論語を詠み解く

論語・大学・中庸・孟子を短歌形式で解説。小学・華厳論・童蒙訓・中論・申鑑を翻訳。令和に入って徳や氣の字の調査を開始。

中論-Ⅱ

2017-01-01 09:39:33 | 仁の思想

中論-Ⅱ
治學(學を治める)
1昔之君子成德立行,身沒而名不朽,其故何哉?學也。學也者、所以疏神達思、怡情理性,聖人之上務也。民之初載,其矇未知,譬如寶在於玄室,有所求而不見,白日照焉,則群物斯辯矣。學者、心之白日也,故先王立教官,掌教國子,教以六德,曰智、仁、聖、義、中、和,教以六行,曰孝、友、睦、婣、任、恤;教以六藝,曰禮、樂、射、御、書、數、三教備而人道畢矣。學猶飾也,器不飾則無以為美觀,人不學則無以有懿德。有懿德,故可以經人倫、為美觀,故可以供神明。故《書》曰:「若作梓材,既勤樸斲,惟其塗丹雘。」夫聽黃鐘之聲,然後知擊缶之細、視袞龍之文,然後知被褐之陋、涉庠序之教,然後知不學之困、故學者如登山焉,動而益高、如寤寐焉,久而愈足。顧所由來,則杳然其遠,以其難而懈之,誤且非矣!《詩》云:「高山仰止,景行行止。」好學之謂也。
[訳 1]
 昔の君子は徳を成し行を立て、身没し而して名は不朽なり、其の故は何か?学なり。学なる者は、神を疏(ときあか)し思いを達(つらぬ)き、情を怡(やわら)げ性を理(とと)のえる所以にして、聖人の上務なり。民の初めて載(おぼ)えるや、其れ矇(くら)く未知にして、譬えば宝が玄室に在りて、求める所有るも見えざるが如く、白日焉(これ)を照らせば、則ち群物斯に辯ず。學なる者は、心の白日なり、故に先王は教官を立て、国子に教えることを掌らしめ、教えるに六徳を以てし、曰く智・仁・聖・義・中・和、教えるに六行を以てし、曰く孝・友・睦・婣・任・恤、教えるに六藝を以てし、曰く禮・樂・射・御・書・數、三教備わり而して人道畢(お)わる。學は猶お飾りのごとくなり、器は飾らざれば則ち以て美観を為す無く、人学ばざれば則ち以て懿徳有ること無し。懿徳有り、故に以て人倫を経るべく、美観を為し、故に以て神明に供すべし。故に<書>に曰く、「梓材(しざい)を作るが若く、既に樸斲(はくたく)に勤め、惟れ其れ丹雘(たんわく)を塗る」と。夫れ黃鐘の聲を聴き、然る後に擊缶(げきふ)の細を知り、袞龍(こんりょう)の文(あや)を視て、然る後に被褐(ひかつ)の陋を知り、庠序(しょうじょ)の教へを渉(へ)て、然る後に不學の困(くる)しみを知り、故に学は山に登るが如く、動き而して益々高く、寤寐(ごび)の如く、久しく而して愈(ますます)足りる。由来する所を顧みれば、則ち杳然(ようぜん)として其れは遠く、其の難きを以て之れを懈(おこた)るは、誤りにして且つ非なるものかな!<詩>に云うに、「高山は仰ぎ、景行は行く」と。學を好めの謂いなり。
 古えの君子は人の道を体得して行跡を後世に残し、死んだ後もその名を後世に長く残したと云うが、その理由は何処にあるのだろうか?それは学ぶと云うことにある。学ぶと云うことは、精神の働きを解き明かしその思いを貫き通し、感情を和らげ理性を正常に保つと云うことで、聖人の最大の務めである。民が初めて学ばんとする時は知識が無いのは当たり前のことで、例えば宝物が真っ暗闇の中に置いてあって見つけようとしても見つけられない様なもので、白日の下にこれを照らせば確りと見通すことが出来る。