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早野巴人の世界(その六)

2004-10-11 11:07:11 | 巴人関係
早野巴人の世界(その六)

○ 夏川や流れるもののみなうつくしき

 高井几董編著『続明烏』の中の巴人の句である(「夏川の流れるものの」の「の」は原本は反復記号)。巴人の句は、その十三回忌に編纂された、砂岡雁宕らの『夜半亭発句帖』所収の二百八十七句が、現在、主として、巴人の句として、鑑賞されるのが通常である。そして、この句は、その『夜半亭発句帖』に収録されてはいず、ひっそりと、『続明烏』(その三百十四句目)に、巴人の晩年の号の「宋阿」の句として収録されている。
 前回に取り上げた、『夜半亭発句帖}』収録の「鳴ながら川飛蝉の日影かな」は、これまた、前回に取り上げた几董の『其雪影』では、「啼ながら川こす蝉の日影哉』の句形で収録されている。『夜半亭発句帖』の「川飛ぶ」よりも『其雪影』所収の「川こす」の方が、その「川」が「小さな川」のイメージからしても、よりイメージが鮮明化するように思えるのである(従って、前回のこの句の鑑賞については、こ
のことを付記する必要があろう)。
 さて、今回の「夏川や流れるもののみなうつくしき」、何ともリズムの美しい、そして、句意も平明な句であることか。この句は、「河合森(ただすのもり)にて」の題の中に収録されている一句で、京都の下加茂神社の作ということになろう。
 そして、この「流れるもの」とは、「禊ぎに用いられた形代(かたしろ)の人形など」を指しているのであろう。それらのことを抜きにしても、現代俳句にも通ずる平仮名多用の余韻のある一句ということがいえよう。 そして、こういう、巴人の傑作句も、全く、取り上げられることなく、往々にして、その駄句
の方が、より多く鑑賞されているということは、やはり、心にとどめておく必要があるように思えるのである。




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