goo blog サービス終了のお知らせ 

論語を詠み解く

論語・大学・中庸・孟子を短歌形式で解説。小学・華厳論・童蒙訓・中論・申鑑を翻訳。令和に入って徳や氣の字の調査を開始。

[气・氣]余論

2022-08-14 15:08:22 | 「氣」の思想

[气・氣]余論
 「雲龍風虎」と言う四字熟語がある。その意味は、「竜は雲と共に現れ、虎は風を引き連れて現れる」と言うところから、「似たもの同士が互いに引きつけ合う」という意味に用いられる。その出どころは、
 <易経、乾卦、十翼、文言傳> 孔子の言、秦・漢時代に成立。
    「14九五曰:「飛龍在天,利見大人」。何謂也?子曰:「同聲相應,同氣相
                      求。水流濕,火就燥,雲從龍,風從虎,聖人作而萬物覩。・・・」」

から来ている。そこで、[龍]・[雲]・[气・氣]の関連について追跡を試みることにした。 以下順次関連資料を紹介してその解析を試みることにする。先ずは神話の世界から始めてみよう。成立年代について兎角の疑問があるが、人によっては夏王朝時代のものとする<山海経>には、
   龍身・兩龍(二頭の龍)・龍首・晏龍(帝舜の子、琴瑟の創始者)・應龍(黄帝
           に属する水を蓄えて雨を降らせる龍。天地を行き来する)・苗龍(若い龍)・先
           龍(古代伝説中の龍名)

などの記述が見られる。相当古くから、龍に関する知識は豊富であったらしい。更に遡れば、興隆窪文化(BC83~BC75世紀)期の揚家窪遺跡から、地面に石を置いて形作られた2匹の龍の模様が観察されているというのだから、全く驚きと言うほかない。中国は神話・伝説の乏しい国だが、<淮南子・覧冥篇>に記されている人類最古の帝王と言われる黄帝や伏儀の業績を称えた文章に、青龍(青虬)・黒龍(水の神)・応竜(有徳者の下で現れる龍)などが登場している点も見逃せないものがある。
 BC16~BC11世紀に栄えた祭祀儀礼国家の殷王朝では自然神への信仰も盛んで、雨乞いの対象となった龍神もその一つで、甲骨文字として早々と登場している。また、周王朝(西周BC11~BC8世紀、春秋時代BC8~BC5世紀、戦国時代BC5~BC3世紀)の春秋初期に成立されたとする<易経、乾卦、爻辭>には、潛龍(地下に潜む龍)、見龍(地上に姿を現した龍)、飛龍(天に昇った龍)、亢龍(天から降りることを忘れた龍)などの諸龍が紹介されており、更には孔子の言とされる<易経、乾卦、文言傳> には、「雲從龍」とか、「同氣相求」とかの表現があり、「龍と雲」の関係を想像させる文言が記されている。
 「管鮑の交わり」で有名な春秋時代の斉の宰相の管仲は、<管子、水地編>の中で面白い文章を残している。「人は水から出来ている」と言うくだりで、当たり前と云えば当たり前とも云えるが、大胆すぎるとも云えようか?その水と関わりのあるものとして龍が登場し、五色(青・赤・黄・白・黒)の龍が紹介され、神秘な能力を持つことや、後年、<説文解字>に出てくる「气、云气也」の「云气」なる言葉がここで紹介されていることも見逃せない。その「云气」が、<荘子、在宥篇>で「雲の气→雨の基」として捉えられていることも重視すべき事柄であろう。許慎は何故こうした文献が有りながら簡単に「气、云气也」と解説するだけで、何故もっと掘り下げて「气」の性格を記述しなかったのだろうか?
 戦国時代に入ると、この<荘子>の記述を始めとして、<易経>でも「气・雲・雨」の関連が取り扱われてくる。<乾卦、彖傳>では、「大哉乾元,萬物資始,乃統天。雲行雨施」、則ち「偉大な乾元の气は、やがて雲となって流行し、雨となって降り注ぐ」と紹介されてくる。また、同時代の<上博楚簡、恆先>には、「气是自生」とあり、气の独自性が重視されていることも見逃せない処である。
 更に秦・漢時代に入ると、<易経、文言傳>に「飛龍在天,・・・同气相求。・・・雲從龍,風從虎,聖人作而萬物。」なる記載があり、「龍・气・雲」の関連が具体的に紹介されてくる。BC二世紀頃に成立した、<淮南子・覧冥篇>にも青龍や應龍が登場しているのも、根強い「竜神信仰」の現れであろうか?
 さて、中唐の詩人韓愈が紀元8~9世紀に至って、<雑説上>で「龍嘘氣成雲(龍吹氣,使氣成為雲)」なる文章を記しており、やっとここに至って龍の吐く呼氣が雲となると言う直截簡明な表現に遭遇することになる。
[参考]
 <山海経、西山經>
   「43・・・其子曰鼓,其状如人面而龍身,是與欽□殺葆江于崑崙之陽,・・・」
 <山海経、海外南經>
   「24南方祝融,獸身人面,乘兩龍。」
 <山海経、海外西經>
   「4大樂之野,夏后□於此儛九代;乘兩龍,雲蓋三層。・・・」
   「23西方蓐收,左耳有蛇,乘兩龍。」
 <山海経、海外東經>
   「16東方勾芒,鳥身人面,乘兩龍。」
 <山海経、海内南經>
   「13□□龍首,居弱水中,在狌狌知人名之西,其状如龍首,食人。」
 <山海経、海内北經>
   「19從極之淵深三百仞,維冰夷恒都焉,冰夷人面,乘兩龍。一曰忠極之淵。」
 <山海経、海内東經>
   「6雷澤中有雷神,龍身而人頭,鼓其腹。在呉西。」
 <山海経、大荒東經>
   「12有司幽之國。帝俊生晏龍,晏龍生司幽,・・・」
   「34・・・應龍處南極,・・・旱而為應龍之?,乃得大雨。」
 <山海経、大荒西經>
   「45西南海之外,赤水之南,流沙之西,有人珥兩青蛇,乘兩龍,名曰夏后開。」
 <山海経、大荒北經>
   「15・・・應龍已殺蚩尤,又殺夸父,乃去南方處之,故南方多雨。」
   「20・・・黃帝乃令應龍攻之冀州之野。應龍畜水,・・・雨師,縱大風雨。」
   「23・・・黃帝生苗龍,苗龍生融吾,融吾生弄明,・・・」
   「32・・・風雨是謁。是燭九陰,是謂燭龍。」
 <山海経、海内經>
   「27伯夷父生西岳,西岳生先龍,先龍是始生氐羌,氐帝羌乞姓。」
   「35帝俊生晏龍,晏龍是為琴瑟。」
 <淮南子・覧冥篇> 
   「8昔者黄帝治天下,・・・風雨時節,五穀登孰,虎狼不妄噬,鷙鳥不塾搏,鳳皇翔     于庭,麒麟游於郊,青龍進駕,飛黄伏皂,・・・」
   「9・・・乘雷車,服駕應龍,驂青虬,援絶瑞,席蘿圖,黄雲絡,・・・」
 <甲骨文合集、13002> 殷王朝時代。

