古書肆雨柳堂

小説の感想。芥川龍之介、泉鏡花、中島敦、江戸川乱歩、京極夏彦、石田衣良、ブラッドベリ、アシモフ、ディック

京極夏彦『豆腐小僧双六道中―本朝妖怪盛衰録―』

2005-08-13 14:57:52 | ミステリ

粗筋
 「妖怪のお話をさせて戴きます」―お馴染みの語り口調で始まりますこの物語は、妖怪豆腐小僧が突如登場します。登場したはいいですが、この豆腐小僧、頼りないことに自分が何者かも、何でここにいるかもわかりません。というわけで、彼の自分探しの旅の形をとり、妖怪の歴史を紹介する図鑑のような物語です。これにより京極夏彦の妖怪の実在についての考えを知ることができます。

妖怪の存在論
 冒頭でこのように述べています。そもそも妖怪は「あやしいモノゴト」というだけの意味だったと。これは意外でしたね。われわれは通常妖怪に人格を与えて思い浮かべます。それは明治大正昭和あたり、漫画化の貢献によるものらしいです。―キャラクターであるから、居る/居ないと問いたくなってしまう。
 その本質は現象であることに立ち返ってみますと、妖怪は現象の概念のわけです。そういう意味で居る/在るわけです。

かまいたち
 例としてかまいたちでその構造が説明されています。かまいたちとは、「ちょっとした身動きなどで、打ちつけもしないのに突然皮肉が裂けて切傷のできる現象」です。昔の人はなぜそうなったのか驚き、不思議に思ったことでしょう。そしていつの間にか「鎌鼬」という妖怪が切りつけているんだ、と現象の説明付けをしたというわけです。

 つまり「鎌鼬」という妖怪なんて、いない。しかし「かまいたち」という現象はあるわけです。そして人々が「かまいたち」の現象の原因は「鎌鼬」と考えている間は、「鎌鼬」は居るわけです。
 しかし別の説明がつけられたら・・・例えば「小旋風の中心に真空が出来、人体にこれが接触しておこる現象」という説明が流布すれば「鎌鼬」は忘れ去られてしまいます。
  つまりこれが文明開化時の状態です。「鎌鼬」は迷信であり、科学的説明は真とされます。
  しかし「真空」が真であるとどうしていえるでしょう?われわれは単に「真空」の説明が正しいんだと聞かされて信じているだけ、「鎌鼬」の代わりに「真空」を置き換えたに過ぎません。

実証
  「真空」といえば科学史において、真空は紛い物とされていました。何もない空間があるはずはなく、自然界は真空を嫌う。真空でなく「気」があるというアリストテレスの説が長く信じられていました。
  しかしトリチェリ、パスカルらの実験により真空の存在が証明されました。

  科学的であるというだけで、現象の説明として真であるとは断定出来ないのです。「かまいたち」が「真空」であることも、科学っぽいという理由だけで真と判断しては、「気」を真とした同じ過ちを犯すことになります。

  パスカルが評価される理由は、実験による実証を重視したからです。実証とは「誰が、いつやっても、毎回同じ結果が得られる」ということです。
  この意味では妖怪は存在しません。信じられている時代、あるいは信じている人のみ、「居る」とされるのです。
妖怪は信じる人たちが居なくなってしまえば、消えてしまう非常に儚い存在なのです。哀しいですね。是非彼らを覚えておいてあげたいものです。

バークリ「存在されるとは知覚されること(esse is percipi)」
  バークリはイギリスの哲学者です。上記のテーゼで有名です。つまりこの椅子が存在するのは私が知覚するからだ、というわけです。
  あれ?と思われたでしょうか。上述の妖怪の存在と、この椅子の存在は同列になってしまいます。
  そうなんです。通常では知覚と物質を独立して考えます。妖怪は物質がないので、通常(実証的には)存在しないと考えられています。
  しかしながらバークリは物質の概念を認めないので、妖怪も(椅子と同様に)存在することになります。

    しかし生活上この考え方は不便なので一般的ではありません。
  誰かが妖怪の存在を信じていて、切傷を負い、それを防ぐために「鎌鼬」退治を行おうとしました。しかし「鎌鼬」を退治しても、このことは解決しないので、現象としての存在と考えるほうが適切・・・というが都合がよいのです。

無用の用
 豆腐小僧は何らかの現象を説明するために存在する妖怪ではありません。「何のために居るんだろう?」と豆腐小僧は泣きそうな顔をします。
 しかし現象の説明でないということは、鎌鼬のようにそれに代わる説明が一般的になったために忘れられる存在ではないのです。それ自体で自立している、新しいタイプの妖怪といえます。キティちゃんなどのキャラクターに近いかもしれませんね。
 『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターとして有名になって砂かけ婆、一反もめんなどはその地位を確立しています。