学ぶと云うことは、心にとっては太陽のように大切なものであり、だから昔の聖天子は教育者を設けて高官の子らの教育の任に当たらせ、教科として六徳の智・仁・聖・義・中・和、六行の孝・友・睦・婣・任・恤、六藝の禮・樂・射・御・書・數の三教科を整備して人の道の具現化を試みた。学ぶと云うことは飽くまで装飾のようなもので、入れ物は飾りを施さないと美しくならないように、人も学ばないと優れた徳が身に備わらないのだ。懿徳が身につけば人の道を会得できるし、それが身を飾ることにもなり、従って精神修養にも繫がることになる。だから<尚書>にも、「木工品を作るにも、必ず荒木を削って下拵えをしてから、塗装して仕上げる」とある。基本の音を確かめてから微妙な音を聞き分け、御衣の美麗な綾模様を見て粗衣の醜さを知り、学校で教育を受けて初めて学ばなかったことの愚かさを知る。更にまた学ぶと云うことは山に登る様なもので、学び始めるとその奥深さは益々深くなり、日夜を分かたず絶えることなく勉学に励むならば、心は益々満たされることになる。以上のことを振り返ってみると、学ぶと云うことはちょっとやそっとの努力では達成できないほどに遠大なものだが、だから難しいことなのだと云って怠るのは誤りでもあり、有ってはならないことなのだ!<詩経>にも、「高い山は仰ぎ見ろ、大きな道は畏れず進め」と云っている位だ。これこそ学問に勤しめと云うことを指している。
[参考]
 ・《書》曰:尚書、周書、梓材、(王啟監,厥亂為民。曰:「無胥戕,無胥虐,至于敬寡,至于屬婦,合由以容。」王其效邦君越御事:「厥命曷以?引養引恬。自古王若茲,監罔攸辟。」惟曰:「若稽田,既勤敷菑,惟其陳修,為厥疆畎。若作室家,既勤垣墉,惟其塗塈茨。若作梓材,既勤樸斫,惟其塗丹雘。」)
 ・梓材:中国では最も優れた良材とされた梓材。
 ・樸斲:切り出したままの加工していない木材切ったり削ったり加工すること。
 ・丹雘:赤色の顔料。   ・黃鐘:音律のうちの基本の音。
 ・擊缶:ほとぎ(胴が太く口の小さい酒壺)を打って拍子をとること。
 ・袞龍:龍の模様を縫い取りした天子の御衣。
 ・被褐:粗末な衣服を着ること。また、その人のこと。野人や隠者を指す。
 ・庠序:古代の学校のこと。庠は周代、序は殷代の名称。
 ・寤寐:目が覚めていることと眠ること。寝ても覚めても。
 ・<詩>:<詩經、小雅、桑扈之什、車轄>、(高山仰止、景行行止。四牡騑騑、
      六轡如琴。覯爾新昏、以慰我心。)
2倦立而思遠,不如速行之必至也、矯首而徇飛,不如循雌之必獲也。孤居而願智,不如務學之必達也。故君子心不苟願,必以求學。身不苟動,必以從師、言不苟出,必以博聞、是以情性合人,而德音相繼也。孔子曰:「弗學,何以行?弗思,何以得?小子勉之,斯可謂師人矣。」馬雖有逸足,而不閑輿,則不為良駿。人雖有美質,而不習道,則不為君子。故學者求習道也。若有似乎畫采,玄黃之色既著,而純皓之體斯亡。敝而不渝,孰知其素歟?子夏曰:「日習,則學不忘。自勉,則身不墮、亟聞天下之大言,則志益廣。」故君子之於學也,其不懈,猶上天之動,猶日月之行,終身亹亹,沒而後已。故雖有其才,而無其志,亦不能興其功也。志者、學之師也,才者、學之徒也。學者、不患才之不贍,而患志之不立。是以為之者億兆,而成之者無幾。故君子必立其志。《易》曰:「君子以自強不息。」
[訳 2]
