論語を詠み解く

論語・大学・中庸・孟子を短歌形式で解説。小学・華厳論・童蒙訓・中論・申鑑を翻訳。令和に入って徳や氣の字の調査を開始。

仁の思想-Ⅹ

2014-10-14 15:01:26 | 仁の思想

仁の思想-Ⅹ
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  [離婁上] 

   ・堯舜之道,不以仁政,不能平治天下。今有仁心仁聞而民不被其澤,不可法於後世
    者,不行先王之道也。

   堯舜の聖道を弁えた人でも仁徳のある政治を行わなければ、天下の泰平をを保つこと
   は出来ない。近頃仁愛の心を持ち仁者だという評判の高い君主が、その実人民は一
   向にその恩恵を受けず、自身も後世の模範となるような実績も上げることが出来ずに
   いるのは、先王の仁徳のある政治を行わないからである。

   ・既竭心思焉,繼之以不忍人之政,而仁覆天下矣。
   聖王は誠心誠意尽くした上で人民を思いやる政治をしたので、その仁徳の恵みは普く
   天下に行き渡った。

   ・不仁而在高位,是播其惡於眾也。
   仁徳のある者だけが人々を導く高い位につくべきで、さもないと害悪を天下にまき散ら
   すことになる。

   ・孔子曰、「道二、仁與不仁而已矣。」
   孔子が云うには、「人の道は、仁と不仁の二つだけだ」と。
 (参考)具体的には、堯舜に法る君臣の道を盡くす仁道と、堯舜に法らない君を慢り民を
   賊う不仁の道とである。

   ・孟子曰、「三代之得天下也以仁,其失天下也以不仁。國之所以廢興存亡者亦然。天
    子不仁,不保四海、諸侯不仁,不保社稷、卿大夫不仁,不保宗廟、士庶人不仁,不
    保四體。今惡死亡而樂不仁,是猶惡醉而強酒。」

   孟子が云うには、「夏殷周三代の王朝が天下を手中に収めることが出来たのは仁政に
   よるものであり、天下を失うことになったのは不仁の政治を行ったからである。諸侯の
   興廃・存亡も然り。天子が不仁の身であれば天下を治めることは出来ないし、諸侯が
   不仁の身であればその国を治めることは出来ないし、卿大夫が不仁の身であればそ
   の家を治めることは出来ないし、士や庶民が不仁の身であれば自身の身の安全を保
   つことが出来ない。近頃の死を厭い不仁に奔る様子は、まるで酔いたくもないのに無理
   に酒を飲むようなもので、矛盾も甚だしい」と。

   ・孟子曰、「愛人不親反其仁。」
   孟子が云うには、「人を愛しても相手にされない時には、自分の愛情が足りないのでは
   ないかと反省すべきである」と。

   ・孔子曰、「仁不可為眾也。夫國君好仁,天下無敵。」今也欲無敵於天下而不以仁,是
    猶執熱而不以濯也。

   孔子が云うには、「いくら多勢を以てしても、仁徳のある者には敵わない。それ故に、君
   主が仁徳を大事にすれば天下無敵である」と。ところが近頃の諸侯は、その無敵を望
   みながら仁政を行わず、これでは全く暑さから逃れたいのに行水をしないようなもので
   ある。

   ・孟子曰、「不仁者可與言哉。安其危而利其菑,樂其所以亡者。不仁而可與言,則何
    亡國敗家之有。」

   孟子が云うには、「不仁者とは共に語ることは出来ない。彼らは危険なのに安全だと云
   うし、利害を履き違えるし、全く亡びることも知らずに身の危険を楽しんでいるように見
   える。共に語り合えることが出来れば、その無謀さに気づいて国を亡ぼし家を没落させ
   るようなことはあるまいに」と。

   ・孟子曰、「民之歸仁也,猶水之就下、獸之走壙也。今天下之君有好仁者,則諸侯皆
    為之敺矣。雖欲無王,不可得已。苟不志於仁,終身憂辱,以陷於死亡。

   孟子が云うには、「人民が仁政を求めるのは、あたかも水が低きに流れ、獣が荒野を
   走り回るように、自然の成り行きによるものである。今天下の君主で仁政を敷こうと考
   えている者があれば、世の諸侯はその恩恵を受けられるように、自国の民を駆りたて
   るだろう。そうなれば天下の王者の地位を望まなくとも、そうならざるを得なくなる。今に
   して仁政を志さねば一生憂き目や恥辱を受ける羽目になり、最後は命を落とすことにも
   成りかねない」と。

