研究論文というのが未来から批判されるということはよくある。しかし、過去からの批判もある。すべてはギリシャによって考えられているとまで言う人もおり、――さすがにそこまでは言えないと思うけれども、そんな気分は理解できる。
この前書いた論文の一部は、C・ウィルソンの『アウトサイダー』の一部によって批判されていた。今日発見したのである。今のところ、どうもウィルソンの方が正しいように思う。この本は1956年の本だ。スターリン批判の年の認識にもわたくしは劣る。
昨日、マルクスの『経済学批判』を眺めていたら、なんとここにもわたくしへの批判が書いてあった。時は安政5年、ブラームスのピアノ協奏曲第1番や安政の大獄の年である。この時代の認識よりわたくしは劣る。
人文学というのは、こういうことの繰り返しである。わたくしが大したことのない人だからというのもあるのだが――。
大河ドラマは最近国策臭がするのでみていないが、過去を描くんだったら、せめて過去からの批判というものを考えて欲しいものだ。