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論語を詠み解く

論語・大学・中庸・孟子を短歌形式で解説。小学・華厳論・童蒙訓・中論・申鑑を翻訳。令和に入って徳や氣の字の調査を開始。

遺言好言⑥

2025-04-28 15:57:43 | 論語

遺言好言⑥                                                              
 [人心の同じからざるは、面(おもて)の如し。(聖・賢・大・小・至・真・愚・姦・佞)人、さらには郷原。為政者は特に、心して対すべし。] 
 [人心之不同,如其面焉.]と云ったのは、孔子に君子と称された、春秋時代に活躍した鄭の名宰相、子産のことである。この文言は、鄭の九代目・穆公を曾祖父に持つ正卿・罕虎(子皮)と、祖父に持つ子産とが交わした会話の中に登場するもので、子皮が余りにも子産を信奉し過ぎるので、それを誡めた時のものである。「人には天から与えられた唯一無二の個性が有るのだから、如何に信奉しようともその”他人に成り切る”ことは不可能だ”」と諭じたのである。更には、「人民の心性はそれぞれに皆んな異なるのだから、的確に対応することを心がけることが施政上肝要である」と主張する。さすがに、
晋・楚の二大強国に挟さまれた小国の鄭の宰相である子産の言葉である。女媧造人の思想に始まる中国古代の人格の問題は、後代も連綿と続く中国思想の特徴と言って良いだろう。
  (注) 聖人:自得通達の人物。 神人:神秘的超越的な人物。
      賢人:己の才能を人に分け与える人物。
      大人:新生児のままの純真な心を失わない人物。
      小人:教養が無く、心の正しくない人物。
      至人:最高至極の人物。 真人:利害得失を脱却して道に達した人物。
      愚人:愚かな人物。 姦人:邪悪な人物。
      佞人:心中に不正な心を抱きながら、口先が上手く、こびへつらう人物。
      郷原:郷党に於いて俗人の意を迎えることだけに努める人物。
[参考]
 <春秋左氏伝、襄公三十一年>
   「1 ・・・我曰子為鄭國,我為吾家,以庇焉其可也,今而後知不足,自今請雖吾家聽子而行,子?曰,人心之不同,如其面焉,吾豈敢謂子面
                   如吾面乎,抑心所     謂危,亦以告也,子皮以為忠,故委政焉,子?是以能為鄭國。」
     
   「2 子産曰,人心之不同,如其面焉,・・・。」
     子産曰く,人心の同じからざるは,其の面の如し,・・・。
 <荘子、趙遙遊篇>
   「3 ・・・至人無己,神人無功,聖人無名。」
     至人は己れ無く,神人は功無く,聖人は名無し。
 <荘子、除無鬼篇>
   「7 ・・・管仲對曰:「・・・以德分人謂之聖,以財分人謂之賢。・・・」」
     管仲對(こた)えて曰く:「・・・德を以て人に分(わ)かつを之れ聖と謂い,財を以て人に分かつを之れ賢と謂う。・・・
  <孟子、離婁下>
   「40 ・・・孟子曰:「大人者,不失其赤子之心者也。」」
                  孟子が曰く:「大人は,其の赤子の心を失わざる者なり。」
 <大学、傳六章>
   「3 所謂誠其意者,毋自欺也。・・・故君子必慎其獨也!小人閑居為不善,無所不至。」
     所謂其の意を誠にすとは,自ら欺く毋(な)きなり。・・・故に君子は必ず其の獨りを慎むなり!小人は閑居して不善を為し,至らざる
                  所無し。
 <大学、傳十章>
   「16 ・・・小人之使為國家,災害并至。雖有善者,亦無如之何矣!」
                  小人をして國家を為(おさ)めしむれば,災害并(なら)び至る。善者有りと雖も,亦た之を如何ともする無し!
 <荘子、大宗師篇>
   「1 ・・・何謂真人?古之真人,不逆寡,不雄成,不謨士。若然者,過而弗悔,當而不自得也。若然者,登高不慄,入水不濡,入火不熱。是
                  知之能登假於道也若此。古之真人,其寢不夢,其覺無憂,其食不甘,其息深深。真人之息以踵,衆人之息以喉。屈服者,其噎言若哇。
                  其耆欲深者,其天機淺。」
     何をか真人と謂う?古えの真人は,寡(とぼ)しきにも逆らわず,成(さか)んなるにも雄(ほこ)らず,士(こと)を謨(はか)ら
                  ず。・・・古えの真人は,其の寢ぬるや夢をみず,其の覺めるや憂い無く,其の食らうや甘(うま)しとせず,其の息をするや深深た
     り。
 <菜根譚、前集>
   「219 至人何思何慮。愚人不識不知。可与論学、亦可与建功。」
             至人は何をか思い何をか慮る。愚人は不識不知なり。ともに学を論ずべくまたともに功を建つべし。
   (注)至上の徳に達した人は、ことさら思慮しないし、無心である。愚かな人は、無知だから知識を働かせる事も無い。両者は無心という
     点で同じだから、手を携えて学問を論じ、 互いに功績を挙げることが出来る。また仕事をすることも出来る。
 <論語、公冶長>
   「5 或曰:「雍也,仁而不佞。」子曰:「焉用佞?禦人以口給,?憎於人。不知其仁,焉用佞?」」
              或る人の曰く:「雍や,仁にして佞(ねい)ならず。」子の曰く:「焉(いずく)んぞ佞を用いん?人に禦(あた)るに口給を以て
     すれば,屡々人に憎まる。其の仁を知らず,焉んぞ佞を用いん?」」
 <文章規範>
        「民貧則姦邪生。」
             民貧しければ則ち姦・邪生ず。
 <論語、陽貨>
        「13 子曰:「郷原,德之賊也。」」
             子の曰く:「郷原は、徳の賊なり。
    (注)1.村で善い人と言われる者は、(いかにも道徳家に見えるから、かえって)徳を損なう。
    (注)2.郷原は郷愿と同じで、愿は善の意。則ち、郷原とは、これと云った欠点も無い替わりに、何の取り柄も無い八方美人のこと。
[感想]
 人は遺伝子の違いによる個性を持って生まれては来るが、外部環境の影響を受けない生まれたばかりの状態では、皆んな全く無垢の同じ状態にあると言える。外部に晒されることによって、家庭環境・教育環境・社会環境の影響を受けて夫々の心性が形作られる。則ち、心性の全く同じ人間は居ないというのが現実であろうし、そこで「人心は同じからず」と言うことになる。幾ら子皮が同族の子思を慕い、その言動を真似て行動しようとも、「同じ成果を上げうると期待するのは無理というもの」というのが子思の思いなのであろう。更には、人民の施政に望む處は夫々に異なることを念頭に置いて対応することの大切さを為政者に諭す言葉として子思は語っているのであろうか?
                                                                                  以上
                                                (2025/04/28)

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遺言好言⑤

2025-03-18 11:33:33 | 論語

遺言好言⑤
 「学は已むべからず。邗・越・夷狄の子、生まれたる時は聲を同じくせるも、長ずれば而ち俗を異にするは、教えが之をして然らしむるなり。」 この好言は、<荀子、勧学篇>の冒頭に見られる言葉である。
 さて古代中国では、戦国時代から唐代に掛けて激しく[性論]が諸子百家の間で論議されている。紀元前四世紀頃から八世紀に掛けての話である。先ずは告子が「人の性は、生まれたままの不善・不悪な状態則ち純真無垢な状態にある」と説き、これに対して孟子は「人の性は、善なり(性善説)」と反論し、次いで荀子は「人の性は、惡にして其の善なる者は偽なり(性悪説)」と説き、漢代に入ると揚雄は「人の性は、善悪混じり合い(善悪混交説)」と考え、唐代に活躍した韓愈は「人の性には、三種の階級がある(性三品説)」と唱えると言った處である。
 現代の脳科学の立場では、人間の脳は個体維持と種族保存の基本的生命活動を司る古脳と、環境や社会への適応行動を起こさせる新脳から成るとされている。古脳は出生前にできあがり、新脳は学習能力を持ち、人間らしく生きる為の役目を持つ脳と言うことになる。前記の[性論]では、古脳と新脳を一緒くたにして論じているので注意が肝要である。また冒頭の好言は、新脳が対象であることを忘れては為らない。
[参考]
 《説文解字》
    性:人之陽气性善者也。 生:進也。
 《解字》
    生:「草・木が地上に生じてきた」象形文字。
    性:(忄(心)+生)。「心臓」の象形と「草・木が地上に生じてきた」象形(「はえ      
                       る・生まれる」の意味)から生まれた、「本性(さが)」を意味する会意兼形      
                        声文字。

 <孟子、告子上>
   「告子曰、「・・・人性之無分於善不善也、猶水之無分於東西也。」・・・」 
    告子曰く、「人の性の善不善を分かつ無きは、猶ほ水の東西を分かつ無きがご    
              ときなり。」と。」

           「孟子曰、「・・・人性之善也、猶水之就下也。」」
    孟子曰く、「・・・人の性の善なるは、猶ほ水の下きに就くがごときなり。」 
    と。
   「3 告子曰:「生之謂性。」」
     告子曰く:「生とは之れ性(忄→心+生→うまれる)→生まれたままの純真      
     無垢な状態を謂う。」

       「6 公都子曰:「告子曰:『性無善無不善也。』或曰:『性可以為善,可以為不
     善;是故文武興,則民好善;幽厲興,則民好暴。』亦或曰:『有性善,有性
     不善;是故以堯為君而有象,以瞽?為父而有舜;以紂為兄之子且以為君,而有
     微子?、王子比干。』」

            公都子曰く:「告子曰く:『性は善も無く不善も無し。』或ひと曰く:『性は
     以て善を為す可く,以て不善を為す可し;是の故に文・武興れば,則ち民は
     善を好み;幽・厲興れば,則ち民は暴をこのむ。』亦た或ひと曰く:『性の
     善なるひと有り,性の不善なるひと有り;是の故に堯を以て君と為し而して
     象有り,瞽叟を以て父と為して舜有り;紂を以て兄の子と為し且つ君と為
     し,而して微子啓、王子比干有り。』と。」

 <孟子、告子上>
   「6 ・・・孟子曰:「乃若其情(性),則可以為善矣。乃所謂(性)善也。」
     孟子曰く:「乃若(されど)其の情(性)は,則ち以て善を為すべし。乃
     (こ)れ所謂(性)善なり。

  <荀子、勧学篇>
   「1 君子曰:學不可以已。・・・「君子博學而日參省乎己,則智明而行無過矣。」」
     君子曰く:學は已むべからず。・・・「君子は博く學びて日に己を參省すれば、     
     則ち智は明かにして行にも過ち無し。

   「2 ・・・干、越、夷貉之子,生而同聲,長而異俗,教使之然也。」
     干、越、夷貉の子,生れたるときは而ち聲を同じくせるも,長ずれば而ち俗     
     を異にするは,教が之を使て然らしむるなり。

 <荀子、性悪篇>
   「1 人之性惡,其善者偽也。今人之性,生而有好利焉。順是。故爭奪生而辭       
     讓亡。生而有疾惡焉。順是。故殘賊生而忠信亡焉。生而有耳目之欲,有       
     好聲色焉。順是。故淫亂生而禮義文理亡焉。然則從人之性,順人之情,       
     必出於爭奪,合於犯分亂理,而歸於暴。故必將有師法之化,禮義之道,       
     然後出於辭讓,合於文理,而歸於治。用此觀之。人之性惡明矣。其善者       
     偽也。」

     人の性は惡にして,其の善なる者は偽なり。今ま人の性は,生まれなが       
     らにして利を好むこと有り。是れに順う。故に爭奪生じて辭讓は亡ぶ。       
     生まれながらにして疾(ねた)み惡(にく)むこと有り。是れに順う。       
     故に殘賊生じて忠信亡ぶ。生まれながらにして耳目の欲有り、聲色を好       
     むこと有り,是れに順う。故に淫亂生じて禮義文理は亡ぶ。然らば則ち       
     人の性に従い,人の情に順えば,必ず爭奪に出で、犯分亂理に合い,而       
     して暴に帰す。故に必將(かなら)ず師法の化と,禮義の道有り、然る       
     後に辭讓に出で,文理に合いて,治に歸す。此れを用(も)って之れを       
     觀る。人の性の惡なることは明らかなり。其の善なる者は偽なり。

 <禮記、中庸>
   「1 天命之謂性,率性之謂道,修道之謂教。」
     天命は之れ性と謂い,性に率(したが)うを之れ道と謂い,道を修めるを之     
     れ教えと謂う。

   「20 ・・・或生而知之,或學而知之,或困而知之。及其知之,一也;或安而行之,     
     或利而行之,或勉強而行之,及其成功,一也。」

      ・・・或いは生まれながらにして之を知り,或いは學んで之を知り,或いは困     
     (くる)しんで之を知る。其の之を知るに及びては,一なり。

 <論語、陽貨>
   「2 子曰:「性相近也,習相遠也。」」
     子曰く:「性は相い近く,習うことは相い遠し。」
          人間本来の天性には、そんなに違いは無いが、習慣や教養の有り          
          方で大いに違ってくるものだ。

[感想]
 人間の脳は非可塑的な古脳と、著しく可塑的な新脳からなると言う。遺言好言③で触れた「水と培われる人格」で触れたように、古脳も出来上がる過程で風土の影響を受けることはあるが、新脳の可塑性は古脳とは比べものにならぬほど大きいと言える。故に、これを利用して世界の平和実現に寄与せしめることが期待されるのである。古来多くの人々が教育の大切さを主張しているのも、かかる点を暗黙の内に認識していたに違いない。何れにしろ、古脳(情動)と新脳(理性)の鬩ぎ合いの結果が人の運命を左右することを常に念頭に置いて行動することが肝要である。
                                                             以上
                                                       令和7年/3月18日

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遺言好言④

2025-02-01 11:01:26 | 論語

遺言好言④
 「仁愛(偏愛)行動は古脳(本能)に、兼愛(博愛)行動は新脳(理性)に支配される。心して行動せよ。」
 之は私の自戒の言葉の一つである。長年培ってきた理性の働きによって、動物的本能の暴走を止めて”穏やかな一生を確立せよ”との願いである。理性と言う言葉を”道徳”すなわち人として守るべき道理という言葉に代えた方が、古代では通じ易いだろう。
 さて、本能や理性について古代中国の人々は、如何なる思考を巡らしていたのだろうか?振り返ってみよう。
 紀元前二世紀頃の歴史書、漢の司馬遷が著した<史記>に唐の司馬貞が付加した<三皇本紀>に、三皇(伏義・女媧・神農)の業績が記されているが、三皇共に異形の人物として語られている。則ち、伏義と女媧は蛇身人首、神農は人身牛首として紹介されており、暗に人類進化の過程が示されている。伏義は、八卦・書契・婚姻・狩猟・音楽・庖厨など多岐に亘って理性を発揮して人類発展に寄与したという。女媧は、天下を奪おうとした共工氏(諸侯の一員)が起こした天地の傾きを修復し、神農氏は耕作・医薬・音楽・市場取引・易の高級化(八卦→六十四卦)など多岐に亘って新たに獲得した理性による人類発展に貢献したという。則ち、半獣半人の時代を経て「人の道=道徳」が形作られ、この頃には既に「理性」の働きが人間活動に取り入れられてきたことが察せられる。更に、もっと具体的にこの辺の事情が語られているのが、やはり紀元前二世紀頃の諸子百家の思想を取り入れた<淮南子、兵略訓>に見られる。則ち、「一般の血液・気力則ち生命を維持する身体力を有する生物は、欲求が満たされて居れば睦み合うが、満たされて居ない場合は身に備わった武器(牙・角・爪・蹴爪など)で傷つき合うのが自然の本性であり、人間も同じ事だが身に備わった武器が無いので、効果が甚大な特有の武器を作り出したのだ。人類の理想の時代とされる五帝(黄帝・顓頊・帝嚳・尭・舜)の時代から戦争は止めることは出来なかったのだから、其れより退歩した時代のことは論を待つまでも無かろう。」と。<孫臏兵法、勢備篇>にも同様の主旨の解説が見られる處から推察すると、人間の「理性」に関する認識は可なり普遍的な知識であったらしいことが窺い知れる。こう見てくると、戦国時代には既に[本能と理性]についての葛藤
が早々と問題提起され、「性説」へと発展していったことが窺い知れるのである。
[参考]
 <書経、大禹謨>→(夏・殷・周三代の史官の書)
   人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中。
        人心惟れ危(あや)うく、道心惟れ微なり。惟れ精惟れ一(いつ)、允(まこと)に厥(そ)の
    中を執(と)れ。

 <古文真宝>→(漢 代~宋 代)
   順理則裕、従欲惟危。
     理に順えば則ち裕かに、欲に従えば惟れ危うし。
 <韓愈、原之五書、Ⅱ.原性>
   「性也者,与生俱生也;情也者,接于物而生也。性之品有三,而其所以為性者五;情之品有三,而
    其所以為情者七。曰:何也?曰:性之品有上、中、下三。上焉者,善焉而已矣;中焉者,可導而
    上下也;下焉者,悪焉而已矣。其所以為性者五:曰仁、曰礼、曰信、曰義、曰智。上焉者之于五
    也,主于一而行于四;中焉者之于五也,一不少有焉,則少反焉,其于四也混;下焉者之于五也,
    反于一而悖于四。性之于情視其品。情之品有上、中、下三,其所以為情者七:曰喜、曰怒、曰
    哀、曰惧、曰愛、曰悪、曰欲。上焉者之于七也,動而處其中;中焉者之于七也,有所甚,有所
    亡,然而求合其中者也;下焉者之于七也,亡与甚,直情而行者也。情之于性視其品。」

    性なるものは生と俱に生ずるなり。情なるものは物に接して生ずるものなり。性の品に三有り、
    而して其の性為る所以のものは五。情の品に三有り、而して其の情為る所以のものは七。曰わ
    く、「何ぞや」。性の品に、上・中・下の三有り。上は焉(こ)れ、善焉れ已(の)み。中は焉れ、導
    くこと可にして上下す。下は焉れ、悪焉れ而已(のみ)。其の性為る所以のものは五。曰わく
    「仁」、曰わく「礼」、曰わく「信」、曰わく「義」、曰わく「智」。上は焉れ之れが五に於け
    るや、一に主(しゆ)して四に行わる。中は焉れ之れが五に於けるや、一が少(わずか)に有せず則ち
    少に反し、其の四に於けるや混ず。下は焉れ之れが五に於けるや一に反して四に悖る。性は之れ
    情に於けるは其の品に視(のつと)る。情の品に上中下の三つ有り。其の情為る所以のものは七、
    曰わく「喜」曰わく、「怒」曰わく「哀」、曰わく「懼」、曰わく「愛」、曰わく「悪」、曰わ
    く「欲」。上は焉れ之れが七に於けるや、動いて其の中に處る。中は焉れ之れが七に於けるや、
    甚だしき所有りて亡き所有り、然り而して其の中に合っせんことを求むるものなり。下は焉れ之
    れが七に於けるや、亡きと甚だしく、直情にして行うものなり。情は之れ性に於ける其の品に視
    る。

  (注1)性の字は、(忄=心)+(生=生まれる)からなり、生まれながらの心を意味する。
  (注2)性は心の(本)体であり、情は心の(作)用と捉える。ここには朱子学で説く心の体用論が
      既に見られる。未発の性と已発の情である。

  (注3)性を三品・五常に、情を三品・七情にわける。
  (注4)性の三品説は後漢末の文人荀悦も唱えており、彼は上・下は変わらず、中は努力次第でどう
      にでもなると云った。

  (注5)<礼記、礼運篇>に、「何謂七情?喜、怒、哀、懼、爱、悪、欲,七者弗            
      学而能」なる記述がある。

 <荀子、性悪篇>
    「1 ・・・今人之性,生而有好利焉,順是,故爭奪生而辭讓亡焉、生而有疾惡焉,順是,故殘賊生而
      忠信亡焉、生而有耳目之欲,有好聲色焉,順是,故淫亂生而禮義文理亡焉。然則從人之性,
      順人之情,必出於爭奪,合於犯分亂理,而歸於暴。故必將有師法之化,禮義之道,然後出於
      辭讓,合於文理,而歸於治。用此觀之,人之性惡明矣,其善者偽也。」

              ・・・今人の性は,生まれながらにして利を好むこと有りて,是れに順(した)い,故に爭奪生
      じて辭讓は亡び、生まれながらにして疾(ねた)み惡(にく)むこと有りて,是れに順い,
      故に殘賊生じて忠信亡び、生まれながらにして耳目の欲有り,聲色を好むこと有り,是れに
      順い,故に淫亂生じて禮義文理亡ぶ。然らば則ち人の性に從い,人の情に順えば,必ず爭奪
      に出で,犯分亂理に合いて,暴に歸す。故に必將(かなら)ず師法の化と,禮義の道有り,
      然る後に辭讓に出でて,文理に合いて,治に歸す。・・・。

 <禮記、檀弓下>
    「164 子游曰:「・・・有直情而徑行者,戎狄之道也。・・・」
      子游曰く:「・・・情を直(なお)くして徑(ただ)ちに行なうこと有る者は,               
      戎狄の道なり。・・・」

 <近思録、卷五・克己類>→程伊川の行動に対する戒めの言葉。
         「3・・・《動箴》曰:"哲人知幾,誠之於思。志士厲行,守之於為。順理則裕,從慾惟危。造次克
      念,戰兢自持。習與性成,聖賢同歸。"」

      ・・・「《動箴》に曰く、”・・・理に順えば則ち裕かにして、欲に從えば惟れ危し。造次も克く念
     (おも)い、戰兢として自ら持す。習性と成れば、聖賢と歸を同じくす。”」

 <春秋左傳、襄公三十一年>
        「2 ・・・子産曰,人心之不同,如其面焉,・・・」
      ・・・子産曰く,人心の同じからざるは,其の面(おもて)の如し,・・・
 <尚書、虞書、大禹謨>
    「13 ・・・帝曰:人心惟危,道心惟微,惟精惟一,允執厥中。・・・」
       ・・・帝曰く:人心惟れ危うく,道心惟れ微なれば,惟れ精惟れ一(いつ),允(まこと)に
        厥の中を執(と)れ。・・・

 <史記、三皇本紀>
   (伏犠氏)・・・代燧人氏、継天而王。・・・蛇身人首、有聖徳。・・・始畫八卦、以通神明徳、以類萬物
          情。・・・。

   (女媧氏)・・・蛇身人首、有神聖之徳。・・・以濟冀州。於是地平天成、不改舊物。
          女媧氏没、神農氏作。・・・。
   (神農氏)・・・母、感神龍而生炎帝則神農氏。人身牛首。・・・始教耕。故號神農氏。
        ・・・始嘗百草、始有医薬。・・・遂重八卦、為六十四爻。・・・。
 <淮南子、兵略訓>
   「1 ・・・凡有血氣之蟲,含牙帶角,前爪後距,有角者觸,有齒者噬,有毒者螫,有蹄者蹴、喜而相
     戲,怒而相害,天之性也。人有衣食之情,而物弗能足也。故群居雜處,分不均,求不澹,則
     爭;爭,則強脅弱,而勇侵怯。人無筋骨之強,爪牙之利,故割革而為甲,鑠鐵而為刃。貪昧饕
      餮之人,殘賊天下,萬人掻動,莫寧其所。有聖人勃然而起,乃討強暴,平亂世,夷險除穢,以
      濁為清,以危為寧,故不得不中絶。兵之所由來者遠矣!黄帝嘗與炎帝戰矣,顓頊嘗與共工爭
     矣。故黄帝戰于涿鹿之野,堯戰于丹水之浦,舜伐有苗,啓攻有扈。自五帝而弗能偃也,又況衰
     世乎!」

     ・凡そ血氣有るの蟲は,牙を含み角を帯び,爪を前にし距(けづめ)を後にし,角の有る者は
      觸れ,齒の有る者は噬(か)み,毒の有る者は螫(さ)し,蹄の有る者は蹴り、喜び而して
       相い戲れ,怒り而して相い害するは,天の性なり。人は衣食の情有り,而して物足ること能
      わざるなり。故に群居(ぐんきょ)雜處(ざっしょ)して,分均しからず,求め澹(た)ら
      ざれば,則ち爭う。爭えば,則ち強は弱を脅かし,而して勇は怯を侵す。人には筋骨の強
      さ,爪牙(そうが)の利(するど)さ無く,故に皮を割(さ)きて革甲(よろい)を為(つ
      く)り,鐵を鑠(とか)して刃を為る。貪昧(たんまい)饕餮(とうてつ)の人,天下を殘
      賊(ざんぞく)すれば,萬人騒動して,其の所に寧んじるもの莫し。聖人は勃然として起こ
      ること有れば,乃ち強暴を討ち,亂世を平らげ,険を夷(たい)らげ穢(あい)を除き,濁
      をもって清と為し,危を以て寧と為し,故に中絶せざるを得ず。兵の由って來たる所の者は
      遠し!黄帝は嘗て炎帝と戰い,顓頊は嘗て共工と爭う。故に黄帝は涿鹿の野に戦い,堯は丹
      水の浦に戦い,舜は有苗を伐ち,啓は有扈を攻む。五帝自りして偃(ふ)すこと能わざる為
      り。又た況や衰世をや!

