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「茅舎浄土」の世界(その八)

2010-05-16 14:57:13 | 川端茅舎周辺
「茅舎浄土」の世界(その八)

○ 約束の寒の土筆を煮て下さい

 『白痴』所収の「二水夫人土筆摘図」八句のうちの一句。二水夫人は、「あをきり句会」の会長の藤原二水の夫人。二水夫妻は龍子夫妻とも懇意で、茅舎の庇護者的な良き理解者であった。この句もまた、茅舎流の、洒落っ気の、俳諧が本来的に有しているところの、軽妙な、そして、即興の「滑稽さ・諧謔さ」そのものの句ということになろう。山本健吉は、俳諧・俳句の本質を「滑稽・挨拶・即興」と喝破したが(『純粋俳句』)、この茅舎の句こそ、山本健吉流の「滑稽・挨拶・即興」の三要素を兼ね備えた典型的な句といえるであろう。ともすると、茅舎俳句というのは、直喩・暗喩・オノマトペ・仏語などを自由自在に駆使した「茅舎浄土」の世界と関連して、虚子流の「花鳥諷詠真骨頂漢」、そして、同時に、自己を内観的に凝視する象徴的な作風として、月並的な江戸俳諧的な、すなわち、「発句的」世界とは一歩も二歩も距離を置いたものとして理解されているが、実は、この掲出句のように、いわゆる、軽みの、「発句的」な世界の句がその底流にあるということは、ここでもまた、指摘をして置きたい。そして、この掲出句においても、季語的には、「寒」(冬)と「土筆」(春)との季重なりで、例えば、嶋田麻紀・松浦敬親著『川端茅舎』では、主たる季語は、「寒」の冬の句としているが、前書きの「二水夫人土筆摘図」の「土筆摘図」の「土筆」の春の句とも解せられるであろう(そして、この「寒」は寒が明けてからなお残る寒さの「余寒」の意なのではなかろうか)。この種の例として、例えば、「咳(せき)暑し茅舎小便又漏らす」の句においても、一般には「咳激し」なのだろうが、「暑し」の夏の季語を活かして、「暑い日に更に咳き込んで灼けるような暑さ」の「咳暑し」の意のように思われるのである。このように、厳格な季語の使用の「ホトトギス」の世界において、茅舎は、杓子定規的な世界を脱して、その初期の頃から、石原八束流の表現ですると「内観的季語」とでもいうような独特の使い方をしているものも数多く見かけるのである。さらに、この茅舎在世中の最期の句集ともいうべき『白痴』という題名に関連して、例えば、ドストエスキーの『白痴』などの西洋的な聖書との関連を掘り下げるのも見かけるが(例えば、嶋田麻紀・松浦敬親著『川端茅舎』)、この題名の由来となっている、「栗の花白痴四十の紺絣」の句からして、芭蕉流の「風狂」、あるいは、良寛流の「大愚・大痴」というような捩(もじ)りでの「白痴」(そして、白痴茅舎)と解して置きたい(そう解することによって、この『白痴』の序の「新婚の清を祝福して贈る 白痴茅舎」というのも、お世話になった甥の清への餞の図書として、白痴茅舎と戯(おど)けてのものと解したい)。


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