論語を詠み解く

論語・大学・中庸・孟子を短歌形式で解説。小学・華厳論・童蒙訓・中論・申鑑を翻訳。令和に入って徳や氣の字の調査を開始。

[仁]の思想ⅩⅧ

2015-09-30 09:39:27 | 仁の思想

仁の思想-ⅩⅧ
Ⅶ.「仁」思想の総括
●理想の「仁」
 周公旦は<金騰之詞>の中で初めて「仁」と云う言葉を使い、孔子は徳目の第一に「仁」を取り挙げ、老子は無為自然を称えて「仁」は不要の物とし、墨子は相兼愛こそが理想の「仁」だと主張した。さらに子思が纏めたとされる<中庸>には、「仁者人也」とあり、人そのものが「仁」であり、人の人たる由縁は「仁」にあると説いている。更に朱子は「仁」は心の内にある理であり、それが情となって様々な形で外に現れてくると述べている。さて、本当のところ理想と呼べる「仁」の姿というものが有るのだろうか。
1.先人の主張
 まずもう一度初心に帰って<論語>・<孔子家語>に見る「仁」の思想を繙いてみよう。孔子は「仁」とは何かという点について幾つか触れている。すなわち、仁者愛人也(論語・顔淵)、温良者仁之本也(家語・儒行解)、行至則仁(家語・三恕)、剛毅木訥近仁(論語・子路)と云い、更に有益於仁、莫如恕(家語・顔回)と云っている。仁徳とは人を愛することであり、その本となるのが温良篤実な心根であり、非の打ち所のない行動が仁というものであり、剛毅木訥さは仁に近い態度であり、仁徳に有益なものは思い遣りの一言に尽きるとまで云っている。さらに仁徳を取り囲むものとして、土台となる慎み深さ、発露の大らかさ、働きとしての譲り合いの気持ち、顔となる礼節、粧飾となる心の籠もった言葉、調節役を務める歌楽、恵施となる分散などを挙げている。(家語・儒行解、慎敬者仁之地。寛裕者仁之作。遜接者仁之能。礼節者仁之貌。言談者仁之文。歌楽者仁之和。分散者仁之施。)上天・上帝信仰を土台とする周王朝の時代に生を受けた孔子にとっては、天命は絶対である。その実現のために考え出された基本となる徳目が「仁」であり、人を愛すること則ち共に信頼し合って平天下を築こうというのが孔子の狙いである。さてここで問題になるのが、孔子はその愛を及ぼす範囲をどう考えていたかと云うことである。<論語・子路>に、「父為子隠、子為父隠、直在其中矣。」なる一文があり、肉親の間では道理よりも情愛が優先すると説いている。ここに孔子の「仁」は、肉親愛→別愛とする見方が生まれてくる。人を愛するにも軽重があるとする。極めて現実的ではあるが、それで目的とする平天下が実現できるのかと疑問が湧いてくる。こうして見てくると、孔子の「仁」の思想は果たして理想と呼べるものなのだろうか?
 老子は元々「仁」なる思想を否定している。と云うよりも、無為自然の世の中では必要のない思想だと批判している。理想とみる古代には、「仁」などという思想は必要なかったし、また生まれる余地も無かったとしている。しかし現実には老子も、情け深いと云う意味で仁の字を使わざるを得ない処に、「仁」の思想の一筋縄ではいかぬ問題がある。
 孟子の「義」の思想展開は有名だが、「仁」についても多くの言葉を残している。「仁」とは愛情であり、孝養であり、天爵の天性であると云っているが、特に強調したいのは、<孟子・盡心>にある「仁也者人也。」則ち「仁とは人そのものを意味する」と云う言葉である。孔子から一世紀後の時代でも、<中庸>の「仁者人也」の思想がそのまま残っている。しかし孟子の「仁」には、孔子の「仁」を超えるような思想的発展は見られない。
 墨子が「仁」について触れている主なところは、孔子と同じように「仁、愛也。」と云っているほかに、「仁、體愛也。」、「兼愛則仁矣。」、「仁、愛己者。」などがあるが、その愛は兼相愛であって孔子の云う別愛とは違う点を強調している。あまねく平等に人を愛するというのである。是こそ理想の「仁」と云うべきではないのか?しかし墨子の思想は世に受け入れられなかった。世に受け入れられないものを、理想のものと云っていいのだろうか。理想は理想と云ってしまえばそれまでだが、もっと現実に沿った理想の「仁」があっても云いのではないのか!別愛を超えたそして兼相愛の思想を出来るだけ加味した現実味のある理想の「仁」は無いのだろうか?
