しいやみつのりの吞んべえ日記

今宵も一人晩酌のおっちゃんのつぶやき・・・なのだ。

しいやみつのりの・僕の猪鹿村、その6

2022-08-28 10:03:17 | 日記

昭和30年代は、まだまだ貧しい時代じゃが。

その中でも、我が家はさらに貧しい山生活。

当時はそんな事、微塵(みじん)にも考えたことはねえっちゃが。

山ん中じゃが。なんせ比較するのはイノシシか鹿くらいしか、対象がおらんとよ。

そんな中でも、子供にも出来る軽いアルバイトがあったとよ。

もちろん無理矢理ではなく、子供達のこずかい稼ぎのために、大人達が

与えてくれたご奉仕のアルバイト。

こまけー竹を束ねたものを数回運んで10円。

 

 

何のために使う竹なのか、分からないが、結構ずっしりした重さだったのを

覚えちょるとよ。

椎茸の種駒打ちは大人達が開けた穴に、種駒を子どもが入れて

軽く種駒の頭を叩いて、クヌギの原木の中に押し入れる。

 

ただそれだけの作業じゃが。この時の手間賃が10円。

当時は、10円握りしめ駄菓子屋へ直行!

当時の、山の子供達はこげんしてこずかい稼ぎを

しちょったとよ。えっ?俺だけけ?

 

ちなみに僕が7歳の頃の1961年当時、昭和の物価を調べてみると

大卒初任給は12・900円

高卒が8・300円

ラーメン50円

かけそば40円

銭湯17円

週刊誌40円

映画館200円

牛乳15円

喫茶店のコーヒー60円

じゃったげな。当時の10円も貴重じゃったっちゃが。

と、言うところで

次回は、『えっ⁈生きちょった!』じゃが。

 

 

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しいやみつのりの・僕の猪鹿村、その5

2022-08-22 10:52:34 | 日記

山奥の生活で大変なのはインフラじゃが。都会とは違い

何もねえとよスッカラカーンじゃが。。電気はきちょらんし、もちろん水道も、ガスも。

水は山からの湧き水。ガスの代わりの燃料としては、そこら中に転がっている小枝や丸太。

な〜んぼでも売るほど転がっちょるが。風呂もカマドも火吹きだけで、ブーフーウー。

家の照明の代わりには、ランプ。このランプのホヤ磨きは子供の日課じゃが。

子供の手はコマけーので、丁度ホヤの中にすっぽり収まるとよ。

顔中ススだらけ。次回は山奥のアルバイト?じゃが。

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しいやみつのりの・僕の猪鹿村、その4

2022-08-14 18:30:51 | 日記

僕の親父は山師でキンマ引き。親父は枝打ちのための

ノコギリの目立て(研ぐ事)が日課じゃが。親父はお酒を飲むわけでもなく

淡々と明日の仕事の備えであるノコギリの目立て。

その時の削りカスの鉄粉が出るっちゃが。親父はその鉄粉を

集めておいて、僕たちだけの花火大会をしてくれる。

鉄粉は火にくべるとパチパチと燃えて、まるで線香花火のように綺麗な火花を

散らす。それを僕と妹で見学。真っ暗な夜空に花火のような満天の星。

 

 

今でも時々思い出すっちゃが。次回は「ランプのホヤ磨き」じゃが。

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しいやみつのりの・僕の猪鹿村・その3

2022-08-08 21:21:52 | 日記

さあ!

これが親父の仕事、デンジャラスなキンマ引きの図解じゃが。

このキンマで山で伐られた丸太を運び出しちゃったとよ。

軽い勾配ならどんげかなるのだが、場所によっては

崖みたいなところにも、キンマ道を作らんといかんとよ。

まさに命がけじゃが。昔は結構亡くなった人もおるげな。

一度子供の頃に親父に聞いたことがあるとよ。

「崖から落ちたら大ケガじゃが」と親父に聞いたところ

「ケガはせんが、死ぬだけじゃが」と笑つちょったが。

こんな仕事を、親父は僕が小学3年生までやっちょったがね。

そんな猪鹿村でのポツンな生活でのお話。

さて、次回は森の中の花火じゃが。

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しいやみつのりの・僕の猪鹿村・その2

2022-08-08 05:22:38 | 日記

はてさて、ぼちぼち始めることにするっちゃが。

僕の親父は現在、92歳。満身創痍でどんげか生きちょるが。

僕がまだ4、5歳の頃は、まさに山奥のポッンと一軒家な生活。

この時の親父の仕事は山師。親父は二十代。昭和30年代の山仕事は、まだまだ人力による伐採が中心で

切り倒した木材を搬送するのが牛、馬、人の手で、トラックが

通れる林道まで搬送するのが普通の時代。

この時代は山に従事する全般的な仕事のことを、総称して山師と呼んでいた。

キンマは、山の勾配を利用してのデンジャラスな木材運搬作業じゃが、

山の作業にも下草刈り、除伐、枝打ち、間伐、伐採、運搬。

この運搬が親父の仕事、キンマ引き。今回はここまで。

次はキンマを図解入りで紹介するっちゃが。まっちょきね。

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