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茅舎復活(その三)

2010-05-16 15:07:18 | 川端茅舎周辺
茅舎復活(その三)

(もう一度後記)

 もちろん知音同志が最後の二章から句業の意味を発見せられる事に相違ない。だがもう一度誰哉行燈(たそやアンドウ)を許して欲しい。
 鶯の機先は自分に珍しい程の歓喜を露はに示してゐる。抱風子の鶯団子は病床生活の自分に大きな時代の認識を深める窓の役目を果たして呉れた。
   昭和十六年四月八日
                            川端茅舎
 
 茅舎の最後の第三句集『白痴』は、「題名・序・目次(昭和十四年・昭和十五年・昭和十六年)・後記・もう一度後記」という構成で、掲出のものは、その「もう一度後記」の全文である。
 この中の、「誰哉行燈(たそやアンドウ)」というのは、「とっさの日本語便利帳」(朝日新聞出版)によると次のとおりである。

http://kotobank.jp/word/%E8%AA%B0%E5%93%89%E8%A1%8C%E7%81%AF

[ 江戸時代に使用された行灯。「誰哉(たそや)」とは古語で「どなた」の意。江戸の夜は暗く、日がとっぷり暮れると通りすがりの人の顔も見分けられないほどで、「あなたはどなた」と尋ねなければならなかった。黄昏(たそがれ。誰そ彼は、の意)なども同じ仲間のことば。その薄暮に行灯の油に火を灯点したのが、誰哉行灯。]

 また、「鶯の機先は自分に珍しい程の歓喜を露はに示してゐる」の「鶯の機先」というのは、「昭和十六年」の章の「鶯の機先」所収の句を指し、「抱風子の鶯団子は病床生活の自分に大きな時代の認識を深める窓の役目を果たして呉れた」の「抱風子の鶯団子」は、同じく、「昭和十六年」の章の「抱風子鶯団子」所収の句を指しているのであろう。これらの句を記述すると次のとおりである。

「昭和十六年・鶯の機先」

     三月十二日朝篠浦一兵
少佐次男旭君陸軍幼年
学校入試合格通知飛来
    鶯の機先高音す今朝高音す
    ひんがしに鶯機先高音して
    鶯の声のおほきくひんがしに

「昭和十六年・抱風子鶯団子」
     三月廿九日午後三時
     抱風子鶯団子持参先
     週以来連続して夢枕
     に現れたるそのもの
     目前へ持参
    抱風子鶯団子買得たり
    買得たり鶯団子一人前
    一人前鶯団子唯三つぶ
    唯三つぶ鶯団子箱の隅
    しんねりと鶯団子三つぶかな
    むつつりと鶯団子三つぶかな
    皆懺悔鶯団子たひらげて

 茅舎が、その四十四年余の生涯を閉じたのは、昭和十六年(一九四一)の七月(十七日)であった。この年の十二月には「太平洋戦争」が勃発して、茅舎はその戦争を知らずに他界したことになる。
 しかし、上記の「昭和十六年・鶯の機先」の前書きにある「三月十九日」当時は、その前年に締結されていた「日独伊三国同盟慶祝」のため、時の松岡洋右外相がソ連経由で「独伊」に出発した日でもある。そして、その四月には「日ソ不可侵条約」が締結され、まさに、「太平洋戦争」前夜という風潮であった。
 そういう、当時の時代的風潮を背景にして、これらの句に接すると、「昭和十六年・鶯の機先」の三句は、その「太平洋戦争」前夜という緊張感が、これらの「鶯の機先を先するかのような高音」に見え隠れしているような雰囲気で無くもない。
 そして、後者の「昭和十六年・抱風子鶯団子」の七句について、そういう未曽有の戦争前夜という世相の中にあって、「白痴茅舎」は、まさに、何することもあたわず、ただ、鶯団子が食いたいと、まるで、白痴か駄々子かのような日々の中にあるという、自嘲的に「遊び呆けている」という雰囲気で無くもない。
 これらの句は、茅舎俳句の中にあっては、ほとんど「読み捨て」にされるような、わざわざ、第三句集『白痴』の後書きに記すような句ではなかろう。
 この「昭和十六年・抱風子鶯団子」の七句の一句目(抱風子鶯団子買得たり)から四句目(唯三つぶ鶯団子箱の隅)までは「尻取り連句」の「言葉遊び」の句であるし、次の五句目(しんねりと鶯団子三つぶかな)と六句目(むつつりと鶯団子三つぶかな)は「対句」の、これまた「言葉遊び」の作句ということになろう。
 そして、七句目(皆懺悔鶯団子たひらげて)の、この「懺悔」とは、何とも大げさな、どうにも、自嘲的な雰囲気が伝わってくるのである。これが、茅舎の第三句集『白痴』の最後の句なのだが、やはり、この句集は、その「もう一度後記」の「知音同志」向きの「褻(け)」的な句集という思いを深くするのである。
 ここで、その「もう一度後記」の「誰哉行燈(たそやアンドウ)を許して欲しい」という、この「誰哉行燈(たそやアンドウ)」というのは、何を意味するのであろうか。
それは、「序」にある「白痴茅舎」の、この「白痴茅舎は何者なのか」ということについて、「知音同志の方は、この句集をお詠みになってお判りでしょうが、最後に、もう一度、『鶯の機先』と『抱風子鶯団子』とをお詠みいただいて、風雲急を告げるこの世相にあって、何のお役にも立てずに、鶯団子のことを夢見て、言葉遊びに興じているような一生だったということを、思い起こしてください」というような、そんなニュアンスなのではなかろうか。
 さらに付け加えるならば、「昭和十六年・心身脱落抄」の、「心身脱落」ということと「白痴」ということとは同一の世界のものであって、そういう「心身脱落」の境地から、「魂が昇天して行く」ということも暗示しているのではなかろうか。
 そして、最後に、「川端茅舎」(「聖なるヨルダン川の『川端』」の「モーゼが遊牧の民に建てた粗末なテントの『茅舎』に仮住まいしている一人の「遊牧の民」)と記して、「私もまた、聖なる羊飼いの愚者の一人として、もうすぐ神に召される」ということをも暗示しているのではなかろうか。
 
