当時、大人気だった「おそ松くん」。六つ子の顔、毎週描くのは大変と赤塚不二夫先生が考えた策とは。
1980年、ある、出版社から創刊されたばかりの漫画雑誌『ポップコーン』から、赤塚先生に、連載の依頼が来た。「キャスター」と言うタイトルで連載が始まったのだが…
内容は、あるニュースキャスターが色々な場所に行き突撃レポートをすると言う話だ。問題は、連載2本目の内容だった。
「しいや、今回の作品は、肉料理の話なのだ。このマンガに出てくる料理の肉をお前の劇画タッチの絵で描くのだ!」
その頃ボクは、赤塚作品に登場する劇画調のコマのペン入れを担当していた。
その原稿を読んで絶句…普段の何倍もの劇画調のコマ、それ以上に内容が凄まじ過ぎる!
「先生、これ大丈夫ですか…?
勇気がわいてこない。人肉料理の話なのだ。人間のあれやこれやをああして、こうして…
ダメだ!文にも絵にも描く気になれない…。ちょうどこの頃、マンガ表現に対する規制が厳しくなり始めていた。
妖怪マンガの巨匠が描いた、地獄の亡者が鬼に首をはねられ、からだを切り刻まれる絵が残酷すぎると
顔もからだもスミで真っ黒につぶされるなんてこともあつたのだ。そんな時代なのに、赤塚先生は、
「タブーは破るためにあるのだ。責任はわしがとるのだ」と果敢にチャレンジ!でも、その結果、【キャスター】のその回の掲載雑誌は回収騒ぎとなり、大変だったのだ。
本当に責任をとったのは、掲載雑誌の編集長だったのかも…。
赤塚先生は素面だとあまりしやべれない。でも人間が好きだから、仕事が終わるとすぐに飲みにでかけるのだ。
飲めばしゃべれるし、声もかけられて、にぎやかな一夜が始まる。赤塚先生を中心に輪が広がる。
支払いは全部先生だ。でも、それらは全部フジオプロの経費だ。会社を仕切る横山マネージャーが「酒にカネを使い過ぎだ」
すこしセーブしろと先生を叱ると、先生は「うるさいのだ」と言うような顔をしながらも「わかったのだ」と黙って受け入れる。
フジオプロの近くに「る、くれじお」というスナックがあった。チーフアシスタントのサインがあればただ酒を飲める。
アシスタントの為の、会社の福利厚生のためのスナックだった。給料前は本当に助かるのだ。当時のチーフアシスタントは近藤さんだったのだが、、、
ここらで、ちょいと宣伝なのだ。 な、何と来年は「天才バカボン」と「もーれつア太郎」が連載開始 5o年記念なのだ。 「おそ松くん」同様よろしく頼むのだ。今月の5月14~15日(土)(日)『赤塚不二夫笑ップ』が、東京駅の一番街で
赤塚不二夫風、似顔絵イベントやります。お暇と時間がある方は、一度遊びに来てください。