なかなかブログ書く時間がなくて申し訳ないのだ。所で、今月の下旬に、幻冬舎から
「赤塚不二夫」のタイトルで、スペクテイターという本が、出版されるのだ。これは今までの赤塚本とは違い、元フジオプロスタッフからの聞き取りで、昭和の高度成長期時代
フジオプロ内でどのような人間的熱狂が繰り広げられていたのか、と言う記録の談話集なのだ。写真を添付するので是非読んでみて下さい。ドッキリ仮面はその後でね。
なかなかブログ書く時間がなくて申し訳ないのだ。所で、今月の下旬に、幻冬舎から
「赤塚不二夫」のタイトルで、スペクテイターという本が、出版されるのだ。これは今までの赤塚本とは違い、元フジオプロスタッフからの聞き取りで、昭和の高度成長期時代
フジオプロ内でどのような人間的熱狂が繰り広げられていたのか、と言う記録の談話集なのだ。写真を添付するので是非読んでみて下さい。ドッキリ仮面はその後でね。
日大健児先生の仕事は週刊誌なので大変そうなのだが、当時の少年キングの連載陣の中で
人気は上位だったと思う。仕事は徹夜になるのだが、夜食は家庭的な食事で
日大先生のお母さんの手作りだ。いつもインスタントラーメンしか食っていない僕にとっては最高の
おふくろの味だ。その食事を持って来てくれるのが日大先生の妹だった。まだ高校生で
セーラー服の似合う美人の妹さんだったのだ。
日大健児先生とは似ても似つかない…い、いや失礼しました。いつもドキドキしながら
日大先生の手伝いをした事を思い出します。僕にとってはまさにドキドキな仕事場でした。さらにその④に続く
その④は、ますますドッキリな話です。
前回①の続きなのだ。「ドッキリ仮面」の日大健児先生の住所は「赤羽」だ。駅を出ると、小さな商店街があり
まさに下町情緒タップリだ。商店街を抜けてしばらく行くと、住宅街があり、その中の一軒家が日大先生の自宅だ。
この時、先生は外出中で、先生のお母さんから仕事場に通された。仕事場は僕のイメージしていたのとは違い
まるで学生の勉強部屋のようだった。日大先生の名前の由来は、出身校の日本大学、日大から付けた名前だ。
僕の中で日大先生のイメージは膨らむ。「ドッキリ仮面」の内容を知らない方にチョツピリ紹介するけども
この漫画の主人公が、盗んだ仮面。この仮面をかぶると女の子にモテモテになるうえに、スーパーマンのように
力持ちに。しかし、10分以上かぶっていると…男のあそこがでかくなる…。と言うエッチな話なのだ。
しばらくして、日大先生が現れた。長髪の、まるで学生のようだった。多分この頃、まさに先生は日大の学生だったと思う。
「電話で聞いているよ、飯でも行こうよ」と先生は気軽に、近くの居酒屋に連れて行ってもらった。
先生は僕にビールを進められた。「先生…仕事は何時から」と心配して尋ねる間もなく、僕のコップの中に
注がれたのだ。「仕事は明日の朝から始めるよ」「後は仕上げくらいだからすぐに終わるよ」と。久しぶりにビールを
呑んだせいか、目がまわり、ダウンしてしまったのだ。僕もフジオプロのアシスタントになる前は、酒にも弱かったのだ。
この日から、日大先生の手伝いが始まるのである。③につづく
僕が赤塚先生のアシスタントになる前は、まさにド貧乏、大貧乏だったのだ。
食事と言えば、一つのインスタントラーメンを四つに割り、一日一食と言う日も。
本当に食事に困り、死にそうになると知り合いの「少年キング」の編集部にネームを持ち込むのだ。この時は必ずと言っていいほど
行きつけの喫茶店で食事をゴチソウになるのだ。まさに編集様々なのだ。あるとき、いつものようにキングの編集の方と
食事をしていると「しいや君、このままでは大変だからアシスタントをしながらでも自分の作品、描けるんじゃないの」と。
実は一度、ある人気漫画家のアシスタントをした事があるのだが、徹夜徹夜で自分の作品が描けなくて辞めてしまったのだ。その時に知り合った編集が、少年キングの編集だったのだ。キングの増刊号に読み切りでギャグ漫画を数回
描かせて頂いたのだが、この程度では生活も出来るはずもなく。「今うちで人気の『ドッキリ仮面』の日大健児先生の
手伝いに行ってもらえないかな」との事。背に腹は…で行く事になったのだ。その②に続く…近々にね。