昔の若人は、さるすける物思ひをなむしける。今の翁、まさにしなむや
まだ親がかりの若者が召使いの女に惚れてしまい、心配した親が彼女を追い出してしまうと、若者は眼から血を流して歌を詠んで卒倒してしまった。びっくりした親が神仏に願を立てると、生き返った。この話に対する話者のコメントが上である。
果たして、これを昔男の(翁となった)現在に対する皮肉ととるか、いまどきの爺くさい若者に対する皮肉か解釈が分かれるらしいが、語り手がこの若者を評価しているとは限らない。わたくしは彼の
出でゝ去なば誰か別れの難からむありしにまさる今日はかなしも
という歌もあんまりすごいと思えないが、卒倒してしまう若者はあまりに若すぎたのか、まだ恋を成就できるレベルの人間ではなかったのであった。むろん翁になっては、こんな事態はあり得ない――いや本当に死んでしまいかねない。恋は若すぎても老いても成立しない――と語り手は考えたのであろうか。
恋愛と云うものは、この空気のなかにどんな波動で飛んでいるのか知らないけれども、男が女がこの波動にぶちあたると、花が肥料を貰ったように生々として来る。幼ない頃の恋愛は、まだ根が小さく青いので、心残りな、食べかけの皿をとってゆかれたような切ない恋愛の記憶を残すものだ。
――林芙美子「恋愛の微醺」
林芙美子はちょっと意地悪すぎだと思う。もっともわたくしは食欲があまりなかったから、お皿を持って行かれたら逆に安心したものだ。わたくしに限らず恋愛なんかでもそんなことはありうるのではなかろうか。