この間、「みなとさん」(みなと出版二十二の代表者と思われる人物)の「反社会的行為」について、その要因となった思想的傾向や「管理職労組」ホームページ私物化の実態、及び動機としての私怨について考えてきました。
仮にも労働組合を名のる団体のホームページ・掲示板に対する考察において、その「運営実務を依頼されただけ」であるはずの外部の人物についてここまで検討せざるを得ないこと自体が異常なことです。ここまでの検討を通じて、「管理職労組」掲示板問題とは要するにどのような問題であったのか、ということについて以下のような整理ができると考えます。
「管理職労組」掲示板の「民主主義違反」(例:言論統制、事実に基づかない誹謗中傷の横行等)とは、
・「告発者」を支援する活動・組織が「形をかえて」結成された「管理職労組」において、支援活動当初から広報を担当していた「みなとさん」が、
・「告発者」たちが去って「取り残された」後に、ホームページ・掲示板を私物化して、
・自らの「取り残された怨みを晴らす」立場から、掲示板での誹謗中傷行為やその要因ともなる成りすまし行為を擁護し、
・その民主的規制を求める意見を排除するために自らも成りすまし行為等を行うとともに、最終的に言論統制・事前検閲までを行うに至った
・・・ ということではないでしょうか。
そして、F委員長をはじめとする「管理職労組」メンバーは、それを「放置」したということなのでしょう。ここではあえて「放置」と言う言葉を使用します。その理由はおそらく次回に譲ることになるでしょう。「管理職労組」の行為と責任にふれる前に、「みなとさん」の反社会的行為が現実的にはどのような問題を生み出し、どのような結果をもたらしたのかについて考えてみたいと思います。
【 「みなとさん」は「大阪のやっさん」をかばったのか? 】
例えば、「大阪のやっさん」のハンドルネーム多重使用に対して「みなとさん」が〝管理人のみ知りえる客観的情報からそのような事実はない〟等という虚偽の証言を行い、多重使用を「擁護」したことについてです。「みなとさん」のこの行為は、「大阪のやっさん」にとってどのような意味を持ったでしょうか?
結論から言えば、管理人である「みなとさん」がハンドルネーム多重使用を擁護したことで、「大阪のやっさん」の成りすまし行為は拡大し、それが他の参加者から指摘されると更に別の成りすましを行う方向にエスカレートしました。2006年以降、彼が使用したハンドルネームは22件に及んでいます。
このようなエスカレートは、何よりも彼の健康に対して一定の悪影響を与えたのではないかと考えられます。また、彼が「参加」している「管理職労組」には賛同できなくとも、「大阪のやっさん」の人柄(彼が善意の人であることは多くの人が認識していることです)から、彼の健康等を案じる仲間も少なくなかったのですが、彼のエスカレートした成りすまし投稿行為は、彼と仲間たちとの関係に否定的な影響を与えるものでした。
【 掲示板参加者からの意見 】
当時の掲示板から二つの投稿を紹介します。
◎「とりあえず最優先事項だと思うのですが,投稿者,一生協人,投稿日,2006年4月9日(日)」より
「ほのぼのおじさん、というより、○○さん、療養に専念しようよ。あなたは、気がついてないと思うけど、昨日のあなたの投稿(民主主義とは議論から)で、あなたは
>私の身元は、現場⇒広報⇒事業部⇒役員室⇒カタログ⇒営業 です。店舗以外は知っています。
と書いて、自分が『○○さん』だと言う事をあきらかにしちゃってるんですよ。 …中略…実は、こんなことは、大半のメンバーが(本当は)気がついていたことなんだけど・・・でも、そのことの大変さに気がつくべきですよ。『民主主義は議論から』と言ってみても、こんな事を繰り返していたら、議論も何も成り立たなくなりますよ。
ここからは、管理人さんへの発言です。
管理人さん、まず複数のハンドルネームの使用は禁止すべきですよ。他にもいくつか、言いたいことはあるけれど、それは後日にします。まずは、複数ハンドルネームをやめないと、いつまでたってもこんな事が繰り返されますよ。同一人物による複数ネームの使用を、結果として容認してきたことが、これまでの議論の縺れの一因になっていませんか?