<易経、乾卦、爻辭> ~春秋初期
   「2初九:潛龍,勿用。」
   「3九二:見龍在田,利見大人。」
   「6九五:飛龍在天,利見大人。」
   「7上九:亢龍有悔。」
 <管子、水地> 春秋時代に成立。
   「1・・・水者,地之血氣,如筋脈之通流者也。故曰「水具材也。」
     水は地の血氣にして、筋脈の通流するが如き者なり。故に曰く「水は材を具     
                  (そな)えるなり」と。

   「5人,水也。男女精氣合,而水流形。」
     人は水なり。男女の精氣合し、而して水は形を流(し)く。
   「6・・・伏闇能存而能亡者,蓍龜與龍是也。龜生於水,發之於火,於是為萬物先,     
                 為禍福正。龍生於水,被五色而游,故神。欲小則化如蠶蠋,欲大則藏(函)     
                 於天下(地),欲上則凌於云氣,欲下則入於深泉,變化無日,上下無時,謂     
                 之神。龜與龍,伏闇能存而能亡者也。」

     伏闇(ふくあん)にして能く存して能く亡びる者は、蓍龜と龍と是れなり。
     亀は水に生じ、之れを火に発す。是に於いて萬物の先と為り、禍福の正と為     
                  る。龍は水に生じ、五色を被(こうむ)りて游ぐ。故に神なり。小ならんと     
                  欲すれば則ち化して蠶蠋(さんしょく)の如く、大ならんと欲すれば則ち天     
                  地を函(い)れ、上(のぼ)らんと欲すれば則ち云气を凌ぎ、下らんと欲す     
                  れば則ち深泉に入り、変化すること日無く、上下すること時無く、之れを神     
                  と謂う。亀と龍とは、伏闇にして能く存して能く亡ぶ者なり。

 <荘子、在宥篇> 戦国時代に成立。
   「3・・・自而治天下,云气不待族而雨,草木不待黄而落,日月之光益以荒
                  矣。・・・」

     而(なんじ)の天下を治めしより、云气は族(あつ)まるを待たずして雨が     
                  降り、草木は黄ばむを待たずして落ち、日月の光は益々以て荒(ぼう)た
     り。