 参考:有血氣之蟲→古時對動物的通稱。
    《説文解字》有足謂之蟲,無足謂之豸(ち)。裸蟲=人類。
    <竹簡孫子、孫臏兵法、勢備篇>→孫臏は孫武の子孫と言われている。戦国時代の人
    孫子曰:「夫銜齒戴角,前蚤後鋸、喜而合,怒而斫,天之道」也,不可止也。故無天兵者自為備 
    ,聖人事也。黄帝作劍,以陣象之。羿作弓弩,以執象之。禹作舟車,以變象之。湯、武作長兵,
    以權象之。凡此四者,兵之用也。」

    ・孫子が曰く:「夫れ歯(きば)を銜(そな)え角を戴き,前には蚤(つめ)を後には鋸(けず
     め)を、喜(たの)しくば合(あつ)まり,怒れば斫(あら)そうは,天の道」なりと,止む
     べからざるなり。故に天兵(てんぺい)を無(もた)ざる者は自ら備を為すとは ,聖人の事な
     り。黄帝は劍(つるぎ)を作り,陣を以て之を象る。羿は弓弩を作り,勢を以て之を象る。禹
     は舟や車を作り,變を以て之を象る。湯、武は長兵を作り,權を以て之を象る。凡そ此の四者
     は,兵の用なり。

[感想]
 [有血氣之蟲]には人類も含まれ、人は身に武器を伴わぬ處から自衛の為に武器を編み出したという。その役を担ったのが聖人だと云うのだから驚く。黄帝然り、禹然り、周王朝の始祖である武王に至っては飛び道具を作り出したと云う。万人が崇拝するとされる聖人が争い事を鎮める為とはいえ、積極的に武器を開発したと記して良いのだろうか?何れにしろ古代中国では、聖王が主催する聖戦は、人の動物的本能から来るマイナス面を是正する[必要悪]として捉えられていたようである。今以て争いが絶えず、戦争が各地で起きていることを見ると、戦争という最も忌むべき行為を無くすことは無理ということなのだろうか? 原爆の恐ろしさが現実のものとならなければ、人は争うことを止めることが出来ないと云うことか?
                                                                        以上
                              (令和7/02/01)

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遺言好言③

2024-11-30 15:58:32 | 論語

遺言好言③
 『水は九徳(仁・知・義・品格・潔白・勇気・誠信・寛容・道理)を有し、萬物を生育する本源であり、その美悪賢愚の総ての性格を生み出す處。』 (管子の言葉)
 管子とは、春秋五覇の一人である齊の桓公の忠臣である政治家”管仲”のことである。古来、[水]の特性に注目した聖人は多く、老子もその一人で、「上善若水」と言っている。
 だが管子ほどに[水]に多大の期待を抱いた人物はおらず、「水は神なり」とまで言わしめているのだから、その傾注度には脱帽である。さて、彼の主張の中で特質すべき点は、
生育地の水質と、形成される人格との関連についての一文である。「人水也。」と記するぐらいだから、然も有りなんとは思うが。要約すると、
   ・齊:水=強流で濃厚な味→人=貪欲で粗野・勇敢。
   ・楚:水=軟水で清澄→人=身軽で勇敢。
   ・越:水=濁重で浸透力大→人=愚鈍邪悪・嫉妬深い。
   ・秦:水=泥水混じり沈滞気味→人=貪欲・非道理・無知・好戦的。
   ・晉:水=涸れ易く濁り、泥交じりの溜まり水→人=諂い・詐欺師。
   ・燕:水=深層水で澱んだ泥水→人=馬鹿正直・律儀・軽率・易死。
   ・宋:水=輕水・清澄→人=淡泊・正義漢。
 対象となる水の「形状」と形成される人の「性状」との間の関連が、今ひとつ判然としない所があるが、齊国に仕えた管仲としては、齊国の評価に手心を加えざるを得なかったに違いない。
[参考]
 <管子、水地>
   1 地者,萬物之本原,諸生之根菀也。美惡賢不肖愚俊之所生也。水者,地之血氣,如筋脈之通流者
    也。故曰水具材也。

    地は、萬物の本源にして、諸生の根菀(こんがい)なり。美惡・賢不肖・愚俊の生ずる所なり。
    水は、地の血気にして、筋脈の通流するが如き者なり。故に
曰く、水は材を具うるなりと。
   2 何以知其然也? 曰:夫水淖弱以清,而好灑人之惡,仁也。視之黑而白,精也。量之不可使概,
    至滿而止,正也。唯無不流,至平而止,義也。人皆赴高,己獨赴下,卑也。卑也者,道之室,王 
    者之器也。而水以為都居。

    何を以て其の然るを知るや? 曰く:夫れ水は淖弱(しゃくじゃく)として以て清く,而して好
    みて人の惡を灑(あら)うは、仁なり。之れを視るに黑くして、而も白きは、精なり。之れを量
    るに概を使う可からざるも、滿つるに至りて止むは、正なり。流れざる無しと唯(いえど)も、
    平かなるに至りて止むは、義なり。人は皆高きに赴くに,己れ獨り下(ひく)きに赴くは,卑な
    り。卑なる者は,道の室にして,王者の器なり。而して水は以て都居(ときょ)と為す。

   3 準也者,五量之宗也。素也者,五色之質也。淡也者,五味之中也。是以水者萬物之準也。諸生之
    淡也。違非得失之質也。是以無不滿無不居也,集於天地,而藏於萬物。産於金石,集於諸生,故
    曰水神。集於草木,根得其度,華得其數,實得其量,鳥獸得之,形體肥大,羽毛豐茂,文理明
    著。萬物莫不盡其幾,反其常者。水之内度適也。

    準なる者は,五量の宗なり。素なる者は,五色の質なり。淡なる者は,五味の中なり。是を以て
    水は萬物の準なり。諸生の淡なり。違非得失の質なり。是を以て滿たざる無く居らざる無きな
    り。天地に集まり、而して萬物に蔵せられ、金石に産し、諸生を長じ、故に曰く水は神なりと。
    草木に集まれば,根は其の度を得,華は其の數を得,實は其の量を得,鳥獸が之れを得れば,形
    體が肥大し,羽毛は豐茂し,文理は明著。萬物は其の幾を尽くし,其の常に反らざる莫きは、水
    の内度が適すればなり。

   4 夫玉之所貴者,九德出焉,夫玉温潤以澤,仁也。鄰以理者,知也。堅而不蹙,義也。廉而不□(け
    い),行也。鮮而不垢,潔也。折而不撓,勇也。瑕適皆見,精也。茂華光澤,並通而不相陵,容
    也。叩之,其音清搏徹遠,純而不殺,辭也。是以人主貴之,藏以為寶,剖以為符瑞。九德出焉。

    夫れ玉の貴き所の者は,九德焉(これ)に出で,夫れ玉は温潤にして以て澤なるは,仁なり。鄰
    にして以て理なるは,知なり。堅にして而も蹙(せま)らざるは,義なり。廉にして而も破らざ
    るは,行なり。鮮にして而も垢(けが)れざるは,潔なり。折れて而も撓まざるは,勇なり。瑕
    適(かてき)皆な見(あらわ)るるは,精なり。茂華光澤,並び通じて而も相い陵(しの)がざ
    るは,容なり。之れを叩くに,其の音清が搏にして遠きに徹し,純にして而も殺(みだ)れざる
    は,辭なり。是を以て人主が之れを貴び,藏して以て寶と為し,剖(さ)きて以て符瑞と為す。
    九德焉(これ)に出づればなり。

   5 ・・・。是故具者何也,水是也,萬物莫不以生。唯知其説者能為之正。具者,水是也。故曰、水者
    何也?萬物之本原也,諸生之宗室也,美、惡、賢、不肖、愚、俊之所産也。

    ・・・。是の故に具える者は何ぞや,水が是れなり。萬物以て生ぜざる莫し。唯だ其の説を知る者
    のみ能く之が正を為す。具える者は,水是なり。故に曰く、水とは何か?萬物の本原なり,諸生
    の宗室(そうしゅ)なり。美、惡、賢、不肖、愚、俊の産する所なり、と。

   6 人,水也。男女精氣合,而水流形。・・・。
    人は,水なり。男女の精氣合して,水は形を流(し)く。・・・。
   (参考)(水流形)関連
     「乾為天:彖伝」彖曰、大哉乾元、萬物資始。乃統天。雲行雨施、品物流形。彖に曰く、大い
    なるかな乾元、万物資りて始む。乃ち天を統ぶ。雲行き雨施し、品物は形を流(し)く。

      品物流形:よろずの物もその形体を備えるに至る。
   7 ・・・。是以水集於玉,而九德出焉、凝蹇而為人,而九竅五慮出焉。此乃其精也精麤凝蹇,能存而不
    能亡者也。

     ・・・。是を以て水は玉に集まり,而して九德焉(これ)に出で、凝蹇(ぎょうけん)し而して
    人と為り,九竅五慮(九きょう五りょ)焉(これ)に出ず。此れ乃ち其の精麤凝蹇(せいそぎょ
    うけん)し、能く存し而して亡ぶること能わざる者なり。

   8 是故具者何也。水是也,萬物莫不以生。唯知其説者、能為之正。具者,水是也。故曰:水者具材
    也。萬物之本原也。諸生之宗□(しゅ)也。美、惡、賢、不肖、愚、俊之所産也。何以知其然
    也? 夫、

     ・齊之水,道躁而復。故其民貪麤而好勇。
     ・楚之水,淖弱而清。故其民輕果而敢。
     ・越之水,濁重而洎。故其民愚疾而妬。     
     ・秦之水、泔冣而稽,□滯而雜。故其民貪戻,罔而好事。
     ・晉之水,枯旱而渾,□滯而雜。故其民諂諛而葆軸,巧佞而好利。
     ・燕之水,萃下而弱,沈滯而雜。故其民愚□而好貞,輕疾而易死。
     ・宋之水,輕勁而清。故其民閒易而好正。
    (注)□:春秋五覇。
    是以聖人之化世也,其解在水。故水一則人心正,水清則民心易。人心正、則欲不汚,民心易則行
    無邪。是以聖人之治於世也、不人告也。不戸説也。其樞在水。

    是の故に具ふる者は何ぞや。水是れなり,萬物は以て生ぜざる莫し。唯だ其の説を知る者のみ能
    く之れが正を為す。具える者は,水是なり。故に曰く:水は材を具えるなり。萬物の本原なり。
    諸生の宗室なり。美・惡・賢・不肖・愚・俊の産する所なり。何を以て其の然るを知るや? 夫
    れ、

     ・齊の水は,道躁(いうそう)にして復なり。故に其の民は貪麤(たんそ)にして勇を好む。
     ・楚の水は,淖弱(しゃくじゃく)にして清し。故に其の民は輕果(けいか)にして敢なり。
     ・越の水は,濁重(だくじゅう)にして洎(き)なり。故に其の民は(ぐしつ)にして妬
      (と)なり。

     ・秦の水は、泔(かん)冣(あつま)りて稽(とど)まり,□滯(おたい)にして雜なり。故
      に其の民は貪戻(たんれい),罔(もう)にして事を好む。

     ・晉の水は,枯旱(こかん)にして渾(にご)り,□滯(おたい)にして雜なり。故に其の民
      は諂諛(てんゆ)にして詐りを葆ち,巧佞(こうねい)にして利を好む。

     ・燕の水は,萃下(すいか)にして弱く,沈滯にして雜なり。故に其の民は愚□(ぐこう)に
      して貞を好み,輕疾にして死を易(あなど)る。

     ・宋の水は,輕勁(けいけい)にして清し。故に其の民は簡易にして正を好。
       (注)春秋五覇:斉(桓公)・宋(襄こう)・晋(文公)・秦(穆公)・楚(荘公)
    是を以て聖人の世を化するや,其の斡(あつ)は水に在り。故に水は一(いつ)なれば則ち人心
    は正しく,水は清(きよ)ければ則ち民心は易し。人心正しければ、則ち欲汚さず,民心易けれ
    ば則ち行いは邪(よこしま)無し。是を以て聖人の世を治めるや、人ごとに告げざるなり。戸ご
    とに説かざるなり。其の樞(すう)は水に在り。

   9 是以聖人之化世也,其斡在水。故水一則人心正,水清則民心易、人心正、則欲不汚,民心易則行
    無邪。是以聖人之治於世也、不人告也。不戸説也。其樞在水。

    是を以て聖人の世を化するや,其の斡(あつ)は水に在り。故に水は一なれば則ち人心は正し
    く,水が清ければ則ち民心は易く,人心正しければ則ち欲はされず,民心易ければ則ち行いは邪
    しま無し。是を以て聖人の世を治めるや、人ごとに告げざるなり。戸ごとに説かざるなり。其の
    樞(すう)は水に在り。

     
 <老子道徳経、8不争の徳>
   8 上善若水。水善利萬物而不爭,處衆人之所惡,故幾於道。居善地,心善淵,與善仁,言善信,正
    善治,事善能,動善時。夫唯不爭,故無尤。

    上善は水の若し。水は善く萬物を利し而して爭わず,衆人の惡(にく)む所に處(お)り,故に
    道に幾(ちか)し。居には地を善しとし,心には淵なるを善しとし,與(まじわり)には仁を善
    しとし,言には信を善しとし,正(政)には治を善しとし,事には能を善しとし,動には時を善
    しとす。夫れ唯だ爭わず,故に尤(とが)め無し。

[感想] 
 人間の身体は、年を取るにつれて水分が減少するが、老人でも50%位は維持しているという。新生児は75%、胎児に至っては90%と言うのだから管仲が「人,水也。」と言ったのも宜なるかなである。その水の性質から、人の性格を導き出したと云うから管仲の洞察力には恐れ入る。聖人の治策の中心は、その地の水質を知ることにあると、政治家として世に名高い”管仲”は力説している。その真偽は別として、政治家としての管仲の洞察力については、現世の政治家も見習うものが有るのでは無かろうか?
                                                                               以上
                          (令和6年/11/30)

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遺言好言②

2024-10-03 08:08:16 | 論語

遺言好言②
 『兼愛交利は天下の治道』 (墨子の言葉)
  「兼相愛,交相利,天下之治道也。」<墨子、兼愛中篇>即ち「人々が自他隔て無く愛おしみ、互いに利を与え合う手段こそが、天下を治め得る最良の方法である」と、墨翟は[兼愛思想]を力説する。孔子の主張する[仁愛]を否定し、己を愛するように他者を愛すれば天下の平和は保たれると説き回ったのである。孔子は<論語>の中で、仁について明快な解説はしていない。それどころか、<論語>の中で[子罕言利興命興仁]と記しているほど、孔子は[仁]について語らなかったと云う。その少ない記述の中で、孔子は若き門人の樊遅の問いに対して[樊遅問仁、子曰愛人]と答え、広く若者に対して[汎愛衆而親仁]と呼びかけている。孔子の仁愛思想が「(差)別愛→偏愛」であることを決定付けているのが、孔子の孫である子思が監修したとされる<中庸>にある[仁者人也。親親為大。・・・。親親之殺、・・・、禮所生也。]=[仁とは人なり。親を親しむを大なりと為す。・・・。親を親しむの殺、・・・、禮の生じる所なり。]の一文である。「親を親しむの殺」とは、肉親を信愛する上で、それにも差別があることを指している。族に親しむ場合にも疎遠な人だと親愛は減殺されてしまうと云う訳である。一方墨子は「自分も他人も隔てなく(兼)共に愛す→兼(親)愛」こそが「天下の平和」を齎すと説く。墨子の教えが孔子の教えに近いことは、明白な事実である。孔子が「尭・舜・禹・湯・文・武」を称えたように、墨子も同様に「尭・舜・禹・湯・文・武」を称え、これら聖王・賢主の行動に着目して己の思想の展開を図っている。と指摘したのが、明治の文豪である幸田露伴であつたと云うのだから面白い。墨子の一群は、孟子の活躍した“戦国時代に儒教に匹敵する勢いで一大勢力を誇示したが、秦王朝の出現で忽然とその姿が消えてしまったことは甚だ疑問であると共に、惜しむ處大である。
  人間も”動物的本能”が消えて無くならない限り、「兼愛」に基づく世界平和の実現は理想に過ぎないものと為らざるを得ないのであろうか?
[参考]
 <墨子、兼愛中篇>
  「是故子墨子言曰、今天下之君子、忠實欲天下之富、而悪其貧、欲天下之治、而悪其乱、當兼相愛、交相利。此聖王之法、天下之治道也。不可不務為也。」
  「是の故に子墨子の言いて曰く、今、天下の君子、忠實(まこと)に天下の富むを欲し、而して其の貧しきを悪(にく)み、天下の治を欲し、而(しかる)に其の乱るるを悪まば、當に兼(けん)をし相(あい)愛(あい)し、交(こもご)も相(あい)利(り)すべし。此れ聖王の法(のり)、天下の治道なり。務(つと)め為(な)さざる可からず。」
    「このような訳で子墨子が語って言われたことには、『今、天下の君子、まことに天下が富むことを願い、そして天下が貧しくなることを憎み、天下が治まることを願い、そして天下が乱れることを憎むのならば、互いに立場を尊重して互いが愛しみ、互いにそれぞれを利するべきである。これは聖王の法であって、天下の統治の道であり、実行しない訳にはいかないのだ。』と。」
 <論語、学而>
   「12 有子曰、礼之用和為貴、先王之道斯為美。」
      有子が曰く、礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯れを美と為す。
      有子(孔子の弟子の有若)が云うに、「人々の調和を図ることが禮の最高      
                      の働きであり、古代聖王の行動もそれに準じたのである」と。

 <論語、顔淵> 
   「1 顏淵問仁。子曰:「克己復禮為仁、一日克己復禮,天下歸仁焉。為仁由己,而
                  由人乎哉?・・・。」

     顏淵、仁を問う。子曰く:「己れを克(せ)めて禮に復(かえ)るを仁と為
                  す。一日己れを克めて禮に復れば、天下は仁に帰す。仁を為すこと己れに由
                  る。而して人に由らんや?・・・。

   「自分に打ち勝って礼に立ち返ろうとすることが仁である。一日自分に打ち勝っ
               て礼に立ち返ることをすれば、世の中はその人の人徳に帰伏するであろう。仁
               を実践することは自分(の振る舞い)によるのであって、どうして他人に頼る
               ものであろうか、いやそうではない。」

   「22 樊遅問仁。子曰愛人。・・・。」
      樊遅、仁を問う。子曰く人を愛すと。・・・。
 <孟子、公孫丑上> 「無惻隠之心、非人也。惻隠之心、仁之端也。」
   「惻隠の心無きは、人に非ざるなり。惻隠の心は、仁の端なり。」
 <中庸、二十章>→著者は孔子の孫の子思。
    20 「・・・仁者人也,親親為大;義者宜也,尊賢為大。親親之殺,尊賢之等,禮所
                       生也。在下位不獲乎上,民不可得而治矣!故君子不可以不修身;思修身,
                       不可以不事親;思事親,不可以不知人;思知人,不可以不知天。・・・」

   [書き下し文]
           「・・・仁は人(じん)なり。親(しん)を親しむを大なりと為す。義は宜(ぎ)な
               り。賢を尊ぶを大なりと為す。親を親しむの殺(さい)、賢を尊ぶの等(と
               う)は、礼の生ずる所なり。故に君子もって身を修めざるべからず。身を修め
               んと思わば、もって親に事えざるべからず。親に事えんと思わば、もって人を
               知らざるべからず。人を知らんと思わば、もって天を知らざるべからず。・・・」

 <「露伴全集 第十八卷」岩波書店1949(昭和24)年、墨子幸田露伴>
  ・墨子は周秦の間に於て孔子老子の學派に對峙した鬱然たる一大學派の創始者であ
           る。墨子の學の大に一時に勢力のあつたことは孔子系の孟子荀子等が之を駁撃し
           てゐるのでも明白で、輕視して置けぬほどに當世に威※(「陷のつくり+炎」、第3
           水準1-87-64)を有したればこそ孟子荀子等がこれに對して筆舌を勞したのである。
           それのみならず人間の善惡を超越し是非を忘却するやうなことを理想としたかの
           如き莊周でさへも墨家に論及し、・・・。

  ・墨子を孔子と同列のやうに取扱つたのは、早く韓非子の時からで、韓非子顯學篇
           に、既に儒墨と併稱して、八儒三墨と其の流派を擧げてゐる。儒の至る所は孔丘
           なり、墨の至るところは墨※(「櫂のつくり」、第3水準1-90-32)なり、と韓非子が
           言つてゐるのであるが、是の如く墨子を孔子と併べ稱したのは、墨子の道が孔子
           の道の如くに天下に顯然としてゐたからでもあるが、一つは又孔子の道が世を救
           ひ人を正しうするに在る如く、墨子の道もまた世を救ひ人を正しうするに在つ
           て、聖賢を稱揚し、道徳と政治とに兼ね亙つてゐること、相似通ふところがある
           からに本づいたのでも有つたらう。・・・

  ・墨子の教が孔子の教に近いことは、それは他の莊、列、韓非の輩の孔子に遠いの
           に比して、大に近く、まことに一脈相通ずるものがあることは爭へない。孔子の
           堯舜禹湯文武を稱するが如く、墨子も堯舜禹湯文武を稱し、聖王賢主の民を率ゐ
           躬を正しうしたところに準據してゐるのであつて、自分の小さな知識や感情から
           一家の言を成し、我より古を成さうとしてゐたのでは無いのである。・・・。

  ・墨家の思想や主張は實に殆んど甲部に盡きて居ると云つても宜いのである。墨子
           の道とするところは孔子の道とするところとは何としても異なつてゐる。然し古
           より儒墨といひ、又は孔墨と併べ稱したのは何故であるか、それは淮南子が謂つ
           た通り、兩者いづれも先聖の術を脩め古王の道に依つたからで、孔子とは其の執
           るところが異なつたとは云へ、墨子も亦孔子と同じく堯舜禹湯文武を稱したので
           ある。墨子も亦孔子と同じく詩、書を稱したのである。墨子は、吾嘗つて百國の
           春秋を見るといひ、又其の藏書の甚だ多かつたことを本書に記されてゐる。墨子
           も實に孔子と同じく古を學び史に據りて、そして所信を立てゝ居るので、我流に
           一家の見を立てたのでは無い。但し孔子と異なるに至つたところは、孔子は周の
           人として特に周公を尊び、周初の文治を謳歌し、何とかして周初の郁※(二の字
           点、1-2-22)乎として文なる哉の代に一世をして引戻らせたい意を有してゐたの
           に、墨子は孔子よりも後の世に出で、世は愈※(二の字点、1-2-22)自利自恣の念の
           み強くなつて、且又人情は浮薄で、目前主義、享樂主義、虚榮の是認、奢侈の衒
           耀、殘虐と騙詐、侵略と劫掠、あらゆる惡徳の日に盛んならんとする時に際會し
           たので、中※(二の字点、1-2-22)孔子のやうに手緩い態度や思想や感情を抱いてゐ
           ることが出來ず、そこで孔子と同じく古王の道に依り、同じく先聖の術を脩めた
           のではあり、同じく道徳の念の強い人ではあつたが、其の實際に施爲せんとする
           ところは、おのづから孔子とは色彩をも樣式をも異にするを以て時を救ひ世を濟
           ふの法に於て是なりとするに至つたものと見える。孔子は周公が周國の成立つて
           國家の機運と人民の精神との將に新しい文化を成就せんとするに適した時代の施
           爲にかゝる周初の道徳や教法や禮樂や及び其の精神を、理想の標的として言を立
           て教を布かれたと見えるが、墨子は同じ先聖古王の中でも、最も國家危難の時に
           當つて非常の勤勞を以て世を治め時を濟つたところの夏王の禹の道法や精神を以
           て、此の時代に對するのをば最適と信じたと見える。・・・。

[感想]                                                           
  儒家の「別愛」・墨家の「兼愛」論争に、明治の文豪“幸田露伴”が登場するとは、大変興味の引く事実である。露伴は、著作の上で必要に迫られて儒家対墨家の思想分析を試みたのだろうか? 彼の諸々の著作を解析してみるのも一興である。
  さて、現実に即した「別愛」を説いた孔子の思想と、理想像に即した「兼愛」を主張した墨子の思想の戦いは、時の為政者に前者が受け入れられ、後者は完膚なきまでに退けられてこの世から消えてしまう。これが人間界の現実の姿である。
                                                          以上
                          (令和6年/10/03)

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遺言好言①

2024-08-15 10:56:54 | 論語

遺言好言①
 卒寿を過ぎて早や4年、そろそろ店じまいを考える年頃となった。古漢籍の翻訳などに後年携わってきた身としては、筆を置くことに躊躇いを感じるが、之ばかりは致し方の無いことと観念せざるを得ない。と言うことでいつまで続けられるか解らないが、特に記憶に残った[漢籍好言]を残しておきたいと思う。では早速始めることにしよう。
 ①『安居無きに非ず、我に安心無きなり。』 (墨子の言葉)
  「非無安居也,我無安心也。」<墨子、親士篇>即ち「安心して居られる場所が無いのではなく、心を安らかにする術を知らないから安居できないのだ。」と墨翟は云う。すなわち、「心が安定し満たされて居れば、如何なる境遇にあっても安居は有る筈だ」と云う意味である。これは、国威発揚の為に賢士を採用すべしと主張する「親士篇」に突如出てくる出典不明の引用文である。唐突な気もするがそれはさておき、如何に「心境=心の持ちよう」が己の置かれた環境に影響を及ぼすかと云う点を強調する言葉であることには間違いない。「心さえ満ち足りて居れば、如何なる境遇に置かれても安らかに暮らすことが出来る」のである。さてさて、「云うは安く行うは難し」とはこの事。己の心でありながら、これをコントロ-ルすることは至難の業である。墨翟は孔子(BC552~BC429)と同時代の人。孔子没後40年位在世したと云うから、紀元前5世紀頃には既に「心」の問題が切実に取り上げられていたらしい。
   孔子も心の有り様について、『確り持っていれば有るが、放っておけば亡くなってしまう。出るにも入るにも決まった時が無く、その居場所も解らない』と云って居るぐらいだから、個人も大いに悩んだようである。
   その後も面壁坐禅で有名な達磨大師(6世紀の人)の禅宗に見られる座禅修行、そして日本の道元禅師(13世紀の人)の<普勧坐禅儀>に見られる[只管打坐]の妙策など、心を鍛えることに先人たちは苦心する。現在においても民間に於ける座禅修行の勢いは止まる所を知らぬ勢いだから、終生の問題として捉える必要がありそうである。
[参考]
 <墨子、親士篇>
  「3 吾聞之曰:「非無安居也,我無安心也。非無足財也,我無足心也。」是故君子自    
              難而易彼,衆人自易而難彼,君子進不敗其志,内究其情,雖雜庸民,終無怨心,    
              彼有自信者也。是故為其所難者,必得其所欲焉,未聞為其所欲,而免其所惡者    
              也。是故偪臣傷君,諂下傷上。君必有弗弗之臣,上必有□□之下。分議者延延,    
              而支苟者□□,焉可以長生保國。

   3  吾の之を聞いて曰く:「安居(あんきょ)無きに非ずなり、我(おのれ)に安心は    
               無きなり。足財(そくざい)無きに非ずなり、我(おのれ)に足心(そくしん)は無    
               きなり。」是の故に君子は自ら難(かた)くして而して彼(か)を易(やす)くし、衆    
               人は自ら易(やす)くして而して彼(か)を難(かた)くす。君子は進みて其の志を    
               敗(やぶ)らず、内に其の情を究め、庸民(ようみん)に雑(まじ)はると雖(いへど)    
               も、終(つい)に怨心(えんしん)は無し、彼(か)の自ら信ずるもの有ればなり。    
               是の故に其の難(かた)きする所を為す者は、必ず其の欲する所を得る、未だ其    
               の欲する所を為して而(しかる)に其の悪(にく)む所を免るる者は聞かざるなり。    
               是の故に?臣(ねいしん)は君を傷(そこな)ひ、諂下(えんか)は上を傷(やぶ)る。    
               君に必ず弗弗(ふつふつ)の臣有り、上に必ず□□(がくがく)の下は有り。分議    
               する者は延延(えんえん)にして而して支苟(しいや)する者は□□(がくがく)た    
               り、焉(すなは)ち以って生を長じ國を保つ可し。

   3  私はこのことを聞いて、『安住する場所が無いのではない、私に安住する心が    
               ないからなのだ。財貨が足りないのではなく、私に持っている財貨に満足する    
               心が無いからなのだ。』と思う。だから、君子は自らが難き事を為し他の人に    
               易き事を為させるが、君子以外の人たちは、自らは易き事を為し他の人に難き    
               事を為させる。君子は自ら進んでその志に敗けず、内にその情熱を究める。凡    
               庸な人々に交わっていても決してものごとが成らないことを怨む心を持たな
               い。君子は自らの信じるものがあるからである。だから難きところのものを為
               す者は、必ずその欲するものを得る。未だ、その欲するところのものを為し
               て、その悪むものごとから免れた者がいたことを聞いたことが無い。だから佞
               臣は君主を傷ね、諂う臣下は御上を傷ねる。君主には必ずたびたび異議を唱え
               る家臣がおり、御上には必ず声を上げて異議を唱える臣下がいる。対案を提議
               する者は途切れることなく声を上げ、敬意を表しつつ異議を唱える。これによ
               り人民の命を長くし国を保つことが出来る。

 <孟子、告子上>
  「8 ・・・孔子曰:『操則存,舍則亡;出入無時,莫知其郷。』惟心之謂與?」
   8・・・孔子曰く:『操(と)れば則ち存し、舎(す)つれば則ち亡(うしな)う;    
               出入時無く、其の郷(おるところ)を知る莫し』と。惟れ心の謂(いい)か。

 <道元禅師、普勧坐禅儀>
  ①原夫道本圓通、爭假修證、宗乘自在、何費功夫。況乎全體□(はるかに)出塵埃   
           兮、孰信拂拭之手段。大都不離當處兮、豈用修行之脚頭者乎。

   原(たず)ぬるに、夫れ道本円通、争(いか)でか修証を仮(か)らん。宗乗
        (しゅうじょう)自在、何ぞ功夫(くふう)を費いやさん。況んや全体□(はる)か   
           に塵埃(じんない)を出づ、孰(たれ)か払拭(ほっしき)の手段を信ぜん。大   
           都(おおよそ)当処を離れず、豈に修行の脚頭を用ふる者ならんや。

  ②然而毫釐有差、天地懸隔違順纔起紛然失心。直饒誇會豐悟兮。獲瞥地之智通。得   
           道明心兮。擧衝天之志氣。雖逍遙於入頭之邊量。幾虧闕於出身之活路。矧彼・・・

