三十三間堂から「豊国神社」へブラブラ~
石畳の敷かれたゆるい坂道を上がり、右手にある広い石段を上がると
スッキリとした空の広い境内の入口です
豊国神社は「豊臣秀吉」を祀り、京都の方から「ほうこくさん」と呼ばれています
豊臣秀吉は死後、阿弥陀ヶ峰に葬られ、魂は豊国社に祀られました
大阪夏の陣で徳川家康が勝利し、豊国社は壊されてしまったため
今の社殿は明治天皇の命により1880年に再建されました
家康、秀吉をトコトン潰しにかかります(;^ω^) 怖いですね~・・・
今日は荷物をもったまま移動するので洋装
全国に9つほど「とよくにさん」があります
出世と地震よけで参拝者が集まります。なぜなら・・・
1662年京都で大きな地震があった時に豊国神社周辺に被害がなかったので「地震よけ」として参詣者が集まったらしいです
話がそれますが、ねね様を祀る貞照神社も隣に建っています
ひょうたん型の絵馬が沢山下がっています
これこそ千成瓢箪!?
唐門の正面に鶴の彫刻が彫ってありますが、この鶴、黒目がないんです!
彫刻は「左甚五郎」が彫ったもので「目無し鶴」と呼ばれています
名工の彫刻の出来が良すぎたために目を入れると鶴の魂が宿り、飛び去ると信じられ
鶴の脱走防止に黒目を描かなかったのだと言われています
左甚五郎は日光の「眠り猫」など作品を沢山残しています
京都から栃木まで・・・結構遠くまで作品を作りに行ったものです
総ケヤキ造りの唐門(手前)
豊国神社の唐門は伏見城(秀吉隠居後の居住のために築城)の城門だと伝えられています
伏見城→二条城→南禅寺金地院→豊国神社の順に移築されて来ました
現在は木肌の渋い風体ですが、かつては極彩色の彫刻と金箔で飾られていたそうです
秀吉っぽ~い(*^_^*) 「キンキラ☆」
門正面の「豊國大明神」の御神号額は後陽成天皇の筆跡
昔の日本の建築物は解体可能な構造のため、部分ごとの修復も可能で移築も多かったらしいです
「MOTTAINAI精神」がもてはやされる以前から超「エコ」だったのですねヽ(^o^)丿
春の一日をカメラに収める長女Y
もちろんここでも御朱印を戴きました
瓢箪の中に「とよくにのやしろ」と書かれたハンコが押されていたり
家紋の「五七桐」も押印されています
筆の文字が読めない・・・何て書いてあるんだろう(;´Д`)
おおおおおぉぉぉぉぉ~! およめさんだー!
とても良いお天気のなか挙式に向かわれます
唐門と本殿の間の拝殿で雅楽の音色に包まれていかれました
お幸せに!
すぐお隣に方広寺さんがあります 26・に続きます