マダガスカルはアフリカ大陸の東側、インド洋に浮かぶ、世界で4番目の大きさの島です。
西洋の文献にマダガスカルの存在が初めて登場したのは、2世紀のギリシャ人
プトレマイオスによるメヌティアスという島についての記述だといわれています。
異論も少なからずありますが、このメヌティアスがマダガスカルだという説が有力です。
そしてより確実性が高い文献は、マルコ・ポーロの「東方見聞録」です。
「東方見聞録」には大きな島の記載がありますが、
マルコ・ポーロはソマリアのモガディシュ地方と勘違いをして、
マディガスカルと誤って紹介しました。
これがマダガスカルの名前の由来です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/eb/ba6fd062f41c7d57baec9add02424276.jpg)
このマダガスカルは、他のアフリカ諸国に比べ、アジアとのつながりが多い国です。
アウトリガーカヌーの存在や言語学の研究により、
古くから、マダガスカルの最初の住人は、
東南アジアから渡ってきた人々とされていました。
そして、2005年に発表されたDNA研究により、1世紀ごろ、ボルネオ島からカヌーで
インド洋を横断してマダガスカルに移り住んだことがほぼ確実視されるようになりました。
その後、アフリカ大陸東部から渡ってきた人々と混血したと考えられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/c8/21b00b07a43410a71cf3f79f5fd0aff3.jpg)
しかし、ボルネオ島とマダガスカル島の間にある他のインド洋沿岸では、
ボルネオ系のDNAは見つかっていません。
このことから、ボルネオの人々は、インド洋沿岸には立ち寄らず
直接マダガスカル島まで航海した可能性が高いと言われています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/7b/3b3c204cb09df733801963481cabca5e.jpg)
しかし、この2つの島の間は約8,300kmも離れています。
2000年も前の人々がこの長い距離を航海できるなどとは考えられないかもしれませんが、
実は、ボルネオ島からマダガスカル島へは、赤道無風帯を通過する必要もなく、
常に貿易風が追い風となる航路のため、
当時の東南アジアの人の技術でも充分に現実的な航海であったのです。
平均時速5ノットで帆走出来れば約一カ月で到達することが出来ます。
つづく
(前田 貴俊)
お忙しい中、毎日のお願いで、恐縮ではございますが、
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西洋の文献にマダガスカルの存在が初めて登場したのは、2世紀のギリシャ人
プトレマイオスによるメヌティアスという島についての記述だといわれています。
異論も少なからずありますが、このメヌティアスがマダガスカルだという説が有力です。
そしてより確実性が高い文献は、マルコ・ポーロの「東方見聞録」です。
「東方見聞録」には大きな島の記載がありますが、
マルコ・ポーロはソマリアのモガディシュ地方と勘違いをして、
マディガスカルと誤って紹介しました。
これがマダガスカルの名前の由来です。
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このマダガスカルは、他のアフリカ諸国に比べ、アジアとのつながりが多い国です。
アウトリガーカヌーの存在や言語学の研究により、
古くから、マダガスカルの最初の住人は、
東南アジアから渡ってきた人々とされていました。
そして、2005年に発表されたDNA研究により、1世紀ごろ、ボルネオ島からカヌーで
インド洋を横断してマダガスカルに移り住んだことがほぼ確実視されるようになりました。
その後、アフリカ大陸東部から渡ってきた人々と混血したと考えられています。
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しかし、ボルネオ島とマダガスカル島の間にある他のインド洋沿岸では、
ボルネオ系のDNAは見つかっていません。
このことから、ボルネオの人々は、インド洋沿岸には立ち寄らず
直接マダガスカル島まで航海した可能性が高いと言われています。
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しかし、この2つの島の間は約8,300kmも離れています。
2000年も前の人々がこの長い距離を航海できるなどとは考えられないかもしれませんが、
実は、ボルネオ島からマダガスカル島へは、赤道無風帯を通過する必要もなく、
常に貿易風が追い風となる航路のため、
当時の東南アジアの人の技術でも充分に現実的な航海であったのです。
平均時速5ノットで帆走出来れば約一カ月で到達することが出来ます。
つづく
(前田 貴俊)
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フィリピンも関係あるかと思いましたがボルネオなんですね。フィリピンは反対側に漕ぎ出したのかしら?
人類の発生がアフリカで、
アジアを通ってまた
戻ってくるって考えると面白いですね。