わたしが先日鑑賞した、『An Inconvenient Truth(不都合な真実)』。その公開に合わせるように最近、メディアが地球温暖化を取り上げる機会が増えたように感じます。ゴア氏のほか、ハリウッド俳優のレオナルド・ディカプリオなどのセレブも、環境意識を高める活動をしていますね。「地球温暖化防止のためにできること」と題し、エコな日常生活を送ることを呼べかける記述もあちらこちらで目にしますが、それらを読んでいて「何か欠けている」と思ったことがありますか?
「何か」とは、「肉食を控える/やめること」です。『肉の生産は、資源の無駄遣い』という記事を以前書いたように、肉の生産には石油を含めたかなりの資源を必要とし、エコな生活を送るには、肉食よりも菜食の方が理にかなっているのは周知の事実。ゴア氏やディカプリオなどがなぜ、「地球温暖化防止の一環として肉食を控えよう」ともっと声高に言わないのか?この疑問を抱いていたのはわたしだけではないようで、地元の大学新聞の記事で今日、CPFという名の生徒(だと思う)がその疑問を記事にしていました。
『An Inconvenient Truth』に引っ掛けて「The MOST Inconvenient Truth(最も都合の悪い真実)」と題したその記事。『An Inconvenient ~』を含めたいくつかのドキュメンタリーを観てCPFさんが感じたのがやはり、「地球温暖化防止の一環として菜食を」と発言していないこと。『An Inconvenient~』の中で、ゴア氏は食には言及しません。映画のサイト(http://www.climatecrisis.net/takeaction/whatyoucando/index4.html)ではローカル&オーガニック食材を推奨し、肉の摂取を減らすようにという記述がされてますが。ゴア氏がベジタリアンなのかどうかは知りませんが、自称ベジタリアンのディカプオでさえ、自分のサイト(http://leonardodicaprio.com)で食には言及していないそうです。
「肉食を控えよう/やめよう」と声を大にして言わないのは、もちろんアメリカだけの話ではありません。日本の「チーム・マイナス6%」(http://www.team-6.jp/about/index.html)を見ても、「運転を控えめに」、「過剰包装を断ろう」、「エアコンの温度設定は控えめに」等など、エコな日常生活を提唱しているのに、日常生活において不可欠な行動である「食」についての言及がない。なぜ、「肉食を控えよう」と言わないのか?
日本はアメリカ産牛肉の輸入を再開するようですが、それに関する議論は相変わらず「消費者への安全性」という視点だけ。肉を食べるというのは、もっと様々な問題をはらんでいると思うのですが。日本にしろアメリカにしろ、CPFさんが言うように、「地球温暖化防止の一環として肉食を控える」というのが、「『最も』不都合な真実」なのでしょうか?
人気blogランキングへ
「何か」とは、「肉食を控える/やめること」です。『肉の生産は、資源の無駄遣い』という記事を以前書いたように、肉の生産には石油を含めたかなりの資源を必要とし、エコな生活を送るには、肉食よりも菜食の方が理にかなっているのは周知の事実。ゴア氏やディカプリオなどがなぜ、「地球温暖化防止の一環として肉食を控えよう」ともっと声高に言わないのか?この疑問を抱いていたのはわたしだけではないようで、地元の大学新聞の記事で今日、CPFという名の生徒(だと思う)がその疑問を記事にしていました。
『An Inconvenient Truth』に引っ掛けて「The MOST Inconvenient Truth(最も都合の悪い真実)」と題したその記事。『An Inconvenient ~』を含めたいくつかのドキュメンタリーを観てCPFさんが感じたのがやはり、「地球温暖化防止の一環として菜食を」と発言していないこと。『An Inconvenient~』の中で、ゴア氏は食には言及しません。映画のサイト(http://www.climatecrisis.net/takeaction/whatyoucando/index4.html)ではローカル&オーガニック食材を推奨し、肉の摂取を減らすようにという記述がされてますが。ゴア氏がベジタリアンなのかどうかは知りませんが、自称ベジタリアンのディカプオでさえ、自分のサイト(http://leonardodicaprio.com)で食には言及していないそうです。
「肉食を控えよう/やめよう」と声を大にして言わないのは、もちろんアメリカだけの話ではありません。日本の「チーム・マイナス6%」(http://www.team-6.jp/about/index.html)を見ても、「運転を控えめに」、「過剰包装を断ろう」、「エアコンの温度設定は控えめに」等など、エコな日常生活を提唱しているのに、日常生活において不可欠な行動である「食」についての言及がない。なぜ、「肉食を控えよう」と言わないのか?
