忠直之道焉,則必矯上拂下,罪也。有罪之罪,邪臣由之;無罪之罪,忠臣置之。人臣之義,不曰「吾君能矣,不我須也,言無補也」,而不盡忠;不曰「吾君不能矣,不我識也,言無益也」,而不盡忠。必竭其誠,明其道,盡其義,斯已而已矣,不已則奉身以退,臣道也。故君臣有異無乖,有怨無憾,有屈無辱。人臣有三罪,一曰導非,二曰阿失,三曰尸寵。以非引上謂之導,從上之非謂之阿,見非不言謂之尸。導臣誅,阿臣刑,尸臣絀。進忠有三術:一曰防,二曰救,三曰戒。先其未然謂之防,發而止之謂之救,行而責之謂之戒。防為上,救次之,戒為下。下不鉗口,上不塞耳,則可有聞矣。有鉗之鉗,猶可解也;無鉗之鉗,難矣哉!有塞之塞,猶可除也,無塞之塞,其甚矣夫!
[書き下し文]
 ・
或るひとが問うて曰く、「孟軻は人皆以て尭・舜と為ること可と称するが、其れ信(まこと)なるか?」と。曰く、「人は下愚(かぐ)に非ず、則ち愚も以て尭・舜となるべし。尭・舜の貌(ふるま)いを写(なぞ)り、尭・舜の姓(うじ)を同じくするは則ち否、尭の制(おきて)に服し、尭の道を行うは則ち可なり。之れを前(さき)に行うは、則ち古の尭・舜なり、之れを後に行うは、則ち今の尭・舜なり」と。或るひと曰く、「人は皆以て桀・紂と為ること可なるか?」と。曰く、「桀・紂の事(しわざ)を行(まね)するは、是れ桀・紂たり。堯・舜・桀・紂の事は、常に世に並存するも、唯だ人が用いる所のみ。楊朱は岐路(衢涂)に哭す、逼(せば)まりしを通りし所の者は然るなり。夫れ岐路はいずくんぞ足(とど)まることを悲しまん!中は反。夫の縣度(けんど)の厄素(やくそ)の若きは、足を挙げるのみ。損益の符(きざし)は、微(かす)かに而して顕かなり。趙が二城を獲るも、臨饋(りんき)し而して憂う。陶朱(とうしゅ)は既に富むも、室妾は悲號す。此れ益を知り損を為すも之れ益と為す者なり。屈伸の数(すじみち)は隠に而して昭かなり。有仍(ゆうじょう)の困(くる)しみは、復た夏の萌(めばえ)なり。鼎雉(ていち)の異(わざわい)は、殷を興す符(きざし)なり。邵宮(しょうきゅう)の難(わざわい)は、周を隆(たか)める應(こた)えなり。會稽(かいけい)に棲(す)むは、越を覇とするための基(いしずえ)なり。子之(しし)の亂は、燕を強めし徵(あらわ)れなり。此れ伸びを知り屈を為すも之れ伸びを為す者なり。」と。人主の患(わずら)いは、二難の間に常立し、在上し而して国家の治まらざるは、難きことなり。国家を治めるには則ち必ず勤身苦思し、矯情(きょうじょう)以て道に従うは、難きことなり。有難の難、闇主は之れを取る。無難の難、明主は之れに居る。大臣の患いは、二罪の間に常立し、在職し而して忠直の道を盡くさざるは、罪なり。忠直の道を盡くすは、則ち必ず矯上拂下(きょうじょうひつげ)するは、罪なり。有罪の罪、邪臣は之れを取る。無罪の罪、忠臣は之れに置く。人臣の義は、曰ず、「吾が君は能(たけ)る、我は須(のぞ)まず、言は補(おぎな)うこと無し」と、而して忠を盡くさず;曰ず、「吾が君は能ず、我は識らず、言は益すること無し」と、而して忠を盡くさず。必ず其の誠を竭(つ)くさず、其の道を明らかにし、其の義を盡くし、斯(こ)れ已まんのみ、已まず則ち身を奉じて以て退く、臣の道なり。故に君臣は異有るも乖(そむ)くこと屈すること有るも辱められること無し。人臣に三罪有り、一に曰く導非、二に曰く阿失(あしつ)、三に曰く尸寵(しちょう)。