   ・孟子曰、「吾身不能居仁由義,謂之自棄也。仁,人之安宅也。義,人之正路也。」
   孟子が云うには、「仁愛の心を持ち正義を貫くなど自分には到底出来ない、と思う気持
   ちを自暴自棄と云う。仁愛は人間の安住の境地を示すものであり、正義は人間の進む
   べき正しい道のことである」と。

   ・孟子曰、「君不行仁政而富之,皆棄於孔子者也。」
   孟子が云うには、「君主が仁政を施さず、しかもそれに便乗して臣下が主君の富を増
   やそうとするなど以ての外で、こういった連中は皆孔子に見捨てられる者どもである」
   と。

   ・孟子曰、「君仁莫不仁,君義莫不義,君正莫不正。」
   孟子が云うには、「君主の仁徳が高ければ不仁の民は少なくなり、君主の正義感が強
   ければ不義の民は少なくなり、君主の行いが正しければ不正の民は少なくなる」と。

   ・孟子曰、「仁之實,事親是也。」
   孟子が云うには、「仁徳の真髄は、親に孝養を尽くすことである」と。
  [離婁下]
   ・孟子曰、「君仁莫不仁,君義莫不義。」
   孟子が云うには、「君主に仁徳があれば人民も感化されて仁徳を身につけるようになる
   し、君主が正義の持ち主であれば人民も感化されて正義の心を帯びるようになる」と。

   ・孟子曰、「舜明於庶物,察於人倫,由仁義行,非行仁義也。」
   孟子が云うには、「舜帝は多くの事柄に精通し、人倫をよく弁えた上で仁義に基づいて
   行動したのであって、単純に仁義を実行した訳ではない」と。

   ・孟子曰、「君子所以異於人者,以其存心也。君子以仁存心,以禮存心。仁者愛人,有
    禮者敬人。愛人者人恆愛之,敬人者人恆敬之。有人於此,其待我以逆,則君子必
    自反也。我必不仁也,必無禮也,此物奚宜至哉?其自反而仁矣,自反而有禮矣,其
    逆由是也,君子必自反也。我必不忠。自反而忠矣,其逆由是也,君子曰、「此
    亦妄人也已矣。」若夫君子所患則亡矣。非仁無為也,非禮無行也。如有一朝之患,
    則君子不患矣。」

   孟子が云うには、「君子が普通の人と異なるのは、反省心を持っているかどうかであ
   る。君子は仁徳や礼節を身につけた上で反省を繰り返す。仁者は人を愛し、礼節を弁
   えた者は人に敬意を表す。人を愛する者は人にも愛されるし、人を尊敬する者は人に
   も尊敬されるものである。ここに無理難題を吹きかける人が居ても、君子は先ず自己反
   省をする。きっと私が仁徳を守らず、無礼を働いたのではないか?と。それでもその行
   為が止まない時には再度反省する。きっと私の誠意が足らないのだと。それでも止まな
   い時に初めて君子は、”彼は分別が足りない人なのだから、非難しても始まらない”と
   考える。かかる君子には心配事というものがない。仁徳に背くことをせず、礼節に悖る
   ことはしない。だから突然の心配事に会っても、自分は正しいのだと信じているので、
   苦にしないのである」と。

  [萬章上]
   ・萬章曰、「舜者四罪而天下咸服,誅不仁也。象至不仁,封之有庳。有庳之人奚罪
    焉?仁人固如是乎?在他人則誅之,在弟則封之。」

   万章が云うには、「舜帝が四人の罪人を罰して天下の民を心服させることが出来たの
   は、不仁の者を誅罰したからである。ところが禹帝は不仁な弟にも拘わらず、これを有
   庳の地に封じた。有庳の民は何の罪があって不仁な者を君主として迎え入れなければ
   ならぬのか?仁人の為すこととは元来こう云うものか?他人には厳しく、自分の弟には
   寛容だとは何たることか」と。

 (参考)四人の罪人とは、以下の四人を云う。共工とは官名で、その官にいた姓名不祥の
   者が、後述の驩兜と徒党を組んで悪事を働いたという。驩兜についても詳細不明。三
   苗とは西方の種族の名。鯀は禹帝の実父で、治水に失敗した人。