   然(しか)れども、毫釐(ごうり)も差(しゃ)有れば、天地懸(はるか)に隔   
           り、違順(いじゅん)纔(わず)かに起れば、紛然として心(しん)を(の)失   
           す。直饒(たとい)、会(え)に誇り、悟(ご)に豊かに、瞥地(べつち)の智   
           通(ちつう)を獲(え)、道(どう)を得、心(しん)を(の)明らめて、衝天   
           の志気(しいき)を挙(こ)し、入頭(にっとう)の辺量に逍遥すと雖も、幾
         (ほと)んど出身の活路を虧闕(きけつ)す。

  ③矧彼祇薗之爲生知兮、端坐六年之蹤跡可見。少林之傳心印兮、面壁九歳之聲名尚   
           聞。古聖既然、今人盍?。・・・。

           矧(いわ)んや彼(か)の祇薗(ぎおん)の生知(しょうち)たる、端坐六年の   
           蹤跡(しょうせき)見つべし。少林の心印を伝(つた)ふる、面壁九歳(めんぺ   
          きくさい)の声名(しょうみょう)、尚ほ聞こゆ。古聖(こしょう)、既に然り。   
          今人(こんじん)盍(なん)ぞ?ぜざる。・・・。

  ④夫參禪者靜室宜焉。飮食節矣。放捨諸縁休息萬事。不思善惡。莫管是非。停心意   
           識之運轉。止念想觀之測量。莫圖作佛。豈拘坐臥乎。

   夫れ参禅は静室(じょうしつ)宜しく、飲食(おんじき)節あり、諸縁を放捨
           し、万事を休息して、善悪(ぜんなく)を思はず、是非を管すること莫(なか)
           れ。心意識の運転を停(や)め、念想観の測量(しきりょう)を止(や)めて、
           作仏(さぶつ)を図ること莫(なか)れ。豈に坐臥に拘わらんや。

  ⑤省略。 ・・・。 ⑥省略。 ・・・。
  ⑦・・・思量箇不思量底。不思量底如何思量。非思量此乃坐禪之要術也。
           ・・・箇(こ)の不思量底を思量せよ。不思量底、如何に思量せん。非思量。此れ乃   
           ち坐禅の要術なり。・・・

  ⑧・・・。以下省略。
 <薬山惟儼禅師(七四五~八二八)、問答集>
  ①・・・座而思量何乎?
  ②思量箇不思量底。不思量底如何思量? 非思量。
[感想]
  インドでは前5~6世紀頃に釈尊は四苦(生老病死)脱出に苦しみ、その教えが古代中国に伝えられてからも”心の問題”は人々を苦しめ続け、古代中国で6世紀頃の達磨太子の禅による改善策が講じられても、人々の苦行はそう簡単には解決を見るには至って居ない。道元禅師は8世紀頃の山西省、新絳県出身の薬山惟儼禅師の問答を引用して「非思量此乃坐禪之要術也。」と云い、亦た「只管打坐」と身体のコントロールの有用性を説くが、儘ならぬのが我々凡人の悲しい處である。その解決策として薬山禅師は無意識脳である脳幹+間脳の働きを「非思量」と表現し、その重要性を強調した。「大脳の働きを抑制するのでは無く(不思量)、間脳+脳幹の働きに注力せよ(非思量)」と言うのが彼の主張である。大まかに云って人間の脳は、生命活動を支配する脳幹、情動活動に関連する間脳、そして最も新しい高度な機能(知覚・運動・記憶・思考・言語)を持った大脳が密接に連絡を取り合って活動しており、心の状態は常に複雑である。従って単純に制御できる筈も無く、開闢以来人々をある意味で苦しみ続けてきたことは否めない事実である。環境への適応行動を行う能力を持つ新脳即ち大脳を獲得した人類は、その為に新たな苦しみに遭遇することになるのは皮肉なものである。この苦しみから逃れる唯一の方法が現状では、「認知症」と言う手段を執るほか無いとは、何とも悲しい限りで有る。
                                                    以上
                          (令和6年/08/15)

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戦争私論追記

2024-06-28 09:49:30 | 論語

戦争私論追記
 ○荀子の戦争観
  荀子は、人間の欲望や感情の発生過程や社会に及ぼす影響について可なり突っ込んだ自説を<荀子>の中で開陳している。すなわち、
 ・人間の欲望
   先ずは生得の欲望機能について、<荀子、禮論>の中で荀子は語る。人間の欲望は生来のもので、その発生は自然の成り行きであり、争ってでもその欲望が遂げられるまで追求は続くものだと結論づける。古代の聖王たちは、社会的混乱が起きないように礼儀を定めてこの問題を処理してきたと解説する。これは今日で云う「個体維持と種族保存の基本的生命活動の推進の結果」と同意義のものであり、古脳(爬虫類脳)の働きをズバリ言い当てている訳であり、生命活動に直結する働きだから、この欲望は満足させることが出来なければ永遠に続くものであり、これを抑える為には社会的規範となる礼儀が是非とも必要になってくると言う訳である。
 ・人間の闘争心
   価値観の異なる個人や集団間では、様相が異なってくる。<荀子、正論>の中で、闘争心の因って来る過程について、荀子は語る。先ずは「宋尹学派」に属し、「見侮不辱=侮らるるも辱ならず」と戦争行為の否定を主張した宋けい等は、「侮りを受けても、受け取る側が恥辱とは捉えず、冷静に対処すれば闘争まで発展することは無い」と主張する。これに対して荀子は、「恥辱という感情は問題では無く、憎悪の感情が起こるかどうかで闘争行為は支配される」と語る。何れを良しとするかは、単純には決めかねると言うのも、孔子が語っているように、人間には品格上の区分け、すなわち聖人・賢人・君子・士人・庸人の五儀という人品区分があるからである。<中庸>に云う「生知安行・学知利行・困知勉行とか、<論語>に有る「生而知之者=聖人、学而知之者=士人、困而知之者=凡人、困而不學=愚人」なども人間序列に関する記述であり、古くから存在する思想である。
 ・結論
   人間の欲望や闘争心は、いずれにしろ個々人の本性・価値観・修養結果などによりその結果は異なってくると云うのが妥当な所で有り、宋けい・伊尹の徒も、荀子も一面だけを強調する者であることを認識しておく必要がある。すなわち、「宋尹学派」は[恥辱]という内向的感情に着目し、「荀子」は[憎悪]という外向的感情に着目して論じているので、その言い分は互いにすれ違っていることは否めぬ事実である。別の言い方をすれば、一方は「聖人・君子」的感情発露からの結果であり、他方は「士人・庸人」的感情発露からの論争結果であるから、噛み合わぬのも致し方の無いことと謂うほかは無い。
何れにしろ悲惨な「戦争行為」に結びつく「人間の欲望や闘争心」をコントロールする為には、「修養=教育」と「生活規範=禮儀と節度」とが絶対的必要条件であることを強く認識する必要があろう。しかし、古代中国の聖人君子とされている二聖天子の「堯と舜」、夏・殷・周王朝三代の各当事者「禹王・湯王・武王」そして「周王朝の創業に力を尽くした周公旦」なども聖人として認められているが、それぞれに[戦争]を経験しているのだから、[恥辱]も[憎悪]も有ったものでは無い気もするが如何?
[参考]
  <荀子、禮論篇>
         1 禮起於何也?曰:人生而有欲,欲而不得,則不能無求。求而無度量分界則不能不爭;爭則亂,亂則窮。先王惡其亂也,故制禮義以分之,以養人之欲,給人之求。使欲必不窮乎物,物必不屈於欲。兩者相持而長,是禮之所起也。」
      禮は何(いず)くより起るや。曰く:人は生れながらにして欲く有り、欲して得ざれば、則ち求めること無き能わず。求めて度量・分界無ければ、則ち爭わざること能わず。爭えば則ち亂れ、亂るれば則ち窮す。先王は其の亂を惡(にく)む、故に禮義を制(さだ)めて以て之を分ち、以て人の欲を養い、人の求(もとめ)を給(た)し、欲をして必ず物を窮めず、物をして必ず欲を屈(つく)せざらしめ、兩者相い持して長ず、是れ禮の起る所なり。
  <荘子、天下篇>
        3 夫不累於俗,不飾於物,不苟於人,不忮於衆,願天下之安寧以活民命,人我之養畢足而止,以此白心。・・・宋けい・尹文聞其風而悅之。作為華山之冠以自表,接萬物以別宥為始。語心之容,命之曰心之行,以和合驩,以調海内,情欲置之以為主。見侮不辱,救民之鬥;禁攻寢兵,救世之戰。・・・
     夫れ俗に累(わずら)わされず、物に飾らず、人に苟(きびし)くせず、衆に忮(さから)わず、天下の安寧にして以て民の命を活(い)かさんことを願い、人我(じんが)の養い畢く足りて止み、此れを以て心を白(きよ)くす。・・・宋けい・尹文は其の風を聞きて之れを悅ぶ。華山の冠を作為(つく)りて以て自ら表わし,萬物に接するに別宥(べつゆう)を以て始めと為す。心の容を語りて,之れを命(なづ)けて心の行いと曰い,和を以て合驩し、以て海内を調(ととの)え,情欲は之を寡しとして以て主と為す。侮ら見(る)るも辱ならずとして,民の闘(あらそ)いを救(とど)め、攻を禁じ兵を寢(や)めて,世の戰を救(とど)む。・・・
  (見侮不辱)
  辱は社会的な汚辱の意味であり、個人的な恥辱を意味するものでは無い。他から侮られても、汚辱されたことにはならないから、個人的争いは勿論のこと国家間の侵略行為を止め、世の中から戦争を無くしようと主張する。なお、世俗の事に煩わされず、体裁を繕わず、他人に厳しくせず、大衆の心を大切にし、世界平和を願い、国民の意気旺盛なることを望み、他人も自分も生活に満足するという状態で心の安定を図った上での(見侮不辱)主張である。
  <荀子、正論篇>
     31 子宋子曰:「明見侮之不辱,使人不鬥。人皆以見侮為辱,故鬥於也;知見侮之為不辱,則不鬥矣。」
       子宋子曰く、「侮ら見(る)ることの辱じたらざることを明らかにすれば、人を使て闘わざらしめん。人皆侮ら見るを以て辱と爲し、故に闘うなり:侮ら見るの辱るに為るを知れば、則ち闘わず」と。
  (闘争原因)
  子宋子は、「侮られることは、恥辱ではない。このことが明らかになれば、人は争わなくなるであろう。人というものは、侮られることを恥辱とみなすから争うのである。だから世の人が侮られることが恥辱でないことを知ったならば、この世から争いはなくなるであろう」と言う。
     32 應之曰:「然則以人之情為不惡侮乎?」
       之れに應じて曰く:「然らば則ち人の情を以て侮らるることを悪(にく)まずと為すか?」と。
  (内向的感情の恥辱と外向的感情の憎悪)
  内向的感情の恥辱によって起こる行動は自分自身に向かうが、外向的感情の憎悪によって起こる行動は、他人に向かうという異質なものである。
     33 曰:「惡而不辱也。」
       曰く:「惡めども辱とはせざるなり。」と。
  (侮りと人間感情)
  侮りを受けた場合、子宋子はその行為を憎むが恥辱とは捉えない。荀子の考えは中間過程はどうであれ、憎悪の感情が起こらなければ他を攻撃する行為に結びつくことは無いと主張する。
     34 曰:若是,則必不得所求焉。凡人之鬥也,必以其惡之為説,非以其辱之為故也。今俳優、侏儒、狎徒詈侮而不鬥者,是豈鉅知見侮之為不辱哉。然而不鬥者,不惡故也。今人或入其央瀆,竊其豬彘,則援劍戟而逐之,不避死傷。是豈以喪豬為辱也哉!然而不憚鬥者,惡之故也。雖以見侮為辱也,不惡則不鬥;雖知見侮為不辱,惡之則必鬥。然則鬥與不鬥邪,亡於辱之與不辱也,乃在於惡之與不惡也。夫今子宋子不能解人之惡侮,而務説人以勿辱也,豈不過甚矣哉!金舌弊口,猶將無益也。不知其無益,則不知;知其無益也,直以欺人,則不仁。不仁不知,辱莫大焉。將以為有益於人,則與無益於人也,則得大辱而退耳!説莫病是矣。」
       曰く:是くの若くんば,則ち必ず求むる所を得ざらん。凡そ人の鬥(あらそ)うには,必ず其の惡むことを以て説と為し,其の辱じることを以て故と為すには非ざるなり。今ま俳優、侏儒、狎徒(こうと)の詈侮(りぶ)さるるも鬥わざる者は,是れ豈鉅(いか)で侮らるるのことの辱じざるものたることを知らんや。然るに鬥わざる者は,惡まざるの故なり。今ま人或りて其の央瀆(おうとく)に入りて,其の豬彘(ちょてい)を竊めば,則ち劍戟を援(と)りて之れを遂(お)い,死傷をも避けざらん。是れ豈(いか)で豬を喪いしことを以て辱と為さんや!然るに鬥うを憚からざる者は,之れを悪むの故なり。侮ら見ることを以て辱と為すと雖も,惡まざれば則ち鬥わず;侮ら見ることの辱じざるものたるを知ると雖も,之れを悪めば則ち必ず鬥う。然らば則ち鬥うと鬥わざるとは,辱じると辱じざるとには亡く,乃ち惡むと惡まざるとに在るなり。夫れ今ま子宋子は人の侮りを悪むことを解く能わざるに,而も務めて人に説くに辱とする勿からんことを以てす,豈(そ)れ過(あやま)つことの甚だしからずや!金舌弊口するとも,猶お將た益無からん。其の無益なるを知らざれば,則ち不知;其の無益なるを知りながら,直(ただ)以て人を欺くならば,則ち不仁なり。不仁と不知にては,辱は焉れより大なるは莫し。將に人に益ありと以為(おも)わんとすれば,則ち與(す)べて人に益無きなり,則ち大辱を得て退かん耳み!説は是れより病(へい)なるは莫し。」
  (恥辱と憎悪)
  恥辱という感情が如何に内向的とは言え、時には憎悪感情が芽生えて相手を攻撃することにも為りかねぬのも又人情である。そこには人格形成過程や礼節の問題が大きく絡んでくることは間違いないであろう。
[感想]
 恥辱にしろ憎悪にしろ個人的争い事は、集団の中では避けられない出来事であるが、これが集団間の戦争と言うことになるとその様相は違ってくる。すなわち集団としての影響因子が関係してくるからである。個人の感情が増幅されたり、抑制されたり、ねじ曲げられたり、良い方向にも悪い方向にも変化することを考慮せねばならないので、一筋縄ではいかない。上下間の感情は勿論のこと、構成員間の感情が影響し合うから、複雑窮まり無い。特に考慮すべきは指導者を補佐する「取り巻き」連中の言動の怖さであろう。動物界の一員として闘争本能から逃れられぬ宿命を持つ人間としては、其の足枷を如何にして上手く取り除くかが大問題であり、知恵(化育や礼節)の働かせどころであろう。
                                                      以上
                        (令和6年/06/28)

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戦争私論Ⅶ-1

2024-05-01 09:19:43 | 論語

戦争私論Ⅶ-1
 ③ 総括
  今まで観てきた諸子百家の論を総括すると、春秋時代に生きた老子は[天乃道]と云って[天道]を至上のものとし、人の道として[仁徳]を取り上げた孔子一派を批判し、戦国中期に生きた孟子は[性善説]を唱えながら[四端の心]を以て儒学を補強し、其の孟子に「春秋無義戰」と言わしめた戦国後期を過ごした荀子は[性悪説]を唱えながら[礼節]を以て人間世界の秩序を正すべしと説いたと言う。後年になるほど知識経験は豊富になるから、荀子の其の発言はより具体的で真実性を帯び、実効性に富んだものとなっている。そこで最後に荀子の主張に見えてくる戦争回避の具体的方策について、<荀子>の記事の紹介を試みることにする。
 先ずは<荀子、天論篇>の中身を紹介しよう。
 1.天道は不変であり、人道に影響を受けるものでは無い。(人間界の吉凶禍福は天道   
         と無関係)

   天の運行は不変であり、人間界に起こる吉凶禍福は人間側の対応の仕方によって   
         変化し、天道とは無関係である。天道と人道との区別が確りと分別できるように   
         なれば最高の人物すなわち至人と言うことになる。

   天人の分:荀子の最も特徴的な考え方は、天の行いを自然の現象として捉えて、   
         従来から説かれていた「天人相関思想」を否定したことである。

 2.天には四季の循環があり、地には育成物の恵みが有り、人には治政と言う役目が   
         ある。こうして天道・地道そして人道と言う、並列する参つの立場が確立される   
         ことになる。(天地人の三才思想→周易設卦傳)

 3.国家の治亂は、天地自然の力によるものでは無く、治政すなわち人力のなせる技   
         である。人々が受ける凶害は人間社会の問題であって、自然現象の関与する處で   
         は無い。

 4.天変地異は自然現象であって、怪しむことがあっても良いが恐れてはならない。   
         人間が引き起こす妖怪現象は人間社会の混乱から生じるもので、その災害は極め   
         て厳しいので、疑問を持つと共に恐怖すべきである。

 5.人間の運命が天の配剤に関わっているように、国家の運命は人間社会の規範であ   
         る礼儀に関わっている。礼儀こそ国家社会の最高規範である。

 6.天地自然の力(生産力)を思慕するよりは、人事を尽くせ!人間的な努力を棄て   
         て天地自然を思慕していると、萬物の実態を見失うことになる。

 7.古来、多くの王者が不変に守り続けてきたものが、国家統治の中心的条理の「礼   
         節」である。この条理が良く守られれば国家は乱れず、変化に対応することが出   
         来る。

 8.黄老の学を学んで消極的立場を取った愼到・天道に屈した老子・差別を無視した   
         墨子・非戦論者で平和主義者として名高い宋こう等は、道の一部だけを認識して   
         全体像を語る愚者に過ぎず、真の道を知らぬ者どもである。

 荀子は一家言を有する諸子百家の先輩をコテンパンに扱き下ろす。人の道は天道・地道と並ぶ独立したもので、他より影響を受けない性格のものだと断定する。徹底した三才思想の持ち主である。だから争い事から殺人を含む戦争に至るまで、その防止策について天道などに頼ること無く、人間自身の力すなわち社会規範の徹底によって解決すべしと主張する。次篇からこの辺に焦点を絞って、<荀子>の内容を詳察してみることにする。
[参照]
 <天論篇>
   1.天行有常、不爲堯存、不爲桀亡。應之以治則吉、應之以亂則凶。彊本而節用、    
                 則天不能貧。養備而動時、則天不能病。循道而不差、則天不能禍。故水旱不能    
                 使之飢渴、寒暑不能使之疾、祆怪不能使之凶。本荒而用奢侈、則天不能使之
                 富。養略而動罕、則天不能使之健全。倍道而妄行、則天不能使之吉。故水旱未
                 至而飢、寒暑未薄而疾、祆怪未至而凶。受時與治世同、而殃禍與治世異、不可
                 以怨天、其道然也。故明於天人之分、則可謂至人矣。

    天行常有り、尭の為に存らず、桀の為に亡びず。之に応じるに治を以てすれば    
               則ち吉、之に応じるに乱を以てすれば則ち凶。本を強くして用を節すれば、則    
               ち天も貧せしむること能わず。養備りて動時なれば、則ち天も病ましむること    
               能わず。道に循(したが)いて差(たが)わざれば、則ち天も禍すること能わ    
               ず。故に水旱も之をして飢渴せしむること能わず、寒暑も之をして疾ましむる    
               こと能わず、祆怪も之をして凶ならしむること能わず。本荒みて用奢侈なれ
    ば、則ち天も之をして富ましむること能わず。養略にして動罕(まれ)なれ
    ば、則ち天も之をして健全せしむること能わず。道に倍(そむ)きて妄りに行
    えば、則ち天も之をして吉ならしむること能わず。故に水旱未だ至らずして飢
    え、寒暑未だ薄からずして疾み、祆怪未だ至らずして凶なり。時を受くること
    は治世と同じくして、而も殃禍(おうか)は治世と異れるは、以て天を怨むべ
    からず、其の道然るなり。故に天人の分に明らかなれば、則ち至人と謂うべ
    し。

   2.不為而成,不求而得,夫是之謂天職。如是者,雖深、其人不加慮焉;雖大、    
     不加能焉;雖精、不加察焉,夫是之謂不與天爭職。天有其時,地有其財,人
     有其治,夫是之謂能參。舍其所以參,而願其所參,則惑矣。

    為さずして成り、求めずして得る、夫れ是れを之れ天職と謂う。是くの如き者    
    は、深なりと雖も、其の人は慮を加えず;大なりと雖も、能を加えず;精なり    
    と雖も、察を加えず,夫れ是れを之れ天と職を争わずと謂う。天に其の時有
    り、地に其の財有り、人には其の治有りて,夫れ是れを之れ能く參なりと謂
    う。其の參なる所以を舎てて,其の參なる所を願うは、則ち惑えり。

   6.治亂,天邪厤曰:日月星辰瑞厤,是禹桀之所同也,禹以治,桀以亂;治亂非    
     天也。

     治亂は天なるか。曰く、日月・星辰の瑞?(ずいれき)するは、是れ禹・桀     
     の同じき所なり。禹は以て治まり、桀は以て亂る。治亂は天に非ざるなり。

   7.時邪厤曰。繁啓蕃長於春夏,畜積收臧於秋冬,是禹桀之所同也,禹以治,桀    
     以亂;治亂非時也。

            時なるか曰く。春夏に繁啓・蕃長し、秋冬に畜積・收臧す、是れ禹・桀の同     
     じき所なり。禹は以て治まり、桀は以て亂る。治亂は時に非ざるなり。

   8.地邪厤曰:得地則生,失地則死,是又禹桀之所同也,禹以治,桀以亂;治亂    
     非地也。《詩》曰:「天作高山,大王荒之。彼作矣,文王康之。」此之謂
     也。

     地なるか曰く。地を得れば則ち生じ、地を失えば則ち死す、是れ又禹・桀の    
     同じき所なり。禹は以て治まり、桀は以て亂る。治亂は地に非ざるなり。詩
     に曰く、「天高山を作り、大王之を荒(おお)いにす、彼作り、文王之を康
     (やす)んず」、とは、此を之れ謂うなり。

   11.星隊木鳴,國人皆恐、曰:是何也?曰:無何也!是天地之變,陰陽之化,物    
     之罕至者也。怪之,可也;而畏之,非也。夫日月之有食,風雨之不時,怪星
     之黨見,是無世而不常有之。上明而政平,則是雖並世起,無傷也。上闇而政
     險,則是雖無一至者,無益也。夫星之隊,木之鳴,是天地之變,陰陽之化,
     物之罕至者也;怪之,可也;而畏之,非也。

     星が隊(お)ち木が鳴り,國人皆な恐れて、曰く:是れ何ぞや?曰く:何も    
     無きなり!是れ天地の變,陰陽の化にして,物の罕(まれ)に至る者なり。
     之れを怪しむは,可なり;而して之れを畏るるは,非なり。夫の日月の食
    (蝕)有り,風雨の時ならず,怪星の黨(たまたま)見(あらわ)るるは,是
     れ世として常に之れ有らざること無し。上が明かにして政も平かなれば,則
     ち是れ並世にして起ると雖も,傷むこと無きなり。上が闇くして政も險なれ
     ば,則ち是れ一の至る者なしと雖も,益無きなり。夫の星の隊(お)ち,木
     の鳴るは,是れ天地の變,陰陽の化にして,物の罕れに至る者なれば、之れ
     を怪しむは可なるも、而して之れを畏れるは,非なり。

   12. 物之已至者,人祅則可畏也。□耕傷稼,耘耨失?,政險失民;田□稼惡,糴    
      貴民飢,道路有死人:夫是之謂人祅。政令不明,舉錯不時,本事不理:夫
      是之謂人祅。勉力不時,則牛馬相生,六畜作祅,禮義不脩,内外無別,男
      女淫亂,則父子相疑,上下乖離,寇難並至:夫是之謂人祅。祅是生於亂。
      三者錯,無安國。其説甚爾,其菑甚慘。可怪也,而亦可畏也。傳曰:「萬
      物之怪書不説。」無用之辯,不急之察,棄而不治。若夫君臣之義,父子之
      親,夫婦之別,則日切瑳而不舍也。

     物の已(はなはだ)至る者は、人祅則ち畏る可きなり。□耕(ここう)は稼    
     を傷(そこな)い、耘耨(こうん)は歳(みのり)を失い、政險にして民を
     失し、田□(あ)れて稼惡しく、糴(てき)貴(たか)くして民飢え、道路に
     死人有り、夫れ是を之れ人祅と謂う。政令明ならず,舉錯(きょそ)時なら
     ず、本事理(おさ)まらず、勉力時ならざれば、則ち牛馬相生し、六畜(り
     くきく)祅を作(な)す、夫れ是を之れ人?と謂う。禮義脩まらず、内外別無
     く、男女淫亂なれば、則ち父子相疑い、上下乖離し、寇難(こうなん)並び
     至る、夫れ是を之れ人祅と謂う。祅は是れ亂に生ず。三者錯(まじ)われば
     安國無し。其の説甚だ邇(ちか)くして、其の菑(わざわい)甚だ慘なり。
     怪しむ可きなり。而(しか)も不(また)畏る可きなり。傳に曰く、「萬物
     の怪は書するも説かず」と。無用の辯、不急の察は棄てて治めず。若し夫れ
     君臣の義、父子の親、夫婦の別は、則ち日に切瑳して舍かざるなり。

   14  在天者莫明於日月,在地者莫明於水火,在物者莫明於珠玉,在人者莫明於    
     禮義。故日月不高,則光輝不赫;水火不積,則煇潤不博;珠玉不睹乎外,則
     王公不以為寶;禮義不加於國家,則功名不白。故人之命在天,國之命在禮。
     君人者,隆禮尊賢而王,重法愛民而霸,好利多詐而危,權謀傾覆幽險而亡
     矣。

    天に在る者は日月より明なるは莫く、地に在る者は水火より明なるは莫く、物    
    に在る者は珠玉より明なるは莫く、人に在る者は禮義より明なるは莫し。故に    
    日月高からざれば、則ち光輝も赫(さかん)ならず、水火積まざれば、則ち煇    
    潤(きじゅん)博からず、珠玉外に睹(あらわ)れざれば、則ち王公も以て寶    
    と爲さず、禮義が國家に加わらざれば、則ち功名も白(あきらか)ならず。故    
    に人の命は天に在り、國の命は禮に在り。人に君たる者は、禮を隆(とうと)    
    び賢を尊びて王たり、法を重んじ民を愛して而ち霸たり、利を好み詐多くして    
    而ち危く、權謀・傾覆・幽險にして而ち亡ぶ。

   15  大天而思之,孰與物畜而制之!從天而頌之,孰與制天命而用之!望時而待    
    之,孰與應時而使之!因物而多之,孰與騁能而化之!思物而物之,孰與理物而    
    勿失之也!願於物之所以生,孰與有物之所以成!故錯人而思天,則失萬物之
    情。

        天を大として之を思うは、物畜(たくわ)えて之を制(さい)するに孰與(い    
  ずれ)ぞ。天に從いて之を頌するは、天命を制して之を用うるに孰與ぞ。時を    
  望んで之を待つは、時に應じて之を使うに孰與ぞ。物に因って之を多とするは、    
  能を騁(は)せて之を化するに孰與ぞ。物を思いて之を物とするは、物を理し    
  て之を失うこと勿きに孰與ぞ。物の生ずる所以を願うは、物の成る所以有るに    
  孰與ぞ。故に人を錯(お)きて天を思はば、則ち萬物の情を失う。