非(あやまち)を以て上に引きたてるは之れ導(てびき)すると謂い、上に従うに之れ非(ただ)さざるは之れ阿(おもね)ると謂い、非(あやまり)を見て言わざるは之れ尸(むな)しきと謂う。導臣は誅し、阿臣は刑し、尸臣は絀(ちゅつ)す。忠を進めるに三術あり、一に曰く防(ぼう)、二に曰く救(きゅう)、三に曰く戒(かい)。先ず其れ未然(みぜん)之れ防ぐと謂い、発し而して之れを止める之れ救うと謂い、行い而して之れを責める之れ戒めると謂う。防は上と為り、救は之れに次ぎ、戒は下と為る。下は口を鉗(つぐ)まず、上は耳を塞がず、則ち聞くこと有るべし。有鉗(ゆうけん)の鉗は、猶お解くべきなり。無鉗の鉗は、難きかな!有塞(ゆうさい)の塞は、猶お除くべきなり。無塞の塞は、其れ甚だしきかな!
[訳文]
 ・
或る人が尋ねて云うには、「孟子が人は誰でも皆んな帝尭や帝舜のような聖人になれると云っているが、果たして本当だろうか?」と。答えるには、「人は非常に愚かと謂う訳では無いのだから、愚かな者でも努力さえすれば尭帝や舜帝のような聖人にもなり得る。尭帝や舜帝の姿・貌や行動を真似するだけでは駄目だが、尭帝の教えを良く守り、尭帝の行いを見習って行動すれば良い。真っ先に道に適った行動をしたのが尭帝であり舜帝であった。これを見習って行うことが今の世に求められているのである」と。或る人が続けて問い掛けるには、「人は皆な夏の桀王や殷の紂王のような暴君にもなり得るのか?」と。答えるには、「桀王や紂王の真似をすれば彼等と同じ暴君と云うことになる。尭帝や舜帝らや・桀王や紂王らの行ったことは何時の時代でも並存しているが、気を付けるべき事は同じ人間が行っていると云う事実である。楊朱は分かれ道で行動の選択に迷って嘆き悲しんだと云うが、切羽詰まればそれも致し方あるまい。岐路に立てば誰しもそうなるであろう!岐路ではどちらかを選ばなくてはならず、程ほどと云うことは有り得ないのである。あの難所で名高い縣度山に通うには、ひたすら歩くほか手立てはあるまい。商売の損得の兆しを察知することは難しいが、必ず予兆はある。趙は二つの城を手に入れたが臨饋して悩むことになる。越國の功臣の范蠡は後年富豪となったが妻妾はこれを見て悲嘆号泣した。このように利することを知るばかりでなく、時には損失を被る経験をした者こそ真の益者と云うものである。物事の浮き沈みの本質は分かり難いが明瞭に現れる。夏王朝の六代皇帝の夏后帝少康が、母の実家の有仍國で苦労したが、これは夏王朝の再興に繋がった。鼎雉の災難は殷王朝を復興させる目出度い印しである。邵宮の災難は周王朝を興隆させる目出度い印しである。越王勾践が武装兵と共に険峻な會稽山に立てこもったのは、越国を再興する為の基礎を固める為の手段である。戦国時代の燕の宰相子之が起こした動乱は、燕国を強国化した。このように物事を高めることを知った上で、時には屈することも必要なことを理解している者こそ真の成功者である。」と。君主の悩み事は、二つの成し遂げ難いものの間で恒常的に確立され、君主の地位に居て國が治まっていなければ、これほど心を痛めることは無い。国を治めると云うことは常に刻苦勉励し、世情を矯め治して人の道を守り通させることだが、それは難しいことである。目の前の難事を処理することに懸命なのが愚かな君主のすることであり、目に見えない難事を見つけ出して前以て処理するのが明主の遣り方である。大臣の悩み事は、二つの道理に反する行為の間で恒常的に確立され、その地位に止まっていて忠誠正直の手段を執らないのは罪である。