   ・孟子曰、「仁人之於弟也,不藏怒焉,不宿怨焉,親愛之而已矣。親之欲其貴也,愛之
    欲其富也。封之有庳,富貴之也。身為天子,弟為匹夫,可謂親愛之乎?」

   孟子が云うには、「仁人の弟に対する態度は、怒る時には怒るが怨みは残さず、ひた
   すら親愛するだけだ。親しめば地位を上げてやりたくもなるし、愛せば富みも増やして
   やりたくなる。だから禹帝は弟の象を厚遇して、有庳の君主に封じたのだ。自身が天子
   の位にありながら、弟を不遇なままで置くようでは、どうして信愛していると云えるだろう
   か?」と。

   ・孟子曰、「太甲悔過,自怨自艾,於桐處仁遷義三年,以聽伊尹之訓己也,復歸于
    亳。」

   孟子が云うには、「太甲は過ちを悔い、己の非行を改めて修養に努め、仁徳を修め正
   義を貫くこと三年、伊尹の遺訓をよく守ったので、また亳の都に戻って天子の位に復帰
   する事が出来た」と。

 (参考)太甲とは、殷王朝開祖の湯王の孫。
  [告子上]
   ・告子曰、「性,猶杞柳也、義,猶桮棬也。以人性為仁義,猶以杞柳為桮棬。」
   告子が云うには、「人の本性とは、人が正しく暮らす為に天がかくあれと授けた心の本
   質であり、義はその本性から人為的に作られた徳目である。本性が仁義そのものだと
   するのは当たらない」と。

 (参考)<中庸>にもあるように、天が人に授けたものが性であり、その性のままに行動す
   ることが人の道とされる。ここでは人の本性は生まれつきであり、その本性に基ずくと
   は云え、義は人為的なものだと告子は主張する。

   ・孟子曰、「子能順杞柳之性而以為桮棬乎?將戕賊杞柳而後以為桮棬也?如將戕賊
    杞柳而以為桮棬,則亦將戕賊人以為仁義與?率天下之人而禍仁義者,必子之言
    夫!」

   孟子が云うには、「告子よ貴方は、人の本性に基づいて仁義の徳目を考えるのか、そ
   れとも両者は別物と考えているのか?別物だと考えるのは間違いだ。世の仁義を語る
   人々に禍を及ぼすのは、貴方のような考えであろう」と。

 (参考)「仁内義外」論争は「仁」の思想と直接関係はないが、前にも触れたように、告子は
   本然の性を対象にしているのに対し、孟子は性+情を対象にして反論するので、話が
   かみ合わないことになる。

   ・告子曰、「食色,性也。仁,內也,非外也;義,外也,非內也。」 孟子曰、「何以謂仁內
    義外也?」

   告子が云うには、「食べたいという思いや異性を愛する心は、人間の本性すなわ本能
   である。だからこの愛する本能すなわち仁は、心の内にあるのだ。後から考え出された
   人為的な義は心の外にあって、内にあるものではない」と。孟子は反論する、「貴方の
   云う仁内義外の根拠はどこにあるのか?」と。

   ・孟子曰、「惻隱之心,人皆有之。羞惡之心,人皆有之。恭敬之心,人皆有之。是非之
    心,人皆有之。惻隱之心,仁也。羞惡之心,義也。恭敬之心,禮也。是非之心,智
    也。仁義禮智,非由外鑠我也,我固有之也,弗思耳矣。

   孟子が云うには、「惻隠の心は誰でも持っている。羞悪の心・恭敬の心・是非の心も同
   じ事。惻隠の心は則ち仁が表に現れたものであり、同じく羞悪の心は即ち義、恭敬の
   心は即ち禮、是非の心は智がそれぞれ表に現れたものである。仁・義・禮・智の四つの
   徳目は人為的に作られたものではなく、もともと心の内にあるものだ」と。

 (参考)ここに孟子の有名な四端の説が展開される。
   ・孟子曰、「雖存乎人者,豈無仁義之心哉?」
   孟子が云うには、「人が生まれながらに持っている本性に中に、どうして仁義の心がな
   いと云うことがあろうか?」と。

   ・孟子曰、「仁,人心也、義,人路也。舍其路而弗由,放其心而不知求,哀哉!」
   孟子が云うには、「仁徳は人間本来の心の中に在り、義は人間が踏み行うべき道あ
   る。その正義の道を捨て、仁心を見失っても探し求めようとしないとは。嘆かわしい限り
   だ」と。