 倦みて立ちどまり而して遠きを思うは、速やかに行くことの必ず至るに如かざるなり、矯首(きょうしゅ)し而して飛ぶことを徇(もとめ)るのは、雌に循(したが)い必ず獲(とらえ)ることに如かざるなり。独り居て而して智(さと)ることを願うは、學を務めて必ず達することに如かざるなり。故に君子は心に苟そめにも願わず、必ず以て學を求め、身は苟そめにも動かず、必ず以て師に従い、言は苟そめにも出さず、必ず以て聞を博め、是こに以て情性は人に合わせ、而して徳音は相継ぐなり。孔子が曰く、「学ば弗れば何を以て行わん?思わ弗れば何を以て得(さと)らん?小子之れを勉むるに、斯れ人を師とすると謂うべし」と。馬は逸足有りと雖も、而して輿(よ)に閑(なら)わざれば、則ち良駿とは為らず。人は美質有りと雖も、而して道を習わざれば、則ち君子に為らず。故に學は道を習うことを求むるなり。畫采(がさい)に似るところ有るが若く、玄黃(げんこう)の色既に著(あらわ)れ、而して純皓(じゅんこう)の體は斯に亡ぶ。敝(やぶ)れ而して渝(か)わらざれば、孰(たれ)か其の素(もと)を知らん歟(や)?子夏が曰く、「日毎に習えば、則ち學忘れず。自ら勉めれば、則ち身は堕(もちくず)さず、亟(たびたび)天下の大言を聞けば、則ち志しは益々廣し」と。故に君子の學に於けるや、其れ懈(おこた)らざること、猶上天の動くがごとく、猶日月の行くがごとく、終身亹亹(びび)として、没し而して後已む。故に其れ才有りと雖も、而して其れ志無ければ、亦た其れ功を興すこと能わざるなり。志は、學の師なり、才は、學の徒なり。學は、才の贍(た)らざるを患(うれ)えず、而して志の立たざるを患う。是れは以て之れを為す者億兆に、而して之れを成す者は幾ばくも無し。故に君子は必ず其の志を立つ。<易>に曰く、「君子は以て自ら強(つと)めて息まず」と。
 ・怠けて立ち止まり諦めがちになるのは、怠ることなく着実に実行して達成することに較べたら問題外のことだし、上ばかり見て飛ぶことだけに熱中するのは、雌鳥の後に就いて確実に獲物を捕らえることが出来ることに較べれば問題外のことである。独りでじっとしていて知識を得ようとするのは、学ぶ努力を重ねて必ず達成することに較べれば問題外である。だから君子はそんなことは少しも求めず、必ず学ぶ努力をし、勝手な行動をすることなく、必ず師の云うことを聞き、我が儘なことは云わず、必ず廣く書物を繙き、こうして生まれつきの本性を人々に合わせるように修養し、こうして良い評判は受け継がれて行くことになる。孔子が云うには、「学ばなければどう行動して良いか解るまい?考えることがなければ覚ることも出来まい?君たちが学んだり考えたりする、これが師を求める理由なのだ」と。いくら早い馬でも、調教師の指導を受けなければ駿馬とは為らない。人はいくら良い性質を持っていても人の道を学ばなければ、君子と為ることは出来ない。だから学ぶと云うことは、人の道を身に付けようと努力することなのだ。色づけと似た處があって、玄黄色に塗れば純白の下地は隠れてしまう。割って下地が現れるようにでもしないと、もとの色彩など解りようがない。子夏が云うには、「日々学習に励めば、学んだことを忘れることもない。努力さえすれば、身を持ち崩すこともないし、絶えず巷にある優れた言葉を聞いて居れば、志は益々広大になる」と。だから君子が学ぶ時には、絶えず怠らず、休みなく動く天空のように、また日月のように、一生倦まずたゆまず、朽ちるまで続けるのである。だからこそ才能があるからと云っても、志が伴わなければ成功することは出来ないのだ。志というものは学ぶための目標であり、才能というものは学ぶための手段である。学ぶ上で才能が不十分だからと云って嘆く必要はなく、志を立てることが出来ないことを憂うべきである。学ぼうとする者は数限りないが、志を達成できる者はほんの僅かに過ぎない。と云うわけで君子は必ず己の志を打ち立てる。<易経>にも、「君子たる者は、日々に自ら務め励んで休むことがない」とある。