     云气不待族而雨:雲の气が十分に集まらぬうちに雨となる。(恵みとなる雨     
     の量が少ないという意味。)

 <易経、乾卦、彖傳> 戦国中期~後期に成立。
   「彖曰、大哉乾元,萬物資始,乃統天。雲行雨施,品物流形。大明始終,六位時     
    成,時乘六龍以御天。乾道變化,各正性命,保合大和,乃利貞。首出庶物,     
    萬國咸寧。」

     彖に曰く、大いなるかな乾元、萬物資(と)りて始む。乃ち天を統ぶ。雲行     
     き、雨施し、品物形を流(し)く。大いに終始を明らかにし、六位時に成
     る。

     時に六龍に乗り以て天を御す。乾道変化し、各々性命を正しくし、大和を保     
     合するは、乃ち利貞なり。庶物に首出し、萬国咸(ことごと)く寧(やす)     
     し。

     雲行雨施:萬物を生じる天の氣は、やがて雲となって流行し雨となって降り          
     注ぐ。 乾元:天(の働き)を指す。「乾,天也。《易・説卦傳》」

   <説文解字>
     「乾:上出也。」→上に出るもの。→空の意。    
     「元:始也。」→萬物化成の根元。→萬物を生じる氣。
 <上博楚簡、恆先> 戦国後期に成立。
   「恆先无、・・・域作。有域焉有气,有气焉有有。有有焉有始。・・・气是自生,恒莫    
    生气。气是自生自作。恒气之生,不独有与也。・・・」

    恆(こう)の先は無にして、・・・域(わく)作(おこ)る。域有れば焉(すな
    わ)ち气有り。气有れば焉ち有有り。有有れば焉ち始め有り。・・・气は是れ自ら
    生じ、
恆は气を生じること莫し。气は是れ自ら生じて自ら作る。恆は气の生じ
    るや、
独り與(くみ)すること有らざるなり。・・・
 <易経、乾卦、文言傳> 秦・漢期に成立。
   「14九五曰:「飛龍在天,利見大人」。何謂也?子曰:「同聲相應,同氣相求。
    水流濕,火就燥,雲從龍,風從虎,聖人作而萬物覩。・・・」」

 <説文解字> AC100年に成立。
   「(气)雲气也。气氣古今字,自以氣爲雲气字,乃又作餼爲廩氣字矣。气本雲气,     
    引伸爲凡气之偁。」

 <淮南子・覧冥篇> BC二世紀頃成立。
   「8昔者黄帝治天下,・・・風雨時節,五穀登孰,虎狼不妄噬,鷙鳥不妄搏,鳳皇翔     
    于庭,麒麟游於郊,青龍進駕,飛黄伏皂,・・・」

     昔し黄帝が天下を治めて、・・・風雨時節あり、五穀登孰(とうじゅく)し、虎     
    狼妄りに噬(か)まず、鷙鳥(しちょう)妄りに搏(う)たず、鳳皇庭に翔     
    (かけ)り、麒麟郊に游び、青龍駕を進め、飛黄皂(うまや)に伏し、・・・

   「9・・・乘雷車,服應龍,驂青虬,援絶瑞,席蘿圖,黄雲絡,・・・
     雷車に乗り、應龍を服し、青虬(せいきゅう)を驂し、絶瑞(ぜつずい)を
     援(と)り、蘿圖(らと)を席(し)き、黄雲の絡(おもがい)もて、・・・
 <韓愈、雑説上> 中唐の詩人(紀元8~9世紀)の作。
   「龍嘘氣成雲(龍吹氣,使氣成為雲),雲固弗靈於龍也。 然龍乘是氣,茫洋窮乎    
    玄間,薄日月,伏光景,感震電,神變化,水下土, 汨陵谷, 雲亦靈怪矣哉
    (雲是龍所創造出來的,卻能輔佐龍,使更為神靈;以喩君臣關係)。雲,龍之
    所能使為靈也。若龍之靈,則非雲之所能使為靈也。然龍弗得雲,無以神其靈
    矣。失其所憑依,信不可歟。異哉! 其所憑依,乃其所自為也(雲所憑藉的,乃
    是它自已所創造出來的雲)。《易》曰:「雲從龍。」既曰龍,雲從之矣。」

