できるだけごまかさないで考えてみる-try to think as accurately as possible

さまざまなことを「流さずに」考えてみよう。"slow-thinking"から"steady-thinking"へ

読めば読むほど心が重くなる藤井源太郎さんの文章・・・

2011-04-18 20:57:26 | Weblog

土曜の夜にこの文章を初めて読んだが、未だに心が重くて積極的に何か書く気にはなれない。

 

災害派遣、現場自衛官から上がる悲痛な声-なぜ政府は現場が活動しやすいように手を打たないのか-(JBpress 2011.04.14)

 

避難所に入れなかったり、あえて避難所に入らずに、窃盗などをする人がどうしても何人かは出てくると思ってはいたが、「東京ナンバーの車」がこういうことをしているとは・・・。

 

>また、地元住民ではない人たちが自警団の目や警察の巡回をかいくぐって窃盗行為を行ったり、東京ナンバーの車両が、避難所周辺でロウソクやガスコンロ・ボンベなどの生活物資を法外な値段で売るような人もいます。

 

藤井氏の訴えは、「とにかく装備・備品が足りない。緊急事態なのだから、警察や消防と連携して装備・備品を増やしてもらえないか」という、実に切実なものである。こういう「全くおっしゃるとおり」のご主張をなさっていながらも、自衛隊は今も遺体捜索で、イカの腐臭なのか、ご遺体の腐臭なのかよくわからないような、劣悪な環境の中で作業を続けてくださっている。足に履く装備が足りないせいで、がれきの中から飛び出た釘が足に刺さっても、化膿したときの抗生物質すら足りないというのはどれだけ劣悪な状況なのか。

 

<写真 仙台市で遺体を捜索する自衛隊員ら(2011年3月28日撮影)>(c)AFP/ROSLAN RAHMAN

<写真 すり切れた自衛隊員の手袋>(c)AFP

 

未だに、ネットでは、「自衛隊を暴力装置と呼んで何が悪いの?」などと開き直っている知能が低い連中が多いのだが、これだけ劣悪な現場で、これだけ己を犠牲にして国民の命を守ろうとしている集団を、たとえば

「社会学では軍隊を暴力装置と呼ぶのは常識。そんなこともわからないの?そんな発言で怒るヤツは学力が低いよ」

などと抜かしてご満悦であった池田信夫あたりは、これだけ献身的な「暴力装置」に対して、どれだけ具体的に応援しようとしているのだろうか。またどこぞの富豪のように、カネだけ義援金として送っておけば、

「ボクも震災からの復興を心から願っています!」

などと、無邪気かつ偉そうに日本のために行動していると、つま先から頭のてっぺんまで偽善者然としてご満悦になり、次の瞬間にはまた無責任発言でも再開するつもりなのだろうか。

 

悲しいが私には経済力がない。義援金もそんなには送れない。定期的な仕事があるのでボランティアもできない。しかし、日本の自衛隊を「暴力装置」と呼ぶことに何のためらいを持つことがない連中にはできないことを一つだけすることができる。

 

それは、一緒に手伝うことができなくても、日本には、「暴力装置」などと卑下された存在としていつも社会の隅に押しやられていながらも、その存在自体が日本人と日本の国土を守るためのものと規定され、しかもその規定を、このような有事でも、1ミリも違わず守ろうとしている自衛隊という組織が、

全然足りない装備でも、ご遺体を収容することが極めて難しい状況であっても、全身全霊を込めて、ご遺体を収容し、がれきを撤去することで、日本の復興の「礎」を今作っていただいていることに、心から感謝することである。

 

この論点に関しては、かみ合わないヤツはトコトンかみ合わない。たとえば、

「ほら、だから自衛隊は災害援助隊として再編成すればいいんだよ」

などと、上から目線のドヤ顔で語るバカとも、きっとそのうち読者諸氏は出会うことになるだろう。社民党・共産党あたりには、「自衛隊は災害援助隊として再編成を!」などと平気で語るバカがいる。

