回路網の旅

電気・電子に偏った社会人がおくる日々の記録。

生死

2008年09月16日 00時26分18秒 | (旧)研究

人間は生まれながらにして、死ぬさだめですが、身近な死に触れるのは案外、大人になってからのほうが多いかもしれませんねー。


知らせを聞いて驚きました。


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成人式で会ったばっかやったし。


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すぐに気持ちが沈んで、悲しい感情がこみ上げて、むなしさが残りました。


たまに、笑ってた顔がフラッシュバックしてくるし。


でも、人づてに聞いただけだからかも知れんけど、そこまで実感とかがない。悲しいけどな・・。


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自ら命を絶つってことには私は反対で、知り合いたちが「あたたかく見送って・・・、安らかに・・・」とか日記で書いてるのみてるとなんだかなーと思います。だれも、叱ってあげへんのか!と思う。なにが、安らかなんかが分からん。死んだ相手に叱ってもしゃーないけど。単に踏み込めずに傍観しただけの感想のような気がして・・・。だからって、書くなってわけちゃうけど・・・。


そら苦しいこともあったんやろうけど、死んだらあかんわ。


こればっかりは、なー。数少ない確実に言えることだと思います。


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2 Comments

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思ったこと。。。 (mike)
2008-09-16 02:09:22
かなり、苦しい思いをしていたんだと思うよ。
その子が、もし鬱とかだったとすれば、かなり苦しかったはずです。
なぜなら、うつ病と言うのは今生きるだけでも精一杯なんだ。

世間では、「死んだらアカン」って言うけど、それを言う人は、この苦しみを理解して言っているのか?と思ってしまう。

もちろん、“死”と言うのが決して正しいモノではない。
とても難しいモノなんだよ。

突然にこんな事をコメントしてすいません。
最後に、これだけ言わせて下さい。
ある限界を超えてしまうと、人は死を選んでしまうと言うことを。。
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Re (seizou-e)
2008-10-02 03:30:31
確かにそういう意見もわかります。うつ病になっていたとしたら生きることが辛いということも。

でも、うつ病になって生きるのがつらい、と言ったところでそもそも生きることは辛いわけでそれは鬱でなくても同じだと思うんです。日常でそう感じることが少ないのは、人が支えあって助け合って生きる辛さを和らげてるからだと私は思うんですよ。

その和らげる仕組みから外れたときに、本来の生きる辛さに直面するんじゃないでしょうか。

だから、辛い。

私は、うつ病について詳しい知識はないですがその病気になったら人間は、生きる気がなくなってしまうというなら抵抗すべきだと思いますよ。

私は「うつ病だから死を選択するのは仕方ない。」っていう様に考えるのはなにかおかしいと思います。
がんになったから、死が近いと思い込んでしまうように。

苦しみを理解したからって、許すものおかしい。苦しさが生死を判断する基準になるのが私には理解できません。
でも、死を選んだ人を批判したかったわけじゃないんですよ。一番言いたかったのは、そうして死を選んだ人に対して、「苦しかったんだね、辛かったんだね、安らかに眠ってね」っていう風な一方的に理解して許したような言葉を、表面的な言葉を向けるのが気持ち悪いなような気がして・・・

まとまらなくて、すいません。
詭弁かもしれないですね。
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