   16  百王之無變,足以為道貫。一廢一起,應之以貫,理貫不亂。不知貫,不知    
     應變。貫之大體未嘗亡也。亂生其差,治盡其詳。故道之所善,中則可從,畸
     則不可為,匿則大惑。水行者表深,表不明則陷。治民者表道,表不明則亂。
     禮者,表也。非禮,昏世也;昏世,大亂也。故道無不明,外内異表,隱顯有
     常,民陷乃去。

    百王の變ずること無きは、以て道貫と爲すに足る。一廢一起するも、之に應ず    
    るに貫を以てす。貫を理すれば亂れず、貫を知らざれば、變に應ずるを知ら
    ず。之が大體を貫すれば、未だ嘗て亡びざるなり。亂は其の差に生じ、治は其
    の詳に盡く。故に道の善なる所、中なれば則ち從う可く、畸なれば則ち爲す可
    からず、匿(とく)なれば則ち大いに惑う。水を行く者は深に表す、表明(あ
    きら)かならざれば則ち陷いる。民を治むる者は道に表す、表明かならざれば
    則ち亂る。禮なる者は表なり。禮を非とするは、世を昏ますなり。世を昏ます
    は、大亂なり。故に道は明かならざること無く、外内に表を異にし、隱顯(い
    んけん)に常有れば、民の陷(みんかん)乃ち去る。

 (解釈)わが国の歴史上の王たちが変えることをしなかったものこそが、根本の正道    
     とみなすことができる。礼義の細目は時代によって廃止されたり新設さ    
     れたりしたが、基本的対応の仕方は同じであった。根本をよく治めていれ      
     ば国は乱れず、根本を知らなければ状況の変化に対応できなかった。根本      
     の本質は、いまだかつて滅ぶことはなかったのである。乱は根本から離れ      
     たときに起こり、治は根本を詳しく極めたところに起こった。ゆえに、正      
     道とはそもそもが善政のためのものなのだから、これに当たっていれば従      
     うべきであり、しかし正道から見て偏っていればこれを行ってはならず、      
     もし正道から外れていれば大いに迷ってしまうだろう。川を渡る者は、深      
     い所に目印を付けておくが、この目印が不正確だと、人は深みに陥ってし      
     まう。人民を治める者は、正道に目印を付けておくが、この目印が不正確      
     だと、人民は混乱する。礼というものは、この正道の目印なのである。礼      
     を否定すれば世の中は混迷し大混乱になる。だから正道は明らかでなけれ      
     ばならず、内と外で目印を変えて常に一定不変であるようにするならば、

     人民が去就に迷って罪に陥ることもなくなるのである。
   17  萬物為道一偏,一物為萬物一偏。愚者為一物一偏,而自以為知道,無知也。    
     慎子有見於後,無見於先。老子有見於詘,無見於信。墨子有見於齊,無見於
     畸。宋子有見於少,無見於多。有後而無先,則群衆無門。有詘而無信,則貴
     賤不分。有齊而無畸,則政令不施,有少而無多,則群衆不化。《書》曰:
    「無有作好,遵王之道;無有作惡,遵王之路。」此之謂也。

    萬物は道の一偏爲(た)り、一物は萬物の一偏爲り。愚者は一物の一偏爲り、    
    自ら以て道を知ると爲すも、知ること無きなり。愼子は後に見ること有るも、    
    先に見ること無し。老子は詘(くつ)に見ること有りて、信に見ること無し。    
    墨子は齊に見ること有りて、畸に見ること無し。宋子は少に見ること有りて、    
    多に見ること無し。後有りて先無ければ、則ち羣衆(ぐんしゅう)門無し。詘    
    有りて、信無ければ、則ち貴賤分かれず。齊有りて畸無ければ、則ち政令施さ    
    ず。少有りて多無ければ、則ち羣衆化せず。書に曰く、好を作すこと有ること    
    無かれ、王の道に遵(したが)え、惡を作すこと有ること無かれ、王の路に遵    
    えとは、此を之れ謂うなり。

   ・慎到:戦国時代の法家にも道家にも属する思想家。道家と法家との折衷的な思       
       想を唱えたとされ、「尚賢」を否定したとされる。

   ・老子:「道可道、非常道。」と言って、人間的な活動を否定して天道に従えと
       説く。儒家などが説く、浅はかな人間の知恵を否定した。

   ・宋子:禁攻・非闘・寝兵の平和主義、情欲寡浅の節倹主義を唱えた。
   ・墨子:兼愛(博愛平等)・非戦・節倹を主張。
[感想]
 上天信仰から解き放された人間が、その集団生活を上手く維持していく為には、社会秩序の維持が重要になってくる。その為に必要な方策が「礼儀」だと荀子は強調する。しかも、人間の多欲傾向を率直に認めた上で、節倹よりも欲望の充足を目指すのが正しい方向だと主張する。甚だ興味の引かれる話題である。次回はこの辺を深く掘り下げて戦争私観に結びつけてみたいと思う。
(参考)
  ・天人合一思想
       旧中国において、天と人間とは本来的に合一性をもつとし、あるいは、人は天    
   に合一すべきものとする思想。中国では、超越的存在としての天の概念がきわ    
   めて有力で、人の天に対する独自性は発想されることが少なかったから、人の    
   天への合一が、人間の不完全性の克服として考えられた。儒家の天命説も、道    
   家の、人は作為を捨て天と一致せよとする説も、広義では天人合一の思想とい    
   える。とくに漢代の儒教では、自然現象と人間世界の現象との間に、相互の照    
   応や因果関係があるとされ、そこに、自然現象の根源としての天と、人間との    
   相関が考えられた。

  ・天人相関思想
        天人相関説とは、中国思想の用語で、天と人とに密接な関係があり、相互に影    
   響を与えあっているという思想。天人感応説とも言う。思想自体は先秦からあ    
   るが、最初に体系化したのは前漢の儒学者・董仲舒である。董仲舒は『春秋繁    
   露』で、森羅万象と人の営みには密接な関係があると説き、それを1年の月数    
   は人体の12節に、五行は五臓に、昼夜は覚醒と睡眠に対応すると論じた。天文    
   で人の運命を読むのも即ち天人が相関関係にあるがゆえであり、帰する所、人    
   体は全宇宙の縮図にして小宇宙であると説いた。天子が行う政治も天と不可分    
   のものであり、官制や賞罰も天に則って行うべきであるという。                                                                             以上

                            (令和6年/05/01)

 

 

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戦争私論Ⅵ

2024-03-04 11:04:46 | 論語

戦争私論Ⅵ
 ②道家の思想
  ・老子の場合
 老子は戦争観について、<道徳経>の中で多くの関連する言葉を残している。乃ち、
    1.常無欲、以觀其妙、常有欲、以觀其徼。
     欲念が未発の状態では、物事の精妙な始原の様相を認識することが出来る
     が、欲念が既発の段階では始原の様相が隠れてしまい、差別と対立に満ちた
     末端の現象のみが認識されることになる。
     (欲念禁止。)
   2.為無為、則無不治。
     殊更な事をしない自然の政治をして居れば、万事上手く治まるものだ。
     (殊更な事をしない自然の政治が不争を齎す理想の政治。)
   3.上善若水。水善利萬物而不爭,處衆人之所惡,故幾於道。・・・夫唯不爭,故無     
     尤。
     最高の真実の善とは、水の働きのようなもの。水は萬物の成長を助けてしか     
     も争うことがなく、人々が忌み嫌う場所も厭わない。だから「道」の働きに     
     近い性格を持つ。・・・本来他と競い争うような性格を持たないので、争い事な     
     どの間違いを犯すこともない。
     (争わぬ者は上善の持ち主。)
   4.以道佐人主者,不以兵強天下。其事好還。師之所處,荊棘生焉。大軍之後,     
     必有凶年。
     真実の「道」に基づいて主君を補佐する人は、武力によって世界を脅かした     
     りはしない。そんなことをすると悪い報いが跳ね返ってくるからだ。軍隊の     
     駐屯した所は耕地も荒れてしまう。大きな戦争の後では、必ず凶作の年が続     
     くもの。
     (戦争は人間にとって何の利益も齎さぬ事の確認。)
     善者果而已、不以取強。
     人の道を守る人は、勝利を収めたらそこで止める。無理に相手を脅かしたり     
     はしない。
     (深追いは絶対しない。侵略が止めようなく広がるからだ。)
   5. 夫佳兵者,不祥之器,物或惡之,故有道者不處。・・・兵者不祥之器,非君      
     子之器,不得已而用之,恬淡為上。
     武器は不吉な道具であり、誰しも忌み嫌う物なので、「道」を修めた人は武     
     器を使うような立場には身を置かぬもの。・・・武器は不吉な道具なので、本来     
     君子の使用すべき道具ではないのだが、やむを得ず使用せねばならぬ場合に     
     は、執着を持たずに使用するのが最善の姿である。
     (基本は反戦の立場を取るが、軍備無用という訳ではない。やむを得ず戦わ
     なければならない場合が有ることを認めている。唯、好戦的になることを厳
     重に警戒する。)
   6. 失道而後德,失德而後仁,失仁而後義,失義而後禮。夫禮者,忠信之薄,      
     而亂之首。前識者,道之華,而愚之始。・・・」
     天命によって整えられた本然の善性に従って示された人として守るべき「道     
     標」が、時を経るにつれて其の影響力が薄れて行き、これを是正せんと儒家     
     が人の踏み行うべき正しい道として「道徳」の思想を提唱し、更に其の補強     
     のために「仁愛」・「正義」・「礼節」の思想が提唱されて、儒家の「中
     庸」思想が完成することになる。ここで注意すべきは、「礼節」は人の真心
     が薄れた時に効力を発揮するものだが、相手がこちらの対応に適切に答えな
     ければ争いに発展することにもなりかねず、最悪の場合には争乱を引き起こ
     すことにも為るので注意が肝要である。仁・儀・禮などの道徳知識を予め弁え
     ると言った賢しらな知恵は華々しいことではあるが、愚かな行為の始まりで
     もある。
     (道徳と言った人為的行為こそ現在の退廃を招いた原因だから、そういう行
      為を助長することは、社会を一層混乱に陥れるものだと主張する老子は、
      道徳や礼儀を再建することによって「人の道」の秩序が回復すると主張す
      る孔子を痛烈に批判する。)
   5. 罪莫大於可欲、禍莫大於不知足、咎莫大於欲得。故知足之足、常足矣。
     戦争の起こる原因は、為政者の私的欲望に端を発する。欲望を抑えきれない
     處が最大の罪悪であり、満足を知らない處が最大の災禍であり、物事を貪り     
     続ける事が最大の罪過である。永遠に変わらぬ適度な満足感こそ、永遠に変     
     わらない秩序を守る為の誠の満足感なのである。
     (支配対象が拡大する程に、欲望が抑えきれなくなるのが人の常。節度を弁
     えぬ為政者の下では、己の不幸を嘆くほかに策は無いということか?)
   6. 大國者下流。・・・故大國以下小國,則取小國;小國以下大國,則取大國。・・・     
     夫兩者各得其所欲,大者宜為下。
     大國は下流なり。・・・故に大國以て小國に下れば,則ち小國を取り、小國以て     
     大國に下れば,則ち大國を取る。・・・夫れ兩者は各おの其の欲する所を得んと     
     せば,大なる者は宜しく下ることを為すべし。
     (謙譲の徳を発揮すれば、大国も小国も隔てなく望みを遂げることが出来、
      取り分け大国の方が積極的になれと老子は説く。戦争忌避の手段の一つで
      ある。)
   7. 聖人欲上民,必以言下之;欲先民,必以身後之。
     聖人が民に上たらんと欲すれば、必ず言を以て之に下り、民に先んぜんと欲     
     すれば、必ず身を以て之に後る。
     (聖人の心得として、統治者なり指導者なりに人民の上に立ちたいと望む場
      合は、言葉を謙虚にし、行動を抑えて人の後に付いて行く事を心がけると
      いう。)
   8. 我有三寶,持而保之。一曰慈,二曰儉,三曰不敢為天下先。慈故能勇;儉故     
     能廣;不敢為天下先,故能成器長。・・・夫慈以戰則勝,以守則固。天將救之,     
     以慈衛之。
     慈愛・恭倹・無私の三つの心機は、大人物が持つ三つの宝物である。これに     
     よって為政者は人民の信望を獲得し、戦争に勝利し、天の助けを得る。
     (慈愛・恭倹・謙退を「三宝の徳」と言う。)
   9. 善為士者,不武。善戰者,不怒。善勝敵者,不與。善用人者,為之下。是謂     
     不爭之德,是謂用人之力,是謂配天古之極。
     立派な武士は、猛々しくなく、怒りを見せず、妄りに争わず、突っ走ると言     
     った行動は見せないもの。これを「不争の徳」と言って、古くからの教えで     
     ある。
     (正面切った敵対行為を避けることが、最善の勝利を収める手段だと老子は
      説く。これを「不争の兵法」と言う。)
   10.用兵有言。・・・禍莫大於輕敵,輕敵幾喪吾寶。故抗兵相如,哀者勝矣。
     兵を用いるに言えること有り。・・・禍は敵を軽んじるより大なるは莫く、敵を     
     軽んじれば幾(ほと)んど吾が寶を喪(うしな)わん。故に兵を抗(あ)げ     
     て相い如(し)けば、哀しむ者が勝つ。
     (老子は、「守勢の兵法」として慈愛・恭倹・謙退の「三宝の徳」の効能の
      偉大さを解説する。)
   11.天之道,不爭而善勝,不言而善應,不召而自來,?然而善謀。天網恢恢,     
     踈而不失。
     天の道は、爭わず而して善く勝ち、言わず而して善く應じ、召かず而して自     
     ら來たし、坦然とし而して善く謀る。天網恢恢、踈に而して失せず。
     (天の自然の運び方は、①争う事も無く必ず勝ちを収めるし、②説得努力を     
      する訳でもないのに能く天理を理解させるし、③招く努力をする訳でもな
      いのに人々を身の回りに自然と集めるし、④悠然と構えて居ても立派な計
      画を立てると言う特徴を持つ。天の法網は広大で、網の目が粗そうに見え
      ても何物も逃さないのだ。つまり「天道」とは、無為でありながら総ての
      事を立派に成し遂げると言う事を意味する。)
   12.使民復結繩而用之,甘其食,美其服,安其居,樂其俗、鄰國相望,鶏犬     
     之聲相聞,民至老死,不相往來。
     民をして復た繩を結び而して之を用いしめ、其の食を甘(うま)しとし、其     
     の服を美とし、其の居に安んじ、其の俗を楽しましめば、鄰國は相い望み、     
     鶏犬(けいけん)の聲が相い聞こゆるも、民は老いて死に至るまで、相い往     
     來せざらん。
     (人民が古代の暮らし方、則ち縄文「文字の無い古代に縄を結んで約束の印
      にした」を用いたり、自作の食べ物や自作の着衣や自作の住まいに満足
      し、自分の習俗を楽しむように施政の有り様を計ってやれば、隣国の様子
      がどんなに羨ましい状態に有っても、両国民は老いて死ぬまで互いに行き
      来することも無いだろう。(戦争などと言った悍ましいことは起こりよう
      が無いことを暗示するしている)
   13.聖人不積,既以為人己愈有,既以與人己愈多。天之道,利而不害;聖人     
     之道,為而不爭。
     聖人は積まず、既(ことごと)く以て人の為にして己れは愈よ有り、既く以     
     て人に与えて己れは愈よ多し。天の道は、利し而して害さず、聖人の道は、     
     為し而して爭わず。
     (無為自然の有り方を示す天道を遵守する無欲の聖人の有りに従えば、人々
      が競い合うような事態は起こらぬことを、老子は強調する。)
   注1 天道:太陽が天空を通過する道をさすが、天体の運行には一定の規則性が     
         あるため、転じて天然自然の摂理、天理を意味するようになった。
        注2 儒教や道教では、天命は天地を支配する神である天帝が定めるものとされ        
      ており、天道とはすなわち人知の及ばぬ天の理であったが、これが日本      
      にも伝わり、運命論的な天道思想として中世・近世に広まった。
        注3 天道思想とは、この世のすべての理を「天命」といい、それを天地の支配者        
      である「天帝」が定め、人はそれに従うものであるとする考え方。
 老子は、無為自然の儘に行動することが「天道=天が生み出した萬物を生成・存在させる法則」に叶う「道理=人の道」だと説き、儒家の「仁愛」に始まる四端の徳を人間の小賢しき方策だと批判する。「春秋・戦国」時代の影響を受けてか戦争観についても幾つか触れている。即ち、不争の徳・不吉な戦争道具・大国の戦争観・不争の兵法・守勢の兵法・聖人の不争の道などである。現実問題として理想論にばかり走ることは出来なかったのだろう?
[参考]
 <老子道徳経>
   「1道可道,非常道。名可名,非常名。無名天地之始;有名萬物之母。故常無欲,    
     以觀其妙;常有欲,以觀其徼。・・・」
     道の道とすべきは、常の道に非ず。名の名とすべきは、常の名に非ず。名の無    
    きは天地の始め、名の有るは萬物の母。故に常に無欲にして、以て其の妙を観    
    ;常に有欲にして、以て其の徼を観る。・・・
   (参考)出土文献「馬王堆」・《老子甲道經》
       恆無欲也,以觀其眇;恆有欲也,以觀其所噭。
   「3・・・為無為,則無不治。」
          無為を為せば、則ち治まらざる無し。 
    (理想の政治①)
   「5天地不仁,以萬物為芻狗、・・・」
    天地は仁ならず、萬物を以て芻狗(すうく)と為す。 
    (理想の政治②)
      「8上善若水。・・・夫唯不爭,故無尤。」
        上善は水の若し。・・・夫れ唯だ爭わず,故に尤(とが)め無し。 
    (不争の徳①)
      「16・・・知常容,容乃公,公乃王,王乃天,天乃道,道乃久。沒身不殆。」
         常を知れば容なり、容は乃ち公なり、公は乃ち王なり、王は乃ち天なり、天は    
   乃ち道なり、道は乃ち久し。身を没(お)うるまで殆(あや)うからず。
    (道に体験③)
      「18大道廢,有仁義;智慧出,有大偽;六親不和,有孝慈;國家昏亂,有忠臣。」
        大道廢(すた)れて、仁義有り;智慧出でて,大偽有り;六親和せずして,孝慈    
  有り;國家昏亂して,忠臣有り。
    (仁義無用)
   「23・・・聖人抱一為天下式。・・・夫唯不爭,故天下莫能與之爭。・・・」
        聖人は一(いつ)を抱きて天下の式(のり)と為る。・・・夫れ唯だ爭わず,故に    
  天下も能く之れと爭う莫し。
    (不争の徳②)
      「25有物混成,先天地生。寂兮寥兮,獨立不改,周行而不殆,可以為母・・・字之曰
    道,強為之名曰大。大曰逝,逝曰遠,遠曰反。故道大,天大,地大,王亦大。
    域中有四大,而王居其一焉。人法地,地法天,天法道,道法自然。」
        物有りて混成し、天地に先んじて生ず。寂たり寥たり、獨立して改らず,周行して
  殆(とど)まらず,以て天下の母と為すべし。・・・之に字(あざな)して道と曰い、
  ・・・故に道は大、天も大、地も大、王も亦た大。・・・人は地に法(のっと)り、地は
  天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。
   (道とは①)
      「30以道佐人主者,不以兵強天下。其事好還。師之所處,荊棘生焉。大軍之後,必有
    凶年。善者果而已,不以取強。果而勿矜,果而勿伐,果而勿驕。果而不得已,
    是謂果而勿強。物壯則老,是謂不道,不道早已。」
        道を以て人主を佐(たす)ける者は,兵を以て天下に強いず。其の事は還るを好
  む。師の處(お)る所は、荊棘(けいきょく)焉(ここ)に生じ、大軍の後は、必
  ず凶年有り。善者は果(か)つのみにて、以て強いるを取らず。果ちて矜(ほこ)
  ること勿(な)く、果ちて伐(ほこ)ること勿く、果ちて驕ること勿く、果ちて已
  むを得ずとす、是れを果ちて強いる勿しと謂う。物は壯んなれば、則ち老い、是れ
  を不道と謂い、不道は早く已む。
    (不道の戦争)
   「31夫兵者,不祥之器,物或惡之,故有道者不處。君子居則貴左,用兵則貴右。    
     兵者不祥之器,非君子之器,不得已而用之,恬淡為上。勝而不美,而美之
     者,是樂殺人。夫樂殺人者,則不可以得志於天下矣。・・・殺人之衆,以悲哀泣
     之,戰勝以喪禮處之。」
        夫れ兵は、不祥の器,物或いは之を惡(にく)み、故に有道者は不處(お)らず。
  君子は居れば則ち左を貴び、兵を用いれば則ち右を貴ぶ。兵は不祥の器にして、君
  子の器に非ず、已むを得ずして之を用いれば、恬淡なるを上と為す。勝ちて美なら
  ず、而るに之を美とする者は、是れ人を殺すことを楽しむなり。夫れ人を殺すこと
  を楽しむ者は、則ち以て志を天下に得べからず。・・・人を殺すことの衆(おお)きに
  は、悲哀を以て之を泣き、戰勝すれば喪禮を以て之に處る。
    (武器は不吉な戦争道具。)
       「37道常無為而無不為。侯王若能守之,萬物將自化。化而欲作,吾將鎮之以無名之
    樸。無名之樸,夫亦將無欲。不欲以靜,天下將自定。」
          道は常に無為にして而も為さざるは無し。侯王が若し能く之を守らば、萬物は將に
   自ら化せんとす。化して作(おこ)らんと欲すれば、吾れは將に之を鎮めるに無
   名の樸を以てせんとす。無名の樸は、夫れ亦た將に無欲ならんとす。欲あらずし
   て以て靜かならば、天下は將に自(おのずか)ら定まらんとす。
     (理想の政治⑤)
 <老子道徳経、下篇>
    「38・・・。故失道而後德,失德而後仁,失仁而後義,失義而後禮。夫禮者,忠     
      信之薄,而亂之首。前識者,道之華,而愚之始。是以大丈夫、處其厚不居    
      其薄。處其實,不居其華。故去彼取此。」
          故に道を失いて而して後に德あり、德を失いて而して後に仁あり、仁を失いて而し
   て後に義あり、義を失いて而して後に禮あり。夫れ禮なる者は、忠信の薄きにし
   て、而して亂の首(はじめ)なり。前識なる者は、道の華にして、而して愚の始
   めなり。是を以て大丈夫は、其の厚きに處りて其の薄きに居らず。其の實に處り
   て、其の華に居らず。故に彼れを去(す)てて此れを取る。
     (さかしらの知恵)
        「61大國者下流,天下之交,天下之牝。牝常以靜勝牡,故大國以下小國,則取小
     國;小國以下大國,則取大國。故或下以取,或下而取。大國不過欲兼畜人,     
     小國不過欲入事人。夫兩者各得其所欲,大者宜為下。」
          ・・・故に大國以て小國に下れば、則ち小國を取り;小國以て大國に下れば、則ち大
   國を取る。故に或いは下りて以て取り、或いは下りて而して取る。大國は兼ねて
   人を畜(やしな)わんと欲するに過ぎず、小國は入りて人に事(つか)えんと欲
   するに過ぎず。夫れ兩者は各〃其の欲する所を得んとせば、大なる者は宜しく下
   ることを為すべし。
     (大国は謙譲たれ。)
        「63為無為,事無事,味無味。大小多少,報怨以德。圖難於其易,為大於其細
    ;天下難事,必作於易,天下大事,必作於細。是以聖人終不為大,故能成其     
     大。夫輕諾必寡信,多易必多難。是以聖人猶難之,故終無難矣。」
          無為を為し、無事を事とし、無味を味わう。小を大とし少を多とし、怨みに     
   報いるに德を以てす。難きを其の易きに図り、大を其の細(小)に為す;天     
   下の難事は、必ず易きより作(お)こり、天下の大事は、必ず細より作こる。     
   是を以て聖人は終に大を為さず、故に能く其の大を成す。夫れ輕諾(けいだ     
   く)は必ず信寡なく、多易(たい)は必ず難多し。是を以て聖人すら猶お之     
   れを難しとし、故に終に難きこと無し。
     (無為の実践①)
        「68善為士者,不武;善戰者,不怒;善勝敵者,不與;善用人者,為之下。是     
    謂不爭之德,是謂用人之力,是謂配天古之極。」
          善く士為る者は、武ならず;善く戰う者は、怒らず;善く敵に勝つ者は與(と     
   も)にせず;善く人を用いる者は、之が下と為る。是を不爭の德と謂い,是     
   れを人の力を用うと謂い、是れを天に配すと謂う。古えの極(きょく)なり。
           (不争の兵法)
        「69用兵有言:・・・禍莫大於輕敵,輕敵幾喪吾寶。故抗兵相加,哀者勝矣。」
          兵を用いるに言えること有り:・・・禍は敵を軽んじるより大なるは莫く、敵を     
   輕んじれば幾(ほと)んど吾が寶を喪わん。故に兵を抗(あ)げて相い加(し)     
   けば、哀しむ者が勝つ。
           (守勢の兵法)
        「72民不畏威,則大威至。無狎其所居,無厭其所生。夫唯不厭,是以不厭。是     
    以聖人自知不自見;自愛不自貴。故去彼取此。」
          民が威を畏(おそ)れざれば、則ち大威が至る。其の居る所を狎(せば)め     
   ること無く、其の生きる所を厭(あつ)すること無かれ。夫れ唯だ厭せず、     
   是を以て厭せられず。是を以て聖人は自ら知りて自ら見(あら)わさず、自     
   ら愛して自ら貴しとせず。故に彼れを去(す)てて此れを取る。
     (人民を圧迫するな。)
        「73天之道,不爭而善勝,不言而善應,不召而自來,坦然而善謀。天網恢恢,     
    踈而不失。」
          天の道は、爭わずして善く勝ち、言わずして善く應じ、召かずして自ら來た     
   し、坦然として善く謀る。天網恢恢、踈にして失せず。
     (天の摂理①9
        「77・・・天之道,損有餘而補不足。人之道,則不然,損不足以奉有餘。・・・」
          天の道は、余り有るを損じて而して足らざるを補う。人の道は,則ち然らず、     
   足らざるを損じて以て餘り有るを奉ず。
     (自然の運び①)
        「78天下莫柔弱於水,而攻堅強者莫之能勝,以其無以易之。弱之勝強,柔之勝     
    剛,天下莫不知,莫能行。是以聖人云:受國之垢,是謂社稷主;受國不祥,     
    是謂天下王。正言若反。」
          天下にて水より柔弱なるは莫く、而も堅強を攻める者は之に能く勝る莫し、其の     
   以て之を易えるもの無きを以てなり。弱の強に勝ち、柔の剛に勝は、天下に知ら
   ざる莫きも、能く行なう莫し。是を以て聖人は云う:國の垢を受く、是れを社稷
   の主と謂い、國の不祥を受く、是れを天下の王と謂う。正言は反するが若し。
     (柔弱の徳②)
        「79和大怨,必有餘怨。安可以為善?是以聖人執左契,而不責於人。有德司契,     
    無德司徹。天道無親,常與善人。」
          大怨を和すれば、必ず餘怨(よえん)有り。安んぞ以て善と為すべけんや?     
   是を以て聖人は左契(さけい)を執りて、而も人を責めず。德有るものは契     
   を司り、德無きものは徹を司る。天道には親無く、常に善人に与す。
     (自然の運び②)
       「81・・・天之道,利而不害;聖人之道,為而不爭。」
          天の道は、利して而して害さず、聖人の道は、為して而して爭わず。
             (結びの言葉。)
[感想]
 ここで古代中国の[上天思想]について展望を試みることにしよう。渾沌としていた世界に盤古が現れてから天・地が形成され、人間を除くあらゆる物が存在することになる。次いで女媧が粘土からなる上人と庶人を作り出して、やっとこの世に才覚を異にする人間が登場する。その頃(三皇時代)には早々と戦争らしきものが現れ、天下統一を初めて達成した黄帝の時代を経てやっと禹帝の夏王朝が出現する。夏王朝の諸帝らは宮廷義礼の充実を図って王朝の基礎固めに奔走するが、ここまでは上天思想なるものは出現していない。次いで殷王朝の時代になると、上帝(祖先の霊)信仰と占卜が合体した占卜儀礼による王朝の補強が図られる。殷王朝の末期には、祖先神よりも自然神崇拝の占める割合が増加し、更には自然神を殷王の系譜に取り込む試みも見られるようになる。甲骨文字の時代推移を見ると、このことがよく解る。殷王朝末期に、それまで甲骨文字に見られなかった[天]の文字が現れるのも、そろそろ自然神の範疇に[天帝=上天の名称が現れても不思議ではない」といったところか?例えば、甲骨分合集22454の「惟曽豕于天」=「惟れ曽(祭祀名)するに、天(天空)に豕(豚)もちいんか。」などの例に現れている。殷周革命により周王朝が登場すると、「上帝=祖先神」と「上天=絶対神」が一つになって、ここに[上天思想]が形作られることになる。更には、<中庸>の「天命之謂性」とか、<老子道徳経>の「16天乃道。」とか「42道生一、一生二、二生三、三世萬物。」とか、の表現で補強され、三才思想も加わって周王朝の地盤は絶対的なものになる。さて、さて上古の人々もなんと素晴らしい発想をしたものか!感心するばかり!!
恐らく当時の天文学と暦法の専門家であった周王朝の史官の知識を土台として、文王や周公旦らの知識人が考え出したものであろうが、身近な自然神を対象にするでも無く、人間が関わることの出来ない天空の働きを持ってくるなど、なんと賢明なことか?
 處で、「動的平衡」と言う言葉があるが、世界の大神ゼウスが企画したとされる前記の「人口調節手段=戦争」は当に人類にとっての動的平衡と言って良いだろう。こうでもしなければ人類はすぐに滅亡してしまうと大神は考えたのだろうか?理想的には殺し合いの人口調節手段ではなく、話し合いの人口調節手段に徹すべき事は万人が望む處なのだが!
                                                        以上
                         (令和6年/03/04)

