昭和30年代は、まだまだ貧しい時代じゃが。
その中でも、我が家はさらに貧しい山生活。
当時はそんな事、微塵(みじん)にも考えたことはねえっちゃが。
山ん中じゃが。なんせ比較するのはイノシシか鹿くらいしか、対象がおらんとよ。
そんな中でも、子供にも出来る軽いアルバイトがあったとよ。
もちろん無理矢理ではなく、子供達のこずかい稼ぎのために、大人達が
与えてくれたご奉仕のアルバイト。
こまけー竹を束ねたものを数回運んで10円。
何のために使う竹なのか、分からないが、結構ずっしりした重さだったのを
覚えちょるとよ。
椎茸の種駒打ちは大人達が開けた穴に、種駒を子どもが入れて
軽く種駒の頭を叩いて、クヌギの原木の中に押し入れる。
ただそれだけの作業じゃが。この時の手間賃が10円。
当時は、10円握りしめ駄菓子屋へ直行!
当時の、山の子供達はこげんしてこずかい稼ぎを
しちょったとよ。えっ?俺だけけ?
ちなみに僕が7歳の頃の1961年当時、昭和の物価を調べてみると
大卒初任給は12・900円
高卒が8・300円
ラーメン50円
かけそば40円
銭湯17円
週刊誌40円
映画館200円
牛乳15円
喫茶店のコーヒー60円
じゃったげな。当時の10円も貴重じゃったっちゃが。
と、言うところで
次回は、『えっ⁈生きちょった!』じゃが。