自分で「こんなところです」って書いておきながら…
やっぱりね、過去ログだけではね、手抜きも甚だしいなと💦
moni5187さまからコメントもいただいて(旧上野市時代初の)「大滝峡キャンプ場」は、
確かに存在していたことも証明してもらったし、当時の地形図迄送ってもらったので、
これは再び行かねばなるまい!と、昨日の午後好天なんだけど少し肌寒さを感じるなか出かけました。
最初に、やっぱり「
花垣の八重桜」は見ておかないとね💗
大変珍しい「雌しべ二本の八重桜」でございます。
見頃は過ぎてしまいましたが、どうしても「花の中心部」を狙いたくなります(笑)。
無事に咲いてくれて何よりでございます。
淡いピンクが楚々として、派手でないところがいいですね💗
さすが
中宮彰子さまが愛でてくれた桜です。
さて、本日の目的は巨大吊橋の試作品であったのではないかと思われる「吊橋ミニ版」を再び、
そして「大川の摩崖仏」を拝ませていただくこと。
もひとつは花垣大滝地区に「建部神社」があるそうな…その確認を兼ねています。
では、「予野川に掛かる吊橋『白拍子橋』」。

ここを進みます、車の対抗は困難道です。しかし釣り場🎣でもあるので…
少し広い場所では駐車中の車に出会います、
下を流れる川を覗くと太公望さんがいらっしゃることもあります(笑)。

黄色い吊橋が「白拍子橋」になります、しっかりワイヤーで固定されているのを確認。
橋は長い年月(おそらく半世紀以上は経っていると思われる)風雨にさらされ錆びてはいますが、
まだまだ現役続行中吊橋です、廃橋にはなっていません。
この橋を渡って「白拍子滝」や「大川の摩崖仏」へという看板はあるのですが、
でも滝は無く、山際沿いに摩崖仏へ行ってもその場所からはおそらく見られない💦
橋を戻って、予野川沿いを進み、名張川の合流地点も過ぎ、
やがてこの先は「大滝峡入口」という石碑のところに来ます。
その手前、目の高さのところに山藤が綺麗に咲いているのでホッと一息撮影です。

山藤越しに見えるのが第二の吊橋「大川橋」(
おおこばしです、おおかわではありません)

「大川橋」を歩いて渡ります。
3tまでの車はOKですが、🚙で走るにはかなり勇気がいりますね💦
少し足がすくみますけど、ここは歩いて渡るのがベストです。
ココ迄来て思いました、ずいぶんと名張川の水量が多いなぁと。
以前に撮った写真ではもっと少なかった、これからどんどん水量は減るんだと思いますが、
この豊かな川の流れをいつまで見られるのか、今のうちに目に焼き付けておかないと…

左)予野川との合流方面、真ん中辺りに大きな岩が見えます、それが「摩崖仏」さま。
左)名張川の大滝峡とよばれる渓谷になります。
昔、家人が子どもの頃はここら辺りまで来て水遊びをしていたそうです、今はとても出来ません
!!
良い子はこの川で泳いではいけません!(遠い昔水難事故はあったそうなので)
橋を渡る途中で「山藤」を上から

藤の花を上から見るなんてことは滅多にできません(笑)。
ワイヤーの張りに古くても力強さを感じます。

「白拍子橋」よりかなり長く、川の真ん中は「奈良/三重の県境」。
渡り終え、ココは奈良県山添村中峰山地区の「
カントリーパーク大川」に出ます。
木の根っこが岩盤に張り付いていて生命力を感じます。
では、キャンプ場の外周を歩く感じで進むと・・・

右奥辺りが予野川と名張川の合流点、川岸には鹿の足跡など

かなりアップで撮ると、水鳥も悠々と写り、摩崖仏もはっきりと
大川地蔵(摩崖仏)(伊賀市指定文化財)のある場所は、何度も書きますが三重県伊賀市治田地区。
対岸を歩いて行っても仏様は見えないことがお分かりいただけるかと💦
やっぱり奈良県へ渡らないと見えませんね。
※①adeac.jp資料より≪伊賀地域で最大規模の磨崖仏で、名張川に面した崖面に彫られている。
中央に大きく地蔵菩薩立像が彫られ、その左右に閻魔王と泰山王、
左側の別の崖面にも十王及び供養像と思われる2体の磨崖仏が確認できる≫でしょうか?
※伊賀市史より≪名張川に面した直立する岩盤に彫られ、(中略)
この摩崖仏は対面の(奈良側の)街道から拝するように造営され、
この場所が
伊賀国の西の入口にあたる。≫
ちなみに「
中ノ瀬の摩崖仏」(寺田)は、伊賀国東の入口に位置しています。
伊賀の中で一番デカいとされる「摩崖仏」を拝んで、大川橋を戻り、

少し名張川上流側の大滝峡を…と思いましたが、一人では怖いので途中で断念💦
駐車した場所に戻って三重県側からキャンプ場を眺め、一路大滝(おおだいと読む、おおたきではない)地区へ。

大滝地区に向かう道すがら、やはり「ギフチョウ」(伊賀市天然記念物)の看板。
この看板の裏(ゴルフ場開発で心配なところですが)の山辺りにさっき行った道があるのだと思います。
その先、T字路を右へ「大滝地区」です、
ここに「建部神社」があることを知り、確かめに…
車は、地元の共有スペースに停めさせていただき、
「蓮明寺」への階段を登る途中に
「
建部神社」です。
その神社の上に「
蓮明寺」。

この地区も「天正伊賀の乱」で焼かれていますが、隣の桂地区は大丈夫だったとか。
同じ花垣といえども、悲喜こもごもの歴史を辿っているようです。
まだまだ知らないところは多く、充実した約2時間の冒険行程を愉しんできました。(完)