    龍、氣を嘘(うそぶ)けば雲を成し、雲はもとより龍より靈ならざるなり。然    
    れども龍是の氣に乘じ、茫洋として玄閒を窮め、日月にせまり、光景に伏し、    
    震電に感じ、変化を神にし、下土を水にし、陵谷をしづむ。雲もまた靈怪なる    
    かな。雲は龍のよく靈たらしむる所なり。龍の靈のごときは、すなはち雲のよ    
    く靈たらしむる所にあらざるなり。然れども龍は雲を得ざれば、もって其の靈    
    を神にする無し。其の憑依する所を失へばまことに不可なるか。異なるかな、    
    其の憑依する所は、すなはち其の自らなす所なり。易に曰く、「雲は龍に従
    ふ」と。既に龍と曰へば、雲これに従ふ。  

    嘘(はく):ゆっくり息を吐き出す。
 <述異記、梁任昉> 南朝梁の任昉撰。六世紀。
   「水虺五百年化爲蛟、蛟千年化爲龍、龍五百年爲角龍、千年爲應龍。」
    水虺は五百年にして化して蛟と為り、蛟は千年にして化して龍と為り、龍は五    
    百年にして角龍と為り、千年にして應龍と為る。

 <瑞応記> 成立年代不詳。
   「黄竜神精、応竜は四竜之長也。」  黄竜は神の精、応竜は四竜の長なり。
    四竜:蒼竜(青竜)、赤龍(紅竜)、白竜、黒竜。
[感想]
 韓愈の記事を調べている時に、高弟の李翊に当てた以下の文章が目にとまった。その中に、「气,水也。」と言う文字があり、一瞬ドキッとした。「气とは水である」という記載に目を見張ったわけである。後漢の許慎の表した<説文解字>には「气、雲气なり。」とあるが、700年程経つ唐代になるとこうも直截な表現になるものか?とビックリした次第。しかしよくよく読んでみると、「气」の性格を水に例えただけのことと解って訳も無く安堵したりガッカリもしたりと言う訳である。

 <韓愈、唐宋八家文、答李翊書> 中唐の詩人(紀元8~9世紀)の作。
    「六月二十六日,愈白。李生足下:・・・气,水也。言,浮物也。水大而物之浮者     大小畢浮、气之与言犹是也。气盛則言之短長与声之高下者皆宜。雖如是,其敢自謂幾於成乎! 雖幾於成,其用于人也奚取焉?・・・」   
     六月二十六日,(韓)愈白。李生足下:・・・气は水なり。言(ことば)は浮き     物なり。水大に而して物の浮かぶ者は大小畢(ことごと)く浮かび、气之れと言は猶お是れのごときなり。气盛んなれば則ち言の短長と聲の高下は皆宜し。是の如しと雖も、其れ敢えて自ら成るに幾(ちか)しと謂わんや!成るに幾しと雖も、其の人に用いらるるや奚(いづく)んぞ取らん?
     六月二十六日,韓愈が李翊君にお答えする:・・・人が発する気息というものは、水に例えられる。その気息が形となって表れた言葉は、水に浮かんでいる物     に例えられる。以下略。
                                                      (令和4.08.14)完