アキハバラ@DEEP 石田衣良

2005-08-13 13:55:47 | SF

粗筋
 池袋ウェストゲートパークの石田衣良さんが描く作品、今度の舞台は秋葉原です。三人のオタクと一人の美少女が出会い、新たなネットビジネスを立ち上げる物語です。
 彼らは現代社会に適応できておらず、「病」をもっています。

テキストで教養深いページは吃音
グラフィックデザインのボックスの潔癖症・女性恐怖症
デスクトップミュージックのタイコは、不和のリズムを聞くとフリーズしてしまう。

 問題を抱えている三人であるが、ユイさんの人生相談のサイトのアドバイスにより、三人で協力しHP更新などの仕事をし、なんとか社会に適応していました。
 そのユイさんにより、メイドカフェのアイドルアキラを紹介され、ベンチャービジネスをお立ち上げます。
 
 なんとこのアキラ、美少女なのですがメイドカフェで迷彩服を着て、かわいい顔してキャットファイトのチャンピオンという変り者。しかもネットでは男性を装っています。それには昔から容姿端麗のため逆差別を受けていたという過去がありました。彼女も「病」を抱えていたのです。

 彼らはまず、アキラをネットアイドルとしたサイトをつくり、バナー広告を得るビジネスを始めます。
 アキラの人気は順調ですが、お決まりもことでつまらない。彼らは何か新しいことを始めようと、ユイさんの紹介で仲間を得て、サーチエンジンの開発を始めます。

アキハバラという街
 IWGPでは池袋という街のカラーギャング、フーゾク、果てはラーメン屋まで描いていました。秋葉原でもその描写は見事です。しかし秀逸なのが現代のオタクの聖地としての姿だけでなく、その過去の顔、未来の顔もわれわれに紹介してくれていることです。

 彼らは街を散策しているとき、北沢という老人と出会います。彼は研究者でありOS開発の第一人者です。彼から、あたかも自分たちの神話を教えてもらうかのように秋葉原の歴史を学びます。

 先人曰く、秋葉原はテクノロジーの開発になくてはならない街である。電気街の品揃えと大田区の町工場で、頭のなかにしかない新しい装置を創造することができる街であると。

 老人は原題のソフトウェアと美少女アニメのアキハバラを紹介してもらいます。しかし旧弊な大人たちのように、嫌悪を示すわけではありません。フィギュアを手に取り、
「これは私には理解はできないが、世界中から人を惹きつけるからには何かあるのだろう。このエネルギーを失わせてはならない。日本の未来を導く街となるだろう。」
と語ります。

著作権
 彼らは開発した新しいサーチエンジンを無料でネットに公開します。この点で巨大なネット資本と対立します。この事件が作品のダイナミズムです。
 彼らは、ネットによって知的生産物を共有し、自由に使い、創造的行為に資する社会の理念を語ります。「知的生産者は支持者の喜捨によって、支えられるようになるでしょう。現在では無理ですが、ネットによって巨大なマーケットが形成されれば可能となるでしょう。」

 これは政治・経済と不可分であった芸術の自立を示唆するものであるかもしれません。審美主義者は金銭のために創作活動をするわけではないでしょう。創り出すことそれ自体が目的であり、生活の糧さえ得られれば、次にそれを共有できる仲間が得られることのほうが嬉しいでしょう。

 「ファンからの喜捨により、生活の糧のために働かなくてよい」これは芸術家だけでなく、多くの人を生活の糧を得るための労働(labor)から解放し、自己実現のための活動(work)へと専念させる可能性をもっています。

 親たちにその社会不適応を非難されたユイさんですが、このような社会システムが実現していたらユイさんも社会に溶け込むことができ、なおかつ多くの人が心を癒されていたことだろうと思います。
  実際に多くのファンを集めているサイト・ブログがあるでしょう。そこの訪問者にとってそのサイトの主催者は、現実の友人と同様に不可欠な存在であるでしょう。
 人を惹き付けるのも才能だと思います。報酬を得るに値するさいのうであると。

語り手
 物語の成否を決める要素に語り手の選択がありますが、この物語の語り手はだれなのでしょう?プロローグで語り手は主人公たちを「父たちと母」と呼んでいます。物語をしばらく読み進めていくと主人公たちが共同することが判明します。もしかして誰かとアキラが結婚するか?と思いましたが、「父たち」というのは奇妙ですし、彼らは恋愛とは無縁、少なくとも作中の短い時間では恋愛話は出てきなさそうですし。
 会社を立ち上げ、その社員・・・というよりも志を同じくした仲間、後継者かなとも推測しました。

 これは半分あたりといえるでしょう。途中で語り手は「われわれ新しい種族」と述べます。彼らは、主人公たちが開発したAI型サーチエンジンの人格、いわばネット生命体なのです。
 このアイデアは物語の冒頭でのキーであるユイさんのHPとリンクします。この布石は見事です。ユイさんのHPはいつアクセスしても返事が来る、主人公たちはいつ寝ているか疑問に思います。このサイトは膨大な想定問答集から返答するAIを搭載しているのです。