茅舎復活(その六)
「昭和十六年・春月」
春月の国常立命(くにとこたちのみこと)来し
春月の眼胴(めどう)うるほひ雪景色
春水の底の蠢動又蠢動
春水の中の虫螻蛄皆可愛
まつ青(さを)に鐘は響きぬ梅の花
「昭和十六年・二水夫人土筆摘図」の次の章が「房子金柑」で、その後に「春月」となり、上記の五句が収載されている。この五句とも、これが茅舎の句かと首を傾げたくなるような、いわば、駄句とも思え . . . 本文を読む
茅舎復活(その五)
「昭和十六年・二水夫人土筆摘図」
日天子寒のつくしのかなしさに
寒のつくしたづねて九十九谷かな
寒の野のつくしをかほどつまれたり
寒の野につくしつみますえんすがた
蜂の子の如くに寒のつくづくし
約束の寒の土筆を煮てください
寒のつくし法悦は舌頭に乗り
寒のつくしたうべて風雅菩薩かな
「二水夫人土筆摘図」の「二水夫人」 . . . 本文を読む
茅舎復活(その四)
「昭和十六年・心身脱落抄」
寒夜喀血みちたる玉壺大切に
寒夜喀血あふれし玉壺あやまたじ
咳かすかすか喀血とくとくと
そと咳くも且つ脱落す身の組織
冬晴を我が肺は早吸ひ兼ねつ
冬晴をまじまじ呼吸困難子
冬晴を肩身にかけてすひをりしか
冬晴をすひたきかなや精一杯
「昭和十六年」の「心身脱落抄」所収の八句である。茅舎の数多い傑作句と比する . . . 本文を読む
茅舎復活(その三)
(もう一度後記)
もちろん知音同志が最後の二章から句業の意味を発見せられる事に相違ない。だがもう一度誰哉行燈(たそやアンドウ)を許して欲しい。
鶯の機先は自分に珍しい程の歓喜を露はに示してゐる。抱風子の鶯団子は病床生活の自分に大きな時代の認識を深める窓の役目を果たして呉れた。
昭和十六年四月八日
川端茅舎
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茅舎復活(その二)
(『川端茅舎句集』・「序」)
茅舎句集が出るといふ話をきいた時分に、私は非常に嬉しく思つた。親しい俳友の句集が出るといふ事は誰の句集であつても喜ばしいことに思へるのであるけれども、わけても茅舎句集の出るといふことを聞いた時は最も喜びを感じたのである。それはどうしてであるかといふ事は時分でもはつきり判らない。
茅舎君は嘗ても言つたやうに、常にその病苦と闘つて居ながら少し . . . 本文を読む
茅舎復活(その一)
俳人・川端茅舎が亡くなったのは、昭和十六年(一九四一)七月、享年、四十三歳であった。この亡くなる直前に、茅舎の謎にみちた遺言ともいえるような第三句集『白痴』が刊行された。
この句集は、その「後記」を見ると、「今度の句集は最近一・二年間のホトトギス以外の新聞・雑誌に発表した句を集めている」のとおり、これまでの、第一句集『川端茅舎句集』、第二句集『華厳』と違って、茅舎が所属 . . . 本文を読む
「茅舎浄土」の世界(その十)
○ 朴散華即ちしれぬ行方かな(昭和十六年八月「ホトトギス」)
○ 石枕してわれ蝉か泣き時雨 (同上九月)
茅舎は亡くなる二日前(昭和十六年七月十五日)の夜に、この掲出の一句目のものがその日にはまだ未刊の「ホトトギス」八月号の雑詠の巻頭になっていることを、虚子の名代ともいうべき深川正一郎から聞かされて大変に喜んだという。そして、その翌日の十六日に、この二句目の句を . . . 本文を読む
「茅舎浄土」の世界(その九)
○ わが魂のごとく朴咲き病よし(昭和十六年七月「ホトトギス」)
○ 朴の花猶青雲の志 (同上)
○ 父が待ちし我が待ちし朴咲きにけり (同上八月)
茅舎が亡くなったのは、昭和十六年(一九九四一)七月十七日のことであった。この最期の病床にあって、この三句目は、茅舎庵の「父(寿山堂)が植えて花の咲くのを待っていた、そして、我(茅舎)もそのことを毎年のように待っていた . . . 本文を読む
「茅舎浄土」の世界(その八)
○ 約束の寒の土筆を煮て下さい
『白痴』所収の「二水夫人土筆摘図」八句のうちの一句。二水夫人は、「あをきり句会」の会長の藤原二水の夫人。二水夫妻は龍子夫妻とも懇意で、茅舎の庇護者的な良き理解者であった。この句もまた、茅舎流の、洒落っ気の、俳諧が本来的に有しているところの、軽妙な、そして、即興の「滑稽さ・諧謔さ」そのものの句ということになろう。山本健吉は、俳諧・俳 . . . 本文を読む
「茅舎浄土」の世界(その七)
○ 咳(せき)暑し茅舎小便又漏らす
○ 咳(せき)暑し四十なれども好々爺
昭和十六年六月の「あをぎり句会」の「尋常風信」に寄せた句。「あをぎり句会」は虚子の肝煎りの茅舎を中心にしての句会。茅舎が亡くなるのはこの年の七月で、最晩年の作ということになる。「咳暑し」と茅舎の病状に思いを馳せると、これほどの悲痛な、これほど自嘲に充ちた句もないような、いわば、茅舎の末期の . . . 本文を読む
「茅舎浄土」の世界(その六)
○ 秋風や薄情にしてホ句つくる
『川端茅舎句集』所収。「芸術(茅舎の場合は絵)の道は厳しく、世間から見れば鬼に見えるくらいに薄情にならなければならない時がある。そんな薄情な人間が、俳句を作っていると云うおかしみ。自分の薄情さがよく分かっているだけに、この秋風は茅舎の身にしみる。『ホ句』は『発句』で俳句のこと」(嶋田麻紀・松浦敬親著『川端茅舎』)。しかし、この . . . 本文を読む
「茅舎浄土」の世界(その五)
○ 蛍籠(かご)大きな月が覗きけり
昭和五年(一九三〇)の三十三歳の作。この句は、「ホトトギス」への出品作ではなく、島田青峰主宰の「土上」への出品作。この「土上」には、「遊牧の民」という筆名を用いていた。「遊牧の民」という号になると、俄然、「茅舎」の号も、旧約聖書の『レビ記』の「仮庵」(嶋田麻紀・松浦敬親著『川端茅舎』で紹介されている)という思いがしてくる。し . . . 本文を読む
「茅舎浄土」の世界(その四)
○ 放屁虫エホバは善(よ)しと観(み)たまへり
茅舎の号の由来が、旧約聖書の『レビ記』にある「結茅(かりほずまい)の節(いわい)」(神が民を「仮庵(かりいお)」に住まわせた事を思い出させるための祭)から採られているという見解(嶋田麻紀・松浦敬親著『川端茅舎』)には、それに賛意を表するだけのものは持ち合わせてはいない。確かに、茅舎の年譜(明治四十二年・一九〇五 . . . 本文を読む
「茅舎浄土の世界」(その三)
○ 白露に阿吽の旭さしにけり
○ 白露に金銀の蠅とびにけり
○ 露の玉百千万も葎かな
○ ひろびろと露曼荼羅の芭蕉かな
昭和五年「ホトトギス」十一号の巻頭を飾った露の四句である。一句目、二句目の白露は露の美称だが、病弱の茅舎の化身のような(一瞬のうちに消え失せるような)、それを暗示するような白の世界である。また、一句目の「阿吽」は仁王や狛犬の、「一は口を開き、 . . . 本文を読む
「茅舎浄土」の世界(その二)
○ 白露に鏡のごとき御空かな
○ 金剛の露ひとつぶや石の上
○ 一連の露りんりんと糸芒
○ 露の玉蟻たぢたぢとなりにけり
昭和六年十二月号「ホトトギス」の巻頭を飾った露の四句である。この四句に「茅舎浄土」の世界の全てが隠されている。一句目の「白露に」の「白」、そして、「鏡のごとき」の「ごとき」の比喩。二句目の「金剛の」の「金剛」の仏教用語。三句目・四句目の「りん . . . 本文を読む