[参考]
 ・《易》:<易經、乾卦、象傳>、 「象曰、天行、健, 君子以自強不息」
3 大樂之成,非取乎一音、嘉膳之和,非取乎一味、聖人之德,非取乎一道。故曰:學者、所以總群道也。群道統乎己心,群言一乎己口。唯所用之故,出則元亨,處則利貞,默則立象,語則成文。述千載之上,若共一時、論殊俗之類,若與同室、度幽明之故,若見其情、原治亂之漸,若指已效。故《詩》曰:「學有緝熙于光明。」其此之謂也。夫獨思則滯而不通,獨為則困而不就,人心必有明焉,必有悟焉。如火得風而炎熾,如水赴下而流速。故太昊觀天地而畫八卦,燧人察時令而鑽火,帝軒聞鳳鳴而調律,倉頡視鳥跡而作書,斯大聖之學乎神明而發乎物類也。
[訳 3]
 大樂(おおがく)の成るは、一音を取るに非ず、嘉膳の和は、一味を取るに非ず、聖人の徳は、一道を取るに非ず。故に曰く、「學は、群道を総ぶる所以なり」と。群道は己が心に総べられ、群言は己が口に一たり。唯だ之れを用いる所の故は、出でては則ち元(おお)いに亨(とお)り、處(お)りては則ち貞(ただ)しきに利(よ)ろしく、黙しては則ち象を立て、語りては則ち文を成す。千載の上を述べるに、共に時を一にするが若く、殊俗の類を論じるに、與に室を同じくするが若く、幽明の故を度(はか)るに、其の情を見るが若く、治亂の漸を原(たず)ねるに、已なる效(いさお)を指すが若し。故に<詩>に曰く、「学んで光明に緝熙(しゅうき)すること有り」と。其れ此の謂いなり。夫れ独り思えば則ち滞り而して通らず、独り為せば則ち困(くる)しみ而して就(な)らず、人心必ず明有り、必ず悟るところ有らん。火は風を得而して炎熾(さか)んなる如く、水は下に赴き而して流れ早きが如し。故に太昊(たいこう)が天地を観(みわた)し而して八卦を画き、燧人(すいじん)が時令を察し而して鑽火(さんか)し、帝軒(ていけん)が鳳鳴(ほうめい)を聞き而して調律し、倉頡(そうけつ)が鳥跡を視て而して書を作り、斯くして大聖の神明に学び而して物類に発するなり。
 大規模な演奏をするには一つの音だけでは出来ないし、美味しい料理が程よく調えられるのも一つの味だけでは出来ない。同じように、聖人の徳も一つの道義だけで出来ている訳ではない。だから、「学ぶと云うことは、多くの道義(群道)を一つに纏め挙げるものだ」と云われている。群道は自身の心の中で纏め挙げられ、多くの言葉(群言)が一つになって自身の口から発せられる。一般に群道・群言が正しく纏められれば、何処に行っても万事上手く行くし、家に籠もっていても正しく操を守ることが出来るし、黙っている時には確りと道理を守り、語る時には筋道を確りと通すのである。それは、古い昔のことを語るに際してあたかも同時代に生きていたように、異なる風俗について語るに際してあたかも経験済みなように、あの世とこの世の事を推し量るに際してあたかも見てきたように、治乱の兆しを見出すに際してあたかも既に起きている現象を指さすように、誠に易きことなのである。<詩経>にも、「学べば学ぶほど賢くなる」とある。其れはこう言うことを云っているのだ。独りで思い悩んでも滞るばかりで問題は解決しないし、独りで行っても困窮するばかりで問題は解決しないのだが、人の心は賢いのだから、必ず悟りは開かれる。火は風が吹けば炎は燃え上がるように、水は下に行くほど流れが速くなるようなものである。だから伏羲が天地の成り立ちを見て八卦を生み出し、燧人が巡り来る時節の変わり様を調べて木や石を擦り合わせて火を起こし、黄帝が鳳凰の鳴き声を聞いて音楽を編み出し、倉頡が鳥の足跡を見て文字を発明し、こうして優れた聖人達の精神を学んで物事は発達して来たのである。