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戦争私論Ⅴ

2024-01-09 10:31:57 | 論語

戦争私論Ⅴ
  ・荀子の場合
 孔子の思想は、一方では主観的に孟子に受け継がれ、他方では客観的に荀子に受け継がれたという。孟子よりも二世代(約60年)ほど後れて荀子は登場する。戦国時代末期のことであり、諸子百家の喧噪も一段落する頃のことである。孟子の「性善説」に対する「性悪説」を主張して学問教化の必要性を強調し、禮至上主義を唱えた事で有名だが、儒家の系統からは異端視される事がある。その辺の見解を纏めてみよう。
 天人合一思想の先駆けとも云える理想主義者の孟子に対して、人間を上天の束縛から解放した現実主義者の荀子は、孟子の唱える「性善説」を否定し、「性悪説」を主張した。<荀子、性悪篇>の中で荀子は、戦争観に関連して非常に重要な表現を開陳している。すなわち、冒頭で、「人之性惡,其善者偽也。」と、人の本性は悪であり、其れを善しとするのは、人間の後天的仕業であると断定し、其の結果として、生まれながらの儘であれば、
   ①今人之性,生而有好利焉,故爭奪生而辭讓亡焉。
     生まれながらにして利を好む人間は、その為に争い事を生じて謙譲の美徳を     
                  忘れてしまう。

   ②生而有疾惡焉,故殘賊生而忠信亡焉
     生まれながらにして妬んだり憎んだりする傾向があり、その為に他人を害し
     て誠心の徳を失ってしまう。
   ③生而有耳目之欲,有好聲色焉,故淫亂生而禮義文理亡焉。
     生まれながらにして耳目の欲望があり、その為に節制心や物事の道理を見失     
                   ってしまう。

と言う事になり、感情の赴くままに行動すれば、争い事は尽きる事無く、世界を混乱に陥れることになると主張する。本性の儘に行動すれば自滅する事になると、荀子は警告する。 一方、冒頭の<荀子、勧学>の中で、其の解決策として修学の重要性を説いている。すなわち、「學不可以已。・・・君子博學而日參省乎己,則智明而行無過矣。」であり、端的に言えば、本然の「悪性」を勉学によって修正すべしと言うことである。更に、本性の「欲望」による争乱防止策としての礼節(社会規範)の重要性を<荀子、禮論>で解き明かしている。
[参考]
 <荀子、勸学篇第一>                                                        
   「1君子曰:學不可以已。青、取之於藍,而青於藍;冰、水為之,而寒於水。木直中繩,□(じゅう)以為輪,其曲中規。雖有槁暴,不復挺者,□(じゅう)使之然也。故木受繩則直,金就礪則利,君子博學而日參省乎己,則智明而行無過矣。」 
     君子が曰く:學は已むべからず。青は、之れを藍より取れども,藍よりも青く、;冰(こおり)は、水がこれを為せども、而して水よりも寒(つめ)たし。木の直きこと繩に中(あた)るものも,□(たわ)めて以て輪と為せば、其の曲ることは規にも中(あた)る。槁暴(こうばく)ありと雖も,復た挺(の)びざる者は、□(たわ)めたること之れをして然らしめるなり。故に木は繩を受ければ則ち直く、金(かね)は礪(といし)に則ち利(するど)く、君子は博く學びて日に己れを參省すれば,則ち智は明かにして行にも過ち無し。
   「2故不登高山,不知天之高也;不臨深谿,不知地之厚也;不聞先王之遺言,不知學問之大也。干、越、夷、貉之子,生而同聲,長而異俗,教使之然也。」
         故に高山に登らざれば,天の高きことを知らず;深谿(しんけい)に臨まざれば,地の厚きことを知らず;先王の遺言を聞かざれば,學問の大なることを知らざるなり。干(邗国=かんこく)、越(えつ)、夷(い)、貉(はく)の子どもは,生まれたる時は而(すなわ)ち聲を同じくせるも、長じて俗を異にし、教をして之れを然らしむるなり。
   「3《詩》曰:「嗟爾君子,無恆安息。靖共爾位,好是正直。神之聽之,介爾景福。」神莫大於化道,福莫長於無禍。」
          詩に曰く:「嗟(ああ)爾じ君子よ、恆(つね)に安息すること無く、爾の位を靖共(せいきょう)し、是の正直を好み、之れを神にし之を聽き、爾の景福を介(おお)いにせよ」と。神は道に化するより大なるは莫く、福は禍の無きより長なるは莫し。
 <荀子、禮論篇第十九>
   「1禮起於何也?曰:人生而有欲,欲而不得,則不能無求。求而無度量分界,則不能不爭。爭則亂,亂則窮。先王惡其亂也。故制禮義以分之,以養人之欲,給人之求。使欲必不窮乎物,物必不屈於欲。兩者相持而長。是禮之所起也。」
         禮は何(いず)くより起こるや?。曰く:人は生まれながらにして欲有りて、欲して得ざれば,則ち求め無きこと能わず。求めて度量分界なければ,則ち争わざること能わず。爭えば則ち亂れ、亂るれば則ち窮す。先王は其の亂を悪(にく)みしなり。故に禮義を制(さだ)めて以て之を分ち、以て人の欲を養い人の求めを給(足)し、欲を使て必ず物に窮せず、物をして必ず欲に屈(つく)さず。兩者相い持して長(養)せしむ。是れ禮の起る所なり。
 <荀子、性悪篇第二十三>
   「1人之性惡,其善者偽也。今人之性,生而有好利焉,順是,故爭奪生而辭讓亡焉;生而有疾惡焉,順是,故殘賊生而忠信亡焉;生而有耳目之欲,有好聲色焉,順是,故淫亂生而禮義文理亡焉。然則從人之性,順人之情,必出於爭奪,合於犯分亂理,而歸於暴。故必將有師法之化,禮義之道,然後出於辭讓,合於文理,而歸於治。用此觀之,人之性惡明矣,其善者偽也。」
     人の性は惡にして、其の善なる者は偽(さくい)なり。今ま人の性は、生れながらにして利を好むもの有りて、是れに順(した)がい、故に爭奪を生じて辭讓は亡ぶ;生れながらにして疾(ねた)み惡(にく)むこと有りて、是れに順(した)がい、故に殘賊生じて忠信は亡ぶ;生れながらにして耳目の欲の,聲色を好むこと有りて、是れに順(した)がい、故に淫亂生じて禮義文理は亡ぶ。然らば則ち人の性に従い、人の情に順がえば、必ず爭奪に出で、犯分亂理に合いて,暴に帰す。故に必將(かなら)ず師法の化と、禮義の道有り、然る後に辭讓に出で、文理に合いて、治に帰す。此れを用(も)つて之を觀れば,人の性の惡なること明らかなりて、其の善なる者は偽(さくい)なり。
   「2故枸木必將待檃括(矯木)、烝矯然後直、鈍金必將待礱厲然後利、今人之性惡,必將待師法然後正、得禮義然後治。今人無師法、則偏險而不正。無禮義、則悖亂而不治。古者聖王以人性惡,以為偏險而不正,悖亂而不治,是以為之起禮義,制法度,以矯飾人之情性而正之,以擾化人之情性而導之也,始皆出於治,合於道者也。今人之化師法,積文學,道禮義者為君子;縱情性,安恣睢,而違禮義者為小人。用此觀之,人之性惡明矣,其善者偽也。」
         故に枸(曲)木は必將(かなら)ず檃括(いんかつ)、烝矯(じょうきょう)を待ちて然る後に直く、鈍金は必將ず礱厲(ろうれい)を待ちて然る後に利(するど)し。今ま人の性は惡にして、必將ず師法を待ちて然る後に正しく,禮義を得て然る後に治る。今ま人に師法なければ、則ち偏險にして正しからず、禮義無ければ、則ち悖亂(はいらん)にして治まらず。古者(いにしえ)聖王は人の性の惡なるを以て、以為(おもえらく)偏險にして正しからず、悖亂にして治まらず、是の以(ゆえ)に之が為に禮義を起こし、法度を制(さだ)め、以て人の情性を矯飾(ためととの)えて之を正し、以て人の情性を擾化(なれか)せしめて之を導びけり。皆な治に出でて,道に合わせしむる者なり。今の人は師法に化し、文學を積み、禮義に道(由)る者を君子となし、情性を縦(ほしいまま)にし、恣睢(しき)に安んじて、禮義に違う者を小人と為す。此れを用(も)つて之を觀れば、人の性の惡なること明かなり。其の善なる者は偽なり。
[感想]
 爬虫類を祖先に持つ人類は、個体維持と種族保存という基本的生命活動を司る古脳(爬虫類脳、動物脳)と学習能力を持ち、環境適応能力を備え、人間らしく生きるための理性を司る新脳(新哺乳類脳、理性脳)の二層構造のバランスによって、生命活動が維持されているという。かかる観点から「荀子の性悪説」及び「孟子の性善説」を比較してみると、荀子は古脳の働き乃ち情動に焦点を絞り、一方孟子は新脳の働きに焦点を絞って持論を展開していると思われる。対象が違うのだから、当然結果が違ってくるのも致し方ないと云わざるを得ない。個体維持と種族保存を使命とする動物脳では、当然のことながら自己の利益・欲望の優先、嫉妬・憎悪といった悪感情が起こり、従って社会規範の無視となり、本性は悪化すなわち性悪説を採らざるを得なくなる。対策として荀子は、礼節重視による改善策を提唱している。一方道徳的使命(徳命)の実現を目指す理性脳では、天命実現のため五常の充実を図る事になり、本性は善なるものとして当然のことながら性善説を採る事になる。
 はてさて、人間社会に戦争の無い日は来るのだろうか?動物脳が存在する限り其れは不可能というものか?理知脳が完全に人間を支配した時には実現するものなのだろうか? 其れを待たずに戦争の無い社会を作り出すのが、人間の知恵というものなのだが! 「戦争放棄」を憲法に謳う日本は、75年間(2023年現在)、無戰の状態にある。どこまでこれを伸ばせるか?日本の責任は重い!!!
                              以上
                         (令和6年/01/10)

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戦争私論Ⅳ

2023-11-11 09:51:32 | 論語

戦争私論Ⅳ
  ・孟子の場合
 戦争観について触れる事を嫌っていた孔子に比して、孟子は積極的に取り上げており、<孟子>の中でも関連する意見を多数述べている。先ずは梁(魏の別名)の恵王に戦争による勢力拡張策の愚かさを説き、仁政こそが天命に沿った王道政治であると力説する。更には、天子が携わる天命による征(正)戦と、諸侯が関係する私欲に基ずく単なる戦争(勢力争い)とを区別して、一部戦争の正当化を図っていることにも注目すべきであろう。尭・舜時代の天下統一策、武王・周公旦の殷朝征討・同族間内戦・夷狄討伐など其の行為は”人殺し”には違いないのだから否定されるべき處だが、其の問題点に敢えて触れずにいるのも致し方ないと言うべきか?性善説を唱えた孟子にとっては、戦争という思考はあってはならないものであったろう?苦肉の策として孟子は、征戦(時には義戦)なる言葉を編み出したのであろうか!
 處で告子と激しい論戦を繰り広げた孟子が唱えた”性善説”は、孟子の戦争観にどんな影響を及ぼしたのだろうか?直接の紹介は無いが推察してみよう。道学に抗するものとして孔子の直系の孫でもある子思が著した<中庸、第一章>には、「天命之謂性,率性之謂道,修道之謂教。」なる天道論が紹介されている。孟子の学は子思の思想に基ずくものだから、<中庸>の思想はそのまま孟子の思想と言って良いだろう。天道則ち天地の法則が人間の本性であってこれを「誠」と名付けたのも子思であり、孟子は之を踏襲する。「誠=善性」である。則ち、「天道→誠→人道→善性」と展開して行く。一方孔子が唱えた「資性三品説=上智・中人・下愚」も考慮して教育修養の必要性も考慮しておかなければならない。人間の本性を大切にし、教育修養の効能を付与し、誠の道を守り通して仁政に徹すれば、この世から戦争為る思想は消し去る事が出来ると孟子は考えたのだろうか?
[参考]
 <孟子、梁惠王上>
      「6・・・梁襄王問曰:『天下惡乎定?』孟子對曰:『定于一。』『孰能一之?』對曰:『不嗜殺人者能一之。』・・・今夫天下之人牧,未有不嗜殺人者也。如有不嗜殺人者,則天下之民皆引領而望之矣。誠如是也,民歸之,由水之就下,沛然誰能禦之?」
         ・・・梁の襄王が問いて曰く:『天下は惡(いず)くにか定まらん?』孟子が對えて曰く:『一つに定まらん。』『孰か能く之れを一にせん?』對えて曰く:『人を殺すを嗜まざる者は能く之を一にせん。』・・・今ま夫れ天下の人牧(きみ),未だ人を殺すを嗜まざる者有らざるなり。如し人を殺すを嗜まざる者有らば、則ち天下の民は皆な領(くび)を引(の)べて之を望まん。誠に是の如くならば、民の之に歸せんこと、由お水の下きに就きて沛然たるがごとくならん。誰か能く之を禦(とど)めん?
 (私見一言)戦国時代の七雄は皆な人殺しを伴う戦争に明け暮れているが、それでは
                          天下の民は皆な離れていくばかりだと説く孟子の言葉。

   「7孟子曰:「・・・然則小固不可以敵大,寡固不可以敵衆,弱固不可以敵彊。海内之地方千里者九,齊惟有其一。以一服八,何以異於鄒敵楚哉?蓋亦反其本矣。今王発政施仁,使天下仕者皆欲立於王之朝,耕者皆欲耕於王之野,商賈皆欲藏於王之市,行旅皆欲出於王之塗,天下之欲疾其君者皆欲赴愬於王。其若是,孰能禦之?」」
    (孟子が齊の宣王に)曰く:「・・・然らば則ち小は固より以て大に敵すべからず、寡は固より以て衆に敵すべからず,弱は固より以て彊(強)に敵すべからず。海内の地には方千里なる者が九,齊は惟だ其の一を有(たも)つ。一つを以て八つを服せんとするは,何を以てか鄒の楚に敵せんとするに異ならんや? 蓋亦(なん)ぞ其の本に反(かえ)らざる。今、王が政りごとを発(おこ)し仁を施こさば,天下の仕うる者をして、皆な王の朝に立たんと欲っせしめ、耕す者をして皆な王の野に耕さんと欲っせしめ、商賈(あきうど)をして皆な王の市に蔵(おさ)めんと欲っせしめ、行旅(たびびと)をして皆な王の塗(みち)に出でんと欲っせしめ、天下の其の君を疾(にく)む者をして皆王に赴(つ)げ愬(うった)えんと欲っせしめん。其(も)し是(かく)の如くんば、孰(たれ)か能く之れを禦(とど)めん。」」
 (注) ①春秋五覇:斉・宋・晋・呉・越 (荀子の説)
     ②戦国七雄:韓・魏・趙・秦・楚・斉・燕
     ③戦国時代の方千里の九大国:韓・魏・趙・秦・楚・斉・燕・呉・越
 (私見一言)危険な戦争手段を用いて実現の難しい覇王を目指すよりも、仁政に基ず       
                          く王道を地道に行うことの価値を認識せとの意。

   「7・・・孟子曰:「・・・無恆産而有恆心者,惟士為能。若民,則無恆産,因無恆心。苟無恆心,放辟,邪侈,無不為已。及陷於罪,然後從而刑之,是罔民也。焉有仁人在位,罔民而可為也?・・・」
    (孟子が更に齊の宣王に)曰く:「恆産無くして恆心有る者は,惟だ士のみ能くすと為す。民の若きは則ち恆産無ければ,因りて恆心無し。苟しくも恆心無ければ,放辟邪侈(ほうへきじゃし),為さざるは無し。罪に陷(おちい)るに及びて、然る後從いて之を刑(つみ)するは、是れ民を罔(な)みするなり。焉んぞ仁人位に在る有りて,民を罔(な)みして為(おさ)むべけんや?」
 (私見一言)恒心が無くなると我が儘・僻み・邪ま・贅沢など庶民はしたい放題の境
                          地に陥る。為政者はこの点を善く善く考慮して仁政を施せと注意を促し
                          ている。

 <孟子、公孫丑上>
      「5孟子曰:「・・・無敵於天下者,天吏也。然而不王者,未之有也。」」
         孟子が曰く:「・・・天下に敵無き者は,天吏なり。然(かくのごと)くにして王たらざる者は,未だ之れ有らざるなり。」
 (私見一言)天下無敵の君主とは、天命を受けた天の使者すなわち天子のこと。
   「6孟子曰:「人皆有不忍人之心。先王有不忍人之心,斯有不忍人之政矣。以不忍人之心,行不忍人之政,治天下可運之掌上。・・・由是觀之,無惻隱之心,非人也;無羞惡之心,非人也;無辭讓之心,非人也;無是非之心,非人也。惻隱之心,仁之端也;羞惡之心,義之端也;辭讓之心,禮之端也;是非之心,智之端也。人之有是四端也,猶其有四體也。・・・」」
         孟子が曰く:「人は皆な人に忍びざるの心有り。先王も人に忍びざるの心有りて、斯(すなわ)ち人に忍びざるの政ごと有りき。人に忍びざるの心を以て,人に忍びざるの政ごとを行なわば、,天下を治めること、之れを掌(たなごころ)の上に運(めぐ)らすがごとくなrべし。・・・是れに由りて之れを觀れば,惻隱の心無きは,人に非ざるなり;羞惡の心無きは,人に非ざるなり;辭讓の心無きは,人に非ざるなり;是非の心無きは,人に非ざるなり。惻隱の心は,仁の端(はじめ)なり;羞惡の心は,義の端なり;辭讓の心は,禮の端なり;是非の心は,智の端なり。人の是の四端有るは,猶お其の四體有るがごとき。・・・
  (注) ①:惻隠の心→(仁の端:萌芽)憐れみの心。
      ②:羞悪の心→(義の端)悪事を憎む心。
            ③:辞譲之心→(禮の端)譲り合う心。
      ④:是非の心→(智の端)善悪を見分ける心。
 (私見一言)孟子が唱えた「性善説」の一齣。
 <孟子、公孫丑下>
   「10孟子曰:「天時不如地利,地利不如人和。・・・君子有不戰,戰必勝矣。」」
          孟子が曰く:「天の時は地の利に如かず,地の利は人の和に如かず。
・・・君子は戰わざるを有(貴:たっと)ぶも,戰えば必ず勝つ。」
 (私見一言)戦争にとって最も大切な人の和を大切にする有徳の君子は、戦争しない
                          立場を第一に採るが、戦えば「人の和」と言う最高の手段を以て必ず勝
                           つものである。

   「11・・・天下有達尊三:爵一,齒一,德一。朝廷莫如爵,郷黨莫如齒,輔世長民莫如德。・・・」
           天下に達尊(とうときもの)三つ有り:爵(しゃく)が一つ,齒(よわい)が一つ,德が一つ。朝廷にては爵に如(し)くは莫く,郷黨にては齒に如くは莫く,世を輔け民に長たるには德に如くは莫し。
 (私見一言)この世を救い、人々を教導するには、道徳が最も尊いことを力説する。
 <孟子、滕文公上>
   「3・・・設為庠序學校以教之:庠者,養也;校者,教也;序者,射也。夏曰校,殷曰序,周曰庠,學則三代共之,皆所以明人倫也。人倫明於上,小民親於下。有王者起,必來取法,是為王者師也。《詩》云『周雖舊邦,其命惟新』,文王之謂也。子力行之,亦以新子之國。・・・」
     庠序(しょうじょ)學校を設為(つく)りて以て之を教う:庠とは,養なり;校とは,教なり;序とは,射なり。夏にては校と曰い,殷にては序と曰い、周にては庠と曰い,學は則ち三代之を共にし,皆人倫を明らかにする所以なり。人倫は上に明らかにして,小民は下に親しむ。王者が起こること有らば,必ず來りて法を取るは,是れ王者の師たるなり。《詩》に云う『周は舊邦なりと雖も,其の命は惟れ新たなり』とは,文王の謂いなり。子力(つと)めて之を行なえば,亦た以て子の國を新たにせん。
 (私見一言)教育政策の重要性を説く。王朝によって庠(=養:老人を敬い養う)・
                          序(=射:射礼の修得)・校(=教:子弟の教導)と教育機関の名称は
                          夫々違うが、人の道を教える所に違いは無い。

   「4・・・《魯頌》曰:『戎狄是膺,荊舒是懲』。周公方且膺之,・・・」
         《魯頌(ろしょう)》に曰く:『戎狄(じゅうてき)は是れを膺(う)ち,荊舒(けいじょ)は是れを懲らす』と。周公も方(つね)に且つ之を膺(う)たんとす。」
 (私見一言)「諭じても解らぬ西や北の夷どもは伐ち平らげ、野蛮な南の楚や序の
                           国々は伐ち懲らしめる」と、夏・殷・周の王朝も夫々外敵の存在には苦
                           労したらしい。討ち滅ぼすという行為をどう解釈するか?、最も議論の
                           紛糾する處であろう!

 <孟子、滕文公下>
      「7・・・居天下之廣居,立天下之正位,行天下之大道。得志與民由之,不得志獨行其道。富貴不能淫,貧賤不能移,威武不能屈。此之謂大丈夫。」
         天下の廣居に居り,天下の正位に立ち,天下の大道を行う。志を得れば民と之に由り,志を得ざれば獨り其の道を行う。富貴も淫(みだ)す能わず,貧賤も移(か)うる能わず,威武も屈(くじ)く能わず。此れを之れ大丈夫と謂う。
 (私見一言)大丈夫の心得を説いたもの。すなわち真の大丈夫とは、仁徳に満たされ
                          た広大な環境に身を置き、礼節の行き届いた正直な地位を守り、人々が
                          履み行うべき義理の道を守り通す人物たる大丈夫たれと説く。

 <孟子、離婁上>
   「14孟子曰:「・・・孔子曰、・・・君不行仁政而富之,皆棄於孔子者也。況於為之強戰、爭地以戰,殺人盈野;爭城以戰,殺人盈城。・・・」」
           孟子が曰く:「・・・孔子が曰く、・・・君が仁政を行なわざるに之を富ますは,皆な孔子に棄てられる者なり。況んや之が為に強戰(きょうせん)し、地を爭いて以て戰い,殺人が野に盈(み)ち;城を爭いて以て戰い,殺人城に盈つるに於いてをや。」
 (私見一言)不徳の君主をそそのかして戦さに駆り立て、多くの人々を殺す様な連中
                          は、死刑にしても足りぬが、そうなると、戰さ上手の呉起や孫臏(兵法
                          家)は最高の重刑に、合従策を講じた蘇秦や張儀(雄弁家)は次の重刑
                          に、李悝や商鞅(法家)は更に次の刑に処すべきだと孟子は主張する。
                          孟子の戦争観には誠に峻烈なものがある。

       「18公孫丑曰:「君子之不教子,何也?」孟子曰:「勢不行也。教者必以正;以正不行,繼之以怒;繼之以怒,則反夷矣。『夫子教我以正,夫子未出於正也。』則是父子相夷也。父子相夷,則惡矣。古者易子而教之。父子之間不責善。責善則離,離則不祥莫大焉。」」
           公孫丑が曰く:「君子の子を教えざるは,何ぞや?」孟子が曰く:「勢い行なわざればなり。教うる者は必ず正を以てす;正を以てして行なわれざれば,之に繼ぐに怒を以てし;之に繼ぐに怒を以てすれば,則ち反って夷(そこな)う。『夫子が我を教えるに正を以てするも,夫子は未だ正を出(おこ)なわざるなり。』則ち是れ父子は相い夷(そこな)うなり。父子が相い夷えば,則ち惡るし。古えは子を易えて之を教う。父子の間は善を責めず。善を責めれば則ち離れ,離れれば則ち不祥の焉(これ)より大なるは莫し。」
 (私見一言)我が子を教育する事の難しさは、太古の時代から認識されていたらし
                          い。肉親の情が良くも悪くも影響して、節度をこえた厳しさが教化の効
                          果を薄めてしまう事が認識され、昔から直接我が子を教える方法は採ら
                          れていなかったらしい。君子と言われる孔子の場合、また孟子の場合で
                          も関連する記事が見受けられる。

 <孟子、万章上>
   「7・・・「天之生此民也,使先知覺後知,使先覺覺後覺也。・・・」」
         「天の此の民を生じるや,先知を使て後知を覚(さと)さしめ,先覺を使て後覺を覚さしむ。・・・」
 (私見一言)夏末期から殷(商)初期にかけての伝説的な政治家である伊尹の言葉と
                          され、しばしば引用される文章であり、「先知先覺」という熟語の基に
                          なった文章でもある。

 <孟子、告子上>
   「11孟子曰:「仁,人心也;義,人路也。・・・學問之道無他,求其放心而已矣。」
         「孟子が曰く:「仁とは,人の心なり;義とは,人の路(みち)なり。・・・學問の道は他になし,其の放心(ほうしん)を求めるのみ。」」
 (私見一言)生まれながらに持つ「仁の心」に基づいて、「義の路」を邁進するのが
                        「学問の道」なのだと孟子は説く。

      「16孟子曰:「有天爵者,有人爵者。仁義忠信,樂善不倦,此天爵也;公卿大夫,此人爵也。・・・」」
          「孟子が曰く:「天爵なる者有り,人爵なる者有り。仁義忠信,善を樂しみて倦まざるは,此れ天爵なり;公卿(こうけい)大夫は,此れ人爵なり。
 (私見一言)今の世は、五常(仁義禮智信)の天爵が、位階などの人爵に較べて兎角
                          疎かにされがちだが、反省して初心に返れと孟子が説く。

 <孟子、告子下>
      「28・・・徒取諸彼以與此,然且仁者不為,況於殺人以求之乎?君子之事君也,務引其君以當道,志於仁而已。」」
           「徒に諸れを彼に取りて以て此に与えるすら,然も且(なお)仁者は為さず,況や人を殺して以て之れを求めるに於いておや?君子の君に事(つか)えるや,務めて其の君を引(みちび)きて以て道に當(かな)い,仁に志ざしむるのみ。」
 (私見一言)君子が主君に仕えてこれを導く手段として、「戦争に打ち勝って領土を
                          広げることだけ」が臣下の務めだと考えたら大間違いで、仁の道を目指
                          すように導く事こそ肝心であると孟子は諭す。