   ・孟子曰、「有天爵者,有人爵者。仁義忠信,樂善不倦,此天爵也。公卿大夫,此人爵
    也。」

   孟子が云うには、「この世には天爵と人爵というものがある。仁・義・忠・信の四徳や、
   弛まぬ善行などは天爵に当たる。公・卿・大夫などの位階は、人爵である」と。

 (参考)爵とは中国古代の温酒器を意味し、王朝ではこの爵を人物の徳や身分を指す概
   念として用いた。

   ・孟子曰、「《詩》云、『既醉以酒,既飽以。』言飽乎仁義也。」
   孟子が云うには、「詩経の中で、”お酒を戴いてすっかり酔ってしまい、その上心の籠
   もったおもてなしを受けた”とあるが、これは仁義を弁えた手厚いもてなしを受けたと云
   うことである」と。

 (参考)「既醉以酒,既飽以。」なる言葉は、<詩経、大雅・既酔篇>にある。
   ・孟子曰、「仁之勝不仁也,猶水勝火。今之為仁者,猶以一杯水,救一車薪之火也。不
    熄,則謂之水不勝火,此又與於不仁之甚者也。亦終必亡而已矣。」

   孟子が云うには、「仁が不仁に勝ることは、水が火に勝つように明らかなことである。と
   ころが近頃の仁者は、少しばかりの仁徳を示すだけで大火事を消そうとしている。そし
   て消すことが出来ないと水は火に勝てないと即断してしまうが、これでは不仁を助長し
   てしまうことになる。そうなると折角培ってきた今までの仁徳まで、失ってしまうことに為
   りかねない」と。

   ・孟子曰、「五穀者,種之美者也。苟為不熟,不如荑稗。夫仁亦在乎熟之而已矣。」
   孟子が云うには、「五穀(米・餅黍・粳黍・麦・菽)は旨い穀物である。だが熟していなけ
   れば、稗にも劣る。同じ事で、仁徳も十分に育て上げることが大切である」と。

  [告子下]
   ・孟子曰、「親親,仁也。」
   孟子が云うには、「親を思いやる心こそ、仁徳そのものである」と。
   ・孟子曰、「先生以利說秦楚之王,秦楚之王於利,以罷三軍之師,是三軍之士樂罷
    而於利也。為人臣者懷利以事其君,為人子者懷利以事其父,為人弟者懷利以事
    其兄。是君臣、父子、兄弟終去仁義,懷利以相接。然而不亡者,未之有也。先生以
    仁義說秦楚之王,秦楚之王於仁義,而罷三軍之師,是三軍之士樂罷而於仁義
    也。為人臣者懷仁義以事其君,為人子者懷仁義以事其父,為人弟者懷仁義以事其
    兄,是君臣、父子、兄弟去利,懷仁義以相接也。然而不王者,未之有也。何必曰
    利?」

   孟子が云うには、「先生が、戦争の不利益だけを強調して秦・楚両王を説得すれば、両
   王も国の利益に為ればと納得して大軍を引き上げるでことしょう。ですがそうなれば将
   兵も戦争が終わったことを喜びはしますが一方で、利益にばかり目を向けることになり
   ます。そうなると打算的に臣下は主君に、子供は親に、弟は兄に仕え勝ちになるでしょ
   う。そして君主も臣下も、父も子も、兄も弟も皆、仁義の心を捨て去り、利益ばかりを
   追って付き合うことになります。こうなると後は亡びるだけです。先生が仁義を説いて両
   王を説得し、両王がこれを聞き入れて大軍を引き上げれば、将兵も戦争が終わったこ
   とを喜ぶと共に仁義の大切さが身に浸みることでしょう。こうして仁義の心を以て臣下
   が君主に、子供が親に、弟が兄に仕える様になると、君主も臣下も、親も子も、兄も弟
   も皆、打算的心を放棄して仁義の心を大切にして付き合うことになります。こうなれば
   天下の王者となることも夢ではありません。どうして先生は利益のことばかり云われる
   のか不思議で為りません?」と。

 (参考)先生とは、寡欲に徹し闘争の否定を唱えた宋牼のこと。
   ・淳于髡曰、「先名實者,為人也。後名實者,自為也。夫子在三卿之中,名實未加於上
    下而去之,仁者固如此乎?」 孟子曰、「居下位,不以賢事不肖者,伯夷也。五就湯,
    五就桀者,伊尹也。不惡汙君,不辭小官者,柳下惠也。三子者不同道,其趨一也。」
    淳于髡曰、「一者何也?」孟子曰、「仁也。君子亦仁而已矣,何必同?」

