地球浪漫紀行☆世界紀行スタッフの旅のお話し

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アンデルセンの国・アンデルセンの町   

2009年03月22日 20時54分58秒 | 北欧四ヶ国
皆さん、こんにちは。前田です。
      
アンデルセン童話で有名なハンス・クリスチャン・アンデルセンは、
1805年4月2日に、デンマークのフュン島にあるオーデンセの
貧しい靴職人の家に生まれました。

アンデルセンは70歳でその生涯を終えるまでに、150編を越える童話を創りました。
「みにくいあひるの子」「マッチ売りの少女」「おやゆびひめ」などの、
小さいころに誰もが一度はふれたことのある童話のほかにも、
コペンハーゲン大学在学中に書き上げた小説「徒歩旅行」や、
1835年に出版されたイタリアへの旅行を綴った「即興詩人」などの小説も有名です。
この作品は、発表当時かなりの反響を呼び、ヨーロッパ各国で翻訳出版されて
アンデルセンの出世作となりました。


「旅することは、生きること」という言葉を残したアンデルセンは、
大がつくほどの旅好きとしても知られています。
旅を自分の学校として、多くの旅行記を書き残した彼は、
グリム兄弟、バルザック、ディケンズ、ヴィクトル・ユーゴーなど、
旅先で多くの作家や学者と交友を深めました。
なんと、海外旅行には30回、国内旅行には90回以上も出かけていたようです。
当時の交通事情を考えると、驚くべき旅行歴です。
旅先での出会いを楽しみ、出会った人の家にホームステイをさせてもらうことも
よくありました。
そのような旅先での経験が童話や詩のヒントにもなったのでしょう。


アンデルセン童話には、民俗説話から影響を受けたグリム童話のような作品は少なく、
創作童話が多くみられます。
初期の作品では主人公が死んでしまう結末を迎える作品が多く、
これは、貧困層出身のアンデルセンが貧困層は死以外に幸せになる術を持たない嘆きと、
それに対して無関心を装い続ける社会への嘆きを、
童話を通して訴え続けていた事の表れです。
しかし、この傾向は晩年になるにつれてゆるめられていき、
死以外にも幸せになる術がある事を作品中に描くようになっていきました。
「みにくいあひるの子」は、貧しい家庭に生まれながらも、
成功を手にしたアンデルセン自身を投影しているとも言われています。


アンデルセンの葬儀の際には、デンマーク皇太子をはじめ、
各国の大使や子供からお年寄り、浮浪者に至るまでが並ぶほどの騒ぎになるくらい、
晩年の彼と彼の作品は世界中の人々に愛されていました。
そのアンデルセンの作品が、アジアで最初に紹介された国が日本です。
それは、現在の「はだかの王さま」で、
当時は「王様の新衣装」という題名で紹介されました。


数々の作品の偉業が称えられ、アンデルセンは「童話の王様」と呼ばれますが、
実は戯曲や詩などの作品も多数残しています。
また、手先の器用なアンデルセンは、切り絵やコラージュを作り出すアーティストでも
ありました。
文章を書くだけではなく、切り絵も彼の表現手段の一つだったと言われています。
アンデルセンの切り絵作品やはさみは、生まれ育った町・オーデンセの
アンデルセン博物館に所蔵されています。



お伽の国とも例えられるデンマーク。
中でもオーデンセの、色とりどりのかわいらしい家々が立ち並ぶ通りや、
芝生の広がるオーデンセ川の畔は、アンデルセン童話の中に迷い込んだかのように
感じられる場所です。
「フュン島はデンマークの素晴らしい庭である」と、
アンデルセンが書き残したフュン島の中心部にあり、
古い町並みと自然が調和した町オーデンセを訪れて、
アンデルセン童話の世界に触れてみませんか。
5月にツアー募集中です。
(前田 貴俊)



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