       「36孟子曰:「教亦多術矣,予不屑之教誨也者,是亦教誨之而已矣。」」
          「孟子が曰く:「教えも亦た術多し,予(われ)之を教誨するを屑(いさぎよ)しとせざる者(こと)も,是れ亦た之れを教誨するのみ。」
 (私見一言)教育の方法にも色々あり、相手を反省させるため敢えて突き放すという
                          手段も教育法の一つだと孟子は説く。

 <孟子、盡心上>
      「1孟子曰:「盡其心者,知其性也。知其性,則知天矣。存其心,養其性,所以事天也。殀壽不貳,修身以俟之,所以立命也。」」
        「孟子が曰く:「其の心を盡す者は,其の性を知るべし。其の性を知らば,則ち天を知らん。其の心を存し,其の性を養うは,天に事(つか)える所以なり。殀壽(ようじゅ)貳(たが)わず,身を修めて以て之を俟つは,命を立てる所以なり。」
 (私見一言)天人合一思想の下、本然の性(四端の善性)を損なわないように育てて
                          いく事が天に仕える道になるのだと説く。

      「4孟子曰:「萬物皆備於我矣。反身而誠,樂莫大焉。強恕而行,求仁莫近焉。」」
         「孟子が曰く:「萬物が皆な我に備わる。身に反りみて誠あらば,樂み焉(これ)より大なるはなし。恕を強(つと)めて行う,仁を求める事これより近きは莫し。」
 (私見一言)思いやりの真心を他人に及ぼしていけば、やがて私心は消えて自ずから
                          仁徳は完成するものだと説く。

      「6孟子曰:「人不可以無恥。無恥之恥,無恥矣。」」
         「孟子が曰く:「人は以て恥じること無かるべからず。恥ることなきを之れ恥じれば,恥じること無し。」
 (私見一言)羞恥心の大切さを説く。
      「14孟子曰:「仁言,不如仁聲之入人深也。善政,不如善教之得民也。善政民畏之,善教民愛之;善政得民財,善教得民心。」」
          「孟子が曰く:「仁言は,仁聲の人に入るの深きに如かざるなり。善政は、善教の民を得るに如かざるなり。善政は民之を畏れ,善教は民之を愛し;善政は民の財を得,善教は民の心を得。」
 (私見一言)法度禁令の良く調った善政は人民が恐れはばかって服従するが、仁義道
                          徳の良く行き渡った善教(善き教化)は、人民が心から喜んで服従する
                          ので、国家の安泰は必ず得られるものだと説く。

      「15孟子曰:「人之所不學而能者,其良能也;所不慮而知者,其良知也。孩提之童,無不知愛其親者;及其長也,無不知敬其兄也。親親,仁也;敬長,義也。無他,達之天下也。」」
          「孟子が曰く:「人の學ばずして能くする所の者は,其の良能なり;慮(おもんばか)らずして知る所の者は,其の良知なり。孩提(がいてい)の童も,其の親を愛することを知らざる者はなく;其の長じるに及びて,其の兄を敬することを知らざる也(もの)は無し。親を親しむは,仁なり;長を敬するは,義なり。他無し,之れを天下に達(おしおよ)ぼすのみ。」
 (私見一言)人間には良知良能が本然的に備わっている。仁義の実行を望むなら、其
                          の活用を計るべきで有ると説く。

      「33・・・殺一無罪,非仁也;非其有而取之,非義也。・・・」
           「一(ひとり)にても罪無きものを殺すは,仁に非ず;其の有に非ずして之を取るは,義に非ざるなり。
 (私見一言)志を高尚にするとは、常に仁義に徹すると謂う事だと説く。唯の一人で
                          も罪の無い者を殺すのは仁に反する行為だし、他人のものを奪い取るの
                          は義に反する行為であることは論を待たない。

      「40孟子曰:「君子之所以教者五:有如時雨化之者,有成德者,有達財者,有答問者,有私淑艾者。此五者,君子之所以教也。」」
         「孟子が曰く:「君子の教える所以の者は五つ:時雨(じう)の之を化するが如き者有り,德を成さしむる者有り,財を達せしめる者有り,問に答える者有り,私(ひそ)かに淑艾(しゅくかい)せしめる者有り。此の五つの者は,君子の教える所以なり。」
 (私見一言)君子の教育法について解説する。すなわち本人の個性に応じて、
       ①時雨の如き自然な養育法。  ②徳性を完成させる養育法
       ③才能の完成養育法。     ④徹底した質疑討論法。
       ⑤間接的教化に基ずく自己修養法
      「45孟子曰:「君子之於物也,愛之而弗仁;於民也,仁之而弗親。親親而仁民,仁民而愛物。」」
          「孟子が曰く:「君子の物に於けるや,之を愛すれども仁せず;民に於けるや,之を仁すれども親しまず。親を親しみて民を仁し,民を仁して物を愛す。」
 (私見一言)儒教の差別愛の構造(親>友人>目上の者>人民>非人間)を考慮し
                          て、「他人に配慮する」心である仁の徳を拡げていくべしと説く。

 <孟子、盡心下>
      「48孟子曰:「《春秋》無義戰。彼善於此,則有之矣。征者上伐下也,敵國不相征也。」」
    「孟子が曰く:「《春秋》に義戰無し。彼が此より善きは,則ち之れ有り。征とは上が下を伐つなり,敵國は相い征せざるなり。」
 (私見一言)征とは、説文解字に「正行也」とあり、上である天子が下である諸侯を
                          伐って其の不正を正すと言う意味を持つ。だから諸侯同士の争いを記述
                          している<春秋>には、正義の戦争は一つも無いと謂う事を言ってい
                          る。

      「49孟子曰:「盡信《書》,則不如無《書》。吾於《武成》,取二三策而已矣。仁人無敵於天下。以至仁伐至不仁,而何其血之流杵也?」」
          「孟子が曰く:「盡(ことごと)く《書》を信じれば,則ち《書》無きに如かず。吾れ《武成》に於いて,二三策を取るのみ。仁人は天下に敵無し。至仁を以て至不仁を伐つは,而何(いかん)ぞ其れ血杵(ちたて)を流さんや?」
 (私見一言)牧野の戦いについて、<書経>には激戦の末に「血流漂杵。」とあるが
                          征戦では血みどろな激戦は起こりえないので、この記述は信用おけぬと
                          孟子は批判する。

      「50孟子曰:「・・・征之為言正也,各欲正己也,焉用戰?」」
          「孟子が曰く:「・・・征の言たるは正,各おの己を正さんことを欲せば,焉んぞ戰を用いん?」
 (私見一言)征と言う言葉は、正すという意味であり、敵対する者が居ないのだか
                          ら、戦争などの必要は無いと孟子は指摘する。

      「53孟子が曰く:「吾今而後知殺人親之重也:殺人之父,人亦殺其父;殺人之兄,人亦殺其兄。然則非自殺之也,一閒耳。」
     「孟子曰:「吾れ今にして後ち人の親を殺すことの重きを知る:人の父を殺せば,人も亦た其の父を殺す;人の兄を殺せば,人も亦た其の兄を殺す。然らば則ち自ら之を殺すに非ざるも,一閒(わずかのへだたり)のみ。」」
 (私見一言)孟子は、殺人行為が輪廻する恐ろしさを強調する。
      「62孟子曰:「仁也者人也。義也者宜也。合而言之,道也。」」                         「孟子が曰く:「仁とは人なり。義とは宜なり。合せて之れを言えば,道なり。」
 (私見一言)仁とは人=人間らしくあれ、と言う意味であり、義とは宜=是非のけじ
                          めをつける、と言う意味であり、二つ合わせて道徳(人の道)を指す。

      「71浩生不害問曰:「樂正子,何人也?」孟子曰:「善人也,信人也。」「何謂善?何謂信?」曰:「可欲之謂善,有諸己之謂信。充實之謂美,充實而有光輝之謂大,大而化之之謂聖,聖而不可知之之謂神。樂正子,二之中,四之下也。」」
          「浩生不害(こうせいふがい)が問いて曰く:「樂正子(がくせいし)とは,何ん人ぞや?」孟子が曰く:「善人なり,信人なり。」「何をか善と謂い?何をか信と謂う?」曰く:「欲すべき之れを善と謂い,諸れを己に有する之を信と謂う。充實せる之れを美と謂い,充實して光輝有るを之れ大と謂い,大にして之を化する之れを聖と謂い,聖にして知るべからざる之を神(しん)謂う。樂正子は,二つの中,四つの下なり。」
 (私見一言)孟子は、人物を評価する六つの段階を次のように紹介している。則ち、
       ①善人 ②信人 ③美人 ④大人 ⑤聖人 ⑥神人
 <中庸>
   第一章:天命之謂性,率性之謂道,修道之謂教。
              天の命ずるを之れ性と謂い、性に率(したが)うを之れ道と謂い、道を修めるを之れ教えと謂う。」
      第二十二章:・・・誠者,天之道也;誠之者,人之道也。・・・
              ・・・誠は,天の道なり;之を誠にするは,人の道なり。・・・
[感想]
 孔子が筆削したとされる春秋時代の歴史書<春秋>には、当時の諸侯の戦争の歴史が随所に記されているが、天命を奉じた征戦すなわち正義に叶ったものは見当たらないと孟子は指摘している。凡そ魯国十二代二百四十二年間、五覇(斉・宋・晋・秦・楚)に加えて呉・越などの国々が覇権争いに明け暮れた時代の事である。引き続く戦国時代には更に其の傾向が激しくなるわけだが、天を奉じる周朝の末期には天命に基づく征戦(正義の戦い)が影を潜める事になったのも致し方ない事実であろう。飽く迄天下の(道)理が守られる形の征戦が、覇王が活躍する春秋時代には影を潜める事になったのは、当然の帰結という訳である。さて、[征]なる意義をどう解釈するか?複雑化を増す今日、どの価値に重きを置くのか? 人殺し・破壊・憎悪・復讐・保身と考えるべき因子を、今日如何に捉えて戦争という行為を判断すべきか? 戦争という行為を完全にこの地上から抹殺する手段は、果たしてあるのだろうか? 今のところは、孟子も言うように、仁政を進めることこそが唯一の解決手段と云わざるを得ないようである。更には、教育教化こそが争い事を止める有効な対策であることを、この際改めて再認識すべきであろう!!!
                                  以上
                                                (令和5年/11/11)

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戦争私論Ⅲ

2023-09-16 10:39:17 | 論語

戦争私論Ⅲ
4.諸子百家の戦争観
 ①儒家の思想
  ・孔子の場合
 仁徳を標榜した孔子は其の有り様について、<論語>の中で二度も「己所不欲、勿施於人也。」と表現している。欲せざる所とは、争い事であり、独善であり、執着であり、固陋であり、利己であり、勝ち気・自慢・恨み・欲望であり、それらが高じれば戦争という最悪の状態を齎す事になる。だから趣味の競技にしても、当時作法様式が唯一調っていた「射技」にしか手を出さなかったという。また戦闘に明け暮れていた衛の靈公を嫌って早々に離国した話や、軍事知識は皆無である事を誇ったりして、戦争の話題には慎重に対処した事が語られている。孔子が理想の聖人と崇めた周公旦も、実の三兄弟との政争「三監の乱」に携わるし、成王の「東夷」討伐、四代昭王の「南方遠征」、十四代桓王の「繻葛の戦い」など周王朝に於いても戦争の匂いは消える事が無かったが、おそらく孔子は之を必要悪と捉えて出来るだけ触れずに済ませる努力をしたものだと思う。
 子路篇で「善人教民七年,亦可以即戎矣。」と語っているように、戦争手段を治政の必要悪として認識していた孔子は、これについて唯だ手を拱いて無責任に傍観していたわけではない。独善・執着・固陋・利己・勝ち気・自慢・恨み・欲望・などの負の因子に触れたり、禮楽・調和・節度・羞恥心・教育の力(生知・学知・困知)・軍備の価値・天命・本姓と教養・学問の力など多方面に亘って有益な知識を紹介している。
 春秋期後半に生を受けた孔子は、周公旦執政の初期の周王朝の治政を理想の形態と捉え、春秋期後半の乱れた治政の再興を図ろうとし、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げて遊説に奔ることになる。が不成功に終わり、故郷に帰って私塾を構えて一生を終えることになるが、其の理想は今日も多くの人々の糧てとなっているのだから、尊重すべき事は論を待つまでも無い事である。
[参考]
  <論語、学而第一>
    「12有子曰:「禮之用,和為貴。先王之道斯為美,小大由之、有所不行。知和           
      而和,不以禮節之,亦不可行也。」」

      有子曰く、「禮の用は,和を貴しと為す。先王の道も斯れを美と為し、小      
      大は之れに由るも、行なわれざる所有り。和を知りて和すれども、禮を       
      以て之れを節せざれば、亦た行なわれざるなり。」

      (私見一言)[禮]の用法の上で、その調和と節度のバランスを良く考えて       
            組織への適用を謀れと言う事。

  <論語、為政第二>
    「3子曰:「道之以政,齊之以刑,民免而無恥;道之以德,齊之以禮,有恥且
      格。」」

      子曰く、「之を道びくに政を持ってし、之を齊(ととの)えるに刑を以て      
      すれば、民は免れて恥じること無し。之を道びくに德を以てし、之を齊え      
      るに禮を以てすれば、恥有りて且つ格(ただ)し。」

      (私見一言)政を極めるためには理詰めだけでは不十分で、羞恥心という       
            感情の部分にも目を配れと云う事。

  <論語、八佾第三>
    「7子曰:「君子無所爭。必也射乎!揖譲而升下、而飮、其争也君子」」
              子曰く、「君子は爭う所無し。必らずや射か!揖譲して升下し、而して飲      
      しむ。其の争いや君子しなり。」

      (私見一言)当時、唯一礼儀作法の様式が調っていた”射技”に限定し、私             
            情の入り込まぬ争技として取り上げたものであろう。

  <論語、雍也第六>
    「21子曰:「中人以上,可以語上也;中人以下,不可以語上也。」」
      子曰く、「中人以上には,以て上(かみ)を語(かたりつ)ぐべきなり。      
      中人以下には、以て上を語ぐべからざるなり。」

      (私見一言)支配層に当たる賢者(聖人・君子)には高遠精深な哲理を説            
            いてもいいが、被支配層に属する中人(賢者と愚者の中間の            
            人=普通の人)以下の人民には、説いても無意味と言う事。

      <論語、微子>に云う「・・・女子與小人、為難養也、・・・」に通じるものが      
      有る。当時の通念は、今日では通用しないと云えよう。

  <論語、述而第七>
    「13子之所慎:齊,戰,疾。」
      子の慎しむ所は、齊(さい)、戰(せん),疾(しつ)。
     (私見一言)齊(物忌み:先祖が対象),戰(戦争:他人・他国が対象),            
           疾(疾患:当時では防ぎようのない病気)など、いずれも自            
           身では制御の効かない問題については、孔子も慎重に対処せ            
           ざるを得なかったと云う事。対象が己にも制御不能なものに            
           は、手を下し得なかったと云う事?

  <論語、子罕第九>
    「4子絶四:毋意,毋必,毋固,毋我。」
      子が四を絶つ。意(い)毋(な)く,必(ひつ)毋く,固(こ)毋く,我      
      (が)毋し。

  (参考)  ・意 … 自分勝手な心。私意。当て推量。(邪推。)
        ・必 … 無理押し。(強引。)
        ・固 … 固執。執着。頑かたくな。(頑固。)
        ・我 … 我執。我を張る。(我執。)
       (私見一言)孔子は普段の言行の上で、相手を傷つけることになる邪
             推・強引・頑固・我執の四点に厳しく注意を払った。

  <論語、顔淵第十二>
    「2仲弓問仁。子曰、「・・・己所不欲,勿施於人。・・・」・・・」
      仲弓が仁を問う。子曰、「・・・己の欲せざる所は,人に施すこと勿
      れ。・・・」・・・」→<衛霊公第十五>にも同文有り。

       (私見一言)仁とは結局『恕』、すなわち『思いやり』であるから、自              
             分がしむけられたくないと思うようなことを他人にしむ              
             けるなと云う意。

  <論語、顔淵第十二>
    「7子貢問政。子曰:「足食。足兵。民信之矣。」子貢曰:「必不得已而去,
      於斯三者何先?」曰:「去兵。」子貢曰:「必不得已而去,於斯二者何
      先?」曰:「去食。自古皆有死,民無信不立。」」

         子貢が政を問う。子が曰く、「食を足し、兵を足し、民をして之を信ぜし      
     む。」子貢が曰く、「必らず已むを得ずして去らば、斯の三者に於いて何れ      
     をか先にせん?」曰く、「兵を去らん。」子貢が曰く、「必ず不得已むを得      
     ずして去らば、斯の二者に於いて何れをか先にせん?」曰く、「食を去ら      
     ん。古えより皆な死有り、民は信なくんば立たず。」

   (参考) 食:食料。  兵:軍備。  信:信頼。
       (私見一言)軍備を捨てても死ぬ事は無いし、食料が無くては死ぬが人             
             間は早晩死ぬものだが、信がなくては、政治の根本が成り             
             立たないのだ。

  <論語、顔淵第十二>
    「19季康子問政於孔子曰:「如殺無道,以就有道,何如?」孔子對曰:「子為
      政,焉用殺?子欲善,而民善矣。君子之德風,小人之德草。草上之風,必
      偃。」」

      季康子が政を孔子に問いて曰く、「如し無道を殺して,以て有道に就か
      ば、何如?」孔子が對えて曰く、「子の政を為すに、焉んぞ殺を用いん?
      子が善を欲すれば、民は善ならん。君子の德は風なりて、小人の德は草な
      り。草、之に風を上(くわ)うれば、必らず偃(ふ)さん。」

        (私見一言)政治を行う上で、無道だと云って為政者を殺す必要など              
              ない。為政者と人民との関係は風と草との関係のような              
              もので、風が吹けば草は必ずその方向になびくもの。あ              
              なたが、もし真に善をお望みであれば、人民はおのずか              
              ら善に向います。

  <論語、子路第十三>
         「11子曰:「善人為邦百年,亦可以勝殘去殺矣。誠哉是言也!」」
      子が曰く、「善人が為邦(くに)を為(おさ)めること百年、亦た以て        
      殘(ざん)に勝ちて殺を去るべし。誠なるかな是の言や!」

        (私見一言)「先師がいわれた。――「古語に、単なる善人に過ぎな               
               いような人でも、もしその人が百年間政治の任にあた               
               ることができたら、人間の残忍性を直し、死刑のよう               
               な極刑を用いないでもすむようになる、とあるが、ま               
               ことにそのとおりだ。」」

    <論語、子路第十三>
     「29子曰:「善人教民七年,亦可以即戎矣。」」
       子が曰く、「善人が民を教えること七年、亦た以て戎(じゅう)に即
       (つ)かしむべし。」

       (私見一言)現実の政治には戦争のリスクが伴うので、善し悪しは別と             
             して、現実問題としてそれに対処する手段を孔子は考えて             
             いたのであろうか?

  <論語、憲問第十四>
     「2克、伐、怨、欲不行焉,可以為仁矣?・・・」
      「克(こく)、伐(ばつ)、怨(えん)、欲(よく)行なわれざるは、以
       て仁と為すべきか?」子が曰く、「以て難しと為すべし。」

  (参考)・克 … 人に勝ちたがること。  ・伐 … 自慢したがること。
      ・怨 … 恨むこと。       ・欲 … 欲望。欲張ること。貪欲。
       (私見一言)優越心、自慢、怨恨、欲望、こうしたものを抑制するだけ             
             では、仁徳が完全に満たされたとは云えないということ。

    <論語、衛霊公第十五>
     「1衛靈公問陳於孔子。孔子對曰:「俎豆之事,則嘗聞之矣;軍旅之事,未
       之學也。」明日遂行。」

       衛の靈公が陳(じん)を孔子に問う。孔子が對えて曰く、「俎豆(そと       
       う)の事は,則ち嘗て之れを聞けり。軍旅の事は,未だ之を学ばざるな       
       り。」明日(めいじつ)遂いに行(さ)る。

       (私見一言)礼楽を治政の基本としていた孔子にとっては、戦乱に明け             
             暮れていた衛靈公を説得する事は不可能とみて立ち去った             
             という話。

  <論語、衛霊公第十五>
     「39子曰:「有教無類。」
       子が曰く、「教え有りて類無し。」
       (私見一言)人格を作り上げるのは教育の力であり、人は生まれつき同             
             等で、類別と言うものは無いの意。

     <論語、季子第十六>
      「7孔子曰、「君子有三戒:少之時,血氣未定,戒之在色;及其壯也,血
        氣方剛,戒之在闘。及其老也,血氣既衰,戒之在得。」

        孔子が曰く、「君子に三戒有り。少(わか)き時は、血氣が未だ定ま        
        らず、之を戒(いさ)めること色にあり。及其の壯なるに及んでは、        
        血氣は方(まさに)剛なりて、之れを戒むること闘に在り?。其の老        
        いたるに及んでは,血氣は既に衰え、之を戒めること得に在り。

       (私見一言)君子に戒むべきことが三つある。すなわち、青年時代の女             
             色、壮年時代の血気盛んが原因の闘争心、そして老年時代             
             の血気衰弱による貪欲である。

     <論語、季子第十六>
      「8孔子曰:「君子有三畏。畏天命,畏大人,畏聖人之言。小人不知天命
        而不畏也,狎大人,侮聖人之言。」

        孔子が曰く、「君子に三畏有り。天命を畏(おそ)れ,大人を畏れ,        
        聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れず,大人に狎れ,聖人        
        の言を侮る。

       (私見一言)君子には、畏懼すべき三つのものが有る。すなわち、天命             
             を畏れ、長上を畏れ、聖人の言葉を畏れる。天人合一思想             
             重視の一端を顕す。

  <論語、季子第十六>
      「9孔子曰:「生而知之者,上也。學而知之者,次也;困而學之,又其次
        也;困而不學,民斯為下矣。」」

       孔子が曰く、「生まれながらにして之を知る者は、上なり。學びて之を       
       知る者は、次なり。困(くるし)みて之を學ぶは、又た其の次なり。困       
       みて學ばざるは、民は斯れを下と為す。

       (私見一言)人は生まれつき同等で類別は無いと言いながら、生知・学             
             知・困知の三区分を主張するのだから、面白い。性格と知             
             能は別物と云う事か?

  <論語、季子第十六>
             「13陳亢問於伯魚曰:「子亦有異聞乎?」對曰:「未也。嘗獨立,鯉趨而
       過庭。曰:『學詩乎?』對曰:『未也。』『不學詩,無以言。』鯉退而
       學詩。他日又獨立,鯉趨而過庭。曰:『學禮乎?』對曰:『未也。』
       『不學禮,無以立。』鯉退而學禮。聞斯二者。」陳亢退而喜曰:「問一
       得三,聞詩,聞禮,又聞君子之遠其子也。」

       陳亢が伯魚に問うて曰く、「子も亦た異聞有りや?」對えて曰く、「未
       だし。嘗て獨り立てり。鯉(り)趨りて庭を過ぐ。曰く、『詩を学びた
       りや?』對えて曰く、『未だし。』『不學詩を学ばずんば、以て言うこ
       と無し。』鯉が退きて詩を学ぶ。他日に又た獨り立ち、鯉が趨りて庭を
       過ぐ。曰く、『禮を學びたりや?』對えて曰く、『未だし。』『不學禮
       を学ばずんば、以て立つこと無し。』鯉が退きて禮をまなぶ。斯の二者
       を聞けり。」陳亢が退き喜びて曰く、「一を問いて三を得たり。詩を聞
       き、禮を聞き、又た君子の其の子を遠ざけるを聞くけり。」

       (私見一言)君子は常人と違って、”我が子を特別扱いしない”という
             話。

  <論語、陽貨第十七>
     「2子曰:「性相近也,習相遠也。」」
       子が曰く、「性は相い近し,習えば相い遠し。」
       (私見一言)人間の天性(本然の性)は全て似たようなものだが、その             
             後の躾け方(教養の有り方)によって大きな違いが生じ
             る。教養は第二の天性?