 荘子は虎狼にも仁があると云う。すなわち、「虎狼仁也。父子相親、何為不仁。」と<荘子・天運篇>にある。気高い人の仁に比べると劣るにしろ、虎狼の親子の親しみ合う姿は仁そのものだと云う。人に与えられた天命の性である「仁」と云う概念から逸脱している嫌いはあるが、「理想の仁」を考える上で考慮しておくべき言葉と云えよう。
 <春秋左氏傳・僖公22年>に記された宋・楚の戦いを称して、<十八史略>に「宋襄之仁」という言葉が出てくる。すなわち、「宋公曰、君子不困人於阨。遂爲楚所敗。世笑以爲宋襄之仁。」と。思い遣りも度が過ぎると禍を招くと云う意味だが、単純には受け入れられないものがある。戦いという事態そのものを「仁」と絡めてどう見るかと云う問題は、そう簡単に回答を見つけ出せるものではない。
 韓愈の<原人>に「聖人一視而同仁、篤近而挙遠。」なる文がある。聖人は、全てのもの(夷狄禽獣も含めて全てに)に同じように仁徳を施し、近いものには手厚く、遠いものも見捨てないと云った意味だが、平等愛を謳いながら遠近(親族・他人・夷狄・禽獣)に差をつけている。この矛盾もまた「理想の仁」を語る上で見逃せない課題である。
2.バックグランド
 ①種の保存能
 人間を含めた生物(生命を持ち、細胞という単位からなり、継続する生命活動を行うもの)が生物として存在する限り、必ず子孫を残さねばならない。その為に細胞に含まれる遺伝子には、必ず子孫を残そうとするプログラムが存在する。そのプログラムを持たぬ生物は、すぐに淘汰される。厳しい自然選択の結果、特定の種のみが生き残って現在に至っている。幸いに人間もその範疇に残ることができ、人間もまた子孫を残すのに都合がいいように組み立てられている。そして人間の構造・行動・思考すべてが、この「種の保存」と云う目的のために講じられている。種の保存目的に叶えばその構造・行動・思考は受け入れられ、反すれば拒否される。譬え道徳に反する行為たとえば戦争であっても、自身が守られ自身の子孫を残すことに利ありとされるならば、それはその人にとっては正当な行為と見なされ、種の保存という理屈がまかり通ることになる。しかし広くしかも隔てなく愛することを「理想の仁」とする立場からすれば、この理屈を受け入れることは出来ない。人間を個として見るか集団として見るか、国の構成員はたまた地球の一員と見るかによってその理想とする「仁」の姿が違うと云うことになると、一口に「理想の仁」と云っても単純にはその姿をつかむことは難しい。
 ②脳の解析
 ポール・マクリーンの脳の三層構造説と云うのがある。脳は古い脳に新しい脳が付け加わる形で三層に進化したとされる。(これには異論もあり、脳の基本的な構成要素は同じで、各部の強調の度合いが違う形で多様化してきたとの説など)その三層とは則ち、
 1.最初に発生した爬虫類脳と云われる脳の器官で、生命維持の機能を持つ脳幹と大脳基底核からなる。種の保存能と云うよりも、自己保全の目的の方が強い性格を持つ。
 2.二番目に発生する旧哺乳類脳と云われる脳の器官で、個体の維持と種の保存の機能を持つ大脳辺縁系からなり、情動や防衛本能を担う脳器官で、記憶や学習能力に関連する海馬・感情の形成と処理や学習と記憶に関連する帯状回・情動反応の処理と記憶に関連する扁桃核から成る。生殖活動・集団行動・母性本能などの源泉となる部位である。
 3.最後に発生した新哺乳類脳と云われる脳の器官で、高次脳機能を持つ大脳新皮質
(右脳・左脳)からなり、言語機能・記憶力・学習能力・創造力・空間把握力を担う。出生後の環境刺激によって巨大な脳へと発達し、大脳辺縁系や脳幹、小脳などと協調して高次精神機能を発揮する。