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古漢籍に見る[氣]の思想②

2021-07-01 08:58:16 | 「氣」の思想

古漢籍に見る[氣]の思想②
 引き続き<易教>以後の古漢籍について見てみよう。
2.<孫子兵法> [春秋、(紀元前515年~紀元前512年)] 成立
 古漢籍(詩経・周易・尚書を除く)の中で『氣』の成語が初めて現れるのは、孫武が著した<孫子兵法>である。ここでは士気・鋭氣など心の在り方についての成語のみに限られてはいるが、単なる物質的現象として認識していたのではなく、既に霊妙なエネルギ-の発露として『氣』の姿を捉えていたことが解る。
 『氣』の字は、全てで7個登場する。その内、『氣』字単独で用いられている数は3個、成語は以下の4種類である。すなわち、
 ①.物理的実体(形而下的対象)としての捉え方をした成語群。
  ・なし。
 ②.心理的実体(形而上的対象)としての捉え方をした成語群。
  ・朝氣:張り詰めた高い士気。
  ・昼氣:弛みきった士気。
  ・暮氣:帰陣の事で頭が一杯になり戦意を失った士気。
  ・鋭氣:鋭い気性
 ③.総合的実体(全的対象)としての捉え方をした成語群。
  ・なし。
 朝氣・昼氣・暮氣などの成語は「観天望氣」を想像させるが、「望氣」と云う言葉は見当たらない。孫子と雖も兵法とまで昇華させるには至らなかったと云う事か?次の<墨子>の中でこれが出てくるのだから、皮肉なものである。
[参考]
 ・実体二元論とは、
    ①.物理的実体(形而下的対象)
    ②.心理的実体(形而上的対象)
    ③.総合的実体(私的追加区分)
 ・<孫子兵法、軍爭>
  「5故三軍可奪氣,將軍可奪心。是故朝氣銳,晝氣惰,暮氣歸;故善用兵者,避其銳氣,擊其惰歸,此治氣者也。・・・」
 ・<孫子兵法、九地>
  「3凡為客之道,深入則專,主人不克,掠于饒野,三軍足食,謹養而無勞,併氣
    積力,運兵計謀,為不可測,投之無所往,死且不北,死焉不得,士人盡力。・・・」
3.<墨子> [春秋~戰國、(公元前490年~公元前221年)] 成立
 成語の種類も多くなり、心理面での進展が見られる。<墨子>は、兎角「兼愛・非攻」で論じられることが多いが、「戦技・攻防」の部分で『氣』の字が多用されている處に特徴がある。
 『氣』の字は、全てで15個登場する。その内、『氣』字単独で用いられている数は5個、成語は以下の10種類である。(但し、人乞→人氣は除く)すなわち、
 ①.物理的実体(形而下的対象)
  ・望氣:雲氣の状態を見て、吉凶などの状況判断を占うこと。
  ・大将氣:大将たるべき者の居る所に立ち上る雲気。大将が現れる気配。
  ・少将氣:少将たるべき者の居る所に立ち上る雲気。少将が現れる気配。
  ・往氣:進軍機会を暗示する気配。
  ・来氣:迎撃機会を暗示する気配。
  ・敗氣:敗色(敗北)を暗示させる気配。
 ②.心理的実体(形而上的対象)
  ・血気:血の気。活力。
  ・民之氣:民衆の意気込み(気持ち)。
  ・志氣:意気込み。
  ・客之氣:敵の士氣。
 ③.総合的実体(全的対象)
  ・なし。
[参考]
 ・<墨子、卷一>
  「1今夫子曰:『聖王不為樂』,此譬之猶馬駕而不稅,弓張而不弛,無乃非有血氣者之所能至邪?」
 ・<墨子、卷十>
  「11實:其志氣之見也,使人知1己。不若金聲玉服。」
 ・<墨子、卷十五>
  「2凡望氣,有大將氣,有小將氣,有往氣,有來氣,有敗氣,能得明此者可知成敗、吉凶。舉巫、醫、卜有所,長具藥,宮之,善為舍。巫必近公社,必敬神之。
    巫卜以請守,守獨智巫卜望氣之請而已。・・・」
  「3・・・靜夜聞鼓聲而譟,所以閹客之氣也,所以固民之意也,故時譟則民不疾矣。」
 ・<墨子、巻九>
   「3・・・是若人氣,鼸鼠藏,而羝羊視,賁彘起。・・・」
     ・・・是れ人の氣(乞=こいもとめ)るが若く、鼸鼠(けんそ)藏し、而して羝羊視(ていようし)し、賁彘(ふんてい)起こる。・・・」
   (注)乞の意味で氣の字が用いられている。
 ・雲氣:水氣が凝結して出来たものが雲で、雲氣とも云われた。
 ・水氣:1.五行中の水の精氣。2.水上の霧氣。中医學で云う寒水の氣。
 ここでも『氣』の思想を問題にしていると言うよりも、何の抵抗も無く『氣』の字を使っており、この頃になると『氣』の思想も大分固まって、市井では普通に使われていたようである。
4.<論語> [春秋~戰國、(紀元前480年~紀元前350年)] 成立
 <論語、述而>「20.子不語怪力乱神」とあるほどだから、孔子は怪的なものや神的なものには触れなかったというが、『氣』の霊的な部分もその範疇に入っていたのかも知れない。
