甲良町の若きスタッフさんの背中が語るように、
おらが故郷の高虎さんは偉大なるスターで、
彼の名刺を見れば「藤堂高虎公を大河ドラマに!」と。
そして、若々しい甲良町公認キャラクター「戦国大名 藤堂高虎」がアチコチにいるんですね。
(伊賀は熟年の高虎キャラがあってもいいのにな、と思ったり(笑))

(再掲)
さぁ、せせらぎ游園のまち「在士高虎公園」に着きました。
八幡神社からココ迄はほんの2・3分、石畳風の道の傍らには「せせらぎ」が流れています。

(再掲)

その落ち着いた風情がとても羨ましい…
そういえば20年以上も前だったか、
伊賀上野城下町丸之内の小名小路辺り(ハイトピア伊賀のある東西の通り)に「水路を造ろう」なんて
計画が沸き上がったことがありますが、頓挫したような記憶💦
城下町に流れる地下水はとてもいいお水なんですよ、昔から…
醸造業が多いのは地下水のおかげさまだった、ので。
(思えば、あの計画を真剣に進めていたらもっと落ち着いた町になっていたかも、なんてね思ったり)

「高虎公騎乗像」、そうそうこの姿を見たかった💗

大阪城の高石垣造営の際、使われずに放置されていた木津川河川花崗岩の巨石、
「残念石」は、ココで歴史に埋もれずに利活用されていますよ。

巨石には鉤印が掘られ、これは藤堂藩の印だそうな。
伊賀にもほしい…(勝手な独り言💦)
若き高虎の騎馬像に別れを告げ、再び神社の傍の「和の家(わのや)」へ

甲良町の職員Oさんが教えてくれた「がまんの鬼」が鎮座しているとか、はて?

藩祖藤堂高虎公ゆかりの【がまんの鬼】
≪この「がまんの鬼」は、藤堂宗家より寄贈寄頂いた石像です。
見るからに、必死に我慢している鬼さんは、三重県津市にある津城におられました。
築城から四百年余り津のお城と藤堂家を見守り続け、 歴史と共に彷徨い、
平成三十年一月二十一日「藤堂高虎ふるさと館」においでくださいました。
がまんの鬼さんの愛称は「おにぞうさん」と言います。
末永く、宜しくお願いいたします。平成三十年三月吉日≫
「和の家」は、古民家をミニ展示館のようにしてあって、
土・日にはスタッフさんが居てくれるそうですが、
普段はなかなかこんなにお客様は来てくれませんよ。
「藤まつり」だからこそです、高虎さんのおかげですよね、と。
庭には、「しゃべる自販機」が、しかも高虎さんがしゃべってくれましたよ(笑)

思わずチャリンとお金を入れて、買わせていただきました。
「何を所望するのだ?」とかなんとか話してくれてましたけど、
よく聞こえなかったので💦ゴメン。
1時間半くらいまったりと過ごさせてもらって、
伊賀とはまったく風土も文化も違ったところなんだけど、
自分を認めてくれる「主」を求めて戦国の世を駆け抜けて行ったはず、
西への防御のため重要拠点だった伊賀に入府したとき、何を感じたんだろう?
地の理を生かすための策があれやこれやと浮かんだはず、
「伊賀は秘蔵の国」と言ったのは高虎さんです。
ここ生まれ故郷に伺って、いろんな説明書きを読んでいると
「津より先に『伊賀』に城を造った」と書かれています。
きっと伊賀への思いは濃かったんだろうと、勝手に解釈してお暇することに…
同じ道を戻りますが、甲良町辺りを通る国道307号線って「道の駅」が二つもあって、
ココは「道の駅/せせらぎの里」。

ここにも高虎自販機、そして「藤の花」。
ココは「
道の駅/湖東三山館あいしょう」、
湖東三山スマートICの麓にあります。

最後の「忍務」はチラシを置いてもらうために寄りました。
高虎さんのご縁で伊賀へも来ていただきたいなと

次に来るチャンスはあるのかないのかわかりませんが、
できることなら来年の大河ドラマで高虎さんの奮闘ぶりを拝見して、
甲良町や伊賀に来てくれる人が増えるといいなぁと…
そんなドライブ旅も終わりました。
ではまた