 感情発生のメカニズムは次のようになる。すなわち、
  ・感情を刺激する外部ストレスに本能を掌る視床下部が反応。
  ・視床下部が受けたストレスを感情に変えるように扁桃核に合図。
  ・扁桃核が感情の種類・強度・脳内活性物質を決めてA10神経へ指示して感情を発生。
  ・前頭葉が反応して、感情の方向づけ・意味づけが行われる。
  ・脳内活性物質が自律神経により全身に感情を伝え、喜怒哀楽などの表情が現れる。
 爬虫類脳では生命維持(心拍、呼吸、血圧、体温などの調整)が基本で、縄張り争いなどの防衛反応が特徴的だが、「仁」の思想の入り込む余地は無い。旧哺乳類脳では情動反応に関連する扁桃核の役目が「仁」の思想に関係してくる。扁桃核に含まれる攻撃性に関与する機能が、男性優位の社会を築いたと云う点には注目する必要がある。新哺乳類脳では理性が直接「仁」の思想に関係してくる。
 性差について見てみよう。形態的には男の脳がやや大きく、しわの寄り方は女の脳が多く、左右の脳をつなぐ脳梁は女の方がやや太いと云った違いはあるが、基本的には大きな違いは認められない。脳神経の働き方は、男は脳の前後への結合が強く、女は左右への結合が強い。こう云った処から、
  男性の特徴:理論的・大脳辺縁系が不活発で感情を読み取ることが苦手・脳梁の働きがやや不活発で一極集中傾向を持つ・右扁桃核が活発で怒りに反応し易い・行動は自分本位(個別意識が強い)・記憶のベースは物と場所・言語中枢のある左脳だけを使う会話
  女性の特徴:感情的・大脳辺縁系が活発で感情を読み取る事に長けている・脳梁の働きが活発で複数同時進行に長けている・左扁桃核が活発で感情に反応し易い・行動は連帯尊重(共同意識が強い)・記憶のベースは人と感情・脳全体を使う会話
 男の「理想の仁」に対する思いと、女の「理想の仁」に対する思いとには、どうも違いがありそうだ。
  ③母系社会
 初期人類の生活は、男女平等なものであったらしい。その後の社会生活の様式変化については諸説あるが、古くからある「男→狩猟者」説よりも新しい「女→採集者」説が面白い。大昔から人々は野生植物を主食としており、その採集の主役は女であった。則ち女優位の社会である。その後定住を始めてストレス社会が出来上がり、男が物・富・権力を独占するようになって男社会が出来上がったという。それはさておき、現実的には仰韶文化(BC5000~Bc3000)・良渚文化(BC3500~BC2200)・紅山文化(BC4700~BC2900)に見られた母系社会は、生産力が向上し社会集団が大きくなった龍山文化(BC3000~BC2000)の頃には父系社会に転換する。当時の母系社会がどんなものだったか想像することは難しいが、その手掛かりになるのが四川省南部の辺境で暮らしている世界最後の母系社会と云われる人口約五万のモソ族の実態である。この母系大家族制度は、祖母が家庭の中心で一族の資産を管理し、行政も男が数人で後は全て女が取り仕切っている。女は自立し、いらぬ競争もせず、生涯助け合って暮らすことが出来、子供も全員で育てるので目も行き届き素直な子が育つという。犯罪はおろかケンカもない平和な暮らしを続けて、千五百年以上もの長い年月を過ごして来ている。争いのない理想の「仁」の社会とでも云うべきものである。いずれにしろ防衛的種の保存に沿った女性社会から攻撃的種の保存に転じた男性社会への移行は、果たして人間社会にとってプラスになったのだろうか?