忠誠正直の手段を執りながら、君主を詐り部下を切り捨てるのは、罪である。目の前の罪事に目を向けるのが邪臣の行為である。目に見えない罪事を見つけ出して前以て処理するのが忠臣の遣り方である。臣下の道義と云うものは、「吾が君は長けたお人なので、私は補佐する必要も無いし、助言する必要も無い」と言い訳をすることでもないし、そうして忠節を尽くさないことではない。また、「吾が君は愚鈍だが、私の関与することでも無いのだから、助言など必要ない」と言い訳することでもないし、そうして忠節を尽くさないことではない。必ず誠意を以て仕え、臣下として守るべき道を表明して全力を尽くす、これに尽きるのである。こうして誠心誠意務めた上で潔く退職するのが臣下の採るべき道理なのである。こうして君主と臣下は意見が異なる事があって逆らって叛き合ったり屈伏し合ったりしても傷つけ合うことは無いのである。臣下には三つの罪過が有り、一つ目は君主の道に外れた行為に手を貸すこと、二つ目は君主の過失に目を瞑って己の意思を曲げて従うこと、三つ目は無闇に君主の寵愛を受けることである。過失には目を瞑って引き立てることを導(てびき)すると云い、君主にひたすら黙って従う行為を阿(おもね)ると云い、諫言することも無く君主の過ちを見過ごす行為を職務を尸(おこたる)と云う。手引きした臣下は死罪にし、追従した臣下は刑罰に処し、職務怠慢の臣下は退職させる。忠節を尽くさせる手立てとして三つの方法が有る。一つ目は防ぐことであり、二つ目は救うことであり、三つ目は戒めることである。まず反抗させないように手を打つこと則ち防、次が言葉で説得すること則ち救、更にその行動を見て説き聞かせること則ち戒である。一番大事なのが防であり、次いで救、更に戒が続く。臣下は忌憚なく君主に思いを告げ、君主は臣下の意向を善く聞いてやることが大切である。臣下が口をつぐんでいればなおのこと、発言しやすいように環境を整えてやる必要がある。臣下が忌憚なく意見を述べているようでも、述べきらない處が有ることを察知することは至難のことである。閉じた口は開いてやるように仕向けてやる必要がある。頑なに口を閉ざしている場合は、その口を開かせることは至難の業である。
[参考]
  ・<孟子、告子章句下>
      「22曹交問曰:「人皆可以為堯舜,有諸?」」
  ・<荀子、王霸>
      「13・・・楊朱哭衢涂,曰:「此夫過舉蹞步,而覺跌千里者夫!」」 
  ・縣度(山):漢時代にあった西域の故山名。渓谷に阻まれた交通不便な山。縄伝いに通うほどの難所。  
  ・<史記、貨殖列傳>
      「7范蠡既雪會稽之恥,乃喟然而嘆曰:「計然之策七,越用其五而得意。既已施於國,吾欲用之
        家。」乃乘扁舟浮於江湖,變名易姓,適齊為鴟夷子皮,之陶為朱公。朱公以為陶天下之中,
        諸侯四通,貨物所交易也。乃治產積居。與時逐而不責於人。故善治生者,能擇人而任時。十
        九年之中三致千金,再分散與貧交疏昆弟。此所謂富好行其德者也。後年衰老而聽子孫,子
        孫修業而息之,遂至巨萬。故言富者皆稱陶朱公。」
  ・有仍:春秋戦国時代の小国。任とか仍とも云う。
  ・陶朱:春秋時代の越王勾践の臣であった范蠡の変名。
  ・<春秋左傳、哀公元年>
      「2吳王夫差敗越于夫椒,報檇李也,遂入越,越子以甲楯五千,保于會稽,使大夫種因吳大宰嚭
        以行成,吳子將許之,伍員曰,不可,臣聞之,樹德莫如滋,去疾莫如盡,昔有過澆,殺斟灌