     「3子曰:「唯上知與下愚不移。」」
       子が曰く、「唯だ上知(じょうち)と下愚(げぐ)とは移らず。」」
       (私見一言)賢者(生れながらにして知る者)と、愚者(困くるしみて             
             学ばざる者)は教化によっても永久に変える事が出来ない             
             状態にある。

  <論語、陽貨第十七>
             「8子曰:「由也,女聞六言六蔽矣乎?」對曰:「未也。」「居!吾語女。
        好仁不好學,其蔽也愚;好知不好學,其蔽也蕩;好信不好學,其蔽也
        賊;好直不好學,其蔽也絞;好勇不好學,其蔽也亂;好剛不好學,其
        蔽也狂。」

        子が曰く:「由よ、女(なんじ)六言(ろくげん)の六蔽(ろくへ
        い)を聞けるや?」對えて曰く、「未だし。」「居れ!吾れ女に語ら
        ん。仁を好んで學を好まざれば,其の蔽や愚。知を好んで學を好まざ
        れば,其の蔽や蕩。信を好んで學を好まざれば,其の蔽や賊。直を好
        んで學を好まざれば,其の蔽や絞(こう)勇を好んで學を好まざれ
        ば,其の蔽や亂。剛を好んで學を好まざれば,其の蔽や狂。

        (私見一言)学問を学ぶ事の大切さを説いた一文。
  <論語、陽貨第十七>
             「23子路曰:「君子尚勇乎?」子曰:「君子義以為上。君子有勇而無義為
        亂,小人有勇而無義為盜。」」

       子路が曰く、「君子は勇を尚(とうと)ぶか?」子が曰く、「君子は義
       を以て上と為す。君子は勇有りて義無くば亂を為す。小人は勇有りて義
       無ければ盜を為す。」

        (私見一言)君子は勇気があっても正義の心が無ければ、反乱を起こ              
              す事にも為るし、下々の人民に勇気があっても正義の心              
              が無ければ、盗みを働く事に為る。     

[感想]
 「仁徳」を標榜する孔子にとっては、人殺しという禁じ手が含まれる「戦亂」は、到底容認できる対象では無かったに違いない。だからきな臭い“春秋の世”であっても、戦争に関する知見には触れないようにしたのであろう。現実問題としてこの事実は、彼の普及活動にとっては大いにマイナスになったに違いない。普及活動が不発に終わったのもこれが一因であろう。さて、孔子は一番弟子の顔回(顔淵)の徳性を高く評価し、其の特性を「好学・不遷怒・不弐過」と褒めちぎったり、「其心三月不違仁」と感嘆したり、「一箪食,一瓢飲,在陋巷。人不堪其憂,回也不改其樂。」と其の心根を褒めちぎり、最後には、顔淵を徳行の人と位置づけて「回也其庶(理想)乎」と高評価している。夭折した顔淵がもし長命であったならば、春秋・戦国の世は如何に変貌していたであろうか?孔子が長男の伯魚に、「不學詩無以言也、不學禮無以立也。」と言って、知識の源泉である「詩経」と社会的調和の根本となる「礼節」の大切さを示唆した話も、見落としてはなるまい。何れにしろ孔子は一生を通じて、学問の力に重きを置いた普及活動に努めた事は明らかである。
                                                      (令和5年/09/16)

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戦争私論二

2023-07-24 09:45:19 | 論語

戦争私論二
3古代中国の戦争観
 ・神話時代の戦争観
 ①盤古の時代→神
  天地を開闢した神とされる盤古は独りぼっちなのだから、当然争う相手が居ないので戦争という概念は育たず、思うがままに振る舞ったと言う訳であろう。
[参考]
 <神話集、三五歴記>→三世紀頃の書物
   「天地混沌如雞子,盤古生其中。萬八千歳,天地開闢,清陽為天,濁陰為地。盤    
               古在其中,一日九變,神於天,聖於地。天日高一丈,地日厚一丈,盤古日長一    
               丈。如此萬八千歳,天數極高,地數極厚,盤古氏極長。故天去地九萬里,後乃    
               有三皇。」

        天地は混沌として雞子(けいし)の如く,盤古は其の中に生ず。(一)萬八千歳に
        して,天地開闢(かいびゃく)し,清陽(せいよう)なるは天と為り,濁陰(だく
        いん)なるは地と為る。盤古は其中に在りて,一日九變し,天に於いては神(なる
        もの)に、地に於いては聖(なるもの)に(変化)。天は日に一丈高く,地は日に
        一丈厚く,盤古は日に一丈長(たか)し。如此(かくのごとく)して(一)萬八千
        歳,天數(天の有り様)は極めて高く,地數(地の有り様)は極めて厚く,盤古氏
        は極めて長(たけ)し。故に天は地を去ること九萬里,後に乃ち三皇有り。

 (意訳)
  天地の様子は渾沌としていて鶏卵の中身のような状態で、その中に盤古という「創
       世神」が存在した。一万八千年後に天地が開らけ、清んだ活発な部分が天空とな
  り
、濁って澱んだ部分が大地と為った。盤古はその間にあって毎日何回も変身を繰
  り返し、天空では神々と為り、大地では聖なる天子と為った。天空は毎日三メート
  ルずつ高くなり、大地は毎日三メートルずつ厚さを増し、盤古も毎日三メートルず
  つ背丈が伸びていった。こうして一万八千年後、天空の高さも大地の厚さもそして
  盤古の身長も極まった。乃ち天地の隔たりは九万里に達し、その後三皇(天皇・地
  皇・人皇)の時代が出現することになる。

 <五運歴年記>
   「首生盤古、垂死化身:氣成風雲、聲為雷霆、左眼為日、右眼為月、四肢五體   
    為四極五岳、血液為江河、筋脈為地里、肌肉為田土、髮髭為星辰、皮毛化為     
    草木、齒骨為金石、精髓為珠玉、汗流為雨澤。身之諸蟲、因風所感、化為黎     
    氓(民)。」

    首(はじめ)に盤古を生じ、垂死に化身し、氣は風雲と成り、聲は雷霆と為     
    り、左りの眼は日と為り、右の眼は月と為り、四肢と五體は四極や五岳と為     
    り、血液は江河と為り、筋脈は地里と為り、肌肉は田土と為り、髮髭は星辰     
    と為り、皮毛は化して草木と為り、齒骨は金石と為り、精髓は珠玉と為り、     
    汗流は雨澤と為る。身の諸蟲は、風に因って所感し、化して黎氓(民)と為     
    る。

  (意訳)
    初めに盤古が生まれ、死が近づくと化身して、吐いた息は風雲に、声は雷鳴に    
    なり、左目は太陽、右目は月になり、手足と胴体は四方の極地や五岳となり、    
    血は河川、筋と血管は道に、皮膚は農地になりました。髮髭は星辰になり、産    
    毛は草木になる。歯と骨は金属に、精髓は珠玉になり、汗と涙は雨や露に化身    
    し、身中の寄生虫は風によって各地に広まり、多くの民となったと言う。

 最近(1994年)「上博楚簡」なるものが出土し、[恆先]と篇題された道家の宇宙生成論に関する文献が出土した。其の骨子が上記の神話に良く似ているので紹介しておこう。尚、AC300年頃の作と推定されている事を記しておく。
 <上博楚簡、恆先>→前三世紀頃の作と考えられる
   「恒先无有,朴、清、虚。朴,大朴;清,太清;虚,太虚。自厭不忍,“域”作。有“域”焉有“气”,有“气”焉有“有”,有“有”焉有“始”,有“始”焉有“往者”。未有天地,未有作行、出生虚清、為一若寂、水,梦梦清同,而未或明、未或滋生。气是自生,恒莫生气。气是自生自作。恒气之生,不独有与也,・・・濁气生地,清气生天。气信神哉,云云相生,信盈天地。同出而異性,因生其所欲。察察天地,紛々而複其所欲。明明天行,唯復以不廃。・・・」
    恒の先は無なるも、朴(質)・清(静)・虚有り。朴(質)は大朴(質)とな
 り;清(静)は太清(静)となり;虚は太虚となる。自ら厭い自ら忍ばずして,“域
 (わく)”作(おこ)る。“域”有れば焉(すなわ)ち“气”有り,“气”有れば焉ち“有”有
 り,“有”有れば焉ち“始め”有り,“始め”有れば焉ち“往く者”有り。未だ天地有らざれ
 ば,未だ行を作(おこ)すこと有らず。出でて虚清より生ずれば、一為ること寂の若
 く、水は,梦梦(ぼうぼう)として清同にして,而して未だ或は明らかならず、未だ
 或は滋生せず。气は是れ自ら生じ,恒は气を生じること莫し。气は是れ自ら生じて自
 ら作る。恒は气の生じるや,独り与(くみ)すること有らざるなり。・・・濁气は地を
 生じ,清气は天を生ず。气の信(の)ぶるや神なる哉,云云相生じて,天地に信盈
 (しんえい)し、同出にして性を異にし,因りて其の欲する所に生ず。察察(さつさ
 つ)たる天地は,紛々として其の欲する所を復(くりかえ)す。明明たる天行は,唯
 の復のみ以て廃されず。

 ②三皇(伏羲・女媧・神農)の時代→神
  盤古の時代が終わる頃には、あらゆる物が存在していたが、人間の姿だけが見当たらなかったという。そこに三皇が現れることになる。聖人の徳を備えた伏羲の時代には、争う=戦争という記録は見あたらない。その後、諸侯の一人に共工なる者が天下を奪おうとして反乱を起こしたが、その後始末をして中国全土の災害を救った功績により王となった女媧の時代が続くが、退屈の余り泥土をこねて作った人型が人間(上人)となり、縄に浸した泥土が飛び散った人型が庶人となったという。(女媧造人)ここで問題になるのが、人間に上人と庶人という階級差が出来てしまったことである。これが後々に争い=戦争の発生に大きく影響を及ぼしたことは否めない事実である。人間の感情が争い事に関係する比重には、計り知れないものがある。農作・医薬・易の祖とされる神農の時代には、善政により平和が保たれたので、戦争の記録は現れていない。
[参考]
 <淮南子、原道訓>
   「2泰古二皇,得道之柄,立於中央。神與化遊,以撫四方。是故能天運地滯,輪     
    轉而無廢,水流而不止,與萬物終始。・・・其德優天地而和陰陽,節四時而調五     
    行,呴諭覆育,萬物群生,潤於草木,浸于金石。禽獸碩大,豪毛潤澤,羽翼     
    奮也,角□生也。獸胎不□,鳥卵不毈。父無喪子之憂,兄無哭弟之哀,童子不
    孤,婦人不孀,虹蜺不出,賊星不行,含德之所致也。」

     泰古の二皇(伏羲・神農)は,道の柄を得て,中央に立ち。神なること化と     
    遊びて,以て四方を撫す。是の故に能く天は運(めぐ)り地は滯(とど)ま     
    り,輪の轉じて廢(や)むこと無きがごとく,水の流れて止まらざるがごと     
    く,萬物と終始す。・・・其の德は天地を優(やわ)らげて陰陽を和し,四時を     
    節して五行を調(ととの)え,萬物群生を呴諭覆育して,草木を潤し,金石     
    を浸す。禽獸は碩大に,豪毛は潤澤に,羽翼は奮(さか)んに,角らく生じ、     
    獸胎(じゅうたい)とくせず、鳥卵たんせず。父に子を喪うの憂い無く,兄     
    に弟を哭するの哀しみ無く,童子は孤ならず,婦人は孀ならず,虹蜺も出で     
    ず,賊星も行(めぐ)らず。德を含むことの致す所なり。

 <史記補、三皇本紀>
   「・・・諸侯有共工氏。任智刑以強霸而不王。以水乘木。乃與祝融戰,不勝而怒。
    乃與祝融戰,不勝而怒。乃頭觸不周山崩,天柱折,地維𡙇。女媧乃鍊五色石     
    以補天,斷鼇足以立四極,聚蘆灰以止滔水,以濟冀州。於是地平天成,不改     
    舊物。 女媧氏沒,神農氏作。」

           ・・・諸侯に共工氏有り。智刑に任じて強を以て霸たるも王たらず。水を以て木     
    に乗ず。乃ち祝融と戰い,勝たずして怒る。乃ち頭が不周山に觸れて崩れ,     
    天柱折け、地維は𡙇く。女媧乃ち五色の石を錬りて以て天を補い、鼇の足を     
    断ちて以て四極を立て、蘆の灰を聚め以て滔水を止め、以て冀州を濟う。是     
    に於いて地は平らぎ天成り、舊物を改めず。女媧氏沒し、神農氏作る。

 <風俗通>
   「曰:俗説天地開闢,未有人民,女媧摶黄土作人,劇務,力不暇供。乃引繩于絚     
    泥中于舉以爲人。故富貴者黄土人也,貧賤凡庸者絚人也」

     曰く:「俗に説くに、天地開闢して未だ人民有らざるのとき、女媧は黄土を搏    
   (かた)めて人を作るに、劇しく務力して、供うるに暇あらず。乃ち絚泥中に    
    引繩して舉げて以て人と為す。故に富貴の者は黄土の人なりて、貧賤凡庸の者    
    は絚人なり。」と。

 ③五帝(黄帝・顓頊・帝嚳・尭・舜)の時代→聖君
  養蚕・舟車・文字・音律・医学・算数などを制定したとされる黄帝でさえ、天下統一の為には戦争という酷い手段を使ったことになっている。黄帝は、諸侯を侵略しようとした神農氏の子孫と「阪泉の野」で三度戦って勝利を収めたり、諸侯中の最も乱暴な天下を乱した蚩尤と「涿鹿の野」で戦って彼を禽殺(虜にして殺す事)したりして天下を手に入れ、天子となったのである。前述の天地創造に関連した黄帝の孫とされる顓頊が、四罪の一人である共工と帝位を争った話もあるので、戦争はまだまだ継続する事になる。曾孫とされる帝嚳(高辛)の時代は内政充実の時代で、戦の記録は<史記>には載っていない。先祖の業績に助けられた黄帝の子孫である尭帝の時代、そして争う事無く禅譲により帝位を得た異系の孝子舜帝の時代、更には同じく禅譲により帝位を得た夏王朝の開祖の帝禹の時代には、この三代に亘る三苗との長い戦いがあったことを忘れてはならない。
[参考]
 <史記、五帝本紀>
   「1黄帝者,少典之子。姓公孫,名曰軒轅。生而神靈,弱而能言,幼而徇齊,長     
     而敦敏,成而聰明。

     黄帝、少典の子なり。姓は公孫、名は軒轅と曰う。生れて神靈、弱にして能     
     く言い、幼にして徇齊、長じて敦敏、成りて聰明なり。

   「2軒轅之時,神農氏世衰。諸侯相侵伐,暴虐百姓,而神農氏弗能征。於是軒轅
     乃習用干戈,以征不享、諸侯咸來賓從。而蚩尤最為暴,莫能伐。炎帝欲侵陵
     諸侯,諸侯咸歸軒轅。軒轅乃修德振兵,治五氣,藝五種,撫萬民,度四方,
     教熊羆貔貅貙虎,以與炎帝戰於阪泉之野。三戰然後得其志。蚩尤作亂,不用
     帝命。於是黄帝乃徵師諸侯,與蚩尤戰於涿鹿之野,遂禽殺蚩尤。而諸侯咸尊
     軒轅為天子,代神農氏,是為黄帝。天下有不順者,黄帝從而征之,平者去
     之,披山通道,未嘗寧居。」

     軒轅の時、神農氏の世は衰う。諸侯は相い侵し伐ち、百姓を暴虐し、而して     
     神農氏は征すること能わず。是に於いて軒轅乃ち干戈を用うることを習い、     
     以て不享を征するも、諸侯は咸な來りて賓從す。而して蚩尤最も暴を為す
     も、能く伐つもの莫し。炎帝は諸侯を侵陵せんと欲するも、諸侯は咸な軒轅
     に帰す。軒轅乃ち德を修め兵を振え、五氣を治め、五種を藝え、萬民を撫
     で、四方を度り、熊・羆・貔・貅・貙・虎に教え、以て炎帝と阪泉の野に戦
     う。三たび戰かいて然る後に其の志を得る。蚩尤が亂を作し、帝の命を用い
     ず。是に於いて黄帝は乃ち師を諸侯に徵し、蚩尤と涿鹿の野に戦い、遂に蚩
     尤を禽殺す。而して諸侯は咸な軒轅を尊びて天子と為し、神農氏に代わる。
     是を黄帝と為す。天下に順わざる者有れば、黄帝は從って之を征し、平げば
     之を去り、山を披きて道を通じ、未だ嘗って寧居せず。

 <淮南子、天文訓>
   「2昔者共工與顓頊爭為帝,怒而觸不周之山。天柱折,地維絶。天傾西北,故日     
     月星辰移焉;地不滿東南,故水潦塵埃歸焉。・・・。」

     昔し共工は顓頊と帝為(た)らんことを争い,怒りて不周の山に觸る。天柱     
     は折れ,地維は絶つ。天は西北に傾き,故に日月星辰は移り、地は東南に満     
     たず,故に水潦塵埃は歸す。・・・。

 <淮南子、修務>
   「1或曰:「・・・堯立孝慈仁愛,使民如子弟。西教沃民,東至黑齒,北撫幽都,南     
     道交趾。放讙兜於崇山,竄三苗于三危,流共工於幽州,?鯀於羽山。舜作
     室,築牆茨屋,辟地樹穀,令民皆知去岩穴,各有家室。南征三苗,道死蒼
     梧。・・・」

     ・・・堯は孝慈仁愛を立てて,民を使うこと子弟の如し。・・・讙兜を崇山に放
     ち,三苗を三危に竄(ざん)し,共工を幽州に流し,鯀を羽山に殛す。舜は
     室を作り,牆(かき)を築き屋を茨(ふ)き,地を辟き穀を樹え,民をして
     皆な岩穴を去ることを知りて,各々家室有らしむ。南のかた三苗を征せんと
     して,道に蒼梧に死せり。・・・

 (尭・舜・禹と三苗の長い戦い。)
  ・三苗が攻撃対象として現れる最初が、華夏族の首領・帝尭と三苗部族連合体の首   
   領驩兜との「丹水の浦」の戦いである。帝尭は戦いには勝ったが、驩兜は降伏せ   
   ず、夷狄の脅威は依然として残ることになる。

  ・帝尭が摂政役の舜に、改めて度々亂を為す驩兜と他の三苗部族を攻めさせた。
   驩兜も他の三苗族も敗れて遠方に駆逐される。
  ・帝舜の時代には、三苗族はまた復興して対抗するようになる。帝舜は禹の三苗攻   
   撃の提言を拒否し、安撫策をとって短期的に平和を実現。

  ・その後また対立するようになり、帝舜は摂政役の禹に三苗征伐を命じる。禹は三   
   苗に勝利するも、徹底的勝利には至らず。

  ・舜は三苗を全滅させるため、自ら大挙南下するも力足らず、途中で没する。
  ・禹が舜を継いだ後、更に長い戦いを経て、ついに三苗は西南の遠くの地に追いや   
   られてしまう。

  ・中華の四方に居住し、朝廷に帰順しない周辺民族を
    ・東夷(とうい)
    ・北狄(ほくてき)
    ・西夷(せいい) → 西戎(せいじゅう)
    ・南蛮(なんばん)
  と呼び、「四夷」あるいは「夷狄」(いてき)と総称した。
[感想]
 中国でも神代の時代から戦争行為が語り継がれてきた處を見ると、この現象は人間の宿命と云わざるを得ないもののようである。更に、この行為を助長するかのように[女媧造人]と言った区分が出来上がった事、同族の規模が拡大するに伴い集団の統制を図る手段として好むと好まざるとに関わらず階級制を導入せざるを得ず、其の結果として競合による弊害が現れたり、諸侯(同族)や家臣(異族)などの区分けが出来上がり、また四夷(周辺の他民族への蔑称)・四罪(神話に登場する天下に害をなした四柱の悪神)などの異分子が現れた事など世の中が複雑に為るにつれて人の細分化が進んだ事は、好ましからざる影響を及ぼしたに違いない。一方人口増加という現象も、また戦争行為を助長した事であろう。天帝の意思に反して、動物としての[種の保存]本能が勝った結果の戦争行為だが、人間側としても[善なる本然の天性]を守るために、このままでは済まされない問題である事には間違いない。
                                                          (令和5年07月24日)

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管子好言

2023-06-01 09:50:18 | 論語

<管子>立政第四[国政樹立の基本原則]
◎基本原則(政治機構の有り方)
 Ⅰ.三本(国を治める三つの基本原則)←国の治乱を左右する本源。
  ① 君主が臣下の人徳を正しく把握し、其の人徳に見合った適正配置の実現。
  ②    君主が臣下の功績を正しく把握し、其の功績に見合った適正処遇の実現。 
  ③ 君主が臣下の能力を正しく把握し、其の能力に見合った適正地位の実現。
      以上の三本が君主によって正しく把握されていれば、臣下は無闇に高い地位や
              俸禄を得ようとはしないし、邪臣や佞臣が蔓延ることもない。

 Ⅱ.四固(国の安泰を計る四つの基本原則)
  ① 人民に対する思いやりの無い人物には、国の政治を任せてはならない。
     (宰相が民心を掌握できないのは国の危機。)
  ② 自分より優れた人物に自分の地位を譲ることが出来るほどの度量を持てぬ人物    
               には、尊貴な地位を与えてはならない。

     (重臣たちが親しみ会えぬのは国の危機。)
  ③ 処罰を下す時に、親しい人や地位の高い人には手加減するような人物には、兵    
               権を任せてはならない。

     (軍事を司る将軍が軽佻浮薄なのは国の危機。)
  ④ 農事を好まず、生産に務めず、租税を安易に取り立てる者には、地方の政治を
    任せてはならない。
     (人民が農業生産を軽視するのは国の危機。)
       以上が、国の安泰を図る上で君主が慎むべき四原則である。
 Ⅲ.五事(国の繁栄を計る五つの基本原則)
  ① 山林や湿地帯での防火策。
     (草木の生育不振は国の貧困の元。)
  ② 灌漑用水の整備。
     (貯水池の不備は国の貧困の元。)
  ③ 主要作物の耕作不振。
     (桑・麻・穀物の耕作不振は国の貧困の元。)
  ④ 副業の耕作不振。
     (家畜・野菜・果実の耕作不振は国の貧困の元。)
  ⑤ 飾り立てる行為。
     (織物や裁縫で装飾を凝らすのは国の貧困の元。)
       以上が、国の繁栄を計る上で君主が務めるべき五原則である。
            以上の基本原則に続いて、更に具体的な以下のような細則が述べられている。
◎施政細則
 Ⅰ.郷・州制、連体制。
 Ⅱ.首憲(年の初めに古代憲法君主によって公布された法令。)
 Ⅲ.国家事業
 Ⅳ.行政監察官
 Ⅴ.服制
 Ⅵ.国家滅亡を来す原因
  ① 反戦論争。
  ② 兼愛思想の蔓延。
  ③ 廉恥心の低下。
  ④ 政治批判の流行。 
  ⑤ 徒党を組む数による支配。
  ⑥ 拝金主義の流行による爵位・官職の価値減退。
  ⑦ ずる賢い者の支配政治
  ⑧ 賄賂・縁故の支配する政治
  ⑨ 媚び・諂いの支配する政治
 Ⅶ.君主が注視すべき七つの観望すべき要点。
  ①教化による効果。
  ②訓化による効果。
  ③風俗による効果。
  ④誠信による効果。
  ⑤国家事業による効果。
  ⑥天道による効果。
  ⑦政治による効果。
[参考]
<管子、立成篇>
  1立国。
  國之所以治亂者三,殺戮刑罰,不足用也。國之所以安危者四,城郭險阻,不足守也。國之所以富貧者五,輕税租,薄賦斂,不足恃也。治國有三本,而安國有四固,而富國有五事,五事五經也。
  国の治亂する所以の者は三つ、殺戮刑罰は、用いるに足らざるなり。国の安危する所以の者は四つ、城郭險阻は、守るに足らざるなり。国の富貧なる所以の者は五つ、税租を軽くし、賦斂(ふれん)を薄くするは、恃むに足らざるなり。国を治めるに三本有り、而して国を安んじるに四固有り、而して国を富ますに五事有り、五事は五經なり。
  2三本。
  君之所審者三:一曰德不當其位;二曰功不當其祿;三曰能不當其官;此三本者,治亂之原也;故國有德義未明於朝者,則不可加以尊位;功力未見於國者,則不可授與重祿;臨事不信於民者,則不可使任大官;故德厚而位卑者謂之過;德薄而位尊者謂之失;寧過於君子,而毋失於小人;過於君子,其為怨淺;失於小人,其為禍深;是故國有德義未明於朝而處尊位者,則良臣不進;有功力未見於國而有重祿者,則勞臣不勸;有臨事不信於民而任大官者,則材臣不用;三本者審,則下不敢求;三本者不審,則邪臣上通,而便辟制威;如此,則明塞於上,而治壅於下,正道捐棄,而邪事日長。三本者審,則便辟無威於國,道塗無行禽,疏遠無蔽獄,孤寡無隱治,故曰:「刑省治寡,朝不合衆」。右は三本。
  君の審かにする所の者三つ:一に曰く、德は其の位に当たらず;二に曰く、功は其の祿に当たらず;三に曰く、能は其の官に当たらず;此の三本は,治亂の原(みなもと)なり;故に國に德義の未だ朝(ちょう)に明らかならざる者有れば、則ち以て尊位に加える可からず;功力(こうりょく)の未だ國に見(あらわ)れざる者には,則ち授けるに重祿を以てす可からず;事に臨みて民に信ぜられざる者は,則ち大官に任ぜしむ可からず;故に德厚くして而かも位卑しき者は之れを過と謂う;德薄くして而も位尊き者は之れを失と謂う;寧しろ君子に過なるも,小人に失なること母かれ;君子に過なるは,其の怨みを為すこと淺く;小人に失なるは,其の禍を為すこと深し;是の故に國に德義の未だ朝に明らかならずして而も尊位に處(お)る者有れば,則ち良臣は進まず;功力の未だ國に見れずして而も重祿有る者有れば,則ち勞臣は勸(すす)まず;事に臨みて民に信ぜられずして而も大官に任ぜらるる者有れば,則ち材臣(ざいしん)用いられず;三本の者が審かなれば,則ち下は敢えて求めず;三本の者が審かならざれば,則ち邪臣が上通(じょうつう)して,而も便辟(べんべき)威を制す;此の如くなれば,則ち明は上に塞がりて,而も治は下に壅り,正道は捐棄(えんき)して,而も邪事は日に長ず。三本の者が審かなれば,則ち便辟は国に威無く,道塗(どうと)に行禽(こうきん)無く,疏遠に蔽獄(へいごく)無く,孤寡(こか)隱治(いんち)無く,故に曰く:「刑は省かれ治は寡くして,朝に衆を合わせず」と。以上は国を治める三つの基本原則。
  3四固。
  君之所慎者四:一曰大德不至仁,不可以授國柄。二曰見賢不能讓,不可與尊位。三曰罰避親貴,不可使主兵。四曰不好本事,不務地利,而輕賦斂,不可與都邑。此四務者,安危之本也。故曰:「卿相不得衆,國之危也。大臣不和同,國之危也。兵主不足畏,國之危也。民不懷其産,國之危也。」故大德至仁,則操國得衆。見賢能讓,則大臣和同。罰不避親貴,則威行於鄰敵。好本事,務地利,重賦斂,則民懷其産。右四固
  君の慎む所の者四:一に曰く大德も仁に至らざれば,以て國柄(こくへい)を授ける可からず。二に曰く賢を見て讓ること能わざるには,尊位を與う可からず。三に曰く罰するに親貴を避けるには,兵を主(つかさど)らしむ可からず。四に曰く本事を好まず,地利を務めずして,而も賦斂(ふれん)を軽々しくするには,都邑を与える可からず。此の四務は,安危の本なり。故に曰く:「卿相(けいしょう)衆を得ざるは,國の危なり。大臣が和同せざるは,國の危なり。兵主(へいしゅ)が畏れるに足らざるは,國の危なり。民が其の産を懷(おも)わざるは,國の危なり」と。故に大德が仁に至れば,則ち国を操り衆を得。賢を見て能く讓れば,則ち大臣は和同す。罰するに親貴を避けざれば,則ち威は鄰敵(りんてき)に行わる。本事を好み,地利を務め,賦斂(ふれん)を重(はばか)れば,則ち民は其の産を懷う。以上は国を安泰にする四原則。
  4五事。
  君之所務者五:一曰山澤不救於火,草木不植成,國之貧也。二曰溝瀆不遂於隘,鄣水不安其藏,國之貧也。三曰桑麻不植於野,五穀不宜其地,國之貧也。四曰六畜不育於家,瓜瓠葷菜百果不備具,國之貧也。五曰工事競於刻鏤,女事繁於文章,國之貧也。故曰:「山澤救於火,草木植成,國之富也。溝瀆遂於隘,鄣水安其藏,國之富也。桑麻植於野,五穀宜其地,國之富也。六畜育於家,瓜瓠葷菜百果備具,國之富也。工事無刻鏤,女事無文章,國之富也。右五事。
  君の務める所の者は五つ:一に曰く山澤(さんたく)火を救(つつし)まず,草木植成せざるは,國の貧なり。二に曰く溝瀆(こうとく)隘(せま)きに遂(すすまず),鄣水(しょうすい)其の藏に安んぜざるは,國の貧なり。三に曰く桑麻(そういま)野に植えられず,五穀其の地に宜しからざるは,國の貧なり。四に曰く六畜(りくきゅう)家に育われず,瓜瓠(かこ)・葷菜(くんさい)・百果・備具せざるは,國の貧なり。五に曰く工事刻鏤(こくろう)を競い,女事文章を繁くするは,國の貧なり。故に曰く:「山澤火を敬(つつし)み,草木植成するは,國の富なり。溝瀆隘(せま)きに遂(すす)み,鄣水其の藏に安んじるは,國の富なり。桑麻野に植えられ,五穀其の地に宜しきは,國の富なり。六畜家に育われ,瓜瓠・葷菜・百果・備具するは,國の富なり。工事刻鏤無く,女事文章無きは,國の富なり。以上は国を富ませる五原則。
  5王制(郷・州制、連体制)
   分國以為五郷,郷為之師,分郷以為五州,州為之長。・・・凡過黨,其在家屬,及于長家。・・・。
   國を分かちて以て五郷と為し、郷ごとに之が師(すい)を為(つく)り、郷を分かちて以て五州と為し、州ごとに之が長を為る。・・・凡そ過黨(かとう),其の家屬に在れば,長家に及ぶ。・・・。
  6首憲
   正月之朔,百吏在朝,君乃出令布憲于國,五郷之師,五屬大夫,皆受憲于太史。大朝之日,五郷之師,五屬大夫,皆身習憲于君前。太史既布憲,入籍于太府。憲籍分于君前。五郷之師出朝,遂于郷官致于郷屬,及于游宗,皆受憲。・・・。
   正月の朔(さく),百吏は朝に在りて,君は乃ち令を出し憲を國に布き、五郷の師,五屬の大夫,皆憲を太史に受く。大朝の日,五郷の師,五屬大夫,皆身ら憲を君前に習う。太史は既に憲を布(し)き,籍を太府に入る。憲籍は君前に分たれ、五郷の師は朝を出て,遂に郷官に于いて郷屬を致し、游宗に及ぶまで,皆憲を受く。・・・。
  7国家事業
   凡將舉事,令必先出,曰事將為。其賞罰之數,必先明之,立事者,謹守令以行賞罰,計事致令,復賞罰之所加,有不合於令之所謂者,雖有功利,則謂之專制,罪死不赦。首事既布,然後可以舉事。
   凡そ將に事を舉げんとすれば,令は必ず先づ出し,曰く事は將に為さんと。其の賞罰の數は,必ず先づ之を明かにし、事を立てる者は,謹みて令を守り以て賞罰を行い、事を計り令を致し,賞罰の加わる所を復し,有不合於令の謂う所に合わざる者有れば,功利有りと雖も,則ち之を專制と謂い,罪は死(ころ)して赦さず。首事は既に布き,然る後に以て事を舉ぐ可し。
  8省官(行政監察官の業務)
   修火憲,敬山澤,林藪積草,・・・虞師之事也,決水潦,通溝瀆,修障防,・・・司空之事也。相高下,視肥墝,觀地宜,・・・由田之事也。行郷里,視宮室,觀樹藝,・・・郷師之事也。論百工,審時事,辨功苦,・・・工師之事也。右省官。
   修火憲を修め、山澤の林藪・積草を敬(いましめ),・・・虞師の事なり。水潦(すいろう)を決し、溝瀆(こうとく)を通じ,障防(しょうぼう)を修め,・・・司空の事なり。高下(こうか)を相し,肥墝(ひこう)視,地宜を觀,・・・由田の事なり。郷里を行(めぐ)り,宮室を視,樹藝を觀,・・・郷師の事なり。百工を論じ,時事を審(つまびら)かにし,功苦を辨じ,・・・工師(こうし)の事なり。以上は行政監察官の業務に関する記述。
  9服制
   度爵而制服,量祿而用財,飲食有量,衣服有制,宮室有度,六畜人徒有數,舟車陳器有禁,生則有軒冕服位穀祿田宅之分,死則有棺槨絞衾壙壟之度。・・・右服制。
      爵を度(はか)りて服を制し,祿を量りて財を用い,飲食には量有り,衣服には制有り,宮室には度有り,六畜人徒には數有り,舟車陳器には禁有り,生きては則ち軒冕・服位・穀祿・田宅の分有り,死しては則ち棺槨絞衾壙壟の度有り。・・・右は服務規程。
  10九敗
   寢兵之説勝,則險阻不守。兼愛之説勝,則士卒不戰。全生之説勝,則廉恥不立。私議自貴之説勝,則上令不行。群徒比周之説勝,則賢不肖不分。金玉貨財之説勝。則爵服下流,觀樂玩好之説勝。則姦民在上位。請謁任舉之説勝,則繩墨不正,諂諛飾過之説勝,則巧佞者用。右九敗。
   兵を寢(や)むの説が勝てば,則ち險阻は守られず。兼愛の説が勝てば,則ち士卒は戰わず。全生の説が勝てば,則ち廉恥は立たず。私議して自ら貴の説が勝かてば,則ち上の令が行われず。群徒比周(ぐんとひしゅう)の説勝てば,則ち賢不肖は分たれず。金玉貨財の説が勝てば、則ち爵服は下流し,觀樂玩好(かんらくがんこう)の説が勝てば、則ち姦民が上位に在り。請謁任舉(せいえつにんきょ)の説が勝てば,則ち繩墨は正しからず。諂諛飾過(てんゆしょくか)の説が勝てば,則ち巧佞(こうねい)の者が用いらる。右は九つの国家滅亡を来す原因。
  11七觀
   期而致,使而往,百姓舍己以上為心者,教之所期也。始於不足見,終於不可及,一人服之,萬人從之,訓之所期也。未之令而為,未之使而往,上不加勉,而民自盡,竭俗之所期也。好惡形於心,百姓化於下,罰未行而民畏恐,賞未加而民勸勉,誠信之所期也。為而無害,成而不議,得而莫之能爭,天道之所期也。為之而成,求之而得,上之所欲,小大必舉,事之所期也。令則行,禁則止,憲之所及,俗之所被,如百體之從心,政之所期也。右七觀。
      期して致り、使いして往き、百姓(ひゃくせい)己を舍(す)てて上(かみ)を以て心と為すは、教の期する所なり。見るに足らざるに始まり、及ぶ可からざるに終わり、一人之れを服して、萬人之れに従うは、訓(おしえ)の期する所なり。未だ之れを令せずして而も為し、未だ之れを使わずして而も往き、上が勉を加えずして而も民が自ら盡竭(じんけつ)するは、俗の期する所なり。好惡心に形(あらわ)れて、百姓は下(しも)に化し、罰は未だ行われずして而も民は畏恐(いきょう)し、賞は未だ加わらずして而も民が勸勉(かんべん)するは、誠信の期する所なり。為して害する無く、成して議せず、得て之れを能く爭う莫きは、天道の期する所なり。之れを為して成り、之れを求めて得、上の欲する所、小大(しょうだい)必ず舉がるは、事の期する所なり。令すれば則ち行われ、禁ずれば則ち止み、憲の及ぶ所、俗の被るとっころ、百體の心に從うが如きは、政の期する所なり。右は七つの観望すべき要点。
<荀子、王制>
   ◎為政者の技量
   衛成侯、嗣公聚斂計數之君也,未及取民也。鄭子産取民者也,未及為政也。齊管仲為政者也,未及修禮也。故修禮者王,為政者彊,取民者安,聚斂者亡。故王者富民,霸者富士,僅存之國富大夫,亡國富筐篋,實府庫。筐篋已富,府庫已實,而百姓貧。夫是之謂上溢而下漏。入不可以守,出不可以戰,則傾覆滅亡可立而待也。故我聚之以亡,敵得之以彊。聚斂者,召寇、肥敵、亡國、危身之道也,故明君不蹈也。
   衛の成侯、嗣公は聚斂(しゅうれん)計數の君なり,未だ民を取るに及ばざるなり。鄭の子産は民を取りし者なるも,未だ政を為すに及ばざるなり。齊の管仲は政を為せし者なるも,未だ禮を修めるにおよばざるなり。故に禮を修める者は王,政を為す者は彊,民を取る者は安く,聚斂する者は亡ぶ。故に王者は民を富ませ,霸者は士を富ませ,僅かに存するの國は大夫を富ませ,亡國は筐篋(きょうきょう)を富ませて,府庫を実たす。筐篋が已に富み,府庫が已に實ち,而も百姓は貧す。夫れ是れを之れ上は溢れ而して下は漏(か)れると謂う。入りては以て守る可からず,出でては以て戰う可からず,則ち傾覆滅亡は立つ而して待つ可きなり。故に我は之れを聚めて以て亡び,敵は之れを得て以て彊し。聚斂は,寇(あだ)を召(まね)き、敵を肥やし、國を亡し、身を危うくするの道にして,故に明君は蹈まざるなり。
   ◎王道・覇道・強道
   王奪之人,霸奪之與,彊奪之地。奪之人者臣諸侯,奪之與者友諸侯,奪之地者敵諸侯。臣諸侯者王,友諸侯者霸,敵諸侯者危。
   王は之れ人を奪(と)り,霸は之れ與を奪り,彊は之れ地を奪る。之れ人を奪るとは諸侯を臣とし,之が與を奪るとは諸侯を友とし,之が地を奪るとは諸侯を敵とすることなり。諸侯を臣とする者は王,諸侯を友とする者は霸,諸侯を敵とする者は危うし。
[感想]
 以上は覇王としての施政の姿を紹介したものである。今日においても利しうるものもあれば、批判されるべきものもある。荀子が<荀子、王制>の中で、管仲の施政の姿を[禮]徳の欠けたものとして批判しているが、この問題は今日においても実現し難いものとして為政者を苦しめている。[禮徳]を実際の施政に、如何に実現すべきか難しい問題である。ここで是非とも触れておかねばならぬのが、国家の滅亡を来す原因として、「墨子の兼愛思想の蔓延」に触れている点で、これについては別項で詳しく取り上げてみたいと思っている。
(追記) 次回からは、このシリ-ズを一時休止し、昨年論じた戦争私論の追論を纏めていきたいと思う。
                         (05.06.01)