あなたは、善意で発言したのでしょうが、以前に、『管理人のみが知り得る客観情報の開示』として、『○○さん』『○○○○さん』『ほのぼのおじさん』は『別人物です』と仰いました。
あなたの、この発言は、事実ではありませんね。(動機はともかくとして、ですが・・・それと、おそらく何人かの方は、これが事実ではないと思っていたでしょうが)
あなたは、その文章で『基本的にハンドルネームは同一のものでお願いします』とも発言しています。『基本的』は不要ではないですか?お願いしますではなく、同一の物を使用しない場合、退場を命じる、が当然ではないのですか?
これ以上続けることは、本人の健康上からも、好ましくないと思います。ぜひとも、検討をお願いします。」(注:文中の○○は投稿当時のままです)
◎「管理人さんへ,投稿者,一休,投稿日,2006年4月17日(月) … の一部を要約」
「まず、はっきりさせておくが私は、いずみ市民生協の職員・組合員ではない。いずみ市民生協の創始者による独裁私物化問題に勇気をもって立ち向かい全国的な支援もえて、激しい弾圧の中、その独裁者を追及しその罪状を明らかにした方たちに強く敬意を持って、同じ生協職員として、また同じく民主化を進める者としてこの掲示板を探した。しかし、残念なことにこの掲示板は混乱を極めている。 … 中略 …
管理人氏は、以前に『やっさんとプラットさんは別人』としたことと、いずみ市民生協の理事長への誹謗中傷発言を容認した大きな過ちを犯した。 今からでもよいからその点での総括をお願いしたい。
混乱させている本人は、健康に支障があるため、これ以上追求しても無駄である。彼の健康回復を願うのなら、管理人氏からも発言を自重するよう伝えるべきだと思う。」
【 否定的影響は疑いない 】
一休さんと私とは、「管理職労組」についての評価等で意見の相違も少なくありませんが、「みなとさん」によるハンドルネーム多重使用の擁護が、民主主義的な議論を進める点でも、そして彼の健康面からも、望ましくないということについては全く同様の意見を述べています。
しかし「みなとさん」はこれらの意見を無視して彼の多重使用を容認しただけでなく、彼が投稿した「虚偽」や「重大なプライバシー侵害」に関わる投稿についても、これを掲載しつづけました。
部外者である「みなとさん」には、彼の健康状態や仲間との関係等が理解できなかったのか、それとも、「掲示板」を憂さ晴らしとして利用している「みなとさん」には彼の健康やいずみの仲間との関係等は考慮にあたいしないものであったのか … いずれにせよ、「みなとさん」の行為が、彼の健康と、いずみの仲間からの信頼とに一定の否定的影響を与えたことは疑いないと思います。
例えば、一休氏の投稿から一週間ほど後の「プラット」名(もちろん彼のハンドルネーム多重使用)の投稿には、
「“いずみ生協”の管理職組合員は理事会と正規労組から威圧を受ける立場である。活動は慎重に行っている。4月24日 “ぼんやりさん”(一生協人注:これも彼の成りすまし)が管理職労組の『創立宣言』を掲載している。今もこの状態を形はより陰湿に行われている。具体的な事はここにレス出来ない。理事会に手の内を見せる事になる。」
… 等という荒唐無稽とも言える内容が書かれていました。
2006年4月末時点の掲示板は、彼が成りすました様々人物の投稿と、その成りすまし行為や内容の荒唐無稽さに対する揶揄とが一定のウエイトを占める状況すら見られたのです。
【 自ら閉ざした可能性 】
ところで、先の一休氏の投稿では、「管理職労組」(というより告発者たちというべきかも知れませんが)に対する敬意とそのホームページ・掲示板に対する期待(少なくとも当初はということでしょうが)が述べられています。これは、一休氏だけのことではありません。
例えば「2ちゃんねるの住人」氏(投稿は滋賀県から)の投稿(2006年4月22日)では
「私は、掲示板がこのように荒れる前から、この掲示板に出入りしていた。この掲示板に出入りしている人の多くは、生協運動に希望を見いだし、生協運動の発展を願っている人達だ。方法論のちがいから、いろんな議論はあるにせよ、目指す方向としてはほぼ一致していたはずだ。だから、掲示板上での論議も、生協運動の発展に寄与するものであって欲しいという暗黙の一致点の上にたっていた。」
という認識が述べられています。
告発者の行為が一休氏の評価どおりのものかについては異論がありますし、「管理職労組」の活動実態がなかったことはこの間明らかにしたとおりですが、少なくとも、掲示板に参加してきたメンバーの中に、生協運動についての真面目な意見交換を求める人たちがいたことは疑いがないと思います。