 ④意識と無意識
 意識とは、今の自身の立場が解っている状態のことで、知識・感情・意志などのあらゆる働きが含まれている。意識全体としてみると、人間が日々コントロールできる(顕在)意識は全体の僅かなもので、表面に現れない(潜在)意識の占める割合が大部分だという。意識は次のように分けられる(ユング)。すなわち、
   ・顕在意識 → 意識 (外界の直接認知)

              前意識(意志による意識化可能領域)
   ・潜在意識 →
                無意識(非抑圧下で意識化可能領域)

 簡単に言えば、意識は考えること、前意識は思い出すこと、そして無意識は思ったり感じたりすることである。今は前意識を考える必要は無いだろう。
 さて意識はまず無意識の形成から始まるという。胎児の心の領域は無意識のみで、快を求めて不快を避ける「快楽原則」に支配された状態にある。理性的判断能力は無く、自己中心的で、自己の欲求に向かって突き進み、動物的種の保存に邁進し、生涯成長することのない本能領域のみである。この状態は新生児になるまで続く。新生児になると「現実原則」で無意識の欲求をコントロールする自我が無意識の壁を破って芽生え始め、感情と共に成長して三歳頃までに自我の良心が形作られる。乳幼児期まではコントロール役の自我がまだ無意識の中に埋もれているから、彼らは完全な無意識行動者で、意識に邪魔されることなく本音の思考と行動を繰り返す。この頃は”刻み込み”の時期でもあり、善し悪しの判断無く何でも無差別に刻み込まれて無意識領域が形成されていく。だから(自我)意識の未だ芽生えない完全無意識行動者(乳幼児)に対しての大人たちの責任は重い。”三つ子の魂百まで”という諺を肝に銘ずべきである。初期の反抗期が始まる四歳頃から、親の刷り込みによる道徳的良心を担う超自我が加わり、五・六歳頃までには自らを律する役目を自我と共に果たすようになる。無意識の領域では年を重ねるにつれて、初期の「快楽原則」に支配された状態から環境の影響による社会的記憶・知識を取り入れた状態に成長し、「現実原則」の加味された状態となる。無意識は本能欲求や、抑圧エネルギーの固まりで、本音だけで動こうとする性質を持ち、意識の仕事は動物的に働くこの無意識を、人間社会で通用するように監視・コントロールする保護者としての役目を持つ。無意識の中には、過去の見聞・思考・感情・言動・想像など多くの情報が刻まれている。「仁」の思想もこの中に蓄積され、意識となって世に現れることになる。「仁」の思想との関連に於いては、自我意識への影響を考えることは勿論、無意識への働きかけをどう見るかが重要になってくるだろう。
 ⑤仏教の仁
 大乗仏教の最も重要な経典の一つである「無量寿経」の漢訳本(三世紀の前魏頃)には、「仁愛兼済」・「仁慈博愛」・「崇徳興仁」の三つの仁字が見える。「仁愛兼済」は「仁愛兼ねて済う」と読み、深い慈しみや広い思い遣りの心を以て人に接し、民衆を救済すると云う意味である。次の「仁慈博愛」は「仁慈博く愛す」と読み、思いやりがあって情け深く博く人々を思い遣ると云う意味である。「崇徳興仁」は「徳を崇めて仁に興つ」と読み、道徳を尊重して仁徳を以て奮い立つと云う意味である。いずれも儒家の説く仁の意味で使われており、特に仏教独自の意味合いのものではない。原典の思い遣りとか慈しむと云った意味のものに仁の字を用いただけのようである。
3.理想の仁
 ①仁思想の発展
