★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

花鳥風月と頽瀾

2017-03-04 18:50:17 | 文学


昨日、「君の名は。」のことを考えていて、つくづく私は花鳥風月がすきであることが分かったが、新海誠の作品は、いずれ国宝指定でも受けるのではないかと思うのだ。伊藤若冲もそうだが、こういうものの「国粋」性の内実についてもう少し私は批評的に考えた方がよい様な気がする。私はまさしく「国風文化」愛好家かもしれない。おそらく、私の古典世界に対する無知から来ているのであろう。――しかし、いまはやりの「安倍首相頑張れ」の人や、心に寄り添いニヤニヤ絆万歳の人たちとは一緒にして欲しくはない。この人たちが決定的にだめなのは、いまや萌え系大好きの人たちや宮台真司すら到達しつつある「頽瀾」ということが分かっていないことであろう。

このところアッキード事件やら森×事件で油断していたら、文科省から「一億総スポーツ社会」とかなんとかいうのが出てきそうだという、口に出したとたんすみやかに頭が豆腐になってしまいそうなニュースを見落としていた。

谷崎潤一郎の「魔術師」ではないが、「一億総半羊神化」ならまだアイロニカルな味もあるし良いと思う。「千と千尋の神隠し」がいけないのは、千尋の両親が豚になるところだ。あの豚は見かけよりも観念的な豚であった。確かに、日本には豚野郎みたいなものが多いとしても、他の動物を忘れるべきではなかった。