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茅舎復活(その一)

2010-05-16 15:03:16 | 川端茅舎周辺
茅舎復活(その一)


 俳人・川端茅舎が亡くなったのは、昭和十六年(一九四一)七月、享年、四十三歳であった。この亡くなる直前に、茅舎の謎にみちた遺言ともいえるような第三句集『白痴』が刊行された。
 この句集は、その「後記」を見ると、「今度の句集は最近一・二年間のホトトギス以外の新聞・雑誌に発表した句を集めている」のとおり、これまでの、第一句集『川端茅舎句集』、第二句集『華厳』と違って、茅舎が所属していた「ホトトギス」に発表された句は除いてあるというのが、大きな特色ともなっている。
 その目次は、「昭和十四年」・「昭和十五年」・「昭和十六年」の三章からなり、その「序」に、「新婚の清を祝福して贈る」として、「白痴茅舎」の「茅舎」に「白痴」の二字を冠しての俳号が記されている。そして、この「白痴」が、そのまま、この第三句集の句集名になっているのである。
 この「白痴」というのは、茅舎にとって何に由来して、どんな意味合いが込められているのであろうか。どうにも、謎めいた不可思議な句集名と句集であるということを実感するのである。
 この「白痴」という句集名に接して、第一感として、ドストエフスキーの長編小説『白痴』というのが思い起こされてくる。当時の茅舎が、このドストエフスキーの『白痴』を読んでいたのかどうか、それは知る由もない。これらのことについて、かつて、次のアドレスで、次のようなことを記したことがある。

http://blogs.yahoo.co.jp/seisei14/56474793.html

[ ○ 栗の花白痴四十の紺絣

 茅舎が亡くなる昭和十六年に刊行された、茅舎の最後の第三句集『白痴』というのは、そこに集録されている句の良し悪しということは別にして、「題名・序・目次・後記・もう一度後記」と、そのどれを取っても、どうにも不可解な、不思議な句集だという思いを深くする。題名の『白痴』というのは、「昭和十五年」の「初夏の径(こみち)」と題する中の掲出の句に由来があるのだろう。そして、この句の「白痴」というのは茅舎自身を指していることは自明のところであろう。そして、この自分を「白痴」と称するのは、例えば、ドストエフスキーの小説『白痴』などが背景にあるものなのかどうか。ドストエフスキー全集というのは、大正期には翻訳されており、茅舎がドストエフスキーの『白痴』を目にしていた可能性は無くはない(この「白痴」という用語は、重度の知的障害の古い呼び方として、現在では、差別用語とされることがあるとのことである)。その小説の主人公は、「白痴」というニックネームで、あらゆることを真摯に受け止め、人を疑うことを知らないムイシュキン公爵であるが、ドストエフスキーが「完全に美しい人」として描くところの、このムイシュキン公爵を、自分自身の投影としている感じがしなくもない。しかし、この掲出句などを、取り立てて、ドストエフスキーの『白痴』と関係づけることは、ますます不可思議を倍加させるだけで、その背景の詮索を「あれかこれか」するのは避けて置いた方が無難なのかも知れない。しかし、この第三句集『白痴』の「序」が、「新婚の清(注・茅舎の異母兄の長男、茅舎の甥)を祝福して贈る 白痴茅舎」ということで、「風狂人茅舎」あるいは「大愚茅舎」というようなことを、「白痴茅舎」と洒落て(捩って)使用してのもの解して置きたい(このことについては先に触れた)。とした上で、あらためて、この掲出句の鑑賞をすると、例えば、後の、聖書に深い理解のある、平畑静塔の「ゴルゴタの曇りの如し栗の花」や、角川源義の「栗の花いまだ浄土の方知らず」(「(前略)栗といふ文字は西の木と書いて西方浄土に便あり(後略)」の前書きあり)など、聖書や「西方浄土」とも一脈通ずるところもあり、そういう背景などを、より深く掘り下げて鑑賞したい衝動にも駆られてくる(嶋田麻紀・松浦敬親著『川端茅舎』では、「この第三句集の『白痴』は、「『白痴』こそが茅舎の『補陀落浄土』に違いない。(中略) 茅舎は、第二次世界大戦が勃発し、身辺にまで戦争が迫って来た事で、最後の審判が近づいていると感じたのだ。だからこそ、茅舎は白痴になった。『白痴茅舎』とは、イエスの言う『幼な子』だったのだ」との大胆な謎解きと鑑賞をしている)。 ]

 上記の鑑賞視点は、「アララギと茅舎」、特に、「茅舎・たかし・夜半・久女・左右」と、虚子の「花鳥諷詠」の絶頂期の頃の、「ホトトギス」派の面々の俳句を鳥瞰的に見てみたいという意向があった。
そういう観点からすると、間違いなく、茅舎の第一句集『川端茅舎句集』そして第二句集『華厳』は、その「ホトトギス」の誌面を飾り、その句集の隅々まで、「花鳥諷詠」の主唱者である高浜虚子が厳選し、その息がかかった、文字通り、「ホトトギス」俳人・川端茅舎の「晴れ」の公けの句集であったということがいえるであろう。
それに対して、この茅舎の第三句集『白痴』は、それらの高浜虚子との関連の世界とは別に、その編集も全て、当時の茅舎の身辺近くにあった鈴木抱風子が、「(ホトトギス)以外の句の方がスキだらけで親しい」(『白痴』・「後記」)と、いわば、茅舎の日常些事的な、特定の親しい人に対して編集されたような、「褻」(け)的な句集であるということもいえるのかもしれない。
それと同時に、茅舎の、これらの生涯にわたる句業というのを、あらためて見ていくと、この第三句集『白痴』の「序」に出てくる「白痴茅舎」の、その「白痴」も「茅舎」も、これは、まぎれもなく、「聖書」(とくに、「旧約聖書」)と深い関係があるということを、確信的に思えてきたのである。
 今回は、この「晴(はれ)と褻(け)」の「褻」的な面と、この「聖書」との関連での、第三句集『白痴』の鑑賞ということにウェートを置いて、前回の「『茅舎浄土』の世界」から「茅舎復活」ということに視点を変えて、その鑑賞を進めて見たい。


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