野猪もまた自家をたすけて、慌て叫ぶ敵の雑兵を牙に引掛けながらうつ勢ひ、人畜進退合期して、出没不測のそが上に、[…]霜氷る夜の長かりしも、朝風寒く空けにけり。
猪といえば、わたくしも猪年の生まれであった。猪突猛進が正しいみたいな空気がまだ漂っている時代に生まれたせいか、困ったときには猪突猛進して、だいたい、失敗する。
夢野久作が「豚と猪」とかいう意地悪な話を書いている。
豚が猪に向って自慢をしました。
「私ぐらい結構な身分はない。食べる事から寝る事まですっかり人間に世話をして貰って、御馳走はイヤと言う程たべるからこんなにふとっている。ひとと喧嘩をしなくてもいいから牙なんぞは入り用がない。私とお前さんとは親類だそうだが、おなじ親類でもこんなに身分が違うものか」
猪はこれを聞くと笑いました。
「人間と言うものはただでいつまでも御馳走を食わせて置くような親切なものじゃないよ。ひとの厄介になって威張るものは今にきっと罰が当るから見ておいで」
猪の言った事はとうとう本当になりました。豚は間もなく人間に殺されて食われてしまいました。
ということは、猪も昔、人の厄介になって罰が下ったことがあったのであろう。上の挿話なんかアヤシい。勲功を過度に要求したのではないか。だいたい猪なんかも普通に食べてましたからな。魯山人がなんかそれで自慢してた気がする。
最近、わたくしの住んでいる近くでも、猪が出ました人に追突しました、みたいなニュースをみかけるようになった。ついに、人間中心の時代は終わり、猪が試験とかアクティブラーニングを助けてくれる時代がやってきたのかもしれない。革命は、人間だけでは無理なのだ。八犬士たちの教訓は、そういうことではなかったであろうか。
もっとも、動物関係の記事は帝国主義戦争の際も多い。「麦と兵隊」で、兵隊がひよこを摑んで泣くところなんか、わたくしももらい泣きしそうであった。
秋の風が吹いている。