この震災後に、ロシアや中国が何度も日本の領空を侵犯しかけて、航空自衛隊にスクランブル(緊急発進)がかかっていることを、このバカどもは事実として記憶しようとしない。だから救いようのないバカなのである。

隙さえあれば、領土・領海・領空を侵そうとする「外国」は「厳然たる事実」として「存在」するのである。そんな現状に目をつぶったままでいられるからこそ、

「日本は悪い国なんです!だから今でも憎まれるんです!戦後賠償をしっかりして(=外国が言うままにカネを出し続けて)、誠意を尽くした外交をすれば、日本を攻める国などありません!!」

などと、笑顔で本気で語れる、日本共産党の笠井亮のような真性のバカが出てくるのだ。

 

 

話を元に戻す。国家における軍隊とは、確かに「初期状態」においては「暴力装置」そのものである。その意味で、「政治学的」には、「軍隊とは暴力だ」という命題は確かに重要である。

しかし、外国が日本領土、領空、領海を侵犯しようとしたときも、そして実際に侵犯したときも、できるだけその「暴力的部分」を抑制しようとしてきたのも、日本の自衛隊(軍隊)の、忘れてはならない側面である。

 

その自衛隊が、今は身を粉にして、思わず目を背けたくなるような凄惨な風景に突入していくかのように戦っている。その戦いは一挙手一投足が「国民と国家」のためにであり、これだけ劣悪な環境の下であるにもかかわらず、統率が極めて高く保たれている。そんな、「それだけ自制の行き届いた集団」に対して、都合が悪くなったら「政治学用語だから」などという逃げ口を残しつつ、こんな事態になっても自衛隊に対して悪態をつき続けているんじゃないよ反自衛隊思想の持ち主たちよ。

 

>1次派遣中に陸上自衛隊でも死者が出ました。災害派遣中に大量のご遺体を見て、いたたまれなくなっての自殺です。殉職と言ってもいいでしょう。また、50代陸曹長が病死しました。こちらも、殉職と言えます。

 

大量のご遺体に対して、「同じ日本人なのに」と思えるからこれだけ取り乱すことができるのだ。ただ事務的に「遺体処理」だと思っていれば、こんなことで自殺など絶対にしない。自衛官の魂を少しは受け止めろよ頭の悪い日本左翼バカども。

 

5.隊員の生活例

 5時起床、18時捜索終了、作戦会議やミーティングなどで23時頃就寝。物資輸送については、交代制で夜間も行っています。4日に1度の入浴(片道3時間)。多くの場合、洗濯は入浴を早めに切り上げて行います。

 食事は、ほとんど1日2食です。当初は乾パンばかりだったのが、除々に冷たい缶飯になり、たまに温食が出ます。週に1度の休日は、入浴とほとんど疲れて眠るだけ。

 国家、国民の一大事に派遣される時、最初、士気は高いものです。しかし士気は弓矢と一緒で、最初は勢いよく放たれますが、弓なりに失速するものです。

 士気も日を追うごとに、見たくないものを見て、嗅ぎたくない匂いを嗅いでいると衰えていきます。

 そんな士気が衰えてきた時に、隊員を奮い立たせるのは、堅確な意志を体現した指揮官の姿であり、熱誠を込めた言葉なのです。堅確な意志と熱誠を込めた言葉によって、衰えた士気は振作されます。

 

いやもう、振作される士気など、どこにも残っていないくらい、一番厳しい現場を担当している隊員たちは憔悴しきっているものと推測する。

 

この地震で、

「『がんばって』なんて言えない。だってみんな、もう100%がんばってるんだもん!」

という言葉が極めてチープなものとして「流通」した。しかし、このフレーズは、このレベルになって初めて使うべきものなんじゃないのか??

 

だめだ。まとまらない。とりあえずここまででアップしておく。

 



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