日本はアメリカ産牛肉の輸入を再開するようですが、それに関する議論は相変わらず「消費者への安全性」という視点だけ。肉を食べるというのは、もっと様々な問題をはらんでいると思うのですが。日本にしろアメリカにしろ、CPFさんが言うように、「地球温暖化防止の一環として肉食を控える」というのが、「『最も』不都合な真実」なのでしょうか?
人気blogランキングへ
ゴア氏の環境活動だけに関わらず、わたしは人間の動機というのにはあまり関心はないですが・・・。アメリカの上流階級がベジタリアンかどうかは知りません。牛肉を日本人に食べさせるというのは、日本人は牛肉を食べたくないのに、手足を縛られて無理やり口を開けさせられて食べさせられているのでしょうか?食べたくて自ら進んで食べてるのだと思ってました。
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/nishida/post_174.html
アメリカの上流階級はベジタリアンって本当ですかね?安全性も不確かな牛肉を当のアメリカ人は控えて日本人に食べさせてるなんて話を聞いてぞっとしてしまいました。
しかししんのすけさんがおっしゃるように、どうして肉に関してだけがこのような状況に…とも思います。
推察するに。
ひとつはそういう傾向がある程度根付いてしまった場合(アイドリングストップとか、エコバッグ持参とか)企業側でもその流れには抵抗できないと判断し、流れにのった上での販促作戦に切り替える。ところがそういう傾向がまだまだ小さい(肉食など)場合は、もちろん企業にとってはありがたくない傾向であるのは明らかですから、これが大きな流れになってしまう前にひねりつぶしてしまおうという体勢なのではないかと思います。
二つめとしてここまで食事のみならずお菓子でもパンでも何にでも肉(もしくはその成分)が含まれている現状というのが、もしかしたら他の件とはかなり規模的に違っているために、非肉食の及ぼす影響は計り知れない規模になると思われますので、そういった「規模がデカイ」という現状が自然とそれを阻んでいるのではないかということ。
三つめとして、やはり肉食についての罪悪感が非肉食に対しての何らかの抵抗力になっているのではということです。全く罪悪感がないという人も中にはいるでしょうが、バリバリ肉食している人間でも、その肉がかつては生きていて、殺されたものだということは大概知っているわけで、多かれ少なかれ罪悪感を持っているのではないかとおもうのです。してみると非肉食という流れから目を背けたい、知らぬふりをしたいという気持ちから自ずと非肉食の抵抗勢力の一部になってしまっているということではないかと思うわけです。
しかしもしかしたら、非肉食の流れがこのまま地道にでもある一定の大きさになった時、肉食の流れもまた大きく変わるのではないかと思っています。
激しく同意です
私は座布団11枚!
肉食産業の圧力が怖くて皆きっといえないんだと思う。
何とかしなくてはね。
いつもいつも素敵な日記ありがとうございます
肉食は百害あって一利なし、というのがわたしの考えです。健康、労働、環境、それにもちろん動物の扱いの立場からも肉食は必要ないと思っています。「The Strange Days」は知りませんでした。わたしは普段テレビを観ないのでネットでチャックしてみます。
Tomさん、
仮に世界中の人が肉食をやめたら、環境に対するインパクトは大きいでしょうね。メディアの役割については詳しく知りませんが、メディアに対して常に批判的な目を持っている必要はあると思います。「media literacy」の授業を行っている学校もあるようですし。メディアがどのように報道しようとも、常に自分の頭で考えるようにしたいですね。
平和へぽいさん、
TBありがとうございます。なぜ「肉食を控えよう」と言わないのかはわかりませんが、詳しくリサーチしたくなる疑問ですね。
『地球温暖化防止の一環として肉食を控える』“控える”とはいえ、この提示が、エコロジー=菜食主義=宗教チックとの連想に繋がる危険性があるのでしょうか?
まだ現代の社会では“菜食と連結しそうな事柄”を打ち出す事は難しいような気がします。
肉食を控える事でどれだけ環境保護になるか。。。全てがオーガニックになるなんて思えないし、本当に人がベジタリアンになるだけでも、動物救えるし、環境も救える!と思っています。EdwardNortonがナレーターするTheStrangeDaysって知ってますか?NationalGeographicのものだと思うのですが、昨日は水のことについて言っており、やはりアグリカルチャーが原因で、水が汚染されていて動物の全滅が進んでいて、人間にも同じ事が言えると言っていました。