   淳于髡が孟子に問い掛けるには、「名実を大切にする人は、他人の為を思って行動す
   る人です。それを疎かにする人は、自分だけのことを思って行動する人です。貴方は斉
   国の大臣で在りながら、未だにこれと云った名実を挙げていないのにこの国を捨てよう
   としていますが、それでも仁者と云えるのでしょうか?」と。孟子が答えるには、「賢者で
   ありながら不肖の君主に仕えなかったのは伯夷であり、幾たびも時には賢君の湯王
   に、時には暴君の桀王に仕えたのは伊尹であり、不徳の君主でも毛嫌いせずまた低い
   地位であっても辞退しなかったのは柳下恵である。彼らは道を異にはしたが、その目指
   すところはたった一つなのだ」と。淳于髡は、「その一つとは何ですか?」と問い返す。
   孟子が答えて、「それは仁徳の道だ。君子はひたすら仁徳の道を心掛けるだけで、そ
   の手段は問わないのだ」と。

 (参考)淳于髡とは、戦国時代の斉の弁論家。いわゆる稷下の学士 。
   ・孟子曰、「徒取諸彼以與此,然且仁者不為,況於殺人以求之乎?君子之事君也,務
    引其君以當道,志於仁而已。」

   孟子が云うには、「大義もなく、徒に領地の取り合いをするようなことを、仁者はしない。
   ましてや殺し合って領地を奪うなどとは以ての外だ。君子が主君に使えるには、善導し
   て正道に向かわせ、仁徳を磨かせることだ」と。

   ・孟子曰、「君不鄉道,不志於仁,而求富之,是富桀也。君不鄉道,不志於仁,而求為
    之強戰,是輔桀也。」

   孟子が云うには、「君主が正道に向かわず、仁徳を志さず、蓄財にうつつを抜かしてい
   るような有様では、暴君桀王を後押ししているのと同じ事だと云われても致し方あるま
   い」と。

   ・孟子曰、「洚水者,洪水也,仁人之所惡也。」
   孟子が云うには、「川の水があふれ出ると云うことは、洪水が起きたと云うことで、民に
   禍を与えることになるから、それは仁人が最も憎むことなのだ」と。

 (参考)白圭という人物は、私財を投げ打って人々の為に治水に務めたという人物だそう
   だが、ここではその治水のやり方について、孟子から批判を受けている。

  [盡心上]
   ・孟子曰、「強恕而行,求仁莫近焉。」
   孟子が云うには、「思いやりの心を推し進めて行くことこそ、仁徳を深める最善の方法
   である」と。

   ・孟子曰、「仁言,不如仁聲之入人深也。」
   孟子が云うには、「仁徳に富んだ言葉よりも、仁君としての名声が高まるほうが、人々
   の心に響く」と。

   ・孟子曰、「親親,仁也。敬長,義也。無他,達之天下也。」
   孟子が云うには、「親を心の底から愛することが仁と云うものである。目上の者を尊敬
   することが義と云うものである。他に為すことはない。仁義を天下に推し及ぼすだけで
   ある」と。

   ・孟子曰、「君子所性,仁義禮智根於心。」
   孟子が云うには、「君子が天から授けられた本性というものは、仁義礼智の四徳であっ
   て、人間の心に深く根ざしているものである」と。

   ・孟子曰、「天下有善養老,則仁人以為己歸矣。」
   孟子が云うには、「天下に老人を大切にする君主が居れば、仁人達は皆慕い寄って来
   る」と。

   ・孟子曰、「菽粟如水火,而民焉有不仁者乎?」
   孟子が云うには、「食物が水や火のように豊富にあれば、この世に不仁な者など現れ
   る筈がない」

   ・孟子曰、「仁義而已矣。殺一無罪,非仁也。非其有而取之,非義也。居惡在?仁是
    也。路惡在?義是也。居仁由義,大人之事備矣。」

   孟子が云うには、「士たる者は、弛まず仁義を心掛けるべきである。罪の無い者を一人
   でも殺すことは仁徳に反する。他人の者を奪い取るのは正義に反する。常に拠り所と
   すべきものは仁徳であり、常に踏み行うべきものは正義の道である。仁徳に拠り正義
   を行えば、それこそが大人物たるものである」と。

