★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

介護問題の恐怖

2011-11-28 23:37:01 | 日記


これからは本格的に介護問題がいっそう深刻になっていくと思う。労働者は家でも職場でも介護だ。大学なら、学生の介護と尻ぬぐいが必要な人間(←だいたい自分で気付いていないから深刻である)の介護もある。自分が何時そうなるかわからない恐怖に怯えながら。現在の若手研究者が「自分のことしか考えない」といわれるのにはいろいろ理由があるが、たぶん自分のことを優先させとかないといつ介護にかり出されるか分からぬという恐怖があるのである。無論、自分がそれだけ人の世話になっているのかつい分からなくなるのが若さであり、いちいち自分についての状況判断の勘違いが甚だしい人間が増えていることは確かであろう。しかし、勘違いですら個人によって起こっているとは限らない。

戦時中の協同体論に理由があったように、今般の共同体論やつながり論(笑)にも理由がある。政治家や学者のもっともらしい理屈に騙されてはならない。共同体論が勃興することには哲学・思想的な理由など本当はないと考えた方がいいように思う。この議論によって得をしようとする奴が必ずいるのである。今回は、案外、人数が多い世代の、棄てられる恐怖から来ているかも知れないからやっかいである。これは戦争遂行より精神的抵抗が難しいのではなかろうか。