われらしんじんのこども

真人幼稚園の子どもたちの日々の様子や、
  楽しいエピソードなどをお伝えしています。

卒園生を送る会(21年度)

2010-03-17 16:48:48 | Weblog
 皆さんこんにちは。
 昨日、全園児と全教職員が屋内運動場に一堂に会し、恒例の「卒園生を送る会」がおこなわれました。(本日の画像はその模様です)

 年長組の子どもたちを囲むようにしてクラスごとに向かい合い、互いに感謝の言葉を述べたり、歌を披露したり、心を込めて作った記念のプレゼントを贈呈したりして、和やかな心温まるひと時を過ごしました。ひとつ屋根の下、共に暮らしてきた私たちのささやかなお別れの会でありましたが、先輩から後輩たちへ(あるいは後輩から先輩へ)、今年もまた確かな何かが受け渡されました。その「確かな何か」とはなんでしょうか? 皆様は何であると思われますか? それは、しんじんの子どもとして過ごしてきた圧倒的な時間の蓄積であり、その中で手にしてきたゆるぎない自信と経験であり、同じ学び舎で同じ空気を吸い同じものを食べ同じ月日を共に歩んだという、未来永劫にわたる不変の歴史的な事実なのです。当の子どもたちがそれをすでに自覚しているかどうかは別として、しんじんの子どもは永久にしんじんの子どもです。そのことを誇らしく胸に刻みながらそれぞれの人生を生き抜いていってほしいと切実に願っています。

 少し難しい言葉ですが、「陶冶」という言葉があります。様々な形と大きさの陶器がひとつの窯で焼かれる。そんな陶芸のことを思い描いてみてください。幾日もかけて窯の中で炎を浴び、同じ時間をじっとその中で焼かれるわけですが、焼きあがって窯から出されるとき、それぞれの色形は違いながらもそれぞれがそれぞれの輝き方で見事な光彩を放っている。転じて、それぞれの特性を生かしながら性格や才能を鍛え、より高みを目指して人を育むという例えであります。私はこの真人幼稚園を、ここに集う私たち全員にとってそんな「陶冶」の場でありたいと毎日強く願ってこれまで歩んでまいりました。そんな思いを心にとどめながら保育をするようになってから既に10年は経ったでしょうか。そしていまその思いが少しずつ具体的な形で実を結び始めていることに、この子どもたちと暮らしながら実感するようになりました。しんじんという一つの大きな大きな窯の中で、それぞれの持ち味を十分に引き出された個性豊かな一人一人の人間が、大人も子どもも互いを尊重し尊敬し合いながら日々切磋琢磨して光を放ち続けているのです。そんな場面に毎日のように出くわすのです。それは本当に、奇跡に近い出来事です。そんな奇跡的な保育の現場に立ち会うことができて、私は幸せです。それはまた、とりもなおさず素晴らしい保護者の皆様と子どもたちと、何事にもひたむきに取り組む教職員とがここで奇跡的に出会ったからにほかなりません。先輩から後輩へうけわたされた「確かな何か」とは、つまり私たちが奇跡的にここで出会って共に育ったということの小さな証(あかし)のようなものなのです。それは目には見えませんし、手で触れることもできません。それは物質ではないので姿形はないのです。それはこのしんじんに集う私たちひとり一人の心の中にあります。繰り返しますが、しんじんの子どもは生涯にわたってしんじんの子どもです。かく言う私自身ももちろん、しんじんの子どもです。人生を生きていく上で大切と思われる事柄のほとんどすべてをここで学びました。そのことの喜びと重たさと尊さを私は今日もかみしめています。

 さて、明日はいよいよ終業式です。
 時代は変わり、季節がめぐって、人もまた変貌を遂げていきます。あらゆるものは常に変化し続ける定めなのです。誰にもそれを押しとどめることはできません。ひとつ屋根の下暮らした私たちにもお別れの時が近づいています。しかし、別れはまたいつか出会う日のための小さな約束なのです。少なくとも私はそう信じています。恐れずに、胸を張って、新しい季節に歩き出そうではありませんか。



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