 人の脳は五億年掛けて、生命維持を掌る古脳(爬虫類脳+原始哺乳類脳)に環境変化に対応する新脳(新哺乳類脳)が加わって、巨大化するという方法で進化してきた。爬虫類脳時代には、種族保存の直接的行動に限られていた。(ワニだけは違って、初歩的な育児行動が加わる)そこには「仁」の思想など入り込む余地はない時期である。原始哺乳類脳が加わった初期には、進化に伴う違いはあるが本能的愛情行動が見られるようになる。理屈のない種族保存に立脚した行動である。この頃から愛の形が現れて、そろそろ「仁」の思想も登場できるようになる。<礼記>に見られる「犲獺之祭」や<朱子語類>に見られる「蜂蟻之義」などがこれに当たるのだろう。視床下部・扁桃体などの感情器官が発達してくると、そこに外部ストレスに対する感情が発生する。盲目的な肉親愛などが支配する時期である。その現れが「虎狼の仁」と云うことになる。そこでは自己犠牲を伴う愛情表現は無視される。新脳が加わると、理性を担う前頭葉が感情の方向付けをして、人間的高度な感情が発揮されるようになる。「至高の仁」が生まれ育つ環境がここに整うことになる。
 見方を変えて性差を考慮した発展の様相を見てみよう。人の脳の基本は、XX染色体からなる女の脳である。X染色体はY染色体に比べて非常に大きく、生命活動に必要な遺伝子を多く含むので、個および種の保存と云う命題に適応している。極論すれば人の人たる由縁は女にあり、男は人の進化を補助する手段に過ぎないと云うことになる。更に知性はX染色体上にある遺伝子に支配されていると云う仮説もあり、かかる面を考えると女性そのものが人本来の姿であり、攻撃的な感情を持つ男性は人の進化に寄与する反面、用い方によってはマイナスにもなると云うことである。現実的で地道な女性と理性的ではあるが暴走しがちな男性からなる人間社会に於いては、「理想の仁」の姿もどちら側に重きを置くかによって大きく違ってくる。答えを一つに絞り込むのは無理というのが現実的である。
 仁の字を含む成語を集めてみたが、ざっと見ても七十八ある。すなわち、
藹然仁者:残暴不仁:成仁取義:大仁大義:当仁不譲:發政施仁:法外施仁:奉揚仁風:婦人之仁:觀過知仁:積累仁:假仁假義:見仁見智:絶仁棄義:寛仁大度:麻木不仁:求仁得仁:仁槳義粟:仁人志士:仁心仁術:仁心仁聞:仁言利博:仁義道:仁義君子:仁者見仁:仁至義尽:色仁行違:殺身成仁:為富不仁:一視同仁:志士仁人:不仁不義:槌仁提義:蹈仁履義:含仁懐義:假仁假意:見智見仁:居仁由義:履仁蹈義:麻痺不仁:沐仁浴義:親仁善隣:求生害仁:取義成仁:仁民愛物:仁人君子:仁人義士:仁柔寡断:仁同一視:仁言利溥:仁義之兵:仁義之師:仁者能仁:深仁厚澤:施仁布:為仁不富:義浆仁粟:止戈興仁:智者見智:假仁縦敵:買売不成仁義在:謙恭仁厚:莫信直中直,須防人不仁:残忍不仁:施仁布恩:修仁行義:没仁没義:你不仁,我不義:至仁忘仁:至仁無親:仗義行仁:内仁外義:仁義道:仁義君子:仁人義士:以力仮仁:仁者無敵:仁者楽山
 熟語は四十六である。すなわち、
 仁愛:仁恩:仁誼:仁君:仁言:仁公:仁慈:仁者:仁者寿:仁寿:仁獣:仁術:仁心:仁人:仁瑞:仁声:仁聞:仁澤:仁風:仁徳:仁弟:仁果:仁厚:仁恵:仁兒:仁恕:仁兄:仁義:仁政:上仁:不仁:同仁:寛仁:杏仁:至仁:親仁:輔仁:里仁:成仁:果仁兒:核仁:麻仁:砂仁:松仁:桃仁:种仁
 合わせると百を超える数である。古人の「仁」に対する思い入れの深さに頭が下がる。