 『氣』の字単独では用いられておらず、成語も僅かに以下の3種類である。すなわち、
 ①.物理的実体(形而下的対象)
  ・辭氣:話しぶり。言葉の勢い。
  ・屏氣:息を止めた状態。息使いをひそめること。
 ②.心理的実体(形而上的対象)
  ・血氣:血の気。活力。
 ③.総合的実体(私的追加区分)
  ・なし。
 ここでも<墨子>と同様な使われ方をしており、息遣いとか生命力とか云った現実的な使用例しか見当たらない。
[参考]
 ・<論語、泰伯>
  「4・・・鳥之將死,其鳴也哀;人之將死,其言也善。君子所貴乎道者三:動容貌,斯遠暴慢矣;正顏色,斯近信矣;出辭氣,斯遠鄙倍矣。籩豆之事,則有司存。」
 ・<論語、鄉黨>
  「4・・・攝齊升堂,鞠躬如也,屏氣似不息者。出,降一等,逞顏色,怡怡如也。」
 ・<論語、季氏>
  「7孔子曰:「君子有三戒:少之時,血氣未定,戒之在色;及其壯也,血氣方剛,戒之在鬭;及其老也,血氣既衰,戒之在得。」」
5.<老子道徳経> [戰國、(紀元前475年~紀元前221年)] 成立
 ここでは<論語>の場合とは反対に、例示は少ないが心理的な面での記述が目立つ。
『氣』の字は以下のように、単独(氣力と精氣と云う意味で使われている)で2個、成語が僅かに1個登場するのみである。すなわち、
 ①.物理的実体(形而下的対象)
  ・なし。
 ②.心理的実体(形而上的対象)
  ・冲氣:天地間の調和した根元の氣。(陰陽の二気が互いにぶつかり合った結果、融合して生じた調和の執れた中和の氣。)
 ③.総合的実体(私的追加区分)
  ・なし。
 さてここに来て始めて、老子ら道家が唱える「宇宙生成論」の中で重要な位置を占める『氣』の思想が登場してくる。道家では、『氣』の占める位置は非常に高いのだが、<道徳経>では何故かそれに関連するものは、この『冲氣』の一成語のみで、これに「萬物負陰而抱陽」なる記述を含めても、関連する言葉の記述が余りにも少ない。しかも『氣』の生じる過程の文章が簡潔過ぎるので、理解に苦しむと同時に多くの論議を呼んでいる。
以下にその見解を纏めておこう。
 その一文とは「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は萬物を生ず。萬物は陰を負い而して陽を抱き、冲氣は以て和を為す。」なるもの。一・二・三とは一体何を意味するのだろうか? 人に由っては無用の詮索で、要するに『道』から『萬物』が生まれてくる過程を示していることが解れば良いとする見方もあるが、気になる所である。後半に陰と陽、更に氣という具体的な言葉が出てくるのに、何で前半にそれらの文字を使わないのだろうか?何かそこに隠された意図があるのではないかと云う疑問も湧く。そこで、順次私見を纏めて試ることにする。
 ・『道』の性格
   老子が主張する『道』とは、儒家の標榜する人として守るべき「五常の徳」の事ではなく、宇宙全体を対象にした根本哲理即ち宇宙を秩序立てている『道理』のことである。すなわち、宇宙を宇宙たらしめている『規範』そのものが『道』の姿であり、『道』とも『理』とも『道理』とも云われる形而上の不可視的対象に当たるものである。老子はこの『道』には萬物を生み出す機能も備えていると考え、「道者萬物之奥。」とか、「淵兮似萬物之宗。」とか称して、『道』が宇宙の『規範』以外に、萬物の根元であることを強調している。先に「三才思想」で示した様に、『道』なる姿は微(捕まえられぬ程の微細さ)であり・希(聞こえぬ程の希弱さ)であり・夷(見過ごす程の平易さ)であり、天地に先んじて生じ、無為にして無不為とある。現代風に云えば、恰も重力を有しながら検視出来ずにいる宇宙を満たす『暗黑物質』そのものと云ったところか?後年この『道理』は、萬物の根元となる精氣と不即不離の状態に有ると考えたのが、南宋の朱熹の理氣二元論である。
 ・『一』の意味
   萬物が構築される第一段階は、純然たる道理と別れた萬物の根元となる精氣(元氣・体氣)が姿を現した状態である。即ち、形而上の絶対無である『道』から形而下の有形の精氣が分離されて現れたものが『一』なる表現となる。<説文解字>の『一』の字の説明に、「惟初太始,道立于一,造分天地,化成萬物。」なる表現があり、道は一を擁立して現実のものとなり、天と地を造り分け、萬物を生み育てたと解説している。
 ・『二』の意味
   <淮南子、天文訓>に、「16道始於一,一而不生,故分而為陰陽,陰陽合和而萬物生。故曰「一生二,二生三,三生萬物。」」と有り、道は『一』のままでは何も生ぜず、分かれて陰と陽と為り、陰と陽が交ざり合って萬物が生まれることになる。だから老子は、「一は二を生じ、二は三を生じ、三は萬物を生ずる。」と表現しているのだと解説している。<説文解字>では、二は「地之數也。」と記され、