        以伐斟鄩,滅夏后相,后緡方娠,逃出自竇,歸于有仍,生少康焉,為仍牧正,惎澆能戒之,
        澆使椒求之,逃奔有虞,為之庖正,以除其害,虞思於是妻之以二姚,而邑諸綸,有田一成,
        有眾一旅,能布其德,而兆其謀,以收夏眾,撫其官職,使女艾諜澆,使季杼誘豷。遂滅過
        戈,復禹之績。祀夏配天,不失舊物,・・・」
  ・<尚書、商書、高宗肜日>
      「 高宗肜日: 高宗祭成湯,有飛雉升鼎耳而雊,祖己訓諸王,作《高宗肜日》、《高宗之訓。」     
      「1高宗肜日,越有雊雉。祖己曰:「惟先格王,正厥事。」乃訓于王。曰:「惟天監下民,典厥義。降
        年有永有不永,非天夭民,民中絕命。民有不若德,不聽罪。天既孚命正厥德,乃曰:『其如
        台?』嗚呼!王司敬民,罔非天胤,典祀無豐于昵。」」  后因以"鼎雉"指災異的徴候。(天災
        地異の兆し)
  ・<史記、越王句踐世家>
      「3三年,句踐聞吳王夫差日夜勒兵,且以報越,越欲先吳未發往伐之。范蠡諫曰:「不可。臣聞兵
        者凶器也,戰者逆德也,爭者事之末也。陰謀逆德,好用凶器,試身於所末,上帝禁之,行者
        不利。」越王曰:「吾已決之矣。」遂興師。吳王聞之,悉發精兵擊越,敗之夫椒。越王乃以餘兵
        五千人保棲於會稽。吳王追而圍之。 
       4越王謂范蠡曰:「以不聽子故至於此,為之柰何?」蠡對曰:「持滿者與天,定傾者與人,節事
        者以地。卑辭厚禮以遺之,不許,而身與之市。」句踐曰:「諾。」乃令大夫種行成於吳,膝行頓
        首曰:「君王亡臣句踐使陪臣種敢告下執事:句踐請為臣,妻為妾。」吳王將許之。子胥言於吳
        王曰:「天以越賜吳,勿許也。」種還,以報句踐。句踐欲殺妻子,燔寶器,觸戰以死。種止句
        踐曰:「夫吳太宰嚭貪,可誘以利,請閒行言之。」於是句踐以美女寶器令種閒獻吳太宰嚭。
        嚭受,乃見大夫種於吳王。種頓首言曰:「願大王赦句踐之罪,盡入其寶器。不幸不赦,句踐
        將盡殺其妻子,燔其寶器,悉五千人觸戰,必有當也。」嚭因說吳王曰:「越以服為臣,若將赦
        之,此國之利也。」吳王將許之。子胥進諫曰:「今不滅越,後必悔之。句踐賢君,種、蠡良臣,
        若反國,將為亂。」吳王弗聽,卒赦越,罷兵而歸。
       5句踐之困會稽也,喟然嘆曰:「吾終於此乎?」種曰:「湯系夏臺,文王囚羑里,晉重耳奔翟,齊
        小白奔莒,其卒王霸。由是觀之,何遽不為福乎?」」
[感想]
   先ず問い掛けから始まり、テ-マが設定されて荀悦の持論が展開される。ここでは、
   ①学ぶことの大切さと反省について
   ②國の安定を図る上での君主として守るべき心得について
   ③民を愛し慈しむことの大切さについて
   ④君主と臣下の間の有り様について
 触れられている。君子の三鑒・臣下の三罪などが目新しい指摘とでも云うべきか。ここでは21の史実が紹
 介されている。                                                   (01.12.01)続く

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