この成語の中で女性に関わりのあるものは、「婦人之仁」のたった一つである。出典は<史記·淮陰侯列傳>にある「項王喑噁叱,千人皆廢,然不能任屬賢將,此特匹夫之勇耳。項王見人,恭敬慈愛,言語嘔嘔,人有疾病,涕泣分食飲,至使人有功,當封爵者,印刓弊,忍不能予,此所謂婦人之仁也。」で、漢王を名乗った劉邦の問いかけに、韓信が項王を名乗った項羽の人物評をして答えたときの言葉である。項羽と云う人物は、分別なくただ血気にはやるだけで、しかも思慮の浅い女のような同情心を持ち、天下を治めるには不適格だと評している。後年慈悲深いとか、女の思い遣りと云った意味が加えられている。古くは、思慮が浅いとか、姑息だとか、どうでもいいような小さいことに気を使うとか、更には深みのない仁愛だとか、良い意味には使われなかったらしい。男の目線からの使い方である。
 前漢末の大儒、劉向が著した<列女傳・仁智>に、仁徳と知恵に優れた女性の記述がある。かかる女性は天の道に従い、正義に立ち返って安全を守り、ひたすら注意深く、気遣いを怠ることなく、事前に物事の難易を見抜く事が出来るので、危険から身を守ることが出来るとし、例えば「事理に明るく、仁智に長けた衛の霊公夫人や齊の霊公夫人」などの足跡を伝えている。ここの仁智は、洞察力や認知能力のベースとなるものとして語られているが、仁→愛・慈・親と云った意味合いは薄い。いずれにしろ男の目線による女の評価という点で目新しいものではない。
 
 ②仁思想の将来像
  大昔、人々の暮らしは男女平等と云うよりもむしろ女性がリードする社会であったという。採集者である女性が、種族保存の基本である食料収集の主役であり、また生殖の中心にあってその優位性を発揮したのだろう。感情に反応し易く、共同意識が強く、会話という情報能力に長けた脳構造を持つ女性の方が、種の保存に則した社会を築くのに適していたのだろう。自己犠牲が伴う母性愛を示す女性には、平和な社会を築く為の能力が本能的に備わっており、基本的に人として為すべき正しい道を心得ていた事になる。己が自覚しなくともまた形はどうであれ、また表に現れなくとも「仁」の思想を生まれながらに女性は持っていたことになる。その後人々が移動先で定住しまたその群れが大きくなるとストレス社会が発生し、攻撃的で個別意識が強い上に口下手な男性社会が世の主導権を握って、それまでの女性社会に取って代わる。縄張り争いなど自己主張の世が続く。そこには人の道を語る雰囲気は生まれてこず、「仁」の思想も登場することはなかったろう。時は流れ、生け贄文化を持つ殷王朝(前17世紀頃~)の時代になっても、譬え夷狄にしろ人を人とも思わぬ世では「仁」の思想は育つ筈がない。
 次の周王朝(前11世紀頃~)の時代に移って、やっと封建制を標榜する国家体制が整いだす。その影には上天信仰が色濃く影響を及ぼし、自ら上天の子則ち天子を名乗る周王の姿がある。親たる上天は絶対的な存在で、その命(天が人に与えた正理すなわち人が行うべき正しい道筋)に従うことが周に課せられた使命であった。怠れば滅亡の危機に瀕するのだから、その為の策を常に講じなければならない。各地の異部族を支配するに当たって、その地位を保証する契約が極めて重要になってくる。册命儀礼による封建制の体制維持である。そこに「礼学」の基礎を作った周公旦が登場する重要な意義がある。同時に、政治に倫理性が強く求められるようになり、「徳」の思想が重要性を帯びてくる。この徳の思想は前10世紀頃からぼつぼつ登場してくる。周公旦から遅れること500年ほど後に、「仁」の思想を徳目の第一位に掲げた孔子がいよいよ登場する。彼は「仁者人愛」と云い、許慎は「仁親也」と云い、鄭玄は「仁者人也。人也,読如相人偶之人,以人意相存問之言。”」と解説している。人々が親愛の心を持って相接することが仁の姿と云うことになる。一言で言えば、「相手の嫌がることをしない」とでも云おうか。