   〔易経〕の「天は一、地は二なり」の記述から、天が一番目に、地が二番目に生み出されたので、『二』が地の数だとしている。
 ・『三』の意味
   古来、『三』を『多』とか『無限大』と解釈していた節がある。たとえば故事の、<春秋左氏傳>に有る「三折肱」、<春秋外伝>に有る「三纂三浴」、<三国志演義>に有る「三顧茅廬」、<史記>に有る「韋編三絶」、<戦国策>に有る「三人成虎」、などはその例で、枚挙に暇ない。また、<説文解字>に有る、「森:木多皃。」・「轟:羣車聲也」・「劦:同力也。」・「驫:眾馬也。」なども『三』が意味する『多』の観念を証明するものであろう。この他に、生成発展の基数としての『三』、<説文解字>に有る「三:天地人之道也。」の『三才』、などの用い方もされている。
 以上の知識を考慮して、先に述べた<老子道徳経、第四十二章>を噛み砕いた形式で訳してみよう。すなわち、
   「宇宙の秩序を守り、万物を生み出す天下の母でもある無為なる『道』が、活動を始めて具有する万物生成能力を分離し、万物の精氣を顕現させた『一』の状態を出現させ、次いでこれを陰の性格と陽の性格を持つ『二』つの精氣に分離し、更にこの二精氣の感応による調和の取れた冲(和)の氣を生じて、最終的には『三』個の精気が出現することになる。こうしてこの世の萬物は、『陰性の精氣』と『陽性の精氣』と『調和の取れた冲氣』の三氣から創り出されることになる。萬物は陰の性格を背に負い陽の性格を胸に抱いて葛藤しながら活動することになるが、その調整を図って天下の調和を保つのが冲和の氣から成る人間の役目なのである。」
[参考]
 ・<説文解字>
    道:所行道也。
      行く所の道なり。
      道とは、宇宙自然を貫く唯一絶対の根源的究極の原理。
    一:惟初太始,道立于一,造分天地,化成萬物。
      維れ初め太始、道は一に於いて立ち、天地を造分し、萬物を化成す。
      そもそも宇宙の始めに、道は一を擁立して現実のものとなり、天と地を造り分け、萬物を生み育てた。
    二:地之數也。
         地の数なり。〔易経〕の「天は一、地は二なり」の考え方に基づく。
      天が一番目に生み出され、地が二番目に生み出された。
    三:天地人之道也。
         天地人の道なり。
         天と地と人たる三才の守るべき規範。
 ・<釋名、釋天>
  「12陰,陰也,氣在內奧蔭也。」
  「13陽,揚也,氣在外發揚也。」
 ・<老子道德經>
  「42道生一,一生二,二生三,三生萬物。萬物負陰而抱陽,冲氣以為和。・・・。」
    道は一を生(しょう)じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は萬物を生ずる。萬物は陰を負い而して陽を抱き、冲氣は以て和を為す。・・・。
   「道が精氣を生み出し、その精氣が陰性と陽性の二氣に分かれ、その二氣が相剋して冲氣を生み出して三氣に分かれ、この陰の精氣・陽の精氣・そして新たな冲氣の三つの働きでこの世の萬物が生み出される。生み出された萬物は陰の性格を背に負い陽の性格を胸に抱いて相剋しながら存在するが、調和のとれた冲氣がその間に入って上手く調整する事によってこの世の秩序が保たれているのである。」
 ・<馬王堆帛書、老子乙德經> 前漢・文帝の12年(紀元前168年)の遺物
  「5道生一,一生二,二生三,三生□□□□□□□□□□□以為和。人之所亞,唯孤、寡、不穀,而王公以自□□□□□□□云云之而益。□□□□□□□□□□□□□□□□吾將以□□父。」
    欠損部分の文字が非常に気にかかる。字体にも興味をそそるものがある。
[感想]
 これまで述べた老子の「氣の思想」のほかに、同じ道学に属する別の流れが有ったらしい。近年発掘された楚簡類にそれが紹介されている。一つは紀元前300年頃(戦国中期)の物とされる『郭店楚簿竹簡』の中に有る「太一生水」なる文献に示されている。すなわち、
 ・<太一生水>
  「太一生水。水反輔太一,是以成天。天反輔太一,是以成地。天地復相輔也,是以成神明。神明復相輔也,是以成陰陽。陰陽復相輔也,是以成四時。・・・成歳而止。
   ・・・是故太一藏于水,行于四時、周而又始,以己為万物母。・・・下土也而謂之地。上气也而謂之天。道亦其字也,・・・、天不足於西北,其下高以强。地不足於東南,其上卑以強。・・・」
   「太一が水を生ず。水は反(対)に太一を輔(たす)け、是れを以て天を成す。天は反(対)に太一を輔(たす)け、是れを以て地を成す。天地は復た相い輔け、是れを以て神明を成す。神明は復た相い輔け、是れを以て陰陽を成す。陰陽は復た相い輔け、是れを以て四時を成す。・・・歳を成して止む。・・・是の故に