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管子好言

2023-04-15 10:06:38 | 論語

<管子>権修第三[権威の確立。(富国強兵のために取るべき政治的手法。)]
 箴言①
  「君主(為政者)が権威確立の為に成すべきことは、一に道義心の涵養、二に法の    
   権威の確定。」

  その為の具体策を管仲は次のように指摘する。すなわち、
  ・軍隊や地方役所などの重要な実施部隊には、それ相応の為政者を置く。
  ・商工業を抑圧し一次産業を重視して国土を開発し、国力の適正化を試みる。
   (流通を支配する商業が発達すると、一次産業に基づく実質的物資の民間や国庫    
   に於ける貯蔵が疎かになり、国土開発が衰退する。)

  ・賞罰の適正化を図って人民に恥の心を植え付け、兵力向上を図る。
  ・為政者は無駄な出費を抑えて財力向上に協力し、軽率に人民を使役することなく   
   民力維持に努める。

  ・愛情と利益を人民に手厚く施し、知恵と礼儀を人民に明らかに示すことにより、   
   為政者は人民に慕われ道義心の強化が図られる。

  ・役人を遇するにあたり、その能力にふさわしい官職を授け、実績に応じた待遇
   を与えることが無難な進め方である。
  ・国土の開発が進み、農村の田畑が整備され、各家庭に必需品が十分に備えられて   
   おり、都市部の流通機構が必要ない状態が最上の政治である。

  ・君主の功績・名声を妨害する三事がある。第一は賢臣を用いず君主が独断で事を   
   行う場合、第二に国の経済が貧しく君主の行為が無視される場合、第三は政治の   
   仕事が繁多で忙殺される場合である。

 箴言②
  「一年の計を図るに一樹一穫なる穀植程度で足り、十年の計も図るに一樹十穫なる    
   植林程度で十分だが、百年の計を図るには一樹百穫なる賢人の知恵を要す。」

   人間の業こそ、その効能に於いて神技に勝るものと言う喩えである。しかも治政
   については、その神技も並の人間ではなく賢人の知恵を借りねばならぬほどの精
   緻さが求められると言うことになる。そこで管仲は、多くの考慮すべき難点を以
   下のように指摘している。すなわち、

  ・商人が権力を持つと上流階級に財貨が偏在するようになり、婦人が治政人事に口   
   を出すと賞罰が公平に行われなくなり、男女の区別が薄れると羞恥心がなくな
   り、
結果として国民の愛国心が薄れて国力の低下を来す。
  ・朝廷の権威が薄れ、身分の貴賤が不明確で、長幼の区別が失われ、制度が判然と   
   せず、衣服に身分制度が反映せず、職分が不明確で職分違反が野放しの状態で
   は、
人民が政令を遵守する事を期待するのは無理である。
  ・為政者が権棒術数を好んで人民を欺き騙し、家臣が私利を競い、人民を強制的に
   従わせる行為は、恨みを買うだけである。
  ・農業の振興を怠り、人民の統一が出来なければ、国家の安泰を望むことは、不可   
   能である。

  ・為政者が占術にのめり込み、呪い師を重用すれば、鬼神の祟りを呼び起こすこと   
   になる。

  ・為政者の功績が挙がらず、名声を博すことが出来ない理由には、独断専行・国家   
   経済の貧困・業務繁多の三つの影響因子がある。

 箴言③
  「為政者が治める民に望むもの、道心遵守と遵法精神。」
   具体的には以下の如きものである。すなわち、
  ⓐ国を治める基本として人民に求める道心遵守とは、
   ・男性には”邪行禁止の教導”、女性には”淫行禁止の説諭”、による良俗育成。
   ・大悪の基となる小悪を禁じ、公共の礼節の基となる個々人の礼節を重視し、大  
    義の基となる個々人の道義心を大切にし、公共の廉潔風俗の基となる個々人の

    清廉潔白さを重視し、大恥の基たる個々人の小恥を疎かにしないこと。
  ⓑ遵法精神を高めて人民を統御するために求められるものは、
   ・爵位、服装を厳格に規制し、朝廷の規律を厳格に維持して人民の尊敬を高め
    る。

   ・人民の労力活用を高めるため、俸禄と賞与を重視してその活用を図る。
   ・官職の適用を厳格化し、人民の能力活用促進する。
   ・人民の生命を支配する法の公平化を図り、刑罰の適用は慎重にして、無実の者    
    が出ないようにする。

  以上、人民に朝廷の爵位・官服が軽蔑され、俸禄・賞与が軽視され、君主の施政が  
  批判され、結果として反乱を起こすことは、国の滅亡を意味すると主張する。

[参考]
(語意)
  権修
  万乗の国:兵車一万台を保有する国力の国。古くは、諸侯の内の大国を言い、後に       
  天子のことを意味した。

  千乗の国:諸侯が対象となる。
     末産:国の基となる農業に対して、重要度が落ちる商工業の二次産業のこと。
 <管子、権修>
   「1萬乘之國,兵不可以無主。土地博大,野不可以無吏。百姓殷衆,官不可以無     
    長。操民之命,朝不可以無政。」

    萬乘の國,兵には以って主無かる可からず。土地博大なれば,野には以って     
    吏無かる可からず。百姓殷衆(いんしゅう)なれば,官には以って長無かる     
    可からず。民の命を操(と)れば、朝には以って政無かる可からず。

   「2地博而國貧者,野不辟也,民衆而兵弱者,民無取(恥)也。故末産不禁,則     
    野不辟。賞罰不信,則民無取。野不辟,民無取,外不可以應敵,内不可以固     
    守,故曰有萬乘之號,而無千乘之用,而求權之無輕,不可得也。」

    地博くして而も國貧しきは、野辟けざればなり。民衆(おお)くして而も兵    
    弱きは、民に恥無ければなり。故に末産(まつさん)禁ぜざれば、則ち野は     
    辟(ひら)けず、賞罰が信ならざれば,則ち民に恥無し。野は辟けず、民に     
    恥無ければ、外は以って敵に応ず可からず、内は以って固く守る可からず。     
    故に曰く、萬乘の號有れども千乘の用無く、而して權の輕きこと無きを求め     
    るも、得可(うべ)からざるなり。

   「4欲為天下者,必重用其國,欲為其國者,必重用其民,欲為其民者,必重盡其     
    民力。無以畜之,則往而不可止也。無以牧之,則處而不可使也。遠人至而不     
    去,則有以畜之也。民衆而可一,則有以牧之也。」

    天下を為(おさ)めんと欲する者は、必ず其の国を用いることを重(はばか)     
    り、其の国を為めんと欲する者は、必ず其の民を用いることを重り、其の民     
    を為めんと欲する者は、必ず其の民力を尽くすことを重る。以て之を畜(や     
    しな)うこと無ければ、則ち往くとも而も止まる可からざるなり。以て之を

    牧すること無ければ、則ち處(お)るとも而も使う可からざるなり。遠人至     
    りて而も去らざるは、則ち以て之を畜うこと有ればなり。民衆くして而も一     
    にす可きは、則ち以て之を牧すること有ればなり。

   「5・・・厚愛利,足以親之。明智禮,足以教之。上身服以先之。審度量以閑之。郷     
    置師以説道之,然後申之以憲令,勸之以慶賞,振之以刑罰,故百姓皆説為善,     
    則暴亂之行無由至矣。」

     ・・・愛利を厚くするは、以て之を親しむに足り、智禮を明かにするは、以て之     
    を教えるに足る。上が身服して以て之に先だち、度量を審らかにして以て之      
    を閑(ふせ)ぎ、郷に師を置きて以て之を道(みちび)き、然る後に之に     
    申(かさ)ねるに憲令を以てし、之を勸(すす)めるに慶賞を以てし、之を     
    振(おど)すに刑罰を以てす。故に百姓は皆説(よろこ)びて善を為し、則     
    ち暴亂の行い、由りて至る無し。

   「6・・・取於民有度,用之有止,國雖小必安;取於民無度,用之不止,國雖大必
    危。」

    ・・・民に取ること度有り、之を用いること止まり有れば、国は小なりと雖も必     
    ず安し。民に取ること度無く、之を用いること止まらざれば、国は大なりと     
    雖も必ず危うし。

   「7地之不辟者,非吾地也。民之不牧者,非吾民也。凡牧民者。以其所積者食之。     
    不可不審也。・・・故曰、察能授官,班祿賜予,使民之機也。」

    地の辟(ひら)けざる者は、吾が地に非ざるなり。民の牧せられざる者は、     
    吾が民に非ざるなり。凡そ民を牧する者は、其の積む所の者を以て之を食(や     
    しな)う。審(つまびら)かにせざる可からざるなり。・・・故に曰く、「能を     
    察して官を授け、祿を班(わか)ちて賜予(しよ)するは、民を使うの機な     
    り」と。

   「8野與市爭民。家與府爭貨,金與粟爭貴,郷與朝爭治;故野不積草,農事先也;
    府不積貨,藏於民也;市不成肆,家用足也;朝不合衆,郷分治也。故野不積
    草,府不積貨,市不成肆。朝不合衆,治之至也。人情不二,故民情可得而御
    也。審其所好惡,則其長短可知也;觀其交游,則其賢不肖可察也;二者不失,
    則民能可得而官也。」

    野と市と民を争い、家と府と貨を争い、金と粟(ぞく)と貴を争い、郷と朝     
    と治を争う。故に野に草を積まざるは、農事を先んじればなり。府に貨を積     
    まざるは、民に蔵すればなり。市に肆を成さざるは、家用足ればなり。朝に     
    衆を合わせざるは、郷と治を分てばなり。故に野に草お積まず、府に貨を積     
    まず、市に肆を成さず、。朝に衆を合わせざるは、治の至りなり。人情は二     
    ならず。故に民情は得て御す可きなり。其の好惡する所を審らかにすれば、     
    則ち其の長短知るべきなり。其の交游を観れば、則ち其の賢・不肖を察す可     
    きなり。二つの者失わざれば、則ち民能を得て官す可きなり。

   「9地之守在城,城之守在兵,兵之守在人,人之守在粟;故地不辟,則城不
    固。・・・上不好本事,則末産不禁;末産不禁,則民緩於時事而輕地利;輕地利,
    而求田野之辟,倉廩之實,不可得也。」

    地の守りは城に存り。城の守りは兵に在り。兵の守りは人に在り。人の守り     
    は粟に在り。故に地が辟(ひら)けざれば、則ち城は固からず。・・・上(かみ)

    が本事(ほんじ)を好まざれば、則ち末産(まつさん)禁ぜず。末産禁ぜざ     
    れば、則ち民は時事を緩くして地利を輕んず。地利を輕んじて、而も田野の     
    辟(ひら)け、倉廩(そうりん)の實つるを求むるも、得可(うべ)からざ     
    るなり。

   「10商賈在朝,則貨財上流;婦言人事,則賞罰不信;男女無別,則民無廉恥;貨     
    財上流,賞罰不信,民無廉恥,而求百姓之安難,兵士之死節,不可得也。朝     
    廷不肅,貴賤不明,長幼不分,度量不審,衣服無等,上下凌節,而求百姓之     
    尊主政令,不可得也。上好軸謀閒欺,臣下賦斂競得,使民偸壹,則百姓疾怨,     
    而求下之親上,不可得也。有地不務本事,君國不能壹民,而求宗廟社稷之無     
    危,不可得也。上恃龜筮,好用巫醫,則鬼神驟祟;故功之不立,名之不章,     
    為之患者三:有獨王者、有貧賤者、有日不足者。」

    商賈(しょうこ)が朝に在れば、則ち貨財は上に流る。婦が人事を言えば、     
    則ち賞罰は信ならず。男女に別が無くば、則ち民に廉恥なし。貨財が上に流     
    れ、賞罰が信ならず、民に廉恥無く、而も百姓の難に安んじ、兵士の節に死     
    するを求むるも、得可からざるなり。朝廷肅(つつし)まず、貴賤は明かな     
    らず,長幼分(わか)たず、度量は審かならず、衣服は等無く、上下(しょ     
    うか)節を凌ぎて、而も百姓の政令を尊主(そんしゅ)するを求めるも、得     
    可からざるなり。上が詐謀(さぼう)を好みて閒欺(かんぎ)し、臣は賦斂     
    (ふれん)して得るを競い、民をして偸壹(とういつ)せしむれば、則ち百     
    姓は疾怨(しつえん)し、而も下の上に親しむを求むるも、得可からざるな     
    り。地を有(たも)つも本事を務めず、國に君たるも民を壹(いつ)にする     
    こと能わず。而も宗廟社稷の危きこと無いを求むるも、得可からざるなり。     
    上が龜筮(きぜい)を恃み、好みて巫醫(ふい)を用いれば、則ち鬼神が驟     
    驟(しばしば)祟る。故に功の立たざるは、名の章(あらわ)れざるは、之     
    が患いを者三あり。獨王なる者有り、貧賤なる者有り、日が足らざる者有り。

   「11一年之計,莫如樹穀;十年之計,莫如樹木;終身之計,莫如樹人。一樹一穫     
    者,穀也;一樹十穫者,木也;一樹百穫者,人也。我苟種之,如神用之,舉     
    事如神,唯王之門。」

    一年の計は、穀を樹(う)える如くは莫く、十年の計は,木を樹えるに如く     
    は莫く、終身の計は、人を樹(う)えるに如くは莫し。一たび樹えて一穫(い     
    っかく)者は、穀なり。一たび樹えて十穫する者は、木なり。一たび樹えて     
    百穫する者は、人なり。我苟(いやし)くも之を種(う)えれば、神の之を     
    用いるが如し。事を挙げること神の如きは、唯だ王の門のみ。

   「12凡牧民者,使士無邪行,女無淫事。士無邪行,教也。女無淫事,訓也。教訓     
    成俗,而刑罰省,數也。凡牧民者,欲民之正也;欲民之正,則微邪不可不禁     
    也;微邪者,大邪之所生也;微邪不禁,而求大邪之無傷國,不可得也。凡牧     
    民者,欲民之有禮也;欲民之有禮,則小禮不可不謹也;小禮不謹於國,而求     
    百姓之行大禮,不可得也。」

    凡そ民を牧する者は,士をして邪行無く、女をして淫事なから使む。士に邪     
    行無きは教なり。女に淫事無きは訓なり。教訓俗を成して、刑罰省かるるは、     
    數なり。凡そ民を牧する者は,民の正しきを欲するなり。民の正しきを欲す     
    れば、則ち微邪も禁ぜざる可からざるなり。微邪は、大邪の生じる所なり。     
    微邪を禁ぜずして、而も大邪の國を傷(やぶ)ることを求むるも、得可(う     
    べ)かざるなり。凡そ民を牧する者は,民の禮有るを欲するなり。民の禮有     
    るを欲すれば、則ち小禮も謹まざる可からざるなり。小禮が國に謹まれずし     
    て、而も百姓の大禮を行うことを求めるも、得可からざるなり。

   「13凡牧民者,欲民之有義也。欲民之有義,則小義不可不行。小義不行於國,而     
    求百姓之行大義,不可得也。凡牧民者,欲民之有廉也。欲民之有廉,則小廉     
    不可不修也。小廉不修於國,而求百姓之行大廉,不可得也。凡牧民者,欲民     
    之有恥也,欲民之有恥,則小恥不可不飾也。小恥不飾於國,而求百姓之行大     
    恥,不可得也。凡牧民者,欲民之修小禮、行小義、飾小廉、謹小恥、禁微邪、     
    此厲民之道也。民之修小禮、行小義、飾小廉、謹小恥、禁微邪、治之本也。

    凡そ民を牧する者は、民の義有るを欲するなり。民の義有るを欲すれば、則     
    ち小義も行わざる可からざるなり。小義が國に行われずして、而も百姓の大     
    義を行うことを求めるも、得可からざるなり。

           凡そ民を牧する者は、民の廉有るを欲するなり。民の廉有るを欲すれば、則     
    ち小廉も修めざる可からざるなり。小廉が國に修まらずして、而も百姓の大     
    廉を行うことを求めるも、得可からざるなり。

           凡そ民を牧する者は、民の恥有るを欲するなり。民の恥有るを欲すれば、則     
    ち小恥も飾まざる可からざるなり。小恥が國に飾まれずして、而も百姓の大     
    恥を行うことを求めるも、得可からざるなり。

    凡そ民を牧する者は、民の小禮を修め、小義を行い、小廉を飾み、小恥を謹     
    み、微邪を禁じることを欲す。此れが民を励ますの道なり。民の小禮を修め、     
    小義を行い、小廉を飾み、小恥を謹み、微邪を禁じるは、治の本なり。

   「14凡牧民者,欲民之可御也;欲民之可御,則法不可不重;法者,將立朝廷者也     
    將立朝廷者,則爵服不可不貴也;爵服加于不義,則民賤其爵服;民賤其爵服,     
    則人主不尊;人主不尊,則令不行矣。法者,將用民力者也;將用民力者,則     
    祿賞不可不重也;祿賞加于無功,則民輕其祿賞;民輕其祿賞,則上無以勸民。     
    上無以勸民,則令不行矣。法者,將用民能者也;將用民能者,則授官不可不     
    審也;授官不審,則民閒其治;民閒其治,則理不上通;理不上通,則下怨其     
    上;下怨其上,則令不行矣。法者,將用民之死命者也;用民之死命者,則刑     
    罰不可不審;刑罰不審,則有辟就;有辟就,則殺不辜而赦有罪;殺不辜而赦     
    有罪,則國不免於賊臣矣。故夫爵服賤、祿賞輕、民閒其治、賊臣首難,此謂     
    敗國之教也。」

    凡そ民を牧する者は、民の御す可きを欲するなり。民の御す可きを欲すれば、     
    則ち法は重んぜざる可からず。

           法は,將に朝廷を立てんとする者なり。將に朝廷を立てんとすれば、則ち爵     
    服(しゃくふく)は貴ばざる可からざるなり。爵服が不義に加ばれば、則ち     
    民は其の爵服を賎しむ。民が其の爵服を賎しめば、則ち人主は尊からず。人     
    主が尊からざれば、則ち令は行われず。

           法は,將に民力を用いんとする者なり。將に民力を用いんとすれば、則ち祿     
    賞は重んぜざる可からざるなり。祿賞が無功に加ばれば、則ち民は其の祿賞     
    を軽んず。民が其の祿賞を軽んずれば、則ち上は以て民を勸むる無し。上が     
    以て民を勸めること無ければ、則ち令は行われず。

           法は,將に民能を用いんとすれば、則ち官を授けること審らかにせざる可か     
    らざるなり。官を授けること審かにせざれば、則ち民は其の治を閒す。民が     
    其の治を閒すれば、則ち理は上通せず。理が上通せざれば、則ち下は其の上     
    を怨む。下が其の上を怨めば、則ち令は行われず。

           法は,將に民の死命を用いる者は、則ち刑罰は審かにせざる可からず。刑罰     
    が審かならざれば、則ち辟就(ひしゅう)有り。辟就が有れば、則ち不辜(ふ     
    こ)を殺して有罪を赦す。不辜を殺して有罪を赦せば、則ち國は賊臣より免     
    れず。故に夫の爵服賤しく、祿賞輕く、民は其の治を閒し、賊臣が難を首(は     
    じ)めるは、此を國を敗るの教と謂うなり。

[感想]                                                
 前記の「牧民の章」で記すべきであったが、牧と言う字の成り立ちを考えると、素直に受け入れられぬ問題がある。すなわち、「牧:牛+鞭で叩くの意」であり、この頃の施政者は牧畜と同じ意味で人民を統制しようとしたと言う点である。直訳すると、「牧民=牧+民→人民を鞭で叩いて統治する」となり、到底受け入れられぬ施政態度と云うことになるが、殷王朝時代の祭事に於ける蛮族捕虜の生け贄問題から続く人権無視の施政現象を考えると、牧の思想は可なり長く施政に於いて通用したものであったらしい。治人などの成語で用いられている治なる漢字が登場するのは、戦国時代後期で、「説文解字」や「秦系簡牘」に現れたのが最初とされている。
                                                                 (05.04.15)

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