   ・孟子曰、「君子之於物也,愛之而弗仁。於民也,仁之而弗親。親親而仁民,仁民而愛
    物。」

   孟子が云うには、「君子は人の役に立つ物に対しては、大切にはするが慈しみの心を
   持つことはない。民衆に対しては、慈しみの心は持つが肉親に対するような親しみは
   持たない。先ず肉親に親しみを持ち、次いで民衆を慈しみ、然る後に物を大切にする
   のが道理である」と。

 (参考)仁愛も対象により、その内容が異なることを説いている處が興味深い。
   ・孟子曰、「知者無不知也,當務之為急。仁者無不愛也,急親賢之為務。堯舜之知而
    不遍物,急先務也。堯舜之仁不遍愛人,急親賢也。」

   孟子が云うには、「知者は知らないことがないとは云え、目先の急務を優先するから、
   自ずとそこに知識の深浅が生じる。仁者は愛情を示さない物は無い筈だが、賢者に親
   しむことを優先するから、自ずとそこに愛情の深浅が生じる。堯・舜帝のような知者でも
   全てに通暁していた訳ではないのは、急務の課題が山積していたからである。また堯・
   舜帝のような仁者でも人民全てに愛情を示し得なかったのは、賢者に親しむことを優
   先したからである」と。

  [盡心下]
   ・孟子曰、「不仁哉,梁惠王也!仁者以其所愛及其所不愛,不仁者以其所不愛及其所
    愛。」

   孟子が云うには、「梁の恵王は不仁の人だ。と云うのも仁者は、愛する人々に対するの
   と同じ気持ちで、未だ愛情を示していない人々にも接するが、不仁者は反対に愛したく
   ない感情を、愛する者にまで及ぼすからだ。」

   ・孟子曰、「盡信《書》,則不如無《書》。吾於《武成》,取二三策而已矣。仁人無敵於天
    下。以至仁伐至不仁,而何其血之流杵也?」

   孟子が云うには、「書経に書いてあることを鵜呑みにするのは、書経がないことと同じ
   だ。私はその武成篇については、二三節しか信じない。仁人は天下に敵なしと云うの
   に、至仁の武王が至不仁の紂王を討つのに血みどろの激戦をしたと記されているが、
   そんなことは事実に反するからだ」と。

   ・孟子曰、「國君好仁,天下無敵焉。」
   孟子が云うには、「君主が仁徳を好めば、天下無敵である」と。
   ・孟子曰、「不信仁賢,則國空虛。」
   孟子が云うには、「君主が仁人や賢人を信頼することが出来なければ、その国から人
   材が居なくなってしまう」と。

   ・孟子曰、「不仁而得國者,有之矣、不仁而得天下,未之有也。」
   孟子が云うには、「これまでに不仁の者で国君となった者は居たが、天下人と成った者
   は居ない」と。

   ・孟子曰、「仁也者人也。義也者宜也。合而言之,道也。」
   孟子が云うには、「仁とは人そのものを意味し、義とは正しいという意味である。両者合
   わせてこれを人が守るべき道を意味する」と。

   ・孟子曰、「仁之於父子也,義之於君臣也,禮之於賓主也,智之於賢者也,聖之於天
    道也,命也。」

   孟子が云うには、「父子の間の仁愛、君臣の間の忠義、賓客と主人の間の禮儀、賢者
   に於ける智慧、天道に於ける聖徳などは皆、天から授かった徳目である」と。

   ・孟子曰、「人皆有所不忍,達之於其所忍,仁也。人能充無欲害人之心,而仁不可勝
    用也。」

   孟子が云うには、「人には皆、見逃すことが出来ないと云う憐れみの心があり、その気
   持ちを全ての人に及ぼす事が出来れば、それが仁徳と云うものである。人を傷つけな
   い様に努力すれば、仁徳の働きは広大無辺である」と。