    太一は水に藏(ひそ)み、四時に行(めぐ)り、周(あまね)くして又た始め、以て己れを萬物の母と為す。・・・下土なるものは而(すなわ)ち之れを地と謂う。
    上氣なるものは而ち之れを天と謂う。道は亦た其の字(あざな)なり、・・・天は西北に於いて足らず、其の下は高くして以て強し。地は東南に於いて足らず、其の上は卑(ひく)くして以て強し。・・・」
   (注) 太一:宇宙万物の本源。神明:天地の神々。
       四時:四季のこと。歳:一年の周期。
       天:上の方に溜まった氣。 地:下の方に積み重なった土。
 ここでは、太一から始まる太一→水→天→地→神明→陰陽→四時→滄熱→湿燥→歳と云う宇宙生成論が見られる。老子の観念的発想に対して、時代が下ったせいか具象的発想に重きを置いている處は、当然のことと云えようか?
 もう一つは紀元前280年(戦国晩期)の物とされる『上博楚簡』の中に有る「恆先」なる文献に示されている。すなわち、
 ・<恆先>
  「<上篇> 恒先無、有質・静・虚。・・・或作。有或焉有气,有气焉有有,有有焉有始,有始焉有往者。未有天地,未有作行。出生虚静、为一若寂、梦梦清同而未或明、未或滋生。气是自生,恒莫生气。气是自生自作。恒气之生,不独有与也。・・・濁气生地,清气生天。气伸神哉,云云相生,信盈天地。同出而异性,因生其所欲。   业业天地,纷纷而复其所欲。明明天行,唯复以不廢。・・・。
   <上篇> 恆の先は無なるも、(气)質・静(境)・(沖)虚有り。・・・或(わく)作(おこ)る。或有れば焉(すなわ)ち气有り、气有れば焉ち有有り、有有れば焉ち始め有り、始め有れば焉ち往く者有り。未だ天地有らざれば、未だ行を作すこと有らず。出でて虚静より生じれば、一為ること寂の若く、梦梦清同(ぼうぼうせいどう)にして未だ或は明らかならず、未だ或は磁生せず。气は是れ自ら生じ、恆は气を生じること莫し。气は是れ自ら生じて自ら作る。恆は气の生じるや、独り与すること有らざるなり。・・・濁气は地を生じ、清气は天を生ず。气の伸びるや神なるかな、云云相い生じて、天地に伸盈(しんえい)し、同出にして性を異にし、因りて其の欲する所に生ず。紛々として其の欲する所を復(くりかえ)す。
   明明たる天行、唯だ復すのみ以て廃せられず。
   <中編> 略。
   <下篇> 略。
 ここでは、恆(無にして、質・静・虚を含む)→或(气が存在し有にして、大質・大静・大虚を含む)→濁气(地)・清气(天)・諸气(萬物)と云う宇宙生成論が展開されているが、「恆無」なる原初の段階は以後の生成に関わる「气」とは無関係で、それとは独立分離した「或→惑?」なる段階で、天・地そして萬物の生成に関わる「气」が主役を務めることになる。しかし「气」の内容については、「濁气生地,清气生天。气伸神哉,」なる説明しか為されていない。後半「恆無」の段階を無視する現世の有り方を批判することに多くの文章が裂かれているが、注視すべきものがあろう。この他道家の虚静の理論についても一考すべきものがあろう。
 老子等の「宇宙生成論」を理解する上で参考になる朱子の「宇宙論」についても、簡単に触れておこう。すなわち、
 ・<朱子語類、理氣上、太極天地上>
   「23天地初間只是陰陽之氣。這一箇氣運行,磨來磨去,磨得急了,便拶許多渣滓、裏面無處出,便結成箇地在中央。氣之清者便為天,為日月,為星辰,只在外,常周環運轉。地便只在中央不動,不是在下。」
    天地は初間(はじめ)只だ是れ陰陽の氣。這(こ)の一箇の氣が運行し、磨し来たり磨し去(ゆ)き、磨し得て急了なれば、便ち許多(おお)くの渣滓(かす)を拶(いだ)し、裏面(うち)に處出するところ無ければ、便ち箇の地を中央に結成す。氣の清める者は便ち天と為り、日月と為り、星辰と為りて、只だ外に在りて、常に周環運轉す。地は便ち只だ中央に在りて動かず、下に在るには是(あら)ず。」
[参考]
 ・<莊子、外篇、天道>
   「1・・・夫虛靜恬淡,寂漠無為者,天地之平而道德之至,故帝王聖人休焉。・・・夫虛靜恬淡,寂寞無為者,萬物之本也。・・・」
 ・<老子、道德經>
   「16致虛極,守靜篤。萬物並作,吾以觀復。夫物芸芸,各復歸其根。歸根曰靜,是謂復命。復命曰常,知常曰明。不知常,妄作凶。知常容,容乃公,公乃王,王乃天,天乃道,道乃久,沒身不殆。」
    (注)虚静:何も考えないで、心を落ち着けていること。
                                                                            (03.07.01)以上

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする