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論語を詠み解く

論語・大学・中庸・孟子を短歌形式で解説。小学・華厳論・童蒙訓・中論・申鑑を翻訳。令和に入って徳や氣の字の調査を開始。

申鑒-俗嫌(世俗の悪習を嫌う)①

2019-10-01 08:53:00 | 仁の思想

申鑒-俗嫌(世俗の悪習を嫌う)①
1 或問卜筮。曰:「德斯益,否斯損。」曰:「何謂也、吉而濟,凶而救之謂益;吉而恃,凶而怠之謂損。」
[書き下し文]  
或るひと卜筮(ぼくぜい)を問う。曰く、「徳(よし)は斯れ益なるや、否は斯れ損なるや」と。曰く、「何の謂いぞや?、吉にして濟(な)し、凶にして之れを救(ただ)せば益と謂い;吉にして恃み、凶にして之れを怠れば損と謂う」と。
[訳文]
 ・或る人が占いについて問うてきた。云うには、「結果が善しと出れば益があり、拒まれれば損すると云うことになるのか?」と。そこで答えるには、「解りきったことを聞くね。一体何を知りたいんだね?吉と出たことを素直に受け入れて行いを慎み、凶と出ても反省して行いを正せば有益なものとなるし、吉だからと喜んで何の努力もせず現状に甘んじたり、凶と出たのにそのまま行いを正さなければそれこそ損すると云うことになるのだ」と。
[参考]
 ・<禮記、曲禮上>
     「74外事以剛日,內事以柔日。凡卜筮日:旬之外曰遠某日,旬之內曰近某日。喪事先遠日,吉事先近
          日。曰:「為日,假爾泰龜有常,假爾泰筮有常。」卜筮不過三,卜筮不相襲。龜為卜,策為筮,卜筮
          者,先聖王之所以使民信時日、敬鬼神、畏法令也;所以使民決嫌疑、定猶與也。・・・」」
2 或問曰時群忌。曰:「此天地之數也,非吉凶所生也。東方主生,死者不鮮;西方主殺,生者不寡;南方火也,居之不燋;北方水也,蹈之不沈。故甲子昧爽,殷滅周興;咸陽之地,秦亡漢隆。」
[書き下し文]
 ・或るひと時の群(かずかず)の忌(ものいみ)について問いて曰く。曰く、「此れ天地の数なり、吉凶は生む所に非ず。東方は生かす事を主(つかさど)るが、死なる者も鮮(すく)なからず;西方は殺す事を主るが、生なる者も寡(すく)なからず;南方は火なるが、居るも之れ燋(こ)げず;北方は水なるが、蹈むも之れ沈まず。故に甲子(かっし)の昧爽(まいそう)に、殷は滅び周は興り、咸陽の地に、秦は亡び漢は隆(さか)ゆ」と。
[訳文]
 ・或る人が時節の色々な物忌み事について質問してきた。答えるには、「物忌み事は上天の法則や大地の法則に則るもので、吉凶が生まれると云った事とは関係ない。例えば方位と云った事について云えば、東の方角は物を生み出す事に関係するが、死に関連する事も少なくないし、西の方角は命を絶つ事に関係するが、生に関する事も少なくないし、南の方角は火の様な灼熱の性質を持つが、その場に居ても燃え尽きる訳でもないし、北の方角は水の様な流体の性質を持つが、その場に居ても沈んで仕舞う訳でもない。と云う訳で同じ甲子(きのえね)の日の未明に、牧野の戦で殷王朝は滅んで周王朝が勃興しているし、同じ咸陽の地で秦王朝は亡び漢王朝が栄えたのである」と。
[参考]
 ・天数:天帝の道(法則)。 ・地数:大地の法則。
 ・<周易、繫辭上>
    「9天一地二,天三地四,天五地六,天七地八,天九地十。天數五,地數五,五位相得而各有合。天
           數二十有五,地數三十,凡天地之數,五十有五,此所以成變化,而行鬼神也。・・・」
 ・<尚書、周書、洪範>
    「3一、五行:一曰水,二曰火,三曰木,四曰金,五曰土。水曰潤下,火曰炎上,木曰曲直,金曰從
           革,土爰稼穡。潤下作鹹,炎上作苦,曲直作酸,從革作辛,稼穡作甘。」
 ・五行概念:
    五行:   木   火   土    金   水
    五方:   東   南  中 央   西   北
    五時:  春(生) 夏  土 用  秋(死) 冬
    五常:   仁   禮  (信)   義   智
    八卦:  雷・風  火  山・地  天・沢  水
 ・<尚書、周書、牧誓>
    「1時甲子昧爽,王朝至于商郊牧野,乃誓。・・・」
 ・<史記、殷本紀>
    「33・・・周武王於是遂率諸侯伐紂。紂亦發兵距之牧野。甲子日,紂兵敗。紂走入,登鹿臺,衣其寶
             玉衣,赴火而死。周武王遂斬紂頭,縣之[大]白旗。・・・」
3 或問五三之位周應也,蘢虎之會晉祥也。曰:「官府設陳,富貴者值之。布衣寓焉,不符其爵也。獄犴若居,有罪者觸之。貞良入焉,不受其罰也。」或曰:「然則日月可廢歟?」曰:「否。曰元辰,先王所用也,人承天地,故動靜焉順焉。順其陰陽,順其日辰,順其度數。內有順實,外有順文,文實順理也,休徵之符,自然應也。故盜泉朝歌,孔、墨不由,惡其名者,順其心也。苟無其實,徼福於忌,斯成難也。」
[書き下し文]
 ・或るひと五三の位(ほうい)に周が応えし事、蘢虎(ろうこ)の會(であい)に晋が祥(さいわ)いせし事を問う。曰く、「官府は陳(ならび)を設け、富貴の者は之を値(ねうち)とす。布衣(ふい)は焉(これ)に寓(よ)るも,其の爵を符(わりふ)られず。獄犴(ごくかん)に若し居りて、罪有る者は之れに觸れる。貞良に入(かかわ)れば、其の罰を受けず」と。或るひと曰く、「然らば則ち日月は廃すべきか?」と。曰く、「否。曰く元辰は先王の用いる所なり、人は天地に承け、故に動静は焉(こ)れ順(したが)わん。順うは其れ陰陽、順うは其れ日辰、順うは其れ度数なり。内には實(なか)みに順うこと有り、外には文(あや)に順うこと有りて、文と実は順(しだい)と理(ことわり)なり、休徵の符は、自然の應(こたえ)なり。故に盗泉(とうせん)・朝歌(ちょうか)に、孔・墨は由らず、其の名を悪むに、順うは其れ心なり。苟且にも其れ実無く、忌まわしきものに福を徼(もと)めるは、斯れ成り難きことなり」と。
[訳文]
 ・或る人が天体の三辰・五星の方位に反応して周王朝が建国されたという故事や、二十八宿の東方青龍と西方白虎の二房宿の会合に晋国が吉兆を感じたという故事について問うてきた。答えるには、「朝廷が序列を設ければ、それを富貴の階級は歓迎する。庶民はこれに期待するが、爵位は与えられない。それは牢獄に居る罪人にとっても同じ事である。忠正誠信を保てば、その限りではない。と云う様にそれぞれの立場によって星占いの受け取り方は変わってくるものなのだ」と。或る人が更に尋ねる、「それならば、占星術などは必要ないのか?」と。答えるには、「否否そうじゃない。吉日を占う行事は昔の帝王が能く行ったと云われており、人は上天や大地に影響を受けているのだから、その動静に影響を受けるのは当たり前のことである。従う対象となるのは陰陽の動向であり、日月星辰の動向であり、起こる回数などである。内面的には本質の動向(實)に従い、外面的には形式(文)を重んじる、文とは外に現れる形であり、實とは物事の道理のことであり、吉祥の徴候は自然の応答なのである。そういう訳で、孔子は盗泉と云う名の泉の水を飲むことを止めたし、墨子は暴君の紂王の酒池肉林が行われた殷の都の朝歌を嫌って避けて通ったが、何れも其の名を嫌ったが為であり、その行為は本質を見透した上でのものだったのである。一時の間に合わせにしろ実質の伴わない、忌まわしいものに幸運を求めるのは、有っては為らないことである」と。
[参考]
 ・五三:五星(木・火・土・金・水)三辰(日・月・北斗星)。
 ・二十八宿:中国の天文学・占星術で用いられた、天球を二十八の区域(星宿)に分割したもの。区分の基
                準となった天の赤道付近の二十八の星座(星官・天官)の事。
 ・蘢虎:方位の四神(蒼龍・白虎・朱雀・玄武)の内の蒼龍・白虎の二つ。
 ・<春秋元命包>
    「殷時五星聚於房,房者蒼神之精,周據而興。」
 ・<春秋左傳、僖公五年>
    「2僖公五年 ・・・八月,甲午,晉侯圍上陽問於卜偃曰,吾其濟乎,對曰,克之,公曰,何時,對曰,
           童謠云,丙之晨,龍尾伏辰,均服振振,取虢之旂,鶉之賁賁,天策焞焞,火中成軍,虢公其奔,
           其九月十月之交乎。丙子旦,日在尾,月在策,鶉火中,必是時也。冬,十二月,丙子朔,晉滅
           虢。・・・」
 ・卜偃:春秋時代の晋の献公に仕えた大夫で、卜官でもあった。
 ・盗泉:中国の山東省泗水県にあった泉の名。孔子がその名を忌み、飲まなかったという故事によって知
           られている。→渴不飲盜泉水(猛虎行)
 ・朝歌:殷の晩期の首都・衛の首都など諸説あるが、紂王の時の離宮別館があった地方の大都市とも云
          われる。殷の紂王が都とした地で、県城の西に糟丘および酒池肉林があった。紂王が自害した鹿
          台は城内にある。県内に賊徒の集まる黒山がある。
 ・<論衡、問孔>
    「65孔子不飲盜泉之水,曾子不入勝母之閭,避惡去汙,不以義,恥辱名也。盜泉、勝母有空名,而
             孔、曾恥之;佛肸有惡實,而子欲往。不飲盜泉是,則欲對佛肸非矣。「不義而富且貴,於我如
             浮雲。」枉道食篡畔之祿,所謂浮雲者,非也。」
 ・<淮南子、說山訓>
    「15墨子非樂,不入朝歌之邑;曾子立廉,不飲盜泉;所謂養志者也。紂為象箸而箕子唏,魯以偶人
             葬而孔子歎。故聖人見霜而知冰。」
4 或曰:「祈請者誠以接神,自然應也。故精以底之,犧牲玉帛,以昭祈請,吉朔以通之。禮云禮云,玉帛云乎哉?請云祈云,酒膳云乎哉?非其禮則或愆,非其請則不應。」
[書き下し文]
 ・或るひと曰く、「祈請なるは誠に以て神に接し、自然に応えるものなり。故に精(こころ)をつくして以て之れに底(いた)るに、犠牲玉帛(ぎせいぎょくはく)は,昭を以て祈請し、吉朔は以て之れを通(のべ)る。禮と云い禮と云うも、玉帛を言わんや?請と云い祈と云うも、酒膳を言わんや?其れは禮に非ず則ち或いは愆(あやま)ちにして、其れは請に非ず則ち応えず」と。
[訳文]
 ・或る人が語るには、「神に祈ると云う行為は真摯に神に接し、素直に神の意志を受け入れることである。そこで真心を尽くしてそう言う状態を実現するには、神に捧げる生け贄や宝石・絹織物などには、余計なものは加えずに信を尽くして祈願し、月初めの目出度い日にはこの清い心を以て接するのである。禮を尽くすのだと云っても、玉や絹布を奉納すれば良いと云ったものではあるまい?真心を持って祈願せよと云っても、お酒や豪華な料理を供えれば良いと云ったものでもあるまい?そんなことは神に接する禮義には当たらないし、反って禮義に悖ることにもなり、それは祈願でも何でもないのである」と。
[参考]
 ・<春秋左傳、莊公十年>
    「2十年,春,・・・犧牲玉帛,弗敢加也,必以信,・・・」
 ・<論語、陽貨>
    「11子曰:「禮云禮云,玉帛云乎哉?樂云樂云,鐘鼓云乎哉?」」
5 或問祈請可否。曰:「氣物應感則可,性命自然則否。」
[書き下し文]
 ・或るひと祈請の可否を問う。曰く、「氣物や應感については則ち可、性命や自然については則ち否」と。 [訳文]
 ・或る人が神仏に祈って加護を願うことの是非について尋ねた。答えるには、「運気や心の働きについては祈願しても構わないが、天命や自然の摂理については祈願することは出来ない」と。
6或問:「避疾厄,有諸?」曰,「夫疾厄,何為者也?非身則神、身不可避,神不可逃。可避非身,可逃非神也。持身隨天,萬里不逸。譬諸孺子掩目巨夫之掖,而曰逃可乎?」
[書き下し文]
 ・或るひとが問う、「疾厄を避けるは、諸れ有りや?」と。曰く、「夫れ疾厄とは、何ん為るものぞや?身は則ち神に非ざれば、身は避けるべからず、神は逃げさすべからず。避けるべきは身に非ず、逃げさすべきは神に非ざるなり。身を持して天に随い、萬里不逸(に)げず。諸れを譬えれば孺子が巨夫の掖(わきがかえ)に目を掩(おお)い、而して曰(さて)逃げるは可なりや?」と。
[訳文]
 ・或る人が尋ねるには、「病気の苦しみから逃れることは出来るだろうか?」と。答えるには、「病気の苦しみとは何を意味するのか?人間の肉体は神とは違うのだから、肉体は苦しみを避けることは出来ないし、神でも避けさせることは出来ない。避けるべきは肉体では無いし、逃げさせるのは神ではない。心得るべき事は、肉体を大事にして天命に従い、強い意志を持って避けることも逃げることもしないことだ。譬えれば、童子が大男の脇に抱えられて怖くて目を瞑ってしまったら、逃げることなど出来ない様に、浅はかな考えなど抱かぬ事だ」と。
[参考]
 ・<三國志、魏書二十一、王粲傳>
    「7・・・琳諫進曰:「易稱『即鹿無虞』。諺有『掩目捕雀』。夫微物尚不可欺以得志,況國之大事,其可
              以詐立乎?・・・」
7 或問人形有相。曰:「蓋有之焉。夫神氣、形容之相包也,自然矣。貳之於行,參之於時,相成也,亦參相敗也。其數眾矣,其變多矣,亦有上中下品云爾。」
[書き下し文]
 ・或るひと人形(ひとかた)に相有りやと問う。曰く、「蓋し之れ有らん。夫れ神気と形容は相(とも)に包(くく)るが、自然なり。貳に之れ行に、参に之れ時に、相に成るなり、亦た参に相に敗れるなり。其の数は眾く、其の変はも多く、亦た上中下の品を有するとしかいう」と。
[訳文]
 ・或る人が、人に人相が有る様に人形にも人形相と云ったものが有るのかと尋ねてくる。答えるには、「確かに有る。そもそも不思議な霊気とその姿形は一体のもので、それが自然の姿である。その振る舞いや普段の状態では一体のものではあるが、時によっては分離してしまうこともある。人形相の種類は多く、その変化も多様であり、上中下の品格を持つのも事実である」と。
[参考]
 ・人形(ひとかた):人の形をした宗教的行事(お祓いの時)に用いられたもの。尸・形代などとも云う。
 ・人形(にんぎょう):「ひとかた」として用いられていたものが、中世以降に観賞用として発達したもの。木
                          偶・偶人などとも云う。
 ・<史記、殷本紀>
    「28帝武乙無道,為偶人,謂之天神。與之博,令人為行。天神不勝,乃僇辱之。為革囊,盛血,卬而
             射之,命曰「射天」。武乙獵於河渭之閒,暴雷,武乙震死。子帝太丁立。帝太丁崩,子帝乙立。
             帝乙立,殷益衰。」
 ・<周禮、夏官司馬>
    「101節服氏:掌祭祀、朝覲,袞冕六人,維王之太常。諸侯則四人,其服亦如之。郊祀,裘冕二人,
             執戈,送逆尸,從車。」
 ・<呂氏春秋、季秋紀、順民>
    「2昔者湯克夏而正天下,天大旱,五年不收,湯乃以身禱於桑林,曰:「余一人有罪,無及萬夫。萬
           夫有罪,在余一人。無以一人之不敏,使上帝鬼神傷民之命。」於是翦其髮,𨟖其手,以身為犧
           牲,用祈福於上帝,民乃甚說,雨乃大至。則湯達乎鬼神之化,人事之傳也。」
 ・<春秋左傳、僖公二十一年>
    「2・・・夏,大旱,公欲焚巫尪,臧文仲曰,非旱備也,脩城郭,貶食省用,務穡勸分,此其務也,巫尪
            何為,天欲殺之,則如勿生。若能為旱,焚之滋甚,公從之,是歲也,饑而不害。」
 ・<列子、湯問>
    「13・・・偃師謁見王。王薦之曰:「若與偕來者何人邪?」對曰:「臣之所造能倡者。」穆王驚視之,趣
            步俯仰,信人也。巧夫,顉其頤,則歌合律;捧其手,則舞應節。千變萬化,惟意所適。王以為實
            人也。與盛姬內御並觀之。技將終,倡者瞬其目而招王之左右侍妾。王大怒,立欲誅偃師。偃師
            大懾,立剖散倡者以示王,皆傅會革、木、膠、漆、白、黑、丹、青之所為。王諦料之,內則肝、
            膽、心、肺、脾、腎、腸、胃,外則筋骨、支節、、皮毛、齒髮,皆假物也,而无不畢具者。合會復
            如初見。王試廢其心,則口不能言;廢其肝,則目不能視;廢其腎,則足不能步。・・・」
8 或問神僊之術。曰:「誕哉!末之也已矣。聖人弗學,非惡生也。終始運也,短長數也。運數力之為也。」曰:「亦有僊人乎?」曰:「僬僥桂莽,產乎異俗,就有仙人,亦殊類矣。」
[書き下し文]
 ・或るひとが神僊の術を問う。曰く、「誕(いつわり)かな!之れ末(な)きのみ。聖人は学ばざるに、悪生に非ざるなり。終始運(さだめ)なり、短長も数(さだめ)なり。運数は人力の為すことに非ざるなり」と。曰く、「亦た僊人(せんにん)有りや」と。曰く、「僬僥(しょうぎょう)桂莽(けいもう?)は、異俗に産(う)まれ、就(な)す有る仙人は、亦た殊類(しゅるい)なるかな」と。
[訳文]
 ・或る人が、仙人の仙術について尋ねる。答えるには、「仙術というものはまやかしものである!有ってはならないものである。聖人は特に教わる訳でもないのに、正しい生き方をする。人の一生は一貫して定められたものであり、死も生も定められたものである。この定めというものは人力ではどうすることも出来ないものである。」と。また尋ねる、「そうは云っても仙人は存在するのだろう!」と。答えるには、「小人國に住む僬僥人や桂莽(?)らは、異なった環境の下に生まれた者だが、生まれながらの仙人という者は、やはり特別な存在である」と。
[参考]
 ・<山海經、海外南經>
    「21周饒國在其東,其為人短小,冠帶。一曰焦僥國在三首東。」
 ・<山海經、大荒南經>
    「20有小人,名曰焦僥之國,幾姓,嘉穀是食。 」
 ・<列子、湯問>
    「2從中州以東四十萬里,得僬僥國。人長一尺五寸。東北極有人名曰諍人,長九寸。」
9 或問:「有數百歲人乎?」曰:「力稱烏獲,捷言羌・亥,勇期賁・育,聖云仲尼,壽稱彭祖,物有俊傑,不可誣也。」
[書き下し文]
 ・或るひとが問うに、「数百歳の人有りや?」と。曰く、「力は烏獲(うかく)を称(たた)え、捷(はや)きは羌(きょう?)、亥(がい)を言い、勇(おお)しきは賁(ふん)、育(いく)を期(き)し、聖(ひじり)は仲尼を云い、壽(いのちながき)は彭祖(ほうそ)を称え、物には俊傑有り、誣(ぶ)しむべからずなり」と。 誣(ぶ)しむべからずなり
[訳文]
 ・或る人が尋ねるには、「五・六百歳も長生きした人は居るだろうか?」と。答えるには、「剛力では秦の烏獲将軍が称賛されるし、脚力では羌人(?)や豎亥の名が挙げられるし、胆力では秦の孟賁将軍や衛の勇士の夏育が挙げられるし、聖人とは孔子のことであり、長寿者としては八百歳の寿命を保った伝説上に仙人の彭祖が称賛されているが、世の中には衆人より勝れた人物が居るもので、これは明白な事実なのである」と。
[参考]
 ・彭祖:中国の神話の中で長寿の仙人であり、伝説の中では南極老人の化身とされており、八百歳の寿
           命を保ったことで有名である。
 ・<列子、力命>
    「1・・・彭祖之智不出堯、舜之上,而壽八百;顏淵之才不出眾人之下,而壽十八。仲尼之德。不出諸
           侯之下,而困於陳,蔡・・・」
 ・烏獲(生没年不詳):中国戦国時代の秦の将軍。武王に仕えた。任鄙や孟賁と並ぶ大力士として知られ、
                            千鈞の物を持ち上げる力が有ったと言われる。勇士を好む秦の武王に取り立てら
                            れ、彼らと共に大官に任じられた。
 ・孟賁(または孟説):武王に仕えた任鄙・烏獲や夏育、成荊、呉の慶忌と並ぶ大力無双の勇士と知られた
                            秦の将軍。孟賁は生きた牛の角を抜く程の力を持っており、勇士を好む秦の武王に
                            取り立てられ仕えた。武王と力比べで鼎の持ち上げを行った際、武王は脛骨を折っ
                            て亡くなってしまった。その罪を問われ、孟賁は一族と共に死罪に処されたと言う。  
  ・夏育:戦国時代の衛の武将。秦の武王に仕えた任鄙・孟賁・烏獲や成荊、呉の慶忌と並ぶ千鈞の物を持
           ち上げる大力無双の勇士。
 ・<史記、范睢蔡澤列傳>
    「13・・・且以五帝之聖焉而死,三王之仁焉而死,五伯之賢焉而死,烏獲、任鄙之力焉而死,成荊、
           孟賁、王慶忌、夏育之勇焉而死。死者,人之所必不免也。」
 ・<史記、秦本紀>
    「64・・・武王有力好戲,力士任鄙、烏獲、孟說皆至大官。王與孟說舉鼎,絕臏。八月,武王死。族孟
           說。・・・」
 ・<韓非子、觀行>
    「2・・・有烏獲之勁,而不得人助,不能自舉。有賁、育之彊,而無法術,不得長生。故勢有不可得,事
           有不可成。故烏獲輕千鈞而重其身,非其身重於千鈞也,勢不便也;離朱易百步而難眉睫,非百
           步近而眉睫遠也,道不可也。故明主不窮烏獲,以其不能自舉;不困離朱,以其不能自見。因可
           勢,求易道,故用力寡而功名立。時有滿虛,事有利害,物有生死,人主為三者發喜怒之色,則
           金石之士離心焉。聖賢之撲淺深矣。故明主觀人,不使人觀己。明於堯不能獨成,烏獲不能自
           舉,賁、育之不能自勝,以法術則觀行之道畢矣。」
 ・<漢書、司馬相如傳>
    「17臣聞物有同類而殊能者,故力稱烏獲,捷言慶忌,勇期賁育。臣之愚,竊以為人誠有之,獸亦宜
           然。今陛下好陵阻險,射猛獸,卒然遇逸材之獸,駭不存之地,犯屬車之清塵,輿不及還轅,人
           不暇施巧,雖有烏獲、逢蒙之技不能用,枯木朽株盡為難矣。是胡越起於轂下,而羌夷接軫也,
           豈不殆哉!雖萬全而無患,然本非天子之所宜近也。」
 ・羌:出所不明。古代より中国西北部に住んでいた遊牧民族、西羌人のことか?
 ・亥:神話に出てくる健脚の上故神、豎亥のこと。
 ・<山海經、海外東經>
    「9帝命豎亥步,自東極至于西極,五億十選九千八百步。豎亥右手把算,左手指青丘北。一曰禹令
           豎亥。一曰五億十萬九千八百步。」
 ・<淮南子、墬形訓>
    「6・・・使豎亥步自北極,至於南極,二億三萬三千五百里七十五步。・・・」
[感想]
  ここでは卜筮・物忌み・占星・祈請・疾厄・人形(ひとかた)・仙術・長寿など、民間の俗信について徐幹の考え方が述べられている。徐幹が生きた後漢最後の献帝の世は、乱世とも云える時代だから、民力も疲弊しさぞかし俗信が横行したに違いない。それを目前にして徐幹は自論を述べて正そうとしたのであろう。                         
                                                                            (01.10.01) 続く

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