それが正しく育まれるなら、「管理職労組」掲示板は ― 例え「管理職労組」自体の活動は「皆無」であったとしても ― 他に例のない「コミュニケーション」の場となりえたかもしれません。少なくともその可能性はあったと思います。
それが閉ざされたのは、掲示板が個人のブログ化し、ハンドルネームの多重使用や事実に基づかない誹謗中傷の横行等、民主主義的コミュニケーションルールが否定されていったからに他なりません。
先の「2ちゃんねるの住人」氏の投稿は続けて指摘します。
「ところが、いつからか、この掲示板が、デマ宣伝の場、誹謗と中傷の応酬、生協の内部で解決するべき事象の無原則的公開などが行われるようになり、当初の目的から変質してしまった。生協運動の発展を願う立場から言えば、今では、世に恥ずべき掲示板と成り下がっている。」
… これに付け加えることはただ一つ、それをしたのは「みなとさん」であるということだけです。
【 そして残されたものは 】
先日のブログで、「みなとさん」の動機について若干の検討を行いました。
「みなとさん」の動機が、単なる私怨にせよ、民主主義的な「義憤」にせよ、
「告発者」が去り、結果として「取り残された」掲示板(というのは、ホームページは「管理職労組」が活動しない限り変化が期待できないので)が「みなとさん」の思いを実現する「手段」となるためには、
何よりもそこに参加するメンバーの、コミュニケーションにかける思いが尊重され、それが推進力となって参加が広がることしか方法はなかったのです。
「みなとさん」は、この「唯一の道」を自ら閉ざしました。
その帰結が何であったか … 掲示板自体の休止と、「みなと隠し」による自らの撤退です。「みなとさん」の撤退については「ほとぼりが冷めるまでの寝たふり」ということも考えられなくはないのですが、少なくとも現時点では、残されたものは、ホームページの残骸と「管理職労組」三役ということになります。
私は、次回以降、「管理職労組」三役メンバーについて検討したいと思います。ながらく予告のみでしたが、やっと検討にはいることができそうです。
次回の更新は2週間後を予定しています。
なお、すでに何回か書いてきたことですが、「管理職労組」の考察については「情報が公開されていない」ことから多くを推論に頼らざるを得ません。推論に誤りがあれば、訂正・お詫びする事に吝かではありません。仮に私の推論に対して「管理職労組」や「みなとさん」からの反論等があれば、このブログに掲載させていただきます。
もちろん、事実に基づかない誹謗中傷の禁止等民主主義的コミュニケーションのルールについて遵守いただくことは前提です。
仮にも労働組合を名のる団体のホームページ・掲示板に対する考察において、その「運営実務を依頼されただけ」であるはずの外部の人物についてここまで検討せざるを得ないこと自体が異常なことです。ここまでの検討を通じて、「管理職労組」掲示板問題とは要するにどのような問題であったのか、ということについて以下のような整理ができると考えます。
「管理職労組」掲示板の「民主主義違反」(例:言論統制、事実に基づかない誹謗中傷の横行等)とは、
・「告発者」を支援する活動・組織が「形をかえて」結成された「管理職労組」において、支援活動当初から広報を担当していた「みなとさん」が、
・「告発者」たちが去って「取り残された」後に、ホームページ・掲示板を私物化して、
・自らの「取り残された怨みを晴らす」立場から、掲示板での誹謗中傷行為やその要因ともなる成りすまし行為を擁護し、
・その民主的規制を求める意見を排除するために自らも成りすまし行為等を行うとともに、最終的に言論統制・事前検閲までを行うに至った
・・・ ということではないでしょうか。
そして、F委員長をはじめとする「管理職労組」メンバーは、それを「放置」したということなのでしょう。ここではあえて「放置」と言う言葉を使用します。その理由はおそらく次回に譲ることになるでしょう。「管理職労組」の行為と責任にふれる前に、「みなとさん」の反社会的行為が現実的にはどのような問題を生み出し、どのような結果をもたらしたのかについて考えてみたいと思います。
【 「みなとさん」は「大阪のやっさん」をかばったのか? 】
例えば、「大阪のやっさん」のハンドルネーム多重使用に対して「みなとさん」が〝管理人のみ知りえる客観的情報からそのような事実はない〟等という虚偽の証言を行い、多重使用を「擁護」したことについてです。「みなとさん」のこの行為は、「大阪のやっさん」にとってどのような意味を持ったでしょうか?
結論から言えば、管理人である「みなとさん」がハンドルネーム多重使用を擁護したことで、「大阪のやっさん」の成りすまし行為は拡大し、それが他の参加者から指摘されると更に別の成りすましを行う方向にエスカレートしました。2006年以降、彼が使用したハンドルネームは22件に及んでいます。
このようなエスカレートは、何よりも彼の健康に対して一定の悪影響を与えたのではないかと考えられます。また、彼が「参加」している「管理職労組」には賛同できなくとも、「大阪のやっさん」の人柄(彼が善意の人であることは多くの人が認識していることです)から、彼の健康等を案じる仲間も少なくなかったのですが、彼のエスカレートした成りすまし投稿行為は、彼と仲間たちとの関係に否定的な影響を与えるものでした。
【 掲示板参加者からの意見 】
当時の掲示板から二つの投稿を紹介します。
◎「とりあえず最優先事項だと思うのですが,投稿者,一生協人,投稿日,2006年4月9日(日)」より
「ほのぼのおじさん、というより、○○さん、療養に専念しようよ。あなたは、気がついてないと思うけど、昨日のあなたの投稿(民主主義とは議論から)で、あなたは
>私の身元は、現場⇒広報⇒事業部⇒役員室⇒カタログ⇒営業 です。店舗以外は知っています。
と書いて、自分が『○○さん』だと言う事をあきらかにしちゃってるんですよ。 …中略…実は、こんなことは、大半のメンバーが(本当は)気がついていたことなんだけど・・・でも、そのことの大変さに気がつくべきですよ。『民主主義は議論から』と言ってみても、こんな事を繰り返していたら、議論も何も成り立たなくなりますよ。
ここからは、管理人さんへの発言です。
管理人さん、まず複数のハンドルネームの使用は禁止すべきですよ。他にもいくつか、言いたいことはあるけれど、それは後日にします。まずは、複数ハンドルネームをやめないと、いつまでたってもこんな事が繰り返されますよ。同一人物による複数ネームの使用を、結果として容認してきたことが、これまでの議論の縺れの一因になっていませんか?
あなたは、善意で発言したのでしょうが、以前に、『管理人のみが知り得る客観情報の開示』として、『○○さん』『○○○○さん』『ほのぼのおじさん』は『別人物です』と仰いました。
あなたの、この発言は、事実ではありませんね。(動機はともかくとして、ですが・・・それと、おそらく何人かの方は、これが事実ではないと思っていたでしょうが)
あなたは、その文章で『基本的にハンドルネームは同一のものでお願いします』とも発言しています。『基本的』は不要ではないですか?お願いしますではなく、同一の物を使用しない場合、退場を命じる、が当然ではないのですか?
これ以上続けることは、本人の健康上からも、好ましくないと思います。ぜひとも、検討をお願いします。」(注:文中の○○は投稿当時のままです)
◎「管理人さんへ,投稿者,一休,投稿日,2006年4月17日(月) … の一部を要約」
「まず、はっきりさせておくが私は、いずみ市民生協の職員・組合員ではない。いずみ市民生協の創始者による独裁私物化問題に勇気をもって立ち向かい全国的な支援もえて、激しい弾圧の中、その独裁者を追及しその罪状を明らかにした方たちに強く敬意を持って、同じ生協職員として、また同じく民主化を進める者としてこの掲示板を探した。しかし、残念なことにこの掲示板は混乱を極めている。 … 中略 …
管理人氏は、以前に『やっさんとプラットさんは別人』としたことと、いずみ市民生協の理事長への誹謗中傷発言を容認した大きな過ちを犯した。 今からでもよいからその点での総括をお願いしたい。
混乱させている本人は、健康に支障があるため、これ以上追求しても無駄である。彼の健康回復を願うのなら、管理人氏からも発言を自重するよう伝えるべきだと思う。」
【 否定的影響は疑いない 】
一休さんと私とは、「管理職労組」についての評価等で意見の相違も少なくありませんが、「みなとさん」によるハンドルネーム多重使用の擁護が、民主主義的な議論を進める点でも、そして彼の健康面からも、望ましくないということについては全く同様の意見を述べています。
しかし「みなとさん」はこれらの意見を無視して彼の多重使用を容認しただけでなく、彼が投稿した「虚偽」や「重大なプライバシー侵害」に関わる投稿についても、これを掲載しつづけました。
部外者である「みなとさん」には、彼の健康状態や仲間との関係等が理解できなかったのか、それとも、「掲示板」を憂さ晴らしとして利用している「みなとさん」には彼の健康やいずみの仲間との関係等は考慮にあたいしないものであったのか … いずれにせよ、「みなとさん」の行為が、彼の健康と、いずみの仲間からの信頼とに一定の否定的影響を与えたことは疑いないと思います。
例えば、一休氏の投稿から一週間ほど後の「プラット」名(もちろん彼のハンドルネーム多重使用)の投稿には、
「“いずみ生協”の管理職組合員は理事会と正規労組から威圧を受ける立場である。活動は慎重に行っている。4月24日 “ぼんやりさん”(一生協人注:これも彼の成りすまし)が管理職労組の『創立宣言』を掲載している。今もこの状態を形はより陰湿に行われている。具体的な事はここにレス出来ない。理事会に手の内を見せる事になる。」
… 等という荒唐無稽とも言える内容が書かれていました。
2006年4月末時点の掲示板は、彼が成りすました様々人物の投稿と、その成りすまし行為や内容の荒唐無稽さに対する揶揄とが一定のウエイトを占める状況すら見られたのです。
【 自ら閉ざした可能性 】
ところで、先の一休氏の投稿では、「管理職労組」(というより告発者たちというべきかも知れませんが)に対する敬意とそのホームページ・掲示板に対する期待(少なくとも当初はということでしょうが)が述べられています。これは、一休氏だけのことではありません。
例えば「2ちゃんねるの住人」氏(投稿は滋賀県から)の投稿(2006年4月22日)では
「私は、掲示板がこのように荒れる前から、この掲示板に出入りしていた。この掲示板に出入りしている人の多くは、生協運動に希望を見いだし、生協運動の発展を願っている人達だ。方法論のちがいから、いろんな議論はあるにせよ、目指す方向としてはほぼ一致していたはずだ。だから、掲示板上での論議も、生協運動の発展に寄与するものであって欲しいという暗黙の一致点の上にたっていた。」
という認識が述べられています。
告発者の行為が一休氏の評価どおりのものかについては異論がありますし、「管理職労組」の活動実態がなかったことはこの間明らかにしたとおりですが、少なくとも、掲示板に参加してきたメンバーの中に、生協運動についての真面目な意見交換を求める人たちがいたことは疑いがないと思います。
それが正しく育まれるなら、「管理職労組」掲示板は ― 例え「管理職労組」自体の活動は「皆無」であったとしても ― 他に例のない「コミュニケーション」の場となりえたかもしれません。少なくともその可能性はあったと思います。
それが閉ざされたのは、掲示板が個人のブログ化し、ハンドルネームの多重使用や事実に基づかない誹謗中傷の横行等、民主主義的コミュニケーションルールが否定されていったからに他なりません。
先の「2ちゃんねるの住人」氏の投稿は続けて指摘します。
「ところが、いつからか、この掲示板が、デマ宣伝の場、誹謗と中傷の応酬、生協の内部で解決するべき事象の無原則的公開などが行われるようになり、当初の目的から変質してしまった。生協運動の発展を願う立場から言えば、今では、世に恥ずべき掲示板と成り下がっている。」
… これに付け加えることはただ一つ、それをしたのは「みなとさん」であるということだけです。
【 そして残されたものは 】
先日のブログで、「みなとさん」の動機について若干の検討を行いました。
「みなとさん」の動機が、単なる私怨にせよ、民主主義的な「義憤」にせよ、
「告発者」が去り、結果として「取り残された」掲示板(というのは、ホームページは「管理職労組」が活動しない限り変化が期待できないので)が「みなとさん」の思いを実現する「手段」となるためには、
何よりもそこに参加するメンバーの、コミュニケーションにかける思いが尊重され、それが推進力となって参加が広がることしか方法はなかったのです。
「みなとさん」は、この「唯一の道」を自ら閉ざしました。
その帰結が何であったか … 掲示板自体の休止と、「みなと隠し」による自らの撤退です。「みなとさん」の撤退については「ほとぼりが冷めるまでの寝たふり」ということも考えられなくはないのですが、少なくとも現時点では、残されたものは、ホームページの残骸と「管理職労組」三役ということになります。
私は、次回以降、「管理職労組」三役メンバーについて検討したいと思います。ながらく予告のみでしたが、やっと検討にはいることができそうです。
次回の更新は2週間後を予定しています。
なお、すでに何回か書いてきたことですが、「管理職労組」の考察については「情報が公開されていない」ことから多くを推論に頼らざるを得ません。推論に誤りがあれば、訂正・お詫びする事に吝かではありません。仮に私の推論に対して「管理職労組」や「みなとさん」からの反論等があれば、このブログに掲載させていただきます。
もちろん、事実に基づかない誹謗中傷の禁止等民主主義的コミュニケーションのルールについて遵守いただくことは前提です。
どういたしまして。貴方には、これが過去の事としか見えないのだとしたら、そんな貴方よりは、私のほうが恵まれているでしょう。
>このブログの意味はもうないのじゃないの。
コメントを書く前に、まず相手が何を書いているかをしっかり読んで、次に、読んだ内容をよく考える癖をつけましょう。
9/21付けブログ、破廉恥掲示板と「管理職労組」がたどり着いたところ(1)に書いたとおりです。
以下に引用しておきましょう。
----------------------
この間、「管理職労組」の実態についての考察を踏まえて、ホームページ及び班廉恥掲示板の問題は「みなと出版二十二」の代表者と思われる人物による「労組掲示板の私物化」であり「他団体への介入」と思われることを明らかにしてきましたが、それを「黙認」している「管理職労組」自身の責任についてのまとまった考察は「宿題」となっていました。
あまり気がすすまない(理由はおいおい明らかになると思います)宿題ですが、約束したことでもあり、責任を果たさなければなりません。
(2)同時に、今回の論考は、このブログの「いったんのまとめ」であり、この論考をもって一生協人のブログは「正式な休止状態」に移行することになります。
詳細は後述しますが、おそらく「管理職労組」も、そのホームページも、掲示板も、今後何らかの動きがあるとは思えないからです
--------------------以上、引用終わり
「みなとさん」の所業については、それが反社会的であることは、自らの「みなと隠し」によって明らかになっています。従って、この間の一生協人の主張は、事実によってその正しさが確定していると言っても過言ではないのでしょう。
しかし、私は「みなとさん」のように、公約違反 ― 「これまでの投稿は閲覧のページに移動する」(2006年5月3日管理人名投稿)等と宣言して、2年半以上も放置 ― はしたくありません。
この間、「みなとさん」の責任は明らかにしてきましたが、「管理職労組」の責任については「予告」にとどまっています。
F委員長が、自らの責任を果たして事態を解決してくれていたら、こんな手間をかける必要もないのでしょうが、残念ながら、彼は(あえて彼らしくもなくと言っておきましょう)この問題から逃げているとしか思えません。
従って、私は、この問題について触れを得ないのです。
>いずみを退職した亡霊達に悩まされているのじゃないですか???
いえいえ、ご心配なく。悩んではいませんよ。このブログを書く時間については「もったいない」と思うことがありますが。
貴方が仰る「亡霊達」の言動について言えば、彼らがどんな誹謗中傷を連ねようと、現実が全てを物語っています。
この問題の当初から主張していることですが、「管理職労組」ホームページと破廉恥掲示板とは、今も、誰もが確認できる事実として存在しており、例えばかつてはURLにあった「minato」の文字が消されていることなどは、誰でも確認できることです。これを「言葉」で誤魔化す事は出来ません。
その事実から目をそらそうとしているF委員長たちの行為に対して、ともに働く仲間として批判をしているだけのことです。