[参考]
 ・<左傳、昭公20年>、
  大樂:聲亦如味,一氣,二體,三類,四物,五聲,六律,七音,八風,九歌,以相成也,清濁大小,長短疾徐,哀樂剛柔,遲速高下,出入周疏,以相濟也,君子聽之,以平其心,心平德和。
  嘉膳之和:和如羹焉,水火醯醢鹽梅,以烹魚肉,燀之以薪,宰夫和之,齊之以味,濟其不及,以洩其過,君子食之,以平其心。
 ・《詩》:<詩経、周頌、閔予小子之什 、敬之>、「敬之敬之、天維顯思、命不易哉。無曰高高在上、陟降厥士、日監在茲。維予小子、不聰敬止。日就月將、學有緝熙于光明。佛時仔肩、示我顯德行。」
 ・太昊:伝説上の帝王、伏羲(ふっき)のこと。
 ・燧人:伝説上の帝王、木をこすって火を起こし、煮炊きすることを教えた帝王。
 ・帝軒:伝説上の帝王、黄帝のこと。歴算・音楽・文字・医薬などを発明。
 ・倉頡:伝説上の帝王、黄帝の記録係を務め、文字を発明。
 ・<周易、繫辭上傳>、子曰:「書不盡言,言不盡意。然則聖人之意,其不可見乎。」子曰:「聖人立象以盡意,設卦以盡情偽,繫辭以盡其言,變而通之以盡利,鼓之舞之以盡神。」
4賢者不能學於遠,乃學於近,故以聖人為師。昔顏淵之學聖人也,聞一以知十、子貢聞一以知二,斯皆觸類而長之,篤思而聞之者也。非唯賢者學於聖人,聖人亦相因而學也。孔子因於文武,文武因於成湯,成湯因於夏后,夏后因於堯舜。故六籍者、群聖相因之書也。其人雖亡,其道猶存。今之學者勤心以取之,亦足以到昭明而成博達矣。凡學者、大義為先,物名為後,大義舉而物名從之。然鄙儒之博學也,務於物名,詳於器械,矜於詁訓,摘其章句,而不能統其大義之所極以獲先王之心,此無異乎女史誦《詩》、內豎傳令也。故使學者勞思慮而不知道,費日月而無成功,故君子必擇師焉。
[訳 4]
 賢者は遠くに学ぶこと能わず、乃ち近きに学び、故に聖人を以て師と為す。昔顏淵の聖人に学ぶや、一を聞き以て十を知り、子貢は一を聞き以て二を知る、斯れらは皆類に触れ而して之れを長じ、篤く思い而して之れを聞く者なり。唯だ賢者のみ聖人に学ぶに非ず、聖人も亦た相い因り而して学ぶなり。孔子は文武に因り、文武は成湯に因り、成湯は夏后に因り、夏后は堯舜に因る。故に六籍は、群聖が相い因るの書なり。其れ人亡ぶと雖も、其の道は猶お存す。今の學者が心を勤(つく)して以て之れを取り、亦た以て昭明を到し而して博達を成すに足れり。凡そ學は大義が先きと為り、物名は後と為り、大義が挙り而して物名之れに従う。然し鄙儒(ひじゅ)の博学は、物名に務め、器械に詳しく、詁訓に矜(おご)り、其の章句を摘み、而して其の大義の極める所を総べて以て先王の心を獲(とら)えること能わず、此れ女史の<詩>を誦すること、內豎(ないしゅ)の令を伝えることと異なるところ無し。故に学ぶ者を使(し)て思慮を労し而して道を知らず、日月を費やし而して成功すること無く、故に君子は必ず師を擇ぶ。