 かくすれば世に平和がもたらされる筈なのに、いくら孔子が唱えても戦さは収まらず、世の平天下は実現することなく時は経つばかり。100年後孟子が現れて四端の説を唱えて「仁」の思想を補強するが、事情は変わらない。世に平和をもたらす「理想の仁」と云うものがあるのだろうか?攻撃的脳を持つ男性社会では、根本的に無理な話なのだろう。昔の女性社会に戻れとは云わぬが、今の環境に則した女性社会を打ち立てることが「理想の仁」に近づく手っとり早い策となるのではなかろうか。「婦人之仁」を基本にして、男性社会の「発展の仁」を加味した構造である。則ち「時に応じ節度を守って己の本能を押さえる」ことが「理想の仁」に近づく正道であろう。更に考えておかねばならないのは、教化・教育のことである。こちらがいくら仁の心を持って接しても、相手が同じ心を持ち合わさなければ気持ちは空回りするだけ。特に人種が違い、国が違えば「人の道」の捕らえ方も違うだろう。「人の道」の認識に違いがあれば、心は通じない。先ず同じ土台作りが必要だし、その為の全世界的な取り組みが重要である。時は掛かろうとも未来の為の努力をしなければならない。各国もその為の教育に力を注ぐべきである。甲骨文字の育は,女が子供を産む様子を表している。人の出発点はやはり女性の活躍に期待しなければならない。幼児教育は母親が主役であることは当然だし、無意識領域への刷り込みの役目も母親が負わねばならない。統一された基本的な「人の道」を教え込むのも母親の務めである。こうして基本的「人の道」が確りと幼児に植え付けられた後に理性の補強が為されれば、現実的な「理想の仁」を生み出す事につながるに違いない。
 (参考資料)
 1.漢籍
   <山海経>・<老子道徳教>・<論語>・<孔子家語>・<易教>・<大学>・ 
    <中庸>・<礼記>・<尚書>・<詩経>・<大戴礼記>・<周礼>・<儀礼>・
      <墨子>・<春秋左傳>・<墨子>・<孟子>・<小学>・<荘子>・<荀子>・
      <列子>・<孝経>・<史記>・<淮南子>

 2.解説
   「古代中国の宇宙論」:浅野祐一   「中国古代の文化」:白川静
   「古代殷王朝の謎」 :伊藤道治   「古代中国の虚像と実像」:落合淳思
   「殷」             :落合淳思   「大乗起信論」:宇井伯寿・高崎直道
   「脳の進化学」   :田中富久子  「古代中国・天命と青銅器」:小南一郎
   「朱子学と陽明学」 :島田虔次   「中華文明の誕生」:NHK取材班
   「発達心理学」   :山下富美代  「ポケット論語」:山田勝美
   「古代中国の文明観」:浅野祐一   「中国二千年の呪縛」:黄文雄
   「墨子」      :藪内清    「春秋学」:野間文夫
   「原人論」     :鎌田茂雄   「ブッダ・心理の言葉」:佐々木閑
   「般若心経」    :佐々木閑   「漢字文化の源流を探る」:水上静夫
   「儒教とは何か」  :加地伸行
   「諸子百家」    :湯浅邦弘   「和歌論語」:見尾勝馬
 3.解字
   「説文解字」    :許慎     「字源字形」・「象形字典」:Internet
   「甲骨金文辞典」  :水上静夫   「古代文字字典」:城南山人
   「殷墟文字類篇」  :商承祚    「甲骨文字小辞典」:落合淳思
      「甲骨文合集」   :郭沫若主编  「総合篆書大字典」:綿引滔天
   「石鼓文」・「中山王鼎銘文」
    以下二玄社刊行
   「書芸術全集」・「書道全集」・「中国書道全集」・「簡牘名蹟選」・「中国法書選集」
                         完(27/09/30)

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