(追記一)

http://stonepillow.dee.cc/kurosaki_frame.cgi?40+18+7-3

「マタイ伝18章3節」のこと

まことに汝(なんぢ)らに告つぐ、もし汝(なんぢ)ら飜(ひるが)へりて幼兒(をさなご)の如ごとくならずば、天國(てんこく)に入(いる)を得(え)じ。

註解: 神の国における神と人との関係は、本質的に愛の関係である。神に愛されることが人間最大の幸福である。人間の地位や功績の大小は、天国における価値の大小ではない。弟子たちの心の中を見透し給えるイエスは彼らの倨倣(たかぶり)を誡めんとし給い、而してこれと同時に神の愛はかかる者に注がれずして幼児のごとき者に注がるることを示し給うた。「幼児のごとく」天真爛漫で、率直で、謙虚で、信頼の心に満ちている者にあらざれば天国に入ることすらできない。况(ま)して天国において大なる者となるがごときは思いもよらざる事柄である。天国において大ならんとせばこの幼児のごとく謙虚なる心にならなければならない。ゆえに弟子たちのごとく自らを高しとする者は翻って(方向を一転して)この幼児のごとくにならなければならない。ここにイエスは幼児に対する親の深き慈愛を例として、天の父が謙卑(へりくだ)る者に対する愛を表示し給うた。まことに幼児がその母に対する信愛の情と謙卑従順の態度ほど信者の神に対する態度の模範として適切なるはない。
 
(追記二)

「尻取り」のこと

http://kotobank.jp/word/%E5%B0%BB%E5%8F%96%E3%82%8A

しり‐とり【×尻取り】

1 前の人の言った語の最後の一音を取って、それで始まる新しい語を次々に言い続けていく言葉の遊び。「くり・りす・すみ…」など。
2 前の詩歌や文句の終わりの言葉を、次の句の頭に置いて次々に言い続けていく文字つなぎの遊び。「お正月は宝船、宝船には七福神、神功皇后武の内、内田は剣菱七つ梅、梅松桜の菅原で…」など。 

(追記三)

「対句」のこと

http://kotobank.jp/word/%E5%AF%BE%E5%8F%A5

中国の詩文の修辞法。2句が同字数で,語順がひとしく,各語がなんらかの対応関係をもつもの。古代からあり,六朝の駢文(べんぶん)に駆使され,以後は詩に多用された。ことに律詩では8句中,3句と4句,5句と6句はそれぞれ対句になる規則がある。

http://toto.cocolog-nifty.com/kokugo/2007/05/post_4c6d.html

 雪          三好達治

  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。
  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。  

この対句法で、もう1つ井上ひさしの「なのだソング」・・・。
 
 雄々しくネコは生きるのだ
 尾をふるのはもうやめなのだ

 失敗おそれてならぬのだ
 尻尾を振ってはならぬのだ

 女々しくあってはならぬのだ
 お目目を高く上げるのだ

 凛とネコは暮らすのだ
 リンとなる鈴は外すのだ

 獅子を手本に進むのだ
 シッシと追われちゃならぬのだ
 
 (以下略) 
 


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