 賢い人はわざわざ遠くまで出かけて行って学ぶようなことはせず、近くに聖人を見出して師としたものである。昔、顔淵は聖人孔子に学び、子貢に、「顔淵は一を聞いて十を知るという賢さなのに、私は一を聞いて二を知る愚かさ」だと言わしめたが、これらは皆聖人を求めて学業を深め、熱心にその教えを受けた人々である。賢い人だけが聖人の教えを受ける訳ではなく、聖人と雖もまた互いに学び合うものである。孔子は周朝の文王・武王から、文王・武王は殷朝の湯王から、湯王は帝禹から、そして帝禹は帝尭・帝舜から学んだのである。だから六籍は多くの聖人が共同して作り上げた成果の現れなのである。譬え人は死んでも、その作り上げた人の道は残り続ける。今の学者が懸命にこの教えを学び、またそうして光明を見出せば造詣を深めることが出来るというものである。一般に学ぶには大義が先で物の名前はその後になり、大義を教わりさえすれば物の名前は自然と理解できることになる。ところが俗儒らが云っている博学というものは、まず物の名前を理解することを第一として、道具に関する知識を深めることに勉め、古い時代の言葉の解釈に固執し、その章句に拘っている、だからこそ六籍が語る大義の真意を把握して先王の思いを捉えることは出来ないし、このことは後宮の女官が詩を読誦したり、内裏に近侍する童子が勅命を伝えたりする単純な行為と何ら変わる所がないのである。と云うわけで学ぶ者が苦労する割には人の道を把握することが出来ず、時間を費やすだけで得るものが少ない、だから君子は必ず良師を選んで道を外さないのである。
[参考]
 ・文武:周の文王及び武王のこと。 ・成湯:殷の湯王のこと。
 ・夏后:禹王朝のこと。 ・堯舜:聖天子の帝堯と帝舜のこと。
 ・六籍:儒家の書籍。詩経・書経・易経・禮経・春秋・樂経を指す。
 ・女史:昔、文書の事務を扱った女官。中国では古来,天子の記録官として史官が置かれたが,これに対応して後宮には女史を置いた。ここから転じて学識ある女性の呼称となった。女史の制度はすでに《周礼》に見える。  
   <周禮、天官冢宰>、 女史:掌王后之禮職,掌內治之貳,以詔後治內政。逆內宮。書內令。凡後之事,以禮從。
 ・內豎:<周禮、天官冢宰> 、掌內外之通令,凡小事。若有祭祀、賓客、喪紀之事,則為內人蹕。王后之喪,遷于宮中,則前蹕;及葬,執褻器以從遣車。
      内裏に近侍する役目を担った元服前の童子(15~19歳)を指したとも言われ、主として内裏の殿上にて日直あるいは宿直して内部の警備や雑務を行い、節会などの宮中行事に供奉したり、天皇に時刻を奏したり、天皇や三后の命令を諸官司に伝達するなどの業務を行った。
[感想]
 学ぶことの重要さは誰もが認識していることで、古くは大戴禮に勸學、小戴禮(禮記)に學記そして荀子に勧学などと多くの漢籍に取り挙げられていて珍しいことではない。徐幹の陳述には取り立てて珍しい思想の展開がある訳ではないが、一つ取り挙げるとすれば、「學也者、所以疏神達思、怡情理性,聖人之上務也。」即ち、「学ぶと云うことは、精神の働きを解き明かし、その思いを貫き通し、感情を和らげ、理性を正常に保つことで、聖人の最大の務めである。」と云った処か。群道・群言のさわりも見逃してはなるまい。
                                                              (29.01.01)続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする