芭蕉さんも歩いた「伊賀街道 野仏の道」、旅人も拝んだ「中ノ瀬摩崖仏」。

2022-01-08 17:30:28 | 神社仏閣など
正月早々の「旧伊賀街道の野仏巡り」のウォーキングもそろそろ終わりに…
この街道を歩いていたであろう藤堂家の殿様や芭蕉さんも含めて古の旅人たちは、
対岸にある「巨大な仏様」を拝んでいたはず、、、

旧伊賀街道(荒木地区)を歩き終わって、宿題が残るワタシ。
翌日(1/3)、泉南の貝塚より帰省し一宿していた長男に留守居役を頼み、
再び荒木方面へ。寺田の橋を渡り終え大きく右に曲がります。

国道163号線沿いの山沿いを少し走りますが、その山こそ「岡山」。
(余談ですが、その北隣峰続きが「南宮山」です)
 (2021/11/29撮影の(右)南宮山&(左)岡山)
この岡山の中腹辺りに「大光寺」があり、三重県有形文化財に指定されている
三つの石造物を所有、いずれも自然石に彫られた摩崖仏です。
そのうちの一つが三重県下では最大級の大きさを誇る「中ノ瀬摩崖仏」
ということになります。


※「大光寺」は、「伊賀忍者回廊巡り」で伺いました、リンクをご参考に。

さぁ、国道163号線を走る車はなかなかスピードが出てます
しかも「巨大摩崖仏」のある場所はカーブのド真ん中、
🚙はこの先の広い駐車帯に止めます。
少し国道を歩きますが、路側帯があるのでまぁなんとか…
 

 
やっとのことで間近で拝むことが出来ました、ほんとおっきい。
陽当たりのかげんか腕のせいか、ちょっと見辛いです

 説明版も影
≪古くから奈良東大寺の伊賀別所(=新大仏寺への参拝の人々によって
服部川を挟む対岸の伊賀街道より拝まれていたと考えられています。≫
ワタシもやっと参拝者の一員になれました。

では、詳細
三重県指定文化財 彫刻
中ノ瀬磨崖仏 大光寺
伝阿弥陀三尊像
 中 尊   像高  276cm
 左脇侍   像高   153cm
 右脇侍   像高   135cm
地藏菩薩立像 像高  250cm
不動明王立像 像高  333cm

この石仏群は花崗岩の岩壁に彫られており、
中央の伝阿弥陀如来立像は伊賀市の磨崖仏としては最大である。
石仏群は三つにわけられ、向かって右側から、梵字と地蔵菩薩立像
伝阿弥陀三尊像不動明王立像の順に配置されており、
これらは伊賀別所(大山田 新大仏寺) 創建にたずさわった宋人系石工の
子孫の手によって造立されたものと考えられている。

三尊像のうちの中尊像のみが半肉彫であり他の像は線刻である。
中尊像は、大きな目鼻立ちの面相と陰影の深い彫り方、
体部と衣文の深い彫り込みなどに鎌倉時代の様式がみられる。
しかし、他の像の作風がこの像と比べて違っていることや、
全体の構成に統一感がないことから、最初にこの像が彫り出された後、
鎌倉時代から室町時代にかけて徐々に他の像も彫られていったと考えられる。
なお、これらの石仏群は古くには伊賀別所参拝の人々によって、
前を流れる服部川の対岸の街道から拝まれていたと考えられる。
  平成6年3月9日指定
    伊賀市教育委員会』 

 写真は「伊賀ぶらり旅」より

『中ノ瀬摩崖仏』は別の名を「子売り地蔵」ともいうそうで、
≪赤ちゃんの無病息災を願う地蔵として崇められている≫と、
三重県編集「伊賀街道PDF」には書かれていました。

※なんで「子売り」??
 googleの口コミで知りました→≪戦前まで長男は育ちにくいとされ、
 親は地蔵さんの前に子を捨て、頼まれて親類縁者が地蔵の子として買ってくる≫
 というそんな風習があったそうな。

行ってみて、調べて見ると、いろんなことが見えてきます、
それも歴史、今とは違う世界が見えてきました…
この日は、清々しい綺麗な青空でした。
 

市内に戻って再確認!
「伊賀街道起点碑」(ワタシは終点だと思ってました、スミマセン)
 
ここから西への旅は「大和街道」へ。

野仏様を探しながら、1時間半ほどの散策でしたが、
鎌倉時代から室町時代に彫られていた(カモシレナイ)仏様たち、
野ざらしなのでこれから先いつまで残っているかわかりません。
今のうちに、なんとか……なるかならないか?

往来を見守って下さった仏様たち、でした。

ではまた、
本日は松阪まで…
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