 (解説)まとめてみると、
   ①仁とは
    ・鳥獣に情けを掛けるのも仁徳
    ・仁徳が働き出す始めの段階が、人を思う気持ちである
    ・仁徳は天爵である
    ・仁徳の行動は、弓を射る挙措動作に似ている
    ・愛情   ・天下無敵の徳   ・人間の安住の境地
    ・親に孝養を尽くすことが真髄
    ・愛する本能で、心の内にある
    ・仁徳が表に現れた姿が、義・禮・智の三つの徳
    ・親を思いやること   ・人そのものを意味する
    ・その働きは広大無辺
   ②仁人とは
    ・親を棄てた者は居ない   ・恐れるものは何も無い
    ・小国を侮らず礼節を守る  ・恵み深い
    ・親を手厚く葬る      ・富を蓄えない
    ・反省心を持っている    ・怨みを残さず親愛する
    ・大義なしに戦争や領地争いはしない
    ・民に禍を及ぼさない    ・敬老の君主に慕い寄る
    ・全ての者に愛情を示せる訳ではない
   ③仁政とは
    ・思いやりの政治      ・民を無視しない
    ・弱者を優先する      ・大国が優先すべきもの
    ・天下泰平を保つもの
    ・夏殷周の三代王朝が天下を手中に収めることが出来た政治形態
    ・人民が仁政を求めるのは自然の成り行き
    ・君主の仁徳が高ければ不仁の民が少なくなる
   ④その他
    ・邪説により、仁義の道が閉ざされると、殺し合いが始まる
    ・不仁者が高い位につくと、天下は乱れる
    ・人の守るべき道には、仁と不仁の二つがあるだけ
    ・不仁者は、共に語る資格のない者
    ・仁徳は言葉よりも実行が大切
    ・天命の性には、仁義礼智の四徳が含まれる
    ・衣食足りれば不仁者現れず
   と云った處だが、「仁」の思想を語る上で特に参考になるものは見当たらない。強いて
   特徴のある言葉を探せば、

    ・仁徳は天から授けられた爵位   ・天下無敵の安住の境地
    ・全てに等しく施す愛情      ・弓を射る挙措動作に似る
    ・仁・義・禮・智の四徳が表に現れた顔が、惻隠・羞悪・辞譲・是非の感情
   ぐらいである。
 (追記)<孟子>には「仁義」という言葉が多出しているが、<論語>には「仁」字が104回も登場するが、「仁義」の文字は一つも見られない。後年著され兎角の批判もある<孔子家語>には「仁」字が103回登場するのに対し、「仁義」の文字は僅かに8回である。それに対し<孟子>では単独の「仁」字が122回に対し、「仁義」は27回も出現する。「義」を「仁」と同等の地位まで高めたのが孟子と云うことになる。しかも告子と「仁内義外」論争をしている位だから、如何に「義」を重要視していたかが解ろうと云うもの。「仁」とは愛情であり、孝養であり、天爵の天性であり、人そのものであると云う点に就いては、孔子の思想から逸脱するところは何も見受けられない。 ところで少し「仁」と「義」について考えてみよう。大昔、人の数も限られていた時代、僅かな人数の親族社会での和は、相手を慈しむ心すなわち「仁」によって保たれていたであろう。己と相手の二人の社会すなわち、イ=人が二=ふたり→「仁」により平和が保たれている社会である。異体字の忈も同じような意味合いのものであろう。さて親族社会が幾つも集まってくると、「仁」の心特に孔子の「仁」→偏愛の思想だけでは社会の平和は保たれなくなってくる。己の属する親族社会の「仁」と、他の親族社会の「仁」がぶつかり合うと争いが起きる。全体の平和を保つ為には、その争いを鎮めなければならない。そこで登場するのが「義」の思想という訳である。すなわちどちらの「仁」が正しいか判定して、是非善悪を明らかにする「義」の思想が必要になってくる。「正義」であれ「大義」であれどちらかの「仁」に統一して社会の平和を保つ必要があったのである。義=宜で、どちらの「仁」が宜しいかと云う事であろう。別の見方をすれば、「仁」があつてこその「義」であり、「仁」を判定する為の「義」であって、切っても切れない関係から仁義という言葉が生まれてきたのであろう。いずれにしろ「仁」があっての「義」であって、飽くまで「義」は付随するものであることを忘れては為るまい。こう見てくると、「仁義」という言葉は仁と義と云う意味合いよりも、「仁」に裏付けされた「義」と云う意味で、単なる「義」よりも義が強調されたものと考えたほうが良さそうである。博愛を標榜する墨家の世界では、「仁」に基ずく「義」は考える必要がないので「仁義」はそのまま「義」と解釈して使われていると考えて良いだろう。「仁」の異体字に忎があるが、これも忈から発展したと考えると何となく頷けるものがある